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公爵の企み
しおりを挟む二頭だての箱馬車が、舗装された道を優雅に走る。
かつて、バードヴィルケンと呼ばれた村があった。この村の住人は、ほぼ大半が銅鉱山の労働者だった。
およそ百年前のことである。
七人が犠牲になった落盤事故により廃坑し、以来、手付かずとなった銅鉱山とその近くの村を開墾し、再び村として蘇えらせたのが、現国王やランハートの祖父、マクシミリアン一世だ。
「今はボーデン村と名がついたこの地が、私の領地だ」
豪奢な馬車の内装は、アデリーに居心地の悪さしか与えない。ふかふかの天鵞絨も、向かいに腰掛ける公爵の脚が長過ぎて時折触れ合う膝頭も、何もかもが落ち着かない。
王都のように、車輪が石ころを踏むたびに大きく箱が跳ねれば、それに気を取られて余計なことを考えなくて済むのに。
悔しいことに、村の道の方が余程手入れが届いている。
現在のボーデン村は、半分が鉱山労働者、半分が農民となっていた。
「今年は作物が不出来のようだな」
窓から景色を眺めていたランハートは、眉根を寄せて呟く。
本来なら、広がる小麦畑は間もなく収穫の時期を迎え黄金に色づいているはずが、未だひょろりと細く色も悪い。
「この地の小麦は、どこに出しても評判がいい」
「知ってるわ。私はこの村の出身だから」
澄ましてアデリーは返す。
「あなたが王都の屋敷から出ずに、滅多にこの村に入らないことも」
屋敷は通いの掃除メイドと庭師が手入れしてはいるものの、もう何年も空っぽだ。
王都の屋敷の方が宮廷に近いため、公務に効率的なのはわかるが。
村の大人達は、どこにいようと民衆に常に気を配る領主様に感謝していたが、アデリーは姿を見せない公爵にむかつきを覚えていた。
「三年前に子爵邸に奉公に上がってから、それ以降のことはわからないけど」
アデリーが言い終えたと同時に、ランハートの片眉がひょいと上がった。
「君はベルの娘ではないのか? 」
「お嬢様の身代わりとして、無理繰り養子縁組された、ただのメイドよ」
淀みなく、堂々と暴露する。元より、隠す気などさらさらなかった。
「では、君の出身は」
「私は孤児よ」
ランハートが息を呑む。垂れた目がこの上なく開いた。美丈夫の驚き様は見ものだ。三文芝居の下手くそな役者のような、滑稽じみた驚き方ですらある。
「結婚したことを、後悔したでしょ」
アデリーは狙い通りだと言わんばかりに、唇を弧の字に曲げた。
いづれは知れてしまうこと。それならば、早々にこの結婚話を打ち切ってしまった方が、互いのためだ。
国王相手では、隙を見て逃げようかと企んでいた。地の果てまで追われようと、逃げ切ってみせる。妙な自信さえあった。
しかし、ランハートは命を救ってくれた恩人。それなりの礼儀は尽くす。
「まだ結婚証明書は出来てないでしょ。だから、今のうちに私を解放して下さい」
「何故だ」
「何故って。あなたの経歴に傷が」
「いいや。全く」
ランハートは予想外の言葉を寄越した。
今度はアデリーが驚く番だ。
「むしろ、ますます気に入った」
言いながら、長い指先がアデリーの頬の線をなぞる。
びくり、とアデリーの体に痺れが走った。
銀色の瞳から逃れられない。
彼はもしや、魔法遣いかも知れない。
人を惑わせる、類を見ない極悪な。
そんな愚かな妄想さえ、現実味を帯びるほど、目が離せない。容易に人を誘惑する、まさに魔力だ。
アデリーの企みは、呆気なく潰えた。
「結婚証明書が届いております」
屋敷に到着するなり、家令が報告する。
「早馬で持って来たか」
自分達が到着するより先に届いていた用紙に、ランハートはおかしそうに喉を鳴らした。
その横顔に、ぞっとするほど不気味な影が落ちる。
暴君と名高い国王と同じ血だ。
「兄上は余程、君が食わないらしいな」
国王とは正式な手続きは通っていなかったが、立場は妻であるアデリー。
口答えする彼女を、国王はさっさと弟に押し付け、早々に縁を切りたかったのは明白だった。
「さあ、これで私達は正式な夫婦だ」
ランハートの声量が一際上がる。
貴族の娘なら舞い上がって失神してしまうくらい極上の笑みを、アデリー一人に向けた。
世間一般の言葉を借りるなら、まさに天の遣いのような、慈愛に満ちた笑み。
しかしアデリーは、それとは正反対の、黒い渦が巻いている様を、ランハートの背後に確かに見た。
ランハート邸は、白亜の石造りの、まさに中世の城だ。
玻璃窓には見事なステンドグラスが嵌め込まれ、柱の蔦や天使の細工が見事に彫られている。
「急な結婚だったから、使用人はまだ少ない。直ちに雇い入れる」
大理石の床を歩きながら、半歩先のランハートは申し訳なさそうに口にした。
現在は通いの従者が数えるばかり。邸内には人の気配はなく静まり返っている。
「家令のロベルトだ。困ったことがあれば、彼に言ってくれ」
最後尾のロベルトが恭しく頭を下げた。
ロベルトは六十に差し掛かるかといった、やや皺の目立つ痩せ細った男。慇懃無礼と言うべき、露骨に若い妻を値踏みした視線を送る。
三十になるまで独身を貫いていた王弟の見初めた女がどれほどのものか。興味が湧かない方がおかしい。
どれほどの美人かと思いきや、野暮ったい、いかにもオールドミス風情で。
彼の脳内には、主人の女性の好みに対する疑問符が飛び交っているのだろう。
翡翠の大きな壺や先代国王の胸像が並べられた廊下を過ぎると、ランハートは向かって右側の部屋の扉を押した。
「アデラインと二人きりで話がしたい」
不意にランハートの声のトーンが落ちた。
家令は、主人の目つきが変わったことに気づき、一礼する。
通された室内は、白地に小花模様の散る壁紙の、可愛らしい内装だった。
高級家具のマホガニーのベッドや化粧台、ソファにテーブルと、お揃いの葡萄模様が彫られた設だ。
アデリーに用意された部屋だ。
「何を企んでいるのですか?」
アデリーは不躾に睨みつける。
「助けていただいたことは、感謝します。ですが、結婚までとは」
「それが私にとって最良と判断したからだ」
ピシャリとランハートは言い切る。
「他に質問は? 」
ランハートが距離を詰めた。
大男の影に全身を覆われる。
アデリーは無意識のうちに後退り、相手はその度に前進し、一定の距離は保たれたままだ。
とうとう、アデリーは行き場を失い背中を壁に打ちつける。
怖い。
獰猛な獣が涎を垂らすイメージが頭に浮かぶ。
ドレスの首元がじっとり汗ばんだ。
アデリーは得体の知れない恐怖にじわじわ蝕まれ、ひたすら目の前の男を睨みつけるしか、己の精神を保つ術がなかった。
「怖いのか?」
ランハートは正しく心を読み取る。
「い、いいえ」
認めてしまえば、頭から齧りつかれそうで、小刻みに首を横に振った。
国王に対し毅然と歯向かった姿とは正反対の、弱々しい小動物を連想させる無様さ。色恋に関してからきし弱いアデリーを、彼はからかっているのだ。
「新婚早々、怖がらせるわけにはいかないからな」
喉を鳴らしながら、ランハートはアデリーに爽やかに歯を見せる。
何故、アデリーを見初めたのか。結局、わからずじまいだ。
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