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第三章 恋文と怪文書
22 存在しない部隊
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みゆきの不調は、うっすらとずっと続いた。
が、結局みゆきが布団にいたのは二日半程度だった。
倒れていると貴明が枕元から離れない、ということに、みゆきが気付いたせいだ。
(ずっと寝ていたら体がカビてしまいそうだし、悪い考えばかり頭を回るし。貴明さんがずっと側にいてくださるのは、正直嬉しいけれど……独り占めは、申し訳ないもの)
そんなこんなで布団から這いだし、みゆきは女学校へとやってきたのだった。
けだるい体で久しぶりの裁縫の授業を受けながら、みゆきは貴明と謎の手紙のことを考えている。
(貴明さん、軍隊で何をなさっていたのかしら。思えば私、それすら知らない)
貴明が素晴らしい人であること、優しい人であることは信じている。
信じてはいるが、軍隊という組織の中では様々なことがあるのだろう。
それくらいの想像はつく。
が、具体的にどんなことがあるのかとなると、わからない。
(敵を成敗するのは、仕方のないことだとして。あの白い髪の方は、どうして私にわざわざ手紙を渡しに来たの?)
貴明を告発したいのなら、もっと別に行く場所がある。
あえてみゆきのところへ来るわけだが、嫌がらせの可能性が一番高いのだろう。
嫌がらせをされたとて、貴明を思うみゆきの心は変わらない。
変わらないが、このままではいけないのもわかる。
(貴明さんに直接お話を聞くのが一番だけど……貴明さんだって、傷ついているかもしれないし。そもそも私に話せることなら、いつかご自分から話して下さるはずだし。……本当は、こういうことをもっと早く考えなければダメだったんだ)
しみじみ思うのは、自分が無知すぎて能天気だった、ということだ。
貴明が帰ってきたことが嬉しくて、夫婦になれたことで浮かれていて、他の全てを棚上げしていた。
雷光に透けた貴明が見せた異形を、忘れたわけではないのに。
「お姉様。……お姉様? みゆきお姉様」
「よし! やめましょう!!」
「え!? 何をですか!?」
間近でナオに叫ばれて、みゆきは我に返った。
気付けば授業は終わっていたし、ナオは目を丸くして立っている。
みゆきは慌てて立ち上がった。
「あ、ご、ごめんなさい、ナオさん! 私、物思いにふけってしまっていて。その、ぐるぐる考え続けるのを、やめようと思って……」
「ああ、そういうことでしたのね。万が一にも女学校を辞めるというお話だったら、私、またまた常軌を逸してしまうところでしたわ! 最近、お休みが多かったですし……」
常軌を逸するって、一体どうなるのだろう。
疑問に思いつつも、みゆきは微笑む。
「大丈夫。お休みを頂いたのは、ちょっと体調が優れなかっただけなの」
ナオはみゆきの微笑みに頬を染めたが、その後柄にもなく口ごもった。
「……そんなお姉様に、お聞かせしていいのか……正直、わからないのですけれど」
何やらただ事ではないな、と察し、みゆきは隣の空席の椅子を引いた。
「長くなるなら、座って話しましょ」
「はい」
ナオは勧められるまま椅子に座り、ついに意を決した様子で顔を上げた。
「……貴明様について、お父様に聞いてみたのです」
「ああ。そういえば、そんな話をしましたっけ」
貴明についてナオに相談をしたのは、いつのことだっただろうか。
(確か……貴明さんと、なかなか夫婦の関係になれない、って話……)
思い出すとかあっと頬が熱くなって、みゆきは少しうつむいた。
ナオはナオで、言いにくそうに続ける。
「はい。それで……。貴明様は確かに軍属なのですが、所属部隊がない、そうです」
「所属部隊が、ない?」
まったく予想外の返事に、みゆきは恥ずかしさを忘れて顔を上げる。
(それってつまり、どういうこと? 軍にいることは間違いなくて? 部隊がない?)
