【R18】Life Like a Ring

深山瀬怜

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第4話 鋏・1 

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 猫が死んでいた。
 定時退社デーの今日、総務部の伊藤さんに追い出されるようにして退勤したあと、家に戻る道を歩いているときのことだった。定時退社デーの定時退社を守るために他の日に長時間残業しているのは果たして意味があることなのか。以前から疑問に思ってはいたけれど、それを誰かに訴えたことはない。同僚や先輩たちと冗談のようにして言うだけだ。ほとんどの人が疑問に思っているけれど、そのまま放置されている問題。そういうものなのだ、と片付けられる出来事。それを引きずって帰る黄昏時、あるいは逢魔が時。傾いた太陽が作る赤い世界の中、道の横にある茂みに隠されるようにして、黒い猫が横たわっていた。
 ここは家に帰るのに一番近い道だった。近くにある学校の通学路から一本逸れたところにある人通りの少ない道。隠しているにしては雑だ。けれど人通りが少ないから誰にも見つけられなかったのだろう。俺は猫の死骸に近付いていった。
 猫の首には紐が巻き付けられていて、そのすぐ下に鋏が突き立てられていた。鋏はどこにでも売っているようなシンプルなものだ。明らかに誰かの手で殺された猫。首輪はないし、体が汚れているからおそらく野良猫だろう。猫の下には血溜まりができている。
 俺は二つのことを同時に考えていた。ひとつは猫の死体の処理方法。多分そのあたりに埋めるというのは正しい方法ではない。どこか行政機関に連絡すべきなのだろうか。けれど猫の死体を発見したときはどうすればいいかなんて教わったことはない。どこに連絡すればいいのかはわからなかった。けれどそれは調べれば何かしらの答えが出るだろう。
 もうひとつは、この近くに猫を殺した誰かがいるということだ。車に轢かれて死んでしまう野良猫がいるという話は聞いたことがあるけれど、これはそれとは比べものにならない事態だ。首を絞めた挙げ句鋏を突き刺して、殺意がなかったと言う人はいないだろう。
 これが誰の仕業かはわからない。でも、詩乃のノートが俺に与えてくれた知識が、一つのことを教えてくれる。人を殺した少年たちの中には、人を殺す前に猫などの動物を殺していた人も多い。まずは動物で、それから人間に標的が移る。よくある流れだ。
 猫の処理方法を検索すると、明らかに虐待などが疑われる場合は警察に連絡してほしいと書かれていた。動物に対する加害は刑事事件として扱われるのだ。隠し方の杜撰さを見ると、警察の手にかかれば犯人は簡単に見つかってしまうような気がした。ここで通報して、警察が犯人を捕まえてそれで終わり。でもここで通報しなければどうなるだろうか。
 もしかしたらその誰かは、人を殺すようになるかもしれない。
 これはまたとないチャンスだ。詩乃のことはあるけれど、次善の策を用意しておくことも悪くはない。要するに保険だ。殺されたい人間と殺したい人間が出会うことはめったにない。その機会をみすみす逃してしまうのはもったいない気がした。
 冷たい猫の死体を持ち上げてみると、その下に広がっていた血溜まりの中に小さなストラップが落ちていた。拾い上げて血を拭うと、それが手作りのものであることがわかった。懐中時計型の銀色の枠の中に星空を模したラメが閉じ込められている。これが犯人の持ち物なら、犯人は女性だろうか。いや、断じることはできない。男性でもそういう趣味を持っている人はいるだろう。俺は猫を埋めるための場所を探すために茂みの奥に入りながらも、他に何か手がかりはないかと地面を見つめていた。
 けれどそのストラップ以外にはめぼしいものはなかった。警察ならばこれだけでも犯人を捜せるのかもしれないが、さすがにそんな技術は俺にはない。けれどその人物をどうしても見つけ出したかった。その人は俺を殺してくれるかもしれない誰かなのだ。
 茂みの奥にちょうどいい場所を見つけたので、落ちていた枝や自分の手足を使って猫が収まる程度の穴を掘る。これが意外に骨が折れる仕事だった。人間の死体を埋めるにはこれよりも遥かに大きくて深い穴が必要になる。その場合はスコップなどの道具を使うのだろうが、それにしても根気がいる。その執念がなければ人など殺せないということだろうか。それを考えると、海に死体を投げ入れるというのはやや手軽なように感じる。
 詩乃ならこれを見て何を思うだろうか。猫を埋めて、枝を墓標代わりに立てて手を合わせながら考えた。血塗れのストラップはまだ俺の手の中にある。これを手がかりに、何としても猫殺しの犯人を見つけたい。俺はひとまずそれを家に持ち帰ることにした。

