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第五章 また逢う日まで

第104話 早とちり

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「こんなに早くローズちゃんに会えるなんて思ってもみなかったわ!」

 修道服に身を包んだシャルロッテがローズに埋めていた顔を上げて嬉しそうに言った。
 フレデリカとシスターが揃って同じ驚愕の表情でシャルロッテを凝視している事に違和感を覚えて固まっていたローズは、その声に意識を引き戻される。

 『まぁ、フレデリカにしてもシスターにしても自分達が居ないと言っていたシャルロッテが急に部屋に飛び込んで来たんだから鳩が豆鉄砲食らった顔になってもおかしくないわよね』

 居ないと言った理由は両者で異なるが、本人が登場したのならそんな事は関係無い。
 居ないと言い張っていた者達は皆一様に驚くだろう。
 この部屋の中でローズだけは既に逃げた可能性を考えてはいたものの、正直な所最初から部屋の隣で聞き耳を立てているのではと思っていたくらいなので、シャルロッテの登場にはそれ程驚かなかった。
 それどころか、シャルロッテの性格的にもし自分の来訪を掴んでいたのだとしたら今まで飛び出して来なかった事の方がよく我慢したなと言いたいくらいである。

「シャルロッテ。あなた何処に居たの?」

 まずは情報整理をしようと、飛び出してきた経緯を確認する事にした。
 何故ならばエレナを逃がし終えたから部屋に入って来たとも考えられる。
 今まさに抱き着いている事こそが時間稼ぎかもしれない。
 順を追って状況を遡って確認していけば、途中何処かでボロが出る筈だ。

「何処にって、隣村の教会に行っていたのよ。ねぇシスター?」

「え? えぇ……。そ、そうね。お、おかえりなさい」

 シャルロッテは然も当たり前と言うような口調でシスターに声を掛ける。
 その言葉によって想定外の出来事に金縛り状態だったシスターは我に返えり、たどたどしいながらも相槌を返した。
 もしかするとシスターの言っていた事は本当だったのだろうか?
 本当にシャルロッテは村に……?

 いやいや、タイミングが良すぎる乱入劇。
 シスターの言い訳を部屋の外から聞き耳立てて知っていたとも考えられる。
 そう考えたローズは改めてその自然なやり取りに『やるわね、シャルロッテ!』と、心の中で称えた。
 若干シスターはいまだに信じられないと言う顔をしているが、遅くなると言ったのに即本人が現れたのだからそんな顔しても仕方が無い事なのだろう。

「少しいですかシャルロッテ様」

「あら? 先生もいらしていたのですね。なんでしょう?」

 フレデリカも金縛りが解けた様で、シャルロッテへ質問を投げ掛けた。
 その返しも特に不審な点が見つからない。
 何かを値踏みしている目をしているフレデリカは、一拍置いて質問を続けた。

「シスターの話ではいつになるか分からないと言っていたのに、まるで現在お嬢様が遊びに来ている事を知っているかのお振る舞い。どうしてでしょうか?」

「次の場所に行こうとしたら忘れ物したのを思い出して修道院に取りに戻って来たのよ。そしたら町で貴族の女性を乗せた馬車が修道院に向かったって噂を聞いたから絶対ローズちゃんだと思って走って帰って来たの」

 尤もらしいシャルロッテの回答だが、ローズでさえ矛盾が有ると感じた。
 この町に着いてからまだ数時間も経っていない。
 そんなに早く噂が広まるのだろうか?
 それになにより今回は馬車を偽装していたのだ。
 それなのに『貴族の女性が乗っている馬車』とシャルロッテは言い切った。
 この回答は有り得ない。
 フレデリカもそう思ったのだろう。
 勝利の笑みを浮かべていた。

「それはおかしいですね。今回私共は庶民用の乗合馬車に乗って来たのですよ。貴族の女性と分かる筈も……」

「ふふふ、先生でもご存じないんですか? 貴族のお忍びって実は結構庶民の間ではバレバレなんですのよ?」

「なっ! 何を根拠にそう仰るのですか?」

 フレデリカの勝利宣言を遮り、シャルロッテがおかしそうに笑った。
 勝利を確信していたフレデリカは、シャルロッテの言葉の理由を尋ねる。

「まず御者ですわね。大抵は護衛が御者役をするのですが、身形や佇まいそれに周囲を監視する目付きが違うからバレバレです」

「た、確かに……」

「それに移動ですわね。庶民用の馬車って結構荒っぽいんです。けど貴族の方が乗っている場合はとっても丁寧になるんですって。特にご婦人方が乗っている場合はそれが顕著に表れるので分かる人には一目瞭然らしいの」

