学園ミステリ~桐木純架

よなぷー

文字の大きさ
上 下
12 / 156
01桐木純架君

折れたチョーク事件04

しおりを挟む
 中指をたたんだ。

「ではここで我が1年3組の時間割を見てみよう」

 純架は鞄から紙切れを取り出した。四角形のますが一面にびっしりと並び、教科の名前が記されている。

「まずは火曜日だ。1時間目、生物基礎。2時間目、現文。3時間目、地理A。4時間目、英語I。5時間目、古文。6時間目、数学A」

 唐突な解説に俺は困惑した。

「何だそりゃ。事件と関係あるのか?」

 純架は無視して続行する。出勤であろう軽四が複数、往来を走り去っていった。

「そして木曜日。1時間目、数学A。2時間目、体育。3時間目、英語I。4時間目、家庭基礎。5時間目、家庭基礎。どうだい、面白いじゃないか」

 俺にはさっぱり分からなかった。純架の持つ紙をのぞき込む。強風にはためくそれを、指でつまんで固定させた。

「何が面白いんだ? ……ん? これは……」

「何か気づいたかい?」

 俺は軽く興奮して指摘する。

「数学Aの後、か? 犯人がチョークを折っているのは……」

 純架は出来の悪い生徒が高得点を叩き出したことに口笛を吹いた。

「その通りだよ、楼路君! なんだ、頭いいじゃないか。そう、犯人は決まって、宮古先生の数学Aの後に出来た無人の時間を使ってチョークを折っているのさ。火曜日6時間目数学Aの後、放課後か翌早朝かは分からないが、犯人はここで折っている。そして木曜日1時間目数学Aの後、体育で皆が教室を出払った隙に、こっそり教室でチョークを真っ二つにしている。恐らく先々週の木曜日もそうだったんだろう」

 俺は感嘆し、純架が投げてきたボールをしっかり心のグラブに収める。

「なるほど、それが『パターン』か。そうか、それでいくと今度の犯行は今日、火曜日の放課後か明日、水曜日の早朝になるわけか。今日の6時間目に宮古先生の数学Aがあるんだからな」

「そういうことさ」

 純架は堅苦しい説明が終わったことに解放感を得たのか、その場で制服を脱ぎ捨てトランクス一丁になって仁王立ちした。

「いやあ、爽快爽快!」

 変質者か。



 俺と純架は示し合わせた通り、その放課後、1年3組近くのトイレに潜んだ。廊下は帰宅や部活に向かう生徒たちでにぎわっていたが、それもやがてまばらとなった。20分後にはもうすっかりひと気がなくなる。

「僕が最後に見てきた限りでは、宮古先生が使った白くて長いチョークは折られていなかった。きっと犯人が現れ、犯行に及ぶと思う」

 俺は鏡に映る自分を無言で論評した。剣山のように逆立つ黒髪。挑みかかる狼のようなギラギラした瞳。細くて短い眉、常に不平を抱えているかのような唇。やっぱりいまいちか。

「それにしても犯人の動機が分からんな。宮古先生に嫌がらせするためにチョークを折るなら、たとえば木曜日の1時間目は数学Aなんだから、水曜日の放課後か木曜日の早朝に折って、数学Aに直接影響を与えたほうが効率がいい。なぜ数学Aの前ではなく、後になって折っているんだ?」

 純架は慎重だった。

「理由は何となく分かってる。ただ確証が持てないから言いたくないな」

「犯人の正体は?」

「それも予想はついてる。これもまだ口にしたくないね。赤っ恥をく気はないよ」

「俺、一応『探偵同好会』の会員だぜ。それでも教えてくれないのか?」

「ことはデリケートだからね」

「ああ、そう」

 俺たちはこっそり廊下を覗き、誰も往来していないのを確認した。腕時計の針が時間を刻む音がやけに高くトイレ内に響き渡る。そう、俺たちは犯人が教室に現れ、犯行に及ぶのを待ち構える、2頭の猟犬なのだ。誰に鍛えられたものでもなかったが。

 待機し始めて30分。俺はれた。

「今日はもう来ないんじゃないか?」

「しっ、声が大きい。足音を聞き逃さないよう、耳をそばだてるんだ」

「へいへい」

 40分。50分……。もう張り込み開始から1時間になろうとしている。俺は飽きて疲れて、さっさと帰りたかった。猟犬どころかチワワみたいだったが。

 そのときだ。

 か細い、しかし確実な足音が廊下に響き出したのは。それはこちらへ近づいているらしく、だんだん大きくなってきた。

「来たね」

 純架が小声でにやりと笑う。俺は背筋が伸びる思いで耳を澄ませた。靴音はトイレの前を通り過ぎ、いったん停止する。教室の引き戸が開けられる音がした。純架は俺の手首を掴んでトイレから出て、音を立てないよう注意を配りながら教室に向かう。片手でスマホのビデオ撮影を起動させていた。

 俺と純架は戸口まで辿り着くと、ガラスからこっそり中を覗いた。斜陽に輝く室内に、俺は見覚えのある背中――憧れ、恋心と共に見つめていたうなじを見出した。彼女は黒板の粉受けから長いチョークを取り出すと、それを白くてコンパクトなプラスチック製と思しきチョーク入れに収めた。そして代わりに、折れた状態のチョークの破片二つを粉受けに置く――