「つまり、その、部隊が解散したとか……?」
おそるおそる聞いてみたものの、ナオはゆっくり首を横に振った。
「いえ。おそらくは、秘匿されているのでは、と」
「秘匿? 部隊のことが?」
「はい。私も、これ以上は教えてもらえませんでした」
ナオは袴の上できゅっと拳を握って言う。
見たこともないくらいに緊張しているのがわかる。
父親にどんな言われ方をしたのかはわからないが、こんな話が出てきては平常心ではいられまい。
(なのに、きちんと教えてくれた)
みゆきはじわりと感動を覚え、そうっとナオの拳を手のひらで覆う。
「……ありがとう、ナオさん。もう、充分よ」
ナオはまだ堅くなったまま、小さな声で続けた。
「お伝えするかどうか、私も悩んだのです。貴明様は年齢にしてはびっくりするほど出世もお早いですし……私たちにはわからない、何かがあったのだと思います。そのことで、お姉様が何か、大変な思いをしていないといいと、思っていて……」
つっかえつっかえ言い、緊張でうるんだ目でみゆきを見つめるナオ。
(大切な、お友達)
みゆきはナオの手を丁寧にさすった。
こうしていると、よくわかる。
ナオがどれだけ長身で格好よくても、彼女は年下の女の子なのだ。
(これ以上、私たちのことに巻きこむわけにはいかない)
心を決めて、みゆきはきっぱりとナオに微笑みかける。
「確かに貴明さんには秘密が多いし、心配になってしまうこともあります。だから私、きちんと貴明さんとお話しするわ。どうせ心配をするのなら、知って心配することにしました」
「みゆきさん……なんて、健気で、凜々しくていらっしゃるの……」
ナオの瞳がうるむ。
みゆきは小さく首を横に振った。
「あなたが決心させてくれた。ありがとうね、ナオさん」
みゆきが腕を伸べ、ナオとみゆきはどちらからともなく抱き合う。
そうして、どれくらい抱き合っていたのだろう。
お互いが充分に落ち着いたと思えたところで、二人は涙をぬぐって帰途についた。
が、結局みゆきが布団にいたのは二日半程度だった。
倒れていると貴明が枕元から離れない、ということに、みゆきが気付いたせいだ。
(ずっと寝ていたら体がカビてしまいそうだし、悪い考えばかり頭を回るし。貴明さんがずっと側にいてくださるのは、正直嬉しいけれど……独り占めは、申し訳ないもの)
そんなこんなで布団から這いだし、みゆきは女学校へとやってきたのだった。
けだるい体で久しぶりの裁縫の授業を受けながら、みゆきは貴明と謎の手紙のことを考えている。
(貴明さん、軍隊で何をなさっていたのかしら。思えば私、それすら知らない)
貴明が素晴らしい人であること、優しい人であることは信じている。
信じてはいるが、軍隊という組織の中では様々なことがあるのだろう。
それくらいの想像はつく。
が、具体的にどんなことがあるのかとなると、わからない。
(敵を成敗するのは、仕方のないことだとして。あの白い髪の方は、どうして私にわざわざ手紙を渡しに来たの?)
