【R18】Life Like a Ring

深山瀬怜

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第4話 鋏・2

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 彼女が現れるのはきっと夕方だろうと踏んで、俺は昨日猫が死んでいた場所の近くに身を潜めていた。人通りが少ない場所は他にいくらでもあるけれど、無数にあるそのどれかを勘で選ぶよりは、実際に使った場所の近くの方が確率が高いと判断した。少なくとも昨日は成功している。それなら大丈夫だと思って油断して同じ場所を使う可能性も高い。
 案外犯行場所というものは身近にあるものだ。思い詰めた人間は実は用意周到ではない。余程知識がある人でなければ推理小説のようなトリックを使う犯人はほとんどいないし、場所も案外大通りから一本だけずれただけだったりする。
 彼女が投稿した文面を見る限り、彼女は相当追い詰められているようだった。せっかく1位を取ったのに褒められないどころかミスを責められる。そこまで酷くはなかったが俺にも似たような経験はある。
 勉強は苦手ではなかったから、自分が普通だと思う程度にやっていればそこそこの成績を収めることができた。でも親というのは子供の長所よりは欠点を見つけがちな目をしている。自分ではそこそこの結果だと思っていても、もっと上を目指した方が良いだとか、こんなミスをしなければもっと良い点が取れたのにだとか言ってくる。
 詩乃は図書館で調べ物をしたりすることはしょっちゅうなのに、勉強をすることはあまり得意ではなくて、母は俺の成績と比べて溜息を吐くことが多かった。でも俺は俺なりに普通にやっていただけだ。やりたいことの時間を削ってまで勉強して俺に追いついたとしても、それに何の意味があるのだろう。詩乃には俺にはないものがある。その芽を摘み取ってまで、向いてもいないことをやらせても、俺の劣化版ができるだけなのに。
 少なくとも俺が今ここにいるのは、詩乃が集めた情報を掠め取った結果に過ぎない。詩乃が同じことをするとは思えないが、同じ結論には達するだろう。俺が会おうとしている彼女は、このまま放置していては危険な状態だ。人を殺すに至る前に動物を殺している人は多い。引き金に指を掛けている状態だ。何かの拍子で、その指は人間に向かって引き金を引くだろう。俺はその照準を自分に向けさせたい。そのためなら詩乃がコツコツ集めたものにただ乗りフリーライドすることも厭わない。
 暫く待ってみたものの、それらしき人物は現れなかった。それどころか誰も通らなかった。当てが外れたかと思ったときに、微かに石を踏むような音が聞こえた。俺は息を潜めて様子を窺う。
 重そうなリュックと校則通りきっちりと着ていると思われる制服。ひとつにまとめた髪の毛がその動きに合わせてわずかに揺れている。心臓が跳ねる。でもこの子が猫を殺した少女だと決めつけるのは早計だ。決定打がないまま話しかけるのはリスクが高い。
 少女はキョロキョロと辺りを見回して、何かを探しているようだった。それを見て、ふとあることに気が付く。俺は音を立てないようにしながら、ポケットの中のストラップを取り出した。これくらいなら話しかけても問題はないはずだ。
「ねぇ」
 声を掛けると、少女はびくりと肩を震わせて、それからゆっくりと振り返った。俺は先程取り出したストラップを少女の目の前にぶら下げる。
「もしかして、これを探してた?」
 少女の瞳が揺れる。何を言うべきか、必死に探しているようにも見える。俺を探っているのだろう。俺が少女の秘密を――猫を殺したことを知っているかどうかを。
「そ、そうです。昨日落としてしまって。拾ってくださってありがとうございます」
 俺は少女の手にストラップを置く。ストラップを受け取った少女は、俺に背を向けてそそくさと帰ろうとしていた。俺はその背中に再び声を掛ける。
「それ、猫の死体の傍に落ちてたんだけど」
