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四章 新しい仲間たちの始まり

決戦の、気配

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 迷宮ダンジョンの中は昼夜が無い。
 常に天井部分から魔法の光が降り注ぎ、一定の明るさに保たれている。中に入った冒険者は自分の感覚で昼夜を決め、休息をとる必要があった。
 そのため、時間の感覚も日数の感覚も狂っていく。

 「さて、そろそろ行くか」

 ディートリヒが声を掛ける。
 彼らはまだ薬草畑にいた。彼らの感覚で一夜ほどの休息を取って、体力と魔力の回復に努めた。
 おかげで、体調は万全だ。超位の魔法薬の影響も抜けた。

 ただ、精神の方も万全かと言えば……。

 <チャラいの、ちゃんと下着は変えたか?>
 「うるせぇ!いつまでもネチネチ言いやがって。しつこいぞ!」

 嘲笑して言うグリおじさんに声を荒げたのは、クリストフだ。
 愛を求める妖精リャナンシーの襲撃は、あっさりとグリおじさんに退けられた。ほんの一瞬と言ってもいい出来事に、表面上は何の被害も受けていない様に見えた。

 だが、若干の被害はあったのだ。
 リャナンシーの淫夢を率先して楽しんでしまったクリストフに。

 望郷のメンバーたちは、すぐに察して気まずさから何も言わずに済ましていた。それなのに、グリおじさんは気付いた瞬間から執拗に、ひたすら繰り返して揶揄からかい続けていた。実に陰湿である。
 おかげでクリストフの精神力は、恥ずかしさからゴリゴリと削れていた。

 顔を真っ赤にして言い返すクリストフを、グリおじさんはニヤニヤと笑いながら満足げに見つめた。

 <そんなことより、分かってるであろうな?>
 「……そんなことって、あんたが話を振ったんだろうが……。分かってるよ。自分たちで対応できない敵が出たら、すぐに安全地帯に逃げ込むんだよな」
 <その通りだ!ここは妖精王の本拠地だ。潜んでいる魔獣たちも強い。貴様らごとき小者がいかに対処しようと敵うはずがない。戦ってみようなどと思わぬことだ。傲慢な考えは捨てよ!>

 いつも傲慢なのはあんただろ。……と、言いたいのをグッと飲み込み、グリおじさんの言葉にクリストフだけではなく全員が頷いた。

 アダド地下大迷宮グレートダンジョンは、妖精王カラカラの縄張りだ。
 さらに望郷のメンバーたちは、現在、その最深部にいる。妖精王の本拠地中の本拠地と言っていい。

 当然ながら、妖精王の配下の中でも実力者が配置されていることは間違いなく、いくら実力のある冒険者の望郷と言えど、そう簡単に勝てるはずがなかった。

 そこで、グリおじさんは一目見て敵わないと思った相手が出た時は、すぐに逃げるように提案していた。

 普通であれば、そんなことは不可能だ。
 敵の本拠地に潜り込んで、逃げ場があるはずがない。

 だが、この薬草畑の様に、ここには安全地帯が存在していた。

 妖精王がロアのために作った薬草畑。ロアことを第一に考える妖精王にとって、汚すことも傷つけることも許されない場所だ。
 だからグリおじさんと望郷のメンバーたちは、安心して一夜の休息をとることができた。

 そして同様に、ロアのための場所であれば、そこは安全地帯になるとグリおじさんと望郷のメンバーたちは考えた。

 例えば、工房。ロアを引き入れ、自らも錬金術を使う妖精王の住処なら必ずあるはずだ。
 そして、素材を入れた倉庫。生活のための部屋。研究施設。

 いずれもロアのために準備されているなら、妖精王とその配下は汚すことも傷つけることもできない。
 そこに逃げ込めば、魔獣は暴れることはできない。望郷にとって安全地帯になる。

 「言いたいことは分かるが、あんた一に戦わせるのは……」
 <足手纏いはいらぬ!そもそも貴様らは、ダンジョンに入り進むための鍵に過ぎぬ。元々戦力に計上しておらぬぞ?>
 「言いにくいことを、ずばずばと言うなよ、害獣。配慮が足りないんだよ、横暴グリフォン」

 ディートリヒは言い返したものの、苦笑を浮かべて従う意思を見せた。
 グリおじさんの言い分はキツイが、自分たちの最良を考えてくれていることは分かっている。この旅を通して素直でないグリフォンと多少は信頼関係を結べた結果だ。

 望郷が安全地帯に逃げ込むと言うことは、魔獣との戦いはグリおじさんが一匹で対処すると言うことだ。
 ディートリヒを始めとして全員がそのことに釈然としない物を抱えている。だが、力量を考えると従うしかない。

 「いくぞ!」
 「「「応っ!!」」」

 掛け声を掛け合い、グリおじさんと望郷は薬草畑の巨大な空洞を出た。

 「広いな」

 空洞の外は、人が三人横に並んでも余裕がある石造りの通路。戦闘するのに十分な広さがある。望郷のメンバーたちが戦えると言うことは、敵にとっても戦いやすい場所と言うことだ。
 浅く息を吐き、全員が気合を入れた。