「……むぅ。な、なるほど……」

 ぐうの音も出ない程の正論で論破されたフレデリカは悔しそうな表情を浮かべている。
 何でも知っているフレデリカとは言え、貴族社会のイロハには聡くとも下々の生活の知恵には疎いらしい。
 ローズはゲーム中でも見た事のないフレデリカの表情に思わず噴出しそうになった。

「……教えて頂きありがとうございます。それは迂闊でした。これからの参考にします……。ところでシャルロッテ様はお嬢様と同じ伯爵令嬢であらせられますのに、よく庶民の事をご存じのようで」

 フレデリカは悔しい表情を浮かべながらも、最後は目がキランと光る。
 どうやらそれは反撃の言葉のようである。
 その言葉に今度はシャルロッテが焦り出した。

「え? あっ……そ、それは先日ある方に教えて頂いたのですわ。知り合いにそう言う事が詳しい人が居るんですよ」
 
「ほぉ、私もその方にレクチャーを受けてみたいですね。紹介して下さい」

「え? あははは、今は修道院でお勤め中ですので王都に帰ったらご紹介しますわ、先生。そ、それよりローズちゃん達こそ突然どうしたの?」

「え? あ、いやそれは……さ、さっき言った通りあなたに会いに来たのよ」

 突然不意を突かれた形で話を振られたローズはしどろもどろにそう返した。
 フレデリカもこう綺麗に話を変えられては、身分が下の者としてこれ以上追及出来ないようだ。
 少し悔しそうに唇を尖らせていた。

「まぁ! うれしいわ。ローズちゃん大好き!!」

 シャルロッテはそう言ってローズの首に回した手に更に力を入れる。
 ローズ的には先程のフレデリカとの会話に多少違和感が有る程度で、抱き締めて来るシャルロッテの表情や感触はいつもと同じ。
 どうやら本心からの抱擁の様に感じる。
 少なくとも何かを誤魔化すような気配や誰かを逃がす為の時間稼ぎで抱き着いているとは思えない。

 もしかして……?
 もしかして、そもそもが自分の早とちりだったのでは?
 多少シスターの言動に違和感を覚えないでもないが、やはり悪役令嬢の悪名に恐れも抱いていただけなのでは?
 段々とそんな風に思えて来た。

 『私の早合点でエレナの行方を知ってると決め付けていただけで、実際の所、最初から無実の可能性の方が高いのよねぇ』

 現実的に考えれば余所のメイドを匿って王都から秘密裏に連れ出すなどと言うグレーどころかブラックな行為を伯爵家令嬢が独断で行える訳でもなく、ましてや事前に下準備せずにその日の内にその様な大それた事を実行するなど普通は不可能だろう。
 お助けキャラのフレデリカでさえ手配や調査に一日を要したのだ。
 シャルロッテの父であるビスマルク家当主カールの権力なら可能なのかもしれないが、それにしても運送会社や門番まで一様に口裏合わせをするなど到底不可能だろう。
 自分の直感に従って飛び出したものの、前提の段階でシャルロッテには時間的に無理な話だったのだ。
 
 『ふぅ、絶対なんかあると思ったんだけどなぁ~。私の勘も衰えたものだわ。昔は百発百中だったのに。あ~あ、こうなると失踪のあの日にエレナと何を話したのかだけでも聞けたら御の字ってとこかしらね』

