上 下
22 / 66
第三章 恋文と怪文書

22 存在しない部隊

しおりを挟む
 みゆきの不調は、うっすらとずっと続いた。
 が、結局みゆきが布団にいたのは二日半程度だった。
 倒れていると貴明が枕元から離れない、ということに、みゆきが気付いたせいだ。

(ずっと寝ていたら体がカビてしまいそうだし、悪い考えばかり頭を回るし。貴明さんがずっと側にいてくださるのは、正直嬉しいけれど……独り占めは、申し訳ないもの)

 そんなこんなで布団から這いだし、みゆきは女学校へとやってきたのだった。

 けだるい体で久しぶりの裁縫の授業を受けながら、みゆきは貴明と謎の手紙のことを考えている。

(貴明さん、軍隊で何をなさっていたのかしら。思えば私、それすら知らない)

 貴明が素晴らしい人であること、優しい人であることは信じている。
 信じてはいるが、軍隊という組織の中では様々なことがあるのだろう。
 それくらいの想像はつく。
 が、具体的にどんなことがあるのかとなると、わからない。

(敵を成敗するのは、仕方のないことだとして。あの白い髪の方は、どうして私にわざわざ手紙を渡しに来たの?)

 貴明を告発したいのなら、もっと別に行く場所がある。
 あえてみゆきのところへ来るわけだが、嫌がらせの可能性が一番高いのだろう。
 嫌がらせをされたとて、貴明を思うみゆきの心は変わらない。
 変わらないが、このままではいけないのもわかる。

(貴明さんに直接お話を聞くのが一番だけど……貴明さんだって、傷ついているかもしれないし。そもそも私に話せることなら、いつかご自分から話して下さるはずだし。……本当は、こういうことをもっと早く考えなければダメだったんだ)

 しみじみ思うのは、自分が無知すぎて能天気だった、ということだ。
 貴明が帰ってきたことが嬉しくて、夫婦になれたことで浮かれていて、他の全てを棚上げしていた。
 雷光に透けた貴明が見せた異形を、忘れたわけではないのに。

「お姉様。……お姉様? みゆきお姉様」

「よし! やめましょう!!」

「え!? 何をですか!?」

 間近でナオに叫ばれて、みゆきは我に返った。
 気付けば授業は終わっていたし、ナオは目を丸くして立っている。
 みゆきは慌てて立ち上がった。

「あ、ご、ごめんなさい、ナオさん! 私、物思いにふけってしまっていて。その、ぐるぐる考え続けるのを、やめようと思って……」

「ああ、そういうことでしたのね。万が一にも女学校を辞めるというお話だったら、私、またまた常軌を逸してしまうところでしたわ! 最近、お休みが多かったですし……」

 常軌を逸するって、一体どうなるのだろう。
 疑問に思いつつも、みゆきは微笑む。

「大丈夫。お休みを頂いたのは、ちょっと体調が優れなかっただけなの」

 ナオはみゆきの微笑みに頬を染めたが、その後柄にもなく口ごもった。

「……そんなお姉様に、お聞かせしていいのか……正直、わからないのですけれど」

 何やらただ事ではないな、と察し、みゆきは隣の空席の椅子を引いた。

「長くなるなら、座って話しましょ」

「はい」

 ナオは勧められるまま椅子に座り、ついに意を決した様子で顔を上げた。

「……貴明様について、お父様に聞いてみたのです」

「ああ。そういえば、そんな話をしましたっけ」

 貴明についてナオに相談をしたのは、いつのことだっただろうか。

(確か……貴明さんと、なかなか夫婦の関係になれない、って話……)

 思い出すとかあっと頬が熱くなって、みゆきは少しうつむいた。
 ナオはナオで、言いにくそうに続ける。

「はい。それで……。貴明様は確かに軍属なのですが、所属部隊がない、そうです」

「所属部隊が、ない?」

 まったく予想外の返事に、みゆきは恥ずかしさを忘れて顔を上げる。

(それってつまり、どういうこと? 軍にいることは間違いなくて? 部隊がない?)

「つまり、その、部隊が解散したとか……?」

 おそるおそる聞いてみたものの、ナオはゆっくり首を横に振った。

「いえ。おそらくは、秘匿されているのでは、と」

「秘匿? 部隊のことが?」

「はい。私も、これ以上は教えてもらえませんでした」

 ナオは袴の上できゅっと拳を握って言う。
 見たこともないくらいに緊張しているのがわかる。
 父親にどんな言われ方をしたのかはわからないが、こんな話が出てきては平常心ではいられまい。

(なのに、きちんと教えてくれた)

 みゆきはじわりと感動を覚え、そうっとナオの拳を手のひらで覆う。

「……ありがとう、ナオさん。もう、充分よ」
 
 ナオはまだ堅くなったまま、小さな声で続けた。

「お伝えするかどうか、私も悩んだのです。貴明様は年齢にしてはびっくりするほど出世もお早いですし……私たちにはわからない、何かがあったのだと思います。そのことで、お姉様が何か、大変な思いをしていないといいと、思っていて……」

 つっかえつっかえ言い、緊張でうるんだ目でみゆきを見つめるナオ。

(大切な、お友達)

 みゆきはナオの手を丁寧にさすった。
 こうしていると、よくわかる。
 ナオがどれだけ長身で格好よくても、彼女は年下の女の子なのだ。

(これ以上、私たちのことに巻きこむわけにはいかない)

 心を決めて、みゆきはきっぱりとナオに微笑みかける。

「確かに貴明さんには秘密が多いし、心配になってしまうこともあります。だから私、きちんと貴明さんとお話しするわ。どうせ心配をするのなら、知って心配することにしました」

「みゆきさん……なんて、健気で、凜々しくていらっしゃるの……」

 ナオの瞳がうるむ。
 みゆきは小さく首を横に振った。

「あなたが決心させてくれた。ありがとうね、ナオさん」

 みゆきが腕を伸べ、ナオとみゆきはどちらからともなく抱き合う。
 そうして、どれくらい抱き合っていたのだろう。
 お互いが充分に落ち着いたと思えたところで、二人は涙をぬぐって帰途についた。
しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

君と地獄におちたい《番外編》

恋愛 / 完結 24h.ポイント:7pt お気に入り:260

タイムリープしてクラス転移したおっさん、殺人鬼となる

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:163pt お気に入り:43

双月の恋

恋愛 / 完結 24h.ポイント:447pt お気に入り:27

処理中です...