「……っ!」
 少女はいきなり走り出した。俺から逃げようとしているのだろう。当然だ。こんなことを言ってくる相手は、大体少女のやったことを咎めようとしている人だ。けれど運動はあまり得意ではないのか、簡単に追いついてしまう。
「君を責めるつもりはないよ」
 こんな言葉なんて信じてくれないのはわかっている。だから証拠を示さなければならない。まずは俺が味方であると思わせなければいけないのだ。
「猫は俺が埋めたよ。誰にも言ってない」
「どうして……」
「言ったところで、警察も他の大人たちも信用できないからね」
 少女は少なくとも足を止めてくれる気にはなったようだ。俺は慎重に言葉を選びながら話し続ける。頭ごなしに正しいことを説いたら当然扉は閉ざされる。けれど軽率に理解を示してもいけない。自分のような人間は自分一人だと思ってしまっているのだとしたら、その孤独を下手に崩してはならない。
「もしかしたら、そのストラップの持ち主はすごく苦しんでいるんじゃないかと思って。だから……少しでも力になれたらと思って、探していたんだ」
「……普通なら通報するなり何なりすると思うんですけど」
「そうだね。でも、頭が硬い人たちに任せていたって何もならないじゃないか。それに俺は……君が思っているようなまともな大人ではないよ」
 近しい人なのだと、彼女に知らしめる。少しは信じてもいいかもしれないと思わせるのが今日の目標だ。
「俺は笹森ささもりりょう。この近くに住んでるんだ」
 開示できるものは開示する。そして彼女にとって俺だけが秘密を知っている状態と、彼女にとっての安心できる場所を作り出す。
「俺に何か出来るってわけじゃないけど……もし、誰かに何か話したいとか、そう思うなら、いつでも連絡して」
 メッセージアプリの二次元バーコードを少女に見せる。それを読み取るかどうかは彼女の自由だ。でも、きっと読み取るところまでは確実にするだろうと思った。
 少女は暫く逡巡してから、携帯電話を取り出した。今日はこれでいい。俺はその場に立ち尽くしている少女に手を振り、少女に背を向けた。
 焦る必要はない。いや、むしろ急いては事をし損じる。もし少女が誰かに助けを求めたいとき、そしてそこに俺以外頼れる人がいなかった場合、彼女は必ず俺に連絡を取ってくるはずだ。
 そして、彼女に俺以外の人間がいないということは、何となく察しがついていた。



 動きがあったのは、それから数日後のことだった。仕事を終えて家に帰っている最中にメッセージアプリに届いた短い言葉。俺はそこに書かれていた場所に急いで向かった。
 少女――今井絵美はどこか虚ろな目をして、雑木林の中で佇んでいた。そしてその足許には猫の死体。やり方は前回と同じだった。首を絞めて殺してから鋏を突き立てる。その方法にこだわっているのか、それとも一度成功しているからそれを続けているのかはわからない。俺はしゃがみ込んで、猫の死体に手を合わせた。
「……何かあったの?」
 そのまま、絵美のことは見ずに尋ねる。この猫はこのままここに埋めてしまうのが良いだろう。まさかこんな短期間に二度も猫の死体を埋めることになるとは思わなかった。
「大切にしていたものを捨てられてしまって……気付いたらこの状態に」
「大切なものって?」
「えっと……私、レジンを使ってアクセサリーを作るのが好きで、でもうちではそんなことやらせてもらえないから、たまに名古屋に行くときとかに体験でやったやつを机の中にしまっていたんですけど……」
 絵美の家庭は勉強に必要のないものは全て排除するという考えのようだった。絵美がこっそり作りに行っていたアクセサリーの類を全て捨てられてしまったらしい。絵美は猫を埋める俺の手許を見ながら続ける。
「私が悪いのはわかってるんです。私、中学受験したんですけど……試験の日に体調崩しちゃって、落ちちゃって」
「俺のときはわりと公立が強い感じだったけど、今は違うの?」
「今もこの辺りはわりとそうだとは思うんですけど……受けたの、母の通っていた学校で」