 自分の勘の衰えに自嘲するローズは、抱き着いているままのシャルロッテにエレナの事を聞こうと話しかけた。

「ねぇ、シャルロッテ? 少し聞きたい事があるのだけど」

「なぁに? ローズちゃん」

「えっとね、貴女が出発した日の事だけど……」

「お嬢様。折角再会出来たのですから二人っきりでお話されたらいかかでしょう」

 ローズがシャルロッテにエレナの事を聞こうとしたのを遮るようにフレデリカが口を挟んで来た。
 一瞬『なんで?』と思ったローズだが、良く考えたら使用人が逃げたと言うお家の恥を他人であるシスターの前で口にするのは避けるべき事だろう。
 その事も有るからシスターにはわざわざ遠回りな問答をしていたのだから。
 フレデリカの言わんとする事を察したローズは話を合わせる事にした。

「そうね。ねぇシャルロッテ。まだ日も高いし外でお話しない?」

「うん! そうだローズちゃん! 修道院の裏には綺麗な庭園があるのよ。そこでお喋りしましょう!」

「まぁ! それは素晴らしいわね。じゃあそこまで案内してもらえる?」

「すみませんシスター。そう言うわけですので少しだけお話してきてもうよろしいでしょうか?」

「え? そ、そうね。良いわよ。いってらっしゃいな」

 シャルロッテはシスターに了承を取ると嬉しそうにローズの手を引いて外に出ようとする。

「あっ少しお待ち下さい」

 シャルロッテに引っ張られるままに外に出ようとしたローズをフレデリカが止めた。
 ローズは立ち止まりフレデリカの方に顔を向ける。

「どうしたのフレデリカ?」

「これをお持ちになって下さい」

 小声でそう言うとローズの空いている手を取り、何かを握らせてきた。
 急な事にローズは戸惑い握らされた物を見ようとしたが、フレデリカの目がそれを制止している事に気付き、手を開けないままスカートのポケットの中に入れる。
 なぜそんな事をしたのか不明だが、ポケットに入れた物が何なのかは分かった。
 それは例の小瓶。
 洗脳を解く為のとんでもなく臭い解毒剤が入っているアレだろう。
 ここに着くまでの間、それを開けさせまいと必死になって凝視していたのだから形状や大きさから間違う筈も無い。

「これはお守りです」

 理由を聞こうとしたが、それを遮るようにフレデリカが口を開いた。
 どうやら秘密にしたいらしい。
 そう言えばオーディック達も洗脳薬については秘密にするように言っていた。
 それを思い出したローズは、『何もこのタイミングで渡さなくても良いのに』と思いながらも、何も言わずに頷いた。
 
「お嬢様は先に行って下さい。私も後から行きますので」

「え? そうなの? 何か用事でも?」

「いえ、先程シスターに失礼な事を申しましたでしょう? それを謝ろうと思いまして」

「あぁ、なるほど。……そうね。それが良いわ」

 フレデリカの言葉にローズは納得した。
 確かにシャルロッテ突入前の問答は失礼なものだった。
 あの時は『秘密を暴いてやるぞ』と言う気持ちが自分の中にも有ったので、まるで二時間サスペンスのラストで犯人を問い詰めるようなフレデリカの態度に興奮もしたものだが、冷静に振り返るととても失礼な行為だった。
 シスターが何かを隠しているかの有無は別として、このまま何もフォローせずにこの場を去ると、やっと薄らいで来た悪名が再燃する事さえ有り得るではないか。

 『解毒剤を渡して来たのも、自分が残ってシスターに謝罪する為だったのね。さすがフレデリカだわ』

 それだけじゃなく、シャルロッテが怪しかったらそれを嗅がせろと言う事なのだろう。
 先生と生徒の間柄と言えども、他の家の使用人が伯爵令嬢と言う身分の者にあの激臭を嗅がすのは、傷害罪として訴えられてもおかしくない。
 その点、自分なら同じ身分で親友だ。
 怒られはするだろうが訴えられるまではいかないと思われる。
 フレデリカの言わんとする事を理解したローズは頷いて微笑む。
 そしてシスターに軽く会釈をしてシャルロッテと共に部屋から出て行った。


 バタン――。

 フレデリカは扉が閉まり足音が遠ざかるのを確認してからシスターに顔を向ける。
 その顔には感情が一切が浮かんでいない。
 しかしシスターはを知っていたのか、目を見開き震え出した。
 「まさか、まさか」と呟きながら立ち上がり、よたよたと後退る。
 その様子を見たフレデリカは、表情を変えずに頭からホワイトブリムを外し、結い上げた髪を解いた。
 髪を下ろしたフレデリカの姿を見たシスターは、先程感じた自分の感が正しかった事を悟り、恐怖からその場に崩れ落ちた。

