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第二章 誰にも渡しませんわ

第22話 生まれ変わり

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「えぇーーー! 執事長が?」

 ローズは思わず声を上げた。
 執事長はゲームにも度々顔を出すキャラである。
 仕事が出来るんだかどうなんだか良く分からず、ただ単にエレナに説教したり、ぼけた事を言ったり、果ては日がな一日庭で日向ぼっこしながらお茶を啜ったりと、ただ年功序列で執事長になったのだろう事が予想出来る昼行燈的存在だった。
 しかも、伯爵が死亡した後は特に出番も無くそのままフェードアウトでゲームに登場しなくなると言う無責任キャラでも有る為、基本的に野江 水流はあまり執事長に良いイメージは無い。
 背が高いが痩せており、白髪交じりの金髪はまるでモヤシの様に見える為、ゲーム中執事長に叱られる度に何度『このモヤシ爺! ムカつく!』と悪態ついた事かと、少しだけ思い出になりかけているゲームプレイ中の事を思い心の中で溜息を付いた。
 何度か見掛けたがその時のイメージを引き摺っていたので、野江 水流としての意識が覚醒してのここ数日、あまり話した事がなかったのだ。
 改めて現物・・を見ても、モヤシの印象は拭えない。
 見た目とゲームでの悪印象に加え、もし練習相手なんかさせて、ぎっくり腰にでもなられちゃローズのわがままの所為で怪我をさせたと使用人達との間に不信感を持たす事になるのでは? と思っていたのだ。
 それ程目の前の老人は、背が高いだけのやせ細ったモヤシ爺だった。

「身体は大丈夫なのですか? 特に腰とか……」

 ローズは思わず執事長にそう声を掛ける。
 老人は労わらなければならない。
 そう親から教えられていたし、自身もそう思っていた。
 例え相手がモヤシ爺でもだ。

 『例外はあたしの爺ちゃん先生くらいかしら?』

 自分の師匠である祖父の事を思い、もう会えないだろう事にローズは少し寂しくなる。
 そんな例外の人物などそうそう居る訳が無い。
 そもそも、祖父は八十を回ったと言うのに、いまだに歯が立たない。
 『爺ちゃん先生といい勝負出来るのは高校時代の先輩くらいのものね』そう思い込んでいたし、実際他にそんな老人を見た事が無かった。
 『あ~、爺ちゃん先生と先輩の対決見たかったなぁ~』と、気を抜いた瞬間……、一陣の風と共に目の前に茶色の薄い物が視界に現れた。

「え?」

 ローズは何が起こったか一瞬理解が出来ず固まる。
 その茶色い物の向こうには、先程まで数m以上離れた位置に立っていた筈の執事長が居た。
 茶色い物とは木剣の剣先だったのだ。

「ほっほっほっ。お嬢様? 練習と言っても気を抜いてはダメですぞ? もっとちゃんと集中しないと」

「うっ……」

 さっき自分が言った事と同じ事を言われてローズは怯む。
 それ以上に、今の身体が幾ら全盛期の七割も出ていないとは言え、老人に隙を突かれた事が信じられなかった。
 しかし、すぐに気持ちを切り替え、タッと後ろにジャンプし距離を取り剣を構える。

「ふむ。良い面構えですぞ、お嬢様。……フレデリカ、合図をなさい」

 執事長はまるで刺突剣の構えの様に、片手に持った剣をスッと突き出し、背筋を伸ばした半身の状態で立っている。
 空いている片手は後ろ手に回していた。
 
「は、はい。それでは、初め!」

 フレデリカの合図で試合が始まったが、ローズは動けない。
 先程の出来事から思考が回復していない訳では無く、相手に隙が無かったからだ。
 それどころか相手の身体から放たれている剣気。
 ゲーム中の昼行燈からは想像も出来ない。

「こ、この人強い……」

 思わず声が零れる。
 まるで自分の祖父を相手にしているかの様な錯覚に陥った。

「ほっほっほっ。お嬢様。老人と思い侮っておられましたな? 私は先代様と共に幾度の戦場を駆け巡り、そして、あなたのお父様である若様……バルモア様の右腕として名を馳せた事も有るのですぞ? まぁ、全てお嬢様がお生まれになる前の話の事、知らないのも無理有りません」

 執事長は笑いながらそう言った。
 信じられないが、その言葉が真実である事を、ローズはその枯れ木の様に細い身体に似合わない剣気から身をもって体感していた。

 『聞いてないわよ! そんな事~!』

 又もやゲームに出て来なかったこの世界の事情にツッコミを入れる。
 モヤシ爺と思っていた相手が歴戦の戦士。
 ローズは心の中で乾いた笑いと溜息をついた。
 どれだけ開発元は、ゲームとして出て来る情報を絞っていたのかと呆れる気持ちさえ湧いて来る。

 『けど、けど! 逆に考えたら丁度いいわ。 あたしの実力をフルに発揮出来るってものよ。今のあたしが何処までいけるのか……フフッ、燃えてきた!』

 意識を切り替えたローズは小さく深呼吸すると、警戒から少し猫背に構えていた姿勢を正して木剣を正中線に構えた。
 今のこの身体、それどころか元の身体でさえも目の前の相手には敵わないかもしれない。
 しかし、その事が少しうれしく感じるローズだった。
 大好きだった自分の師匠である祖父と同じ匂い……、物理的にじゃなく雰囲気とかそんな感じ。
 それ・・を持つ目の前のモヤシ爺……否!
 執事長に、自分の力を見て貰いたい。
 そう思ったからだ。

「ちぇあっーーーー!!」

 腹の奥から振り絞った掛け声と共に、全速力の打ち込みを行ったローズ。
 
 ガシッ!

