学園ミステリ~桐木純架

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01桐木純架君

変わった客事件02

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 5月3日、俺は二日のオフを経て鋭気を充電し、再び『シャポー』の制服に袖を通した。「だいぶさまになってきたじゃないか、坊や」とは桜さんの言だ。

 老人は再び現れた。服装にはそれほど目立った変化はない。ただ毎回、品のいい上物のジャケットを着用し、ネクタイを締めなかった。そしてやはりコーヒーをほったらかし、外を見つめていた。店長の話では、昨日と一昨日は来なかったという。

 奈緒はそんな昼下がりに来店した。薄いグレーのニットセーターに赤いパンツを合わせている。俺は天使のような彼女の御姿に心が洗われるようだった。俺と目顔でやり取りし、カウンター席の奥に座る。俺は注文を取るふりをしながら老人の位置を教えてやった。

 奈緒が老人を凝視する。老人の顔は戸外に向いているので気づかれる心配はない。

 十分過ぎるほど眺めてから、奈緒は俺の方を見た。周囲に聞かれないよう小声で話す。

「あの人が例のお年寄りね。なんか普通の人と違う気がするよ。ピリピリした雰囲気というか、近づきがたいものがあるね」

「どう思う?」

「私、考えたんだけどさ。耳貸して」

 俺は前かがみになった。彼女の息が耳にくすぐったい。

「多分あの人、ダイエットしてるんだよ。間違いない」

「ダイエット?」

「私、女の子でしょ? 分かるんだよね、ダイエットの苦しみ。あの人はきっと苦しんでるんだよ。なかなか痩せないことに。……あの人、頼むのはコーヒーだけで、食べ物は注文しないんだよね?」

「ああ」

「コーヒー一杯を目の前に置いて、それを飲みたい気持ちすらをも我慢する。なかなかできることじゃないよ。そして3時間忍耐した上で、ご褒美としてコーヒーを飲み干す。そういうことなんじゃないかな」

 なるほど、そう言われてみればそんな気もする。食い物を頼まないこともそれで理由がつく。

「頭いいんだな、飯田さん」

 奈緒は照れて赤くなった。

「えへへ。……私も注文しよっと。ええと、アイスコーヒー一杯」

 舌を出してみせる。

「私もダイエット中なんだ」



 その夜、俺は純架と携帯電話で話した。家が隣同士だし、直接会っても良かったのだが、せっかくかけ放題プランに加入していることだし電話でやり取りしたかったのだ。

 俺は早速奈緒の名推理を披露した。

「……というわけで、たぶんあの老人はダイエット中なんじゃないかって思うんだ」

 純架はこちらの淡い期待とは裏腹に、さして興奮もせずあしらった。

「その老人は太っていたのかい?」

 あれ、そういえば……

「それに、ダイエットで腹を空かせている最中に、わざわざ美味そうなメニューの並ぶ喫茶店に入って我慢するなんて、ちょっと馬鹿げているよ。それなら公園なり広場なりでもできるじゃないか。だいたいダイエット目的でコーヒー一杯で3時間も粘るなんて景気の悪いこと、会話好きな複数客ならいざ知らず、一人でやろうなんて考えるものかい? それも午前11時から午後2時まで、という時間を区切ってなんて……。いくらダイエットだって言っても、他人に迷惑をかけてまでするかな? そんな人に見えたのかい?」

「いや、見えなかった……」

 純架はあくびをした。

「楼路君、君はどうでもいいことに首を突っ込みすぎだよ。アルバイトの本分を忘れずきちんと働くことだね。それじゃ」

 純架との電話は切れた。俺は髪の毛をかきむしる。また振り出しか。



 5月4日。泣き出しそうな曇り空の下、俺は敏晴マスターからお遣いを頼まれた。午前10時45分のことだった。

「向かいの花屋さんが開いてるはずだ。ちょっと手が離せないので、朱雀君、花を買ってきてくれないか」

「何の花ですか?」

「ニリンソウの銀盃ぎんさかずきを一つ。飾り物に使うんだ」

「分かりました」

 俺は制服姿のまま店を出ると、車が通行していないのを確認し、道路を渡った。小振りな花屋は『MIKI FLOWERS』と名づけられ、近づくだけでかぐわしい香りが漂ってくる。