「そ、そんな……。その姿……やはりお前はだったのか。しょ、処刑されたはずなのに……」

「お久し振りですシスター。先程は焦りましたよ。お嬢様の前で私の過去の事を喋られるのかと焦りました。処刑されたと思っていたのはこちらも同じです。どうやって監獄から抜け出したのです?」

 フレデリカの感情も抑揚も無い冷めた言葉に、シスターは亡者にでも心臓を掴まれたかのように錯覚し震え上がった。
 そしてその脳裏に過去の栄華と悪夢が過ぎる。
 十年近く前の事だ。
 自分は孤児院の司祭と共にスキャンダルをネタに貴族を脅迫し金を強請る犯罪に手を染めていた。
 シスターの立場では一生お目にかかれないような金銀財宝の山、そして秘密を喋られたくない貴族達からの媚びる目。
 この世の春とはまさにこの事だった。
 しかしそれも束の間の事、脅した相手が悪かったのか、脅すネタが弱かったのか、ある貴族が自らの恥を晒すのを覚悟で上司である英雄に脅迫されている事を喋ってしまったのだ。
 すぐさま王国を揺るがす貴族脅迫事件の犯人の一人として司祭と共に捕まり、そして死刑囚として王国の果てに在る政治犯のみが収監される監獄へと送られた。
 確かに貴族のスキャンダルをネタに強請る行為は、王国にて許されざる重犯罪行為だ。
 捕まれば死刑は免れなかった事は理解している。
 だが、監獄に入れられて気付いた事があった。
 自分はこんな犯罪に手を染めるつもりなんてなかった。
 孤児院で孤児達の世話をする生活も悪くは無かった。
 ただそんな日々に少し疲れただけなのだ。
 全ては目の前の悪魔が司祭と自分の心に悪の言葉を囁き、地獄へと引きずり込んだ所為だ。
 それ所か脅迫に失敗し自分達が捕まった事だって悪魔の差し金に違いない。
 全ては悪魔に操られていた。
 ただ自分達の言うなりだった小娘。
 従順でこちらの要求には何でも答えていた小娘。
 大人しいのは上辺だけ、その中には恐ろしい悪魔が潜んでいた。
 その事に気付いた瞬間、身体の震えが止まらなくなった。
 その後半狂乱になって取調べ中に何度も悪魔の存在を訴えた。
 自分は唆されただけだ! 全てはあの小娘……悪魔の仕業だと!
 その訴えが通じたのか、悪魔は程無く捕まり即日処刑が執行されたという話を看守から聞いた。
 その話に安堵したものの、次は自分かと逃れられぬ死の恐怖に震える毎日。
 しかし、そんな自分の元に突然面会にやって来た。
 そして『私の手駒になるなら助けてやろう』そう言ったのだ。
 自分は迷わず……。

「ここはアッヘンバッハ領の目と鼻の近く……なるほど。まぁ、あなたが理由などこの際どうでもいい事です」

 目の前の悪魔はそう言った。
 そして無表情だったその顔に笑みが浮かぶ。
 それはまさしくかつて見た悪魔の笑みだ。
 かつて感じた恐怖が心を……身体を支配していくのが分かった。

「私が知りたいのは、あなたがここで理由ですよ」

 恐ろしい。
 逃げようとするが身体が動かない。
 まるでその目の魔力によって人間を石に変えるという伝説の魔物に魅入られたかのようだ。
 ふと気付くと悪魔の背後に二人の男が立っている。
 あまりの恐怖に気付かなかったようだが、いつのまに部屋に入ってきたのだろうか?
 服装からすると御者のようだが……?
 悪魔が右手を上げると、それに従うかのように男達は何も言わずに悪魔の前に進み自分に近付いてくる。
 シスターの目には、その二人がまるで地獄の尖兵の様に映った。

「ひいぃぃぃぃぃ!!」

 シスターはゆっくりと近付いてくる地獄の尖兵達に対して悲鳴を上げるしか出来なかった。
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