 本来は夕飯を食べなければならない時間だったが、空腹にはならなかった。まずはこのあたりで他にも動物の死体が見つかっていないかをSNSなどを使って探す。けれどめぼしいものは見つからなかった。
 やはりこのストラップが唯一の手がかりだろうか。綺麗に血を洗い流したそれをもう一度眺める。調べてみたところ、これはレジンというものを使って作られているようだった。 大きく分けて、紫外線ライトで硬化させるものと、二液を混ぜ合わせて硬化させるものの二種類があることはわかった。けれど近頃では百均でも手に入るような身近な素材らしく、それだけでは持ち主は特定できなさそうだった。他に何か手がかりはないかとストラップを眺めていると、夜空に隠されるようにして文字が封じ込められていることに気が付いた。レジンの中に封入するためのシートがあるらしい。これはその類だろう。
「E、M……Iかな? エミ……」
 持ち主の名前だったりするのだろうか。だとしたらあまりにも大きな証拠を残しすぎだ。いや、もしかしたら見つけてもらうのを待っている可能性はある。詩乃のノートの中にも、自分の犯行を誇示するようにSNSに書き込みをしたり、手紙を送りつけたりした少年の記録が残っている。
 もし迂闊な犯人ではなく、わざと手がかりを残しているのなら――これで何かが見つかるかもしれない。俺はSNSの検索欄にその名前を打ち込み、周辺エリアで絞り込みをかけた。
「……これか」
 初期アイコンをそのまま使用したアカウント。フォロワーは二十人程度で、誰のこともフォローしていない。フォロワーもほとんどスパムアカウントのようだった。おそらくこれだろうと目星をつけられたのは、その投稿内容だった。
 普通に日常のことを書き込んでいる投稿の中に、俺の手元にあるストラップと同じものの写真があった。名古屋に遊びに行ったときにレジン体験のコーナーがあってそこで作った物だと書いてあった。他に何かないかと投稿内容を見ていくが、特に変わったものは見つけられなかった。
 しばらく過去の投稿内容を遡っていると、不意に新しい投稿を示す青い丸が画面上に表示された。何気なくそれをクリックする。
『中間テストの結果を親に見せた。総合は1位だったけど、理科は満点を取れそうだったのにケアレスミスで95点になってしまい、2位だったことを怒られた。今度はミスをしないようにすると言ったら、それじゃだめなんだと言われた。じゃあどうすればいいのか』
 彼女の家はかなり厳しいようだ。以前、父親が厳格な家の子供が家に放火して家族を殺した事件があったはずだ。詩乃のノートにも勿論スクラップされている。完璧であることを強要されるストレス――そんな言葉が頭に浮かんだが、俺は首を振ってそれを打ち消した。何事も先入観は良くない。同じ環境にあっても非行に走らない人もいる。わかりやすい原因に飛びつくのは危険だ。詩乃もおそらくそう思うだろう。
『誰もいないところに行きたい』
 また新しい投稿。そのくらいのことは、ストレスを感じている人なら大抵思うだろう。けれどもっと確信を持てる何かが欲しい。でもここには本音を書かないという人も存在する。彼女はどちらだろうか。珈琲を飲みながらしばらく画面を眺めていると、再び新しい投稿があった。
『今日やったのに、まだ足りない』
『明日の放課後まで我慢しないと』
 それが何を示すのか、はっきりとは書かれていない。でも予想はついた。無惨に殺された猫のことを思う。猫にしてみれば理不尽な話だ。何も悪いことなどしていない。ただ生きていただけなのに唐突に命を奪われた。彼女にどんな理由があったとしても、動物を理由もなく殺すこと自体は許されることではない。
 けれど、相手が殺されたいという願望を抱いている人間ならどうだろうか。
 自殺幇助も罪になることはわかっている。この国では積極的に命を奪う行為は基本的に禁止されているのだから。でも法律で定められたことと、世間の感情は違う。
 詩乃が以前言っていた。殺されたのが未来ある子供や若者だったときと、老い先短い人だったときと、世間の反応は大きく違っている。もちろん罪を犯した人間に対する怒りは噴き上がる。けれど殺されたのが子供だったときが一番感情的な言葉で溢れるのだと。子供は大人のように抵抗する力もなく、まだこれから先の人生が沢山あったはずで、その子供の親も嘆き悲しんでいるから。
 でも子供だからと一括りにしてしまった瞬間に、見えなくなるものもある。
 殺されたいと願う子供もいる。子供が死んでくれたらいいのにと思う親もいる。でも理不尽な殺人犯に殺された瞬間に、その裏側の事情は隠され、嘆く親と希望に溢れた子供だったということになる。テンプレート化された悲劇だ。
 それは相手が動物でも同じだ。でも殺されたいと思う猫がいるとは思えない。そこに関しては、さすがに人間側の方が完全に悪だ。
 殺したい人間と殺されたい人間が出会って、お互いの欲求が満たされたなら、それは幸運なことなのではないだろうか。法律では罪でも、感情では許されることもあるのではないか。
「明日か……」
 おそらく彼女はこの辺りの中学に通っているだろう。待っていればそれらしき人物を見つけることが出来るかもしれない。俺は画面に表示された文字をなぞった。
 普通は出会えないはずの人間をもう一人見つけた。俺は幸運だ。でも彼女を自分の手元に引き寄せられるかはまだわからない。彼女が何を求めているのか、どうしたらその殺意が俺に向くのか、これから考えなければならない。
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