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第三章 恋文と怪文書
18 奇妙な人物
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「そこの方」
みゆきははっとして振り返る。
背後にはなんの気配もなかったのに、ほんの数歩の位置に不思議な人物が立っていた。
(男の方? それとも、女の方かしら)
黒い外套に身を包んだその人は、背丈といい、体格といい、髪の長さといい、いかなる人間かの予想がつきづらい人物だった。
男なのかもしれず、女なのかもしれず、若者なのかもしれず、老人なのかもしれない。
そんな人物がいるものかと言われても、実際目の前にいるのだから、仕方ない。
その人物の特徴は、真っ白な髪を肩に垂らしていること。
それと、真っ白な顔面を斜めに横切る、刀傷があることだった。
「私、ですか?」
傷がついたときは痛かっただろうな、と思いながら、みゆきは確かめる。
傷の人物は、薄い唇を三日月の形にして笑い、懐から手紙を取り出した。
「確かにあなただ。ここに、お渡しするものがございます」
渡された手紙には、『忍宮みゆき様江』と宛名が書いてある。
が、裏には差出人が書いていない。
「あなたは、一体……」
一体誰なのかを問おうとしたが、顔を上げると、そこには誰もいなかった。
「え?」
みゆきは慌てて辺りをきょろつく。
道を行くのは朗らかに笑いさざめく男女ばかりで、さっきの人物は影も形もない。
(ど、どうしよう。いえ、別に、どうもしなくていいのかな。お相手は、私のことがわかっていたようだし……ひとまず、中身を読んでみるしかない……?)
こんなふうに手紙を渡されることなど初めてで、みゆきはそわそわが止まらなかった。
家まで待つことなど、とてもできない。
急いで手紙を開くと、指先に痛みが走る。
「いたっ……! うう、焦りすぎよ、私」
じんわり血がにじむ指を口に含みつつ、とにかく手紙を開ききった。
そこには、黒々とした墨でニ行だけ。
『瀬禅貴明が、戦場でどんな酷いことをしたか、
知っている』
と、書かれている。
(え)
とっさに文章の意味が入ってこず、みゆきは何度も文字列を視線でなぞった。
何度読んでも、よくわからない。
(貴明さんが……なに?)
酷いことって、なんだろう。
あの貴明が、どんな酷いことをしたというのだろう。
あり得ない。嘘だ。とんだ誹謗中傷。
淡い怒りがわきがってくると同時に、さっきの人物の顔が鮮明に思い出された。
あの顔の、傷ましい刀傷。
あれは、どこでついたもの?
わからない。わからない。
何ひとつ、よくわからない。
頭の中身が熱い液体になってしまったかのようで、みゆきはよろめく。
気分が悪い。目が回る。
臓腑にも不快感が広がってくる。
さっき舐めとった血が、喉で、食道で、胃の腑で、じわじわと熱を発している気がする……。
(もう、ダメ)
あまりのつらさに、みゆきは立っているのを諦めた。
ぐらり、と体が傾き、急速に地面が近づいてくる。
ぶつかる、と思った次の瞬間、みゆきは、しなやかな腕に受け止められた。
「……!」
ごわごわした軍服の感触。
すっかりしみついてしまった、あの人の匂い。
貴明だった。
貴明が、自分を抱きかかえている。
(嘘……ほんとうに……? 一体、どこ、に……?)
おぼろな意識の中で、みゆきは必死に考えた。
ひどいめまいに襲われていて、近くにあるはずの貴明の顔がよく見えない。
「みゆき。気を確かに持て」
冷たい手がそっと頬に触れて、鋭い声が囁く。
その声を聞いて、やっとまともに呼吸ができた。
ぼやけた視界の中に、貴明の輪郭が浮かび始める。
刃のような目が光っているのが見える。
きれいな目だ。強い目だ。
「たかあき、さ……」
「っ! どうしたんです、お嬢!?」
そこへ、今度は六朗の声がかかった。
みゆきがこないのを心配して、店から出てきたのだろう。
六朗はみゆきと、みゆきを抱いた貴明を見比べ、見る見る険しい顔になる。
「貴明、てめえ、お嬢に何をした?」
「ちが……ちがう、の」
(六朗、貴明さんが私に何かしたと思ってる……!)