「いらっしゃい」

 応対に出たのは20代くらいの美しい女性だった。華やかな笑顔が魅力的だ。看板娘といったところか。

「何をお探しですか?」

「ニリンソウの銀盃を……」

「いつもありがとうございます」

 どうやら俺の制服で『シャポー』の従業員だと気づいたらしい。いつも、ということはゴールデンウィーク前にも何度も花を買っているということだ。

「780円です」

 俺は千円札を出しお釣りを貰った。

「ありがとうございました」

 店員の女性は深々と頭を下げた。うるわしい、とはこういう人を言うのだろう。一緒に食事したい気分だった。

「綺麗な子だっただろ?」

『シャポー』に戻った俺を店長が冷やかす。俺は銀盃のはちの入ったビニール袋を手渡しながらうなずいた。

「店長、ああいう人が好みなんですか?」

「まさか。俺はかみさん一筋だ」

 ドアが開いた。

「いらっしゃいませ」

 俺は反射的に声を上げ、入ってきたものの顔を見て口をつぐんだ。

 あの老人だった。

 老人はまたまた窓際の席に座った。俺は注文を取りに行って、ふと窓の外に視線を動かした。『MIKI FLOWERS』がよく見える。

「カフェラテ一つ」

 老人は底知れぬ瞳に穏やかな波紋を立てて頼んだ。俺は復唱しつつ伝票にメモして立ち去ると、胸の奥で立ち上った邪推じゃすいの雷雲にどきどきした。

 ひょっとして、老人は花屋の監視をしているのではないか。あの、美人の店員に惚れ込んでいて。

 ストーカー……

 それが俺の頭が弾き出した、あの老人の正体だった。

 老人は、毎日毎日午前11時に店に来る。そして午後2時、退店する。その理由は分からないが、その時間、彼は確かに窓の外の景色に釘付けとなり、片時も目を離そうとしない。お腹が空く昼だというのに、食べ物を注文することもしないで。そう、あの美人の店員を見張っているからだ。

 きっとそうに違いない。俺はぞっとした。あの老人の温和な表情からはうかがい知ることも出来ない、陰湿で邪悪な本性。それを垣間かいま見た気がして、俺は吐き気を抑えるのに苦労した。

 何とかしなければ。俺はどうするべきか迷った。まだ何事も起きていない以上、警察に連絡するわけにはいかない。あの女性店員に「老人があなたを見張ってますよ」と告げるべきだろうか。それとも老人に「馬鹿なことはやめるんだ」と釘を刺しておくべきだろうか。

 色々悩んだ挙句、俺は休憩時間に純架に電話した。むかつくが、奴の方が俺より頭の回転が速い。きっと最良の対処を教えてくれるだろう。

「老人はストーカーじゃないよ」

 純架はあほくさそうに一刀両断した。

「だって、老人がゴールデンウィークの休日部分だけ来店するのはおかしいじゃないか。花屋の店員に懸想けそうしているなら、5月1日と2日も来るはずさ、別に昼じゃなくてもね。それにやっぱり入店時間と退店時間の奇妙な厳守の説明はつかない。だって花屋の店員はその後も仕事しているんだろう? もし老人がストーカーなら、『シャポー』の絶好な立地条件を奇妙な時間に手放すわけもないし」

 俺は眉間を指で揉んだ。数分前の自分を恥じる思いだった。

「じゃああの老人は何者で、何でこんなわけ分からんことを繰り返しているのか、説明してくれよ!」

 純架はいたって冷静だった。

「だ・か・ら、本人に聞けばいいじゃないか。前にも言ったけど。それで万事解決するだろうに」

「うるせえな、ここまで来てやめられるかよ。俺は絶対老人の正体を暴いてやる。見てろよ」

「付き合いきれないよ。勝手にしたまえ」

 老人はその日も午後2時で帰っていった。



 5月5日。バイトも終盤戦に差し掛かった。嬉しい来客があったのは午後0時だ。

「また来ちゃった」

 奈緒の女神のような微笑みに、俺はそれまでの疲れも吹き飛んだ。老人は今日も来ていて、相変わらず冷えたカフェラテを前に窓の向こうへ双眸を光らせている。そういえばあの客がドリップコーヒーを頼んだのを見たことがない。

「あのさ、朱雀君。私、考えたんだけど……」

「あの人ならダイエット中じゃないぜ」

 奈緒は噴き出した。声を細める。

「うん、その説じゃなくてね。考えたんだけど、あの人、実は刑事さんなんじゃないかなって」

「刑事?」

 俺は灰色の陽光が斜めに差し込む店内で、老人のいつもと変わらぬ横顔を見つめた。今は昼時だが雨天のせいで客足は鈍かった。空調の奮闘のおかげで室内は快適なのだが。

 奈緒が自分のアイデアを浮かれたように披瀝ひれきする。

「あの花屋か、それとも隣の店かは分からないけど、多分あのお年寄りは刑事さんで、目的の店舗を張り込みしてるんじゃないかな。そう思えばあのただならぬ風格にも説明が付くし」

「時間を限定して来店するのは?」

「その時間、犯人が向こうの店のどれかに落ち着くからじゃない? お年寄りの人が時間を決めているんじゃなくて、その犯人が店に出入りするのが午前11時から午後2時までだから、必然、お年寄りがその時間に合わせているんだよ」

 なるほど。隙のない推理だ。

「そうか、それならコーヒー一杯で帰るのもうなずけるな。犯人が張り込み時間内なのに急に店を出たら、後を追わなきゃならない。そうなるとおちおち食べ物を喉に通してなんかいられないもんな。……こりゃ間違いない。でかした、飯田さん」
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