「そこまで!」

 純架の唐突な怒声に、彼女――そう、俺の憧れの、告白出来なかった相手――飯田奈緒は、仰天して持っていたチョーク入れを取り落とした。中に収まっていた長いチョークがばらばらと落ち、床に激突した拍子に割れる。それは破片と共に床を転がり、一つは段差の下へと落下した。

「飯田さん……!」

 俺は二の句が継げない。チョーク折りの犯人は、俺の想い人、飯田奈緒だったのだ。その事実をどうやって理解し、また納得すればいいのか、最良の解決方法はまるで見つけられなかった。

 他方、奈緒に別段思い入れのない純架が、スマホのカメラのレンズを彼女に合わせている。

「この通り、撮影したから言い逃れはできないよ、飯田さん。残念だったね」

 奈緒は驚愕が過ぎると、悄然しょうぜんとしてうなだれた。

「そうね。逃れられないね」

 声が湿っている……と思っていたら。

「う……うわああ……!」

 奈緒はわっと泣き出した。大粒の涙が目頭と目尻から溢れ、頬を伝って床に落ちる。そのいくつかは折れたチョークの表面に命中した。奈緒はがっくりと両膝をつくと、床に這いつくばって号泣した。夕暮れの教室に、その慟哭どうこくは大きくこだまするのだった。



「……さ、もういいよね、飯田さん。全部話してくれないか」

 奈緒の嗚咽おえつはまだ続いていたが、だんだんそのボリュームは絞られてきていた。それでもなお純架の要請に応じられるレベルではない。純架は仕方なさそうに告げた。

「じゃ、僕から話そう。違っていたら教えてくれたまえ。……飯田さんは、宮古先生が好きだったんだね」

 俺は純架の横顔を呆然と見た。奈緒は宮古先生が好き……。明かされた事実に胸が鋭く痛む。純架は気づかないで続けた。

「そして、大好きな宮古先生が数学Aの時間にたっぷり使ったチョークが、どうしても欲しくなった。だから最初は遊び心で、先々週の火曜日の放課後だろう、最初の盗みを行なった。宮古先生の使った長いチョークを手にして、飯田さんは満足した。それに気づくものは誰もいなかった」

 純架は未だに泣き続ける奈緒を容赦なく断罪する。

「最初は一本でやめるつもりだった窃盗だが、飯田さんは次第に我慢できなくなった。かといって学校の備品を盗むのは気まずい。そこで学校で使用されているのと同じチョークを自分で箱買いした。そして今そこにあるチョーク入れも購入し、折ったチョークを収めて登校。先々週の木曜日、体育の時間で皆がいなくなると、こっそり宮古先生のチョークを奪い、代わりに自分の持参した折れたチョークを置いたんだ」

 俺は驚きを隠せなかった。

「宮古先生のチョークを折っていたんじゃなく、自分が折った別のチョークをそれと交換していたってのか?」

「そうさ」

 純架は歌劇の登場人物のような端正な顔でうなずいた。夕暮れの光線が3人だけの室内に満ちている。それはとても暖かで、今の状況にとても似合わなかった。影が、壁に濃い。

「この前折られたチョークは折れた断面がいまいち合わさらなかった。黒板付近で折ったなら、耐え切れず分離した破片が床に散っていたはずだ。だがそれは発見できなかった。そしてチョークの皮膜の欠損もなかった。そこから僕は、既にあるチョークを教室で折ったのではなく、別の新品をどこか違う場所で折って運んできたんだと睨んだ。そうだね、飯田さん」

 奈緒はもう泣きやんでいた。ただまだいつもの元気はなく、純架の問いにうなずいてうなだれるばかりだ。純架はまた口を開いた。

「ここからは僕の想像も入るけどね。君はチョークを折る、という行為で宮古先生を故意に怒らせた。それが君にとっては快感だったんだ。好きな人の感情を揺さぶることが出来て、飯田さん、君は非常に満足した。まるで宮古先生を独り占めしたかのような錯覚に浸れたんだ。だから君は自分のチョークを折り、それを学校のものと取り替え続けた……」

「ごめんなさい……」

 奈緒は虫のようなか弱い声で謝罪した。

「桐木君の言う通りよ。そう、私は宮古先生が好き。誰よりも大好き。家に持ち帰った4本のチョークは私の宝物よ。本当はいけないことだと分かっていたけれど、自分で自分に歯止めがかけられなかった。今日も本当は危険だと思ったけど、我慢できなかったの」

 純架は長く息を吐いた。自白が得られてほっとしているらしい。

「犯人は部活動をしていない帰宅部の誰かだと思っていたよ。火曜日の放課後もしくは水曜日の早朝に時間がある人だからね。そして飯田さん、君は数学Aの授業中、宮古先生に熱い視線を送っていた、発情した子犬のように。あれで先生に恋してないなんていったら嘘さ」

 前に聞いたのと似たような台詞だった。純架は捨て目が利くのだ。
しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

聖女の姉ですが、宰相閣下は無能な妹より私がお好きなようですよ?

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:32,741pt お気に入り:11,566

異世界人は愛が重い!?

BL / 連載中 24h.ポイント:63pt お気に入り:412

公爵様と行き遅れ~婚期を逃した令嬢が幸せになるまで~

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:2,889pt お気に入り:26

幼馴染がそんなに良いなら、婚約解消いたしましょうか?

恋愛 / 完結 24h.ポイント:25,503pt お気に入り:3,546

この結婚、ケリつけさせて頂きます

恋愛 / 完結 24h.ポイント:6,127pt お気に入り:2,909

処理中です...