みゆきは必死に誤解を解こうと口を開くが、舌がもつれて上手くいかない。
貴明はそんな六朗を見つめ、なんとみゆきの体を託した。
「六朗。みゆきを頼む」
「頼むってのはなんだ、頼むってのは!! 何がどうなってんだか説明しやがれ! おい、貴明! 待てよ、みゆきを置いてどこ行くんだ、てめぇ!!」
六朗は血相を変えて叫ぶが、貴明は振り返らない。
みゆきははっとして振り返る。
背後にはなんの気配もなかったのに、ほんの数歩の位置に不思議な人物が立っていた。
(男の方? それとも、女の方かしら)
黒い外套に身を包んだその人は、背丈といい、体格といい、髪の長さといい、いかなる人間かの予想がつきづらい人物だった。
男なのかもしれず、女なのかもしれず、若者なのかもしれず、老人なのかもしれない。
そんな人物がいるものかと言われても、実際目の前にいるのだから、仕方ない。
その人物の特徴は、真っ白な髪を肩に垂らしていること。
それと、真っ白な顔面を斜めに横切る、刀傷があることだった。
「私、ですか?」
傷がついたときは痛かっただろうな、と思いながら、みゆきは確かめる。
傷の人物は、薄い唇を三日月の形にして笑い、懐から手紙を取り出した。
「確かにあなただ。ここに、お渡しするものがございます」
渡された手紙には、『忍宮みゆき様江』と宛名が書いてある。
が、裏には差出人が書いていない。
「あなたは、一体……」
一体誰なのかを問おうとしたが、顔を上げると、そこには誰もいなかった。
「え?」
みゆきは慌てて辺りをきょろつく。
道を行くのは朗らかに笑いさざめく男女ばかりで、さっきの人物は影も形もない。
(ど、どうしよう。いえ、別に、どうもしなくていいのかな。お相手は、私のことがわかっていたようだし……ひとまず、中身を読んでみるしかない……?)
こんなふうに手紙を渡されることなど初めてで、みゆきはそわそわが止まらなかった。
家まで待つことなど、とてもできない。
急いで手紙を開くと、指先に痛みが走る。
「いたっ……! うう、焦りすぎよ、私」
じんわり血がにじむ指を口に含みつつ、とにかく手紙を開ききった。
そこには、黒々とした墨でニ行だけ。
『瀬禅貴明が、戦場でどんな酷いことをしたか、
知っている』
と、書かれている。
(え)
とっさに文章の意味が入ってこず、みゆきは何度も文字列を視線でなぞった。
何度読んでも、よくわからない。
(貴明さんが……なに?)
酷いことって、なんだろう。
あの貴明が、どんな酷いことをしたというのだろう。
あり得ない。嘘だ。とんだ誹謗中傷。
淡い怒りがわきがってくると同時に、さっきの人物の顔が鮮明に思い出された。
あの顔の、傷ましい刀傷。
あれは、どこでついたもの?
わからない。わからない。
何ひとつ、よくわからない。
頭の中身が熱い液体になってしまったかのようで、みゆきはよろめく。
気分が悪い。目が回る。
臓腑にも不快感が広がってくる。
さっき舐めとった血が、喉で、食道で、胃の腑で、じわじわと熱を発している気がする……。
(もう、ダメ)
あまりのつらさに、みゆきは立っているのを諦めた。
ぐらり、と体が傾き、急速に地面が近づいてくる。
ぶつかる、と思った次の瞬間、みゆきは、しなやかな腕に受け止められた。
「……!」
ごわごわした軍服の感触。
すっかりしみついてしまった、あの人の匂い。
貴明だった。
貴明が、自分を抱きかかえている。
(嘘……ほんとうに……? 一体、どこ、に……?)
おぼろな意識の中で、みゆきは必死に考えた。
ひどいめまいに襲われていて、近くにあるはずの貴明の顔がよく見えない。
「みゆき。気を確かに持て」
冷たい手がそっと頬に触れて、鋭い声が囁く。
その声を聞いて、やっとまともに呼吸ができた。
ぼやけた視界の中に、貴明の輪郭が浮かび始める。
刃のような目が光っているのが見える。
きれいな目だ。強い目だ。
「たかあき、さ……」
「っ! どうしたんです、お嬢!?」
そこへ、今度は六朗の声がかかった。
みゆきがこないのを心配して、店から出てきたのだろう。
六朗はみゆきと、みゆきを抱いた貴明を見比べ、見る見る険しい顔になる。
「貴明、てめえ、お嬢に何をした?」
「ちが……ちがう、の」
(六朗、貴明さんが私に何かしたと思ってる……!)
みゆきは必死に誤解を解こうと口を開くが、舌がもつれて上手くいかない。
貴明はそんな六朗を見つめ、なんとみゆきの体を託した。
「六朗。みゆきを頼む」
「頼むってのはなんだ、頼むってのは!! 何がどうなってんだか説明しやがれ! おい、貴明! 待てよ、みゆきを置いてどこ行くんだ、てめぇ!!」
六朗は血相を変えて叫ぶが、貴明は振り返らない。
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