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第三章 恋文と怪文書

19 貴明の心配、六朗の心配

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(どこだ)

 みゆきを六朗に預けた貴明は、雑踏の中に駆けこんだ。鋭い視線で周囲を見渡す。
 石畳で舗装された西洋風の目抜き通りには、行儀よく街路樹が植えられていた。
 二十歩ほど先に生えた松が、貴明にしか聞こえない言葉で囁きかける。

『角。角。角』

(角。あの松のところか)

 貴明は人混みをぬって駆けだした。
 囁く松の前で、直角に角を曲がる。

 いくら帝城近くとはいえ、一本角を曲がれば人通りは激減する。
 どことなく薄暗い路地を歩く人影はひとつだけ。
 漆黒の装いに、白髪を垂らした人物のみ。

「――止まれ」

 貴明は軍人特有の、人に命じ慣れた者の声で言う。
 白髪の人物は、ゆうらりと歩みを止めた。
 貴明は白髪の人物に足早に近づいていく。
 白髪の人物は、振り返ろうとする。

 振り返りきる前に、貴明が抜刀した。
 ひゅ、と刃が風を切る音。
 貴明の太刀筋は逆袈裟に駆け上がり、白髪の人物を両断した――ように、見えた。

(………!)

 だが、貴明は手応えのなさに気付いている。
 美しい眉間に皺を寄せ、貴明は刀を脇に振る。
 刃にまとわりついていた布が、ばさりと地面に落ちた。
 白髪の人物がまとっていた黒い外套だ。

 外套だけを残して、白髪の人物は忽然と消えていた。

      † † †

 その後も白髪の人物を探索した貴明だったが、成果はほぼ零だった。
 貴明としては、予想通りの結果ではある。

(あれが容易く斬り捨てられるものなら、とうに斬り捨てている)

 苛立ちと諦念を無表情の下に押し込め、忍宮組へと戻る。
 中庭から離れの縁側へ回ると、靴脱ぎ石に黒猫が丸まっているのが見えた。
 そして縁側の上には、六朗が難しい顔であぐらをかいている。

「……もっと遅くなるかと思ったぜ」

 六朗は斜に構えて貴明を睨みあげた。
 貴明は音もなく歩み寄り、障子の向こうをうかがう。

「みゆきは、中だな。恩に着る」

「おい、待てよ。まさかのまさか、『恩に着る』の一言で済ませようってんじゃあねえだろうな?」

 六朗の低い声には、普段の明るい調子がまったくない。
 じっと見上げてくる瞳も、血の色が沈んでいるかのような不吉な黒色をしている。
 貴明は靴脱ぎ石にかけた足を下ろして、六朗と向き合った。

「どういう意味だ?」

「どういう意味だ、じゃねえ!!」

 怒鳴り声と共に縁側を殴りつけ、六朗は裸足で靴脱ぎ石に降り、貴明の襟をつかむ。
 意外なほどの剛力で引き寄せられ、貴明はよろけた。
 六朗は貴明と鼻と鼻を突き合わせ、押し殺した声を出す。

「あれからみゆきは目覚めねぇ。悪い夢にうなされてんだ。熱もある。もう一度聞くぞ? てめぇは、みゆきに、何をした?」

「……すまない」

「っざけんな、オレは謝れっつってんじゃねぇ!! 説明しろっつってんだよ!!」

 障子がびりびりと震えそうな怒声を放ち、六朗は歯を食いしばった。
 今にも歯が折れてしまいそうな歯ぎしりをして、彼は続ける。

「てめえがおかしいのは最初からわかってた。用があるっつって外に出たって、ほとんどどこにも行ってねえ。今日だってそうだ。ちょいと離れたところから見張っていなけりゃあ、あんなふうには出てこられねえ!!」

「…………」

「てめえはみゆきから逃げ回ってる!! なんでだよ!? 万が一にも、他に将来を誓った女がいるとか言うんじゃあねえだろうな!?」

「女?」

 虚を突かれ、貴明は伏せていた目を上げた。

「それはない。考えたこともない」

 六朗はひくひくと怒りに顔を引きつらせたが、やがて、ふー……と長い息を吐く。

「……だろうなあ。てめえはそういう男だよ、貴」

 六朗は苦々しげに言い、貴明の襟を手放した。
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