 通路を進む先頭は、グリおじさん。
 いつもなら斥候役のクリストフが先頭だが、なりふり構っていられない。索敵に長け、戦闘力が高いグリおじさんに任せるのが最適だ。
 その代わりにクリストフは殿しんがりを務めて後方を警戒している。

 ディートリヒとコルネリアがグリおじさんに続く。
 二人とも全身鎧姿だ。どんな凶悪な魔獣が出て来るか分からない。動きの速さより防御力が必要だ。一撃でやられては意味がない。

 その後ろのベルンハルトも、指示があればいつでも魔法を放てるように準備している。

 全員が無言で通路を進む。
 足音だけが、響き渡る。

 「……方向は、合ってるんだろうな?」

 しばらくの後、沈黙に耐え切れずにディートリヒがグリおじさんい問い掛けた。

 <濃密な気配のする方に進んでおる。ただ、妖精王が何かしているのか、索敵が上手くいかぬ。濃い霧の中を進んでいるようだ>
 「気を付けろよ」
 <貴様に言われぬともわかっておる。む……?>
 「なんだ!?」

 突然、グリおじさんが立ち止まった。
 そのまま探る様に前方を見つめている。

 「どうした?」
 <柱の様な……いや、見た方が話が早いであろう。ついてこい>

 再び動き出したグリおじさんに促され進むと、そこには不思議な物があった。

 「これは、木の根?金属か宝石っぽいけど?」

 顎に指を当てて、コルネリアが不思議そうに呟いた。

 そこにあったのは、木の根の様に見える赤い物体だった。壁際の天井から床までを覆う様に這っていた。
 赤といっても均一ではなく、小片細工モザイクの様に様々な色合いが入り混じっている。紅玉ルビーの様に透き通っている部分もあれば、不透明な部分もある。
 共通しているのは、濃く輝いて熱すら感じそうな赤色であるということだけだ。

 石造りの通路の途中という場違いな場所でなければ、装飾か芸術品と勘違いして目を奪われたことだろう。
 
 <壁に貼り付いて何かを隠しているようだな。……ああ、部屋か。先手を取られたな>

 グリおじさんがその赤い物体を見つめ、呟いた。

 「部屋?」
 <そうだ。重要な場所に我らが入り込まぬように、入り口を封印しているようだな。貴様ら、気を引き締めよ!安全地帯は無くなったぞ>
 「……」

 言っている意味を理解して、望郷のメンバーたちは絶句した。

 赤い物体が封鎖しているのは、通路の脇にある扉だった。
 工房や、倉庫など、ロアのための施設の入り口の扉だ。赤い物体は、それを覆って入れなくしていた。

 グリおじさんたちが妖精王の考えを予測して計画を立てていたように、妖精王側もグリおじさんたちの計画を予測して先手を打ったと言うことだろう。
 望郷が逃げ込むはずの安全地帯が封じられてしまった。

 「……壊せないのか?」
 <強い魔力を帯びているのは分かるが……この様な物を我は知らぬ。攻撃することで何が起こるが分からぬぞ?これ自体が罠の可能性もあるからな>

 赤い物体は、グリおじさんすら知らない物だった。
 金属の様に見えるが、その木の根のような形から魔獣の一部かもしれない。下手に刺激をしない方がいいだろう。逃げ場所に拘るより、今は少しでも消耗を抑えた方がいい。

 「小細工なしで戦うしかなさそうだな」
 「そうね」

 コルネリアはディートリヒの呟きに答えたが、その声は重い。
 だが、怯えはない。むしろ覚悟を決めたような、鋭さがあった。

 そこから先も、所々に赤い物体が壁を覆っていた。時には通路が丸ごと塞がれている部分もあり、進める道が限られている。

 「誘い込まれてるみたいだな」
 <あちらから道案内してくれるのであれば、手間が省けるというものであろう?>

 確実に、どこかの場所に誘導されている。だが、ディートリヒとグリおじさんは強気だ。

 今更、引くという選択肢もない。ほぼ真っ直ぐに整えられた通路をしっかりとした足取りで進んでいく。迷いもない。

 進むにつれ、一人と一匹の顔に凶悪な笑みが浮かび始める。
 誘い込まれていると言うことは、相手も決着を望んでいると言うことだ。罠かもしれないが、直感がそれを否定していた。
 グリおじさんに罠は効かない。封じられた通路や、毒すら効果はなかった。精神攻撃すら、意味が無かった。今更、小細工はない。

 妖精王は、覚悟を決めている。
 決戦は近い。

 その雰囲気を感じ取り、好戦的な部分が剥き出しになっていく。
 抑えきれない衝動に気付けば、ディートリヒは剣を抜き放ってグリおじさんと並んで先頭を歩いていた。

 獣の笑みを浮かべながら、が進む。
 
 やがて、グリおじさんと望郷は、巨大な一枚の扉の前に到達した。禍々しさも何もない、平凡な木製の扉だ。
 グリおじさんと望郷の到達を感じたのか、手も触れていないのに扉は開いていく。

 その隙間から漏れ出る光に、ディートリヒは少し目を細めた。

 <さあ、挑戦者たちの入場だ!>

 高らかに宣言する声が響いた。
 そして、上がる歓声。

 そこは巨大な円形闘技場コロッセウムだった。


 
 






 
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