 しかし、両手で振り下ろした剣を、執事長は片手で受け止める。
 ローズは戦慄した。
 少なくとも今の打ち込みは、先程までの相手ならそれだけで剣を叩き落す位の力を込めていた。

 『それを微動だにせずに難なく受け止められた。しかも片手で! ハハッ本当に爺ちゃん先生みたいだ!』

 ローズの心は戦慄から喜びの色に変わっていく。
 

「なかなかいい太刀筋ですぞ。バルモア様の若い頃によく似ています。だが、軽い」

 カンッ!

 そう言って、簡単にはじき返される。

「まだまだーー!」

「ほっほっほっ。そうです。その意気ですぞ」

 幾度の剣戟が訓練場に響き渡った。
 皆は、目の前で起こっているまるで良く出来た演劇の殺陣と錯覚する様な二人の戦いに息さえ忘れて見守っている。


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


「ま、参りました」

 剣戟が百回を越える頃、喜びが苛立ちに変わった。
 剣戟が二百回を越える頃、苛立ちが悔しさに変わる。
 剣戟の音がそろそろ三百に届こうかと言う頃、ローズがその場にしゃがみ込みながらそう言った。

 一発も当てられなかった。
 それどころか、攻撃を受け止められた時、自分の隙に対して的確に剣気を当てられる。
 振り下ろせば胴に、横に切り払おうとしたら面に、悔しさなど大分前に消えさり、ただ、あれだけ打ち合ったのに、いまだ目の前で涼し気に立っている執事長に対して、自分の祖父と同じ尊敬の念を抱いていた。

「ほっほっほっ。では今日はここまでに致しましょう。お疲れ様です、お嬢様。……皆の者! 今の戦いを脳裏に焼き付けておけ! 情けない自分を恥じろ! 明日から特訓だ!」

「は、はいっ!」

 執事長は優しくローズに労うと、打って変わった様に顎が落ちんばかりに固まっていた衛兵達に怒鳴り付ける。
 衛兵達は急いで立ち上がり執事長に対して敬礼をしながら返事をした。
 噂では聞いていた執事長の過去。
 ローズだけでなく戦争に参加した事の無い屋敷の衛兵達にとっても、普段の執事長の姿からその様な噂など眉唾と思っていたのだ。
 伝説の戦鬼の強さ、それに剣を独学で始めて数日な筈のローズの強さ。
 衛兵達は今目の前で起こった奇跡の様な出来事に、自分の中に有った甘さを恥じ、心を入れ替える決意をする。


「申し訳ございません。お嬢様。使用人が主人に手を上げるなど本来あってはならぬ事」

 執事長はそう言ってローズに手を差し伸べる。
 ローズはその手を取り起ち上がった。

「そんな事は有りません。私はとても感謝しておりますわ。これからも稽古を付けていただけるかしら?」

「お嬢様がお望みなら、この老体いつでもお力になりましょうぞ。しかし、最近の若い者の軟弱さには嘆いていた所でした。お嬢様、その切っ掛けを頂き本当にありがとうございます」

「そんな……。でもごめんなさい。執事長、あなたの事を誤解しておりましたわ。ただの日向ぼっこの好きなお爺さんかと思っていましたの」

「ほっほっほ。これは手厳しい。けど、今の私はそれでいいのです。いつまでも老人が出張る事は無い。若い者達に頑張って貰わないといけませんからな」

 そう言って、やる気を出している衛兵達を優しげな眼で見つめる執事長。
 ローズはその顔に自分の祖父を重ね心が温かくなるのを感じた。


「いやはや、しかし、お嬢様。貴女様の強さにはびっくり致しましたぞ。ろくに修行もせずにそのお強さ。このオリヴァー感服いたしました」

「え? あはははは。いや~そんな~。たまたま東方の剣術を元にした小説が有りまして、それを参考に……」

 実際は物心ついた時から剣の修業をしていたなんて事は言えず、適当に誤魔化した。
 どうやらローズはお話の影響を受けやすいと言う事を先日知った為、正体についてバレそうなツッコミに対して『そんなお話を読んだ』と言ういい訳で誤魔化すようになっていた。

「あぁ、『はぐれ一刀 流れ雲』ですね。ふむふむ。なかなかお嬢様もマニアックな小説をお好きで……」

「え? 有るの!? い、いえ、おほほほほ。そう確かそんな題名の本~」

 と言う様に適当に誤魔化した話は、フレデリカの膨大な読書量のお陰で、的確にその題名を言ってくれるので助かっていた。
 フレデリカも適当に言っているのではなく、不思議な事にその本は実際に存在しているので後からその本見せてと言われても対応出来ている。

「ふむ、なるほど。その足運びに剣筋。確かに東方の剣術のもの。しかし、それだけではありますまい。お嬢様の剣の才は天性の物とお見受け致しました。もしかするとお嬢様はこのシュタインベルク家の始祖。ローデリヒ様の生まれなの変わりかもしれませんな」

 執事長は畏まった顔でそう言いながら頭を下げた。

「え? え? 私が始祖様の生まれ変わり? そ、そんな事、あはははは」

 執事長からの突然の言葉に戸惑う現ローズの中の人である野江 水流。
 それが別人の生まれ変わりなんて言われてどう答えたらいいか分からない。
 執事長の言葉に、ただ愛想笑いするのが精一杯だった。
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