 親は自分の叶えられなかった夢の続きを子供に託すものなのだろうか。その場合は自分が辿り着けたところに子供が辿り着けなかった時点で脱落ということになってしまう。俺の母親はそういう意味ではまだ楽な相手だったのかもしれない。中学受験なんてまず考えてもいないような人だったし、高校もそこそこ名の知れた公立に合格しただけで喜んでくれた。少なくとも絵美よりは簡単にクリアできる目標だった。
「体調崩したのは自己管理がなっていないからだって……それ以来、私のやっていることはことごとく信用してもらえないんです。でも、余計なことなんてしないで勉強していた方がいいってことは私もわかってるんです。『後ろめたいからコソコソやってるんでしょ』って言われて……それは確かにそうなんです」
「俺はそうは思わないけど」
「え?」
「機械だって、遊びの部分がないとすぐに壊れてしまうんだよ」
 子供のためだと言いながら、実際は自分の望む方向に進ませたい大人たちの何と多いことか。それだけが絵美の歪みの原因ではないかもしれないが、少なくとも原因のひとつではあるだろう。
 それをわかっていて利用しようとしているあたり、俺も同じくらい最低なのかもしれないけれど。
「今日はどうして俺を呼んだの?」
 答えは聞かなくても予想できる。絵美がそれを言語化できるかどうかは別としてだが。
 俺は絵美の猫殺しを否定しなかった。自分の感情を殺されてきた彼女は、自分が明らかに悪いことをしても怒らないでいてくれる人しか信用できない。でも絵美は黙って俯くだけだった。俺は絵美の言葉を待たずに言う。
「もし家に帰るのがどうしてもつらいんだったら……うちに来る?」
 ここで頷く子供は馬鹿だと思う。知らない人についていっていけないというのは常識だ。でも知っている人でも安全とは限らない。実際大抵の事件は知り合い同士の間で起きる。通り魔的な犯行はセンセーショナルに報道されるから多発しているように見えるだけ。飛行機事故と自動車事故を比べて論じているようなものだ。
 家に安心がない少女は、見ず知らずの他人にだってついていく。絵美が躊躇いながらも頷くのを、俺は笑いを堪えながら見ていた。

 そして絵美は俺の家に通うようになった。さすがに家に帰らないのはまずいと彼女もわかっているようで、時間になれば溜息を吐きながらも俺の部屋を出て行く。俺は絵美に付き合ってずっと家にいるわけにもいかないので、絵美が俺の家に来てから2週間後くらいに家の鍵の隠し場所を教えた。俺がいないときも勝手に家に上がっていいと言うと、絵美は少し驚いていた。
「どうしてそんなに親切にしてくれるの?」
「放っておけないと思っただけだよ」
 絵美が俺の家で何をしているかといえば、ひたすらレジンアクセサリー作りやハーバリウム作りをしているだけだ。道具も完成品もひとつの箱にまとめて俺の部屋に置いていく。けれどその箱以外に自分の領域を広げないとどこかで決めているようだった。
「そういえば、それやるなら換気はしっかりな。一応換気扇はずっと回してるんだけど」
「はい」
 絵美はマスキングテープを貼った丸い枠に透明なレジン液を流していく。レジンの硬化に使っている機械に似たものは、俺も実家で見たことがあった。
「それって、紫外線なんだっけ?」
「そうです。興味あるんですか?」
「いや、それを小さくしたみたいな機械が実家にもあったなって。妹が使ってたんだ」
「小さいものなら、多分ネイル用かな……妹さんがいるんですね」
 詩乃の話はまだ絵美にはしていなかった。まずは自分たちの関係をしっかりと築く必要があったからだ。そして詩乃の趣味についてはあまり絵美には知られたくない。それは俺の手の内を晒すようなものだからだ。
「そういえば爪はたまにいじってたな。マニキュアとか色々持ってた」
 それは少年事件の記事を集める以外のもう一つの趣味だったかもしれない。俺は詩乃の手が鮮やかな色で彩られているのを見るのが嫌いではなかった。自分を殺すその日の手がどんな手なのか。それが綺麗であればあるほどに気分が高揚する。