貴明を告発したいのなら、もっと別に行く場所がある。
あえてみゆきのところへ来るわけだが、嫌がらせの可能性が一番高いのだろう。
嫌がらせをされたとて、貴明を思うみゆきの心は変わらない。
変わらないが、このままではいけないのもわかる。
(貴明さんに直接お話を聞くのが一番だけど……貴明さんだって、傷ついているかもしれないし。そもそも私に話せることなら、いつかご自分から話して下さるはずだし。……本当は、こういうことをもっと早く考えなければダメだったんだ)
しみじみ思うのは、自分が無知すぎて能天気だった、ということだ。
貴明が帰ってきたことが嬉しくて、夫婦になれたことで浮かれていて、他の全てを棚上げしていた。
雷光に透けた貴明が見せた異形を、忘れたわけではないのに。
「お姉様。……お姉様? みゆきお姉様」
「よし! やめましょう!!」
「え!? 何をですか!?」
間近でナオに叫ばれて、みゆきは我に返った。
気付けば授業は終わっていたし、ナオは目を丸くして立っている。
みゆきは慌てて立ち上がった。
「あ、ご、ごめんなさい、ナオさん! 私、物思いにふけってしまっていて。その、ぐるぐる考え続けるのを、やめようと思って……」
「ああ、そういうことでしたのね。万が一にも女学校を辞めるというお話だったら、私、またまた常軌を逸してしまうところでしたわ! 最近、お休みが多かったですし……」
常軌を逸するって、一体どうなるのだろう。
疑問に思いつつも、みゆきは微笑む。
「大丈夫。お休みを頂いたのは、ちょっと体調が優れなかっただけなの」
ナオはみゆきの微笑みに頬を染めたが、その後柄にもなく口ごもった。
「……そんなお姉様に、お聞かせしていいのか……正直、わからないのですけれど」
何やらただ事ではないな、と察し、みゆきは隣の空席の椅子を引いた。
「長くなるなら、座って話しましょ」
「はい」
ナオは勧められるまま椅子に座り、ついに意を決した様子で顔を上げた。
「……貴明様について、お父様に聞いてみたのです」
「ああ。そういえば、そんな話をしましたっけ」
貴明についてナオに相談をしたのは、いつのことだっただろうか。
(確か……貴明さんと、なかなか夫婦の関係になれない、って話……)
思い出すとかあっと頬が熱くなって、みゆきは少しうつむいた。
ナオはナオで、言いにくそうに続ける。
「はい。それで……。貴明様は確かに軍属なのですが、所属部隊がない、そうです」
「所属部隊が、ない?」
まったく予想外の返事に、みゆきは恥ずかしさを忘れて顔を上げる。
(それってつまり、どういうこと? 軍にいることは間違いなくて? 部隊がない?)
「つまり、その、部隊が解散したとか……?」
おそるおそる聞いてみたものの、ナオはゆっくり首を横に振った。
「いえ。おそらくは、秘匿されているのでは、と」
「秘匿? 部隊のことが?」
「はい。私も、これ以上は教えてもらえませんでした」
ナオは袴の上できゅっと拳を握って言う。
見たこともないくらいに緊張しているのがわかる。
父親にどんな言われ方をしたのかはわからないが、こんな話が出てきては平常心ではいられまい。
(なのに、きちんと教えてくれた)
みゆきはじわりと感動を覚え、そうっとナオの拳を手のひらで覆う。
「……ありがとう、ナオさん。もう、充分よ」
ナオはまだ堅くなったまま、小さな声で続けた。
「お伝えするかどうか、私も悩んだのです。貴明様は年齢にしてはびっくりするほど出世もお早いですし……私たちにはわからない、何かがあったのだと思います。そのことで、お姉様が何か、大変な思いをしていないといいと、思っていて……」
つっかえつっかえ言い、緊張でうるんだ目でみゆきを見つめるナオ。
(大切な、お友達)
みゆきはナオの手を丁寧にさすった。
こうしていると、よくわかる。
ナオがどれだけ長身で格好よくても、彼女は年下の女の子なのだ。
(これ以上、私たちのことに巻きこむわけにはいかない)
心を決めて、みゆきはきっぱりとナオに微笑みかける。
「確かに貴明さんには秘密が多いし、心配になってしまうこともあります。だから私、きちんと貴明さんとお話しするわ。どうせ心配をするのなら、知って心配することにしました」
「みゆきさん……なんて、健気で、凜々しくていらっしゃるの……」
ナオの瞳がうるむ。
みゆきは小さく首を横に振った。
「あなたが決心させてくれた。ありがとうね、ナオさん」
みゆきが腕を伸べ、ナオとみゆきはどちらからともなく抱き合う。
そうして、どれくらい抱き合っていたのだろう。
お互いが充分に落ち着いたと思えたところで、二人は涙をぬぐって帰途についた。
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