 絵美はレジンが固まるのを待ちながら、自分の爪を眺めていた。絵美の爪はまるで手本のようにきちんと切られている。けれど彼女も自分の爪を彩りたいと思うのだろうか。やりたいなら好きにやればいい。少なくともここにいる間は。
 絵美にとって心を休められる場所になることには成功しつつあると俺は確信していた。けれどどこかでそれを崩さなければならない。俺にその殺意を向けさせるためには、好意が憎悪にひっくり返る瞬間が必要だ。
 今はまだそのときではない。そもそも絵美は保険だ。詩乃が俺のことを殺さないと確信できるまでは、このままの状態を維持した方がいい。
「……あ、そういえば」
 詩乃のことを思い出したついでに、絵美に言わなければならないことも思い出した。絵美がうちに出入りしていることは勿論誰にも言っていない。絵美の私物はそこまで多くないから隠せばどうにかなるだろうが、本人と鉢合わせしてしまったら何の言い訳もできない。
「今週の土曜日は、妹がうちに来るから……その日はちょっとうち使えないんだ」
「わかりました」
 詩乃の話では、母が詩乃に保存がきく食事を持たせるつもりらしい。別にそんなもの必要ないのだけれど、とは言わなかった。下手なことを言って揉め事になるのも面倒だ。本人がここに来ないだけまだマシだろう。
 壁に掛けてあるカレンダーをぼんやりと眺める。今日は火曜日だ。今週の土曜日には詩乃がここに来る。そのときどんな話をするのか、あのノートについて詩乃はどう切り出すのか、まだ予想は立てられていなかった。何かが動くならそれでいい。けれど何も動かないのなら――ピンセットで細かな部品をつまんでいる絵美のことを横目で見る。
 実際に行動を起こしてしまっている以上、絵美の状態は詩乃よりも緊急性が高いのは確実だった。けれど絵美に殺される光景は、何故かまだ上手く想像が出来なかった。詩乃相手ならば最初からあんなにはっきりと像を結んだのに。
 絵美ならば首を絞めてから、鋏を突き立てるのだろうか。これまで殺した猫たちと同じように。詩乃が同じことをしていることは容易に思い浮かべられるのに、絵美の場合は上手くいかない。けれど想像が出来るかどうかは関係ない。最期の瞬間にはそれが現実となって襲いかかってくるのだ。
「できた」
 出来上がったモチーフに革紐を通してペンダントにした絵美が嬉しそうに言った。ここに来てから完成させたアクセサリーはいくつあるのだろう。絵美が作ったペンダントには銀色の小さな猫の飾りがついていた。猫を殺している人間が猫をモチーフにしたアクセサリーを作るのは不思議なような、どこか納得できる部分もあるような気がする。
「……もっと長い間いられたら、もっと複雑なものも作れるのに」
 絵美がぼやく。それでもここに通う数週間のうちに、絵美が作る物はどんどん複雑化していた。これまで発散できていなかったものが発散できるようになったからなのか、あの日以来動物を殺すこともなくなっているようだった。
 普通ならこのまま絵美の回復を願うのだろう。けれど俺はただの親切でこんなことをしているわけではない。俺は誰かに殺されるという俺の目的のために動いているに過ぎないのだ。
「絵美がいいなら、もっと長い時間ここにいてもいいけど」
「でも……これ以上長くいたら、バレちゃうから」
「――逃げたかったら逃げてもいいんだよ」
 家にも学校にも絵美の居場所はない。今、彼女がありのままでいられる場所はここだけだ。ノートの隠し場所を教えたときの詩乃の顔と、目の前の絵美の顔が重なる。俺だけが味方だと思えばいい。俺に依存すればいい。その方が、それをひっくり返したときの衝撃は大きい。
 俺は絵美が革紐を切るのに使った鋏を見つめる。この鋏は少し先が尖っているから、突き立てることもそれほど難しくはないのだろう。
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