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理学部棟はトラブルだらけ

13.情報を手に入れよ

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 七星と志倉は、理学部棟に向けて走っていた。

「で、どうするんだ」
「俺は一度、理学部3号館で犯人と会った。臭い香水だったから覚えてる」
「臭いって……」
「理学部の人間なのは間違いないし、監禁ができるような個人の研究室を持ってるはず。でもしらみつぶしに探しても時間がかかるだけだ。まずは名前とその男の選択コースをつきとめる」
「なるほど」

 話しているうちに、理学部3号館が見えてきた。

「それと理学部全棟のマスターキーを借りないとね」
「んなことできんのか!?」
「ピッキングでもいいんだけど、ドア壊すと逆に不利になるかもだし、正攻法でいく」
「正攻法なのか……?」

 1階の突き当たり。長谷川教授の研究室の前で立ち止まる。七星は振り向き、ニヤリと笑った。

「厨房のおにーさん、動物は好き?」
「好きだぞ」
「それはよかった。……長谷川教授!」

 ノックもなしに、七星は勢いよくドアを開けた。

「おや、音石くん。そんなに慌ててどうしたんだい」

 部屋の奥の大きなデスクでパソコンに向かっていた長谷川教授は、七星の喧騒にも動じず顔をあげる。その膝からリリィが降りてきて、七星の元に擦り寄った。

 七星はリリィを腕に抱く。

「リリィ、いいところに。由宇くんがピンチなんだ、協力して!」
「んにゃ!」
「え、返事した。その猫何者……?」
「俺の飼い猫のリリィ。仲良くしてね」

 七星はひょい、とリリィを志倉に抱かせる。慌てて受け止めた志倉はリリィとアイコンタクトし、ニッと笑った。リリィも満更ではないようで、笑顔に応えるように小さく「にゃっ」と鳴いた。なかなか相性がいいのかもしれない。

「人馴れしてんな。かわいい」
「ふうん。そっちこそ慣れてんじゃん。で、教授。聞きたいことがある」
「どうしたのかな」

 七星は教授の正面に立ち、真っ直ぐに瞳を見つめた。いつも飄々と軽く受け流す七星らしくない真剣な表情。教授は事態を重く見た。

「人を探してるんだ。変な臭いの香水つけた、シュッとしてスマートな男に心当たりない?」
「ずいぶん曖昧だね。動物たちが嫌がるから、うちのゼミ生には香水は控えめにしてくれと言っているけど……他にも来る人はたくさんいるからね。それだけじゃなんとも言えないかな」

 腕を組み、七星は考え込む。やがて「そうだ」と呟き顔をあげた。

「リリィが嫌がってる人、最近見なかった?」
「リリィちゃんはあまり人を嫌がったりしないからね……あ、そういえば三谷くんが……」
「三谷?」
「ああ、この前……ちょうど尾瀬くんも来てた日だ。尾瀬くんに抱っこされたリリィちゃんが、ずっと三谷くんからそっぽ向いててね。普段完璧な三谷くんが動物に嫌われているのを初めて見たから、少し笑ってしまったよ。彼が帰ったその後、音石くんと尾瀬くんのお友達が来たんだよね」

 七星の眉がぎゅっとつり上がった。ビリビリとした怒りが、七星の背中から志倉にも伝わる。

「……やっぱりあの時、由宇くんに近づいてたんだ……! 教授、その三谷ってやつのこと教えて」
「学生の個人情報を伝えるのはまずいんだけど……音石くんのその焦り様は、何か大変なことが起きているんだね?」

 七星は顔を歪ませて机を叩いた。

「そいつに由宇くんが捕まってる。スマホも取られてる。監禁されてるかもしれない」
「三谷くん、悪い人ではないよ。猫たちのこと可愛がってくれる。少し目が怖いって思うときはあるけどね」
「教授の前では誰だって善人面するに決まってるだろ! 権力のある人には従った方が人生楽だから! いいから教えてよ!早く行かないと由宇くんが……由宇くんが誰かのものになっちゃう……!」

 悔しさと怒りで今にも泣き出しそうな七星は教授を見つめる。教授は心配を瞳に滲ませた。

「……目黒くんが言っていた、音石くんは自分の損得で動く、とね。目黒くんの言うことを否定するわけではないが……音石くんは自分と好きなもののために動ける人だと、私は思う」
「買い被りすぎ。俺のことなんていいから早く……」
「君は自分自身のことをどう思っているんだい?」

 心の奥を突かれるような質問だった。
 長谷川教授は人の本質を見ている。簡単に個人情報を話すわけにはいかない、だから七星に言うべきか、判断しようとしている。はぐらかしていては教えてもらえない、正直に話さないと。七星はそう理解した。


「俺は自分と由宇くんのために動く。他の人なんてどうでもいい。由宇くんを俺のものにするためならなんだってする。誰だって蹴落とす」
「おい、まだそれ言ってんのか、よ……」
「そう思ってた」

 七星は覚悟を決めた表情で振り返り志倉の言葉を止めた。形容しがたいほど綺麗なその顔に、志倉でさえ息をのんだ。

「……俺は由宇くんと離れてからずっと、胸の中に何かが足りなかった。それを埋めたくて、勉強もたくさんした。何だってできるようになりたかった。そうしたら由宇くんに認めてもらえて、好きになってくれると思ったから。理由がそれだとしても続けてこれたのは、夢中になれてたからだと思う。なんだかんだ、俺って何かを習得するのが好きなんだ」

 教授は微笑み、相槌をうつ。

「少し前、由宇くんとここの動物たちを見た時……俺が動物のこと説明してたら由宇くんは、興味がないと覚えないと思うって、七星だって動物が好きってことだろって、言ってくれた。俺は動物の世話なんて嫌々やってたつもりだった。でも違った。自分で気づいてなかったことに、由宇くんは気づいてくれた」

(由宇くんのためなら、みっともなくたって頭くらい下げてやる!)

「俺は、好きって気持ちで動く! 由宇くんが大好きだから絶対に助けたい!」

 七星は、深く頭を下げた。

「教授、お願いします。三谷ってやつのいる場所を教えてください」
「オレからもお願いします」

 志倉もリリィを抱いたまま、頭を下げる。リリィもそれに合わせて鳴いた。


「……音石くん、君は立派だ」

 優しい声に、七星と志倉が同時に顔を上げる。教授は立ち上がり、七星の頭を撫でた。

「ひねくれて文句ばかり言うけれど、君は動物たちのことをちゃんと見てくれる。私は君のそういうところを信頼している」
「ひねくれてて悪かったね」
「……三谷くんは数学コースの院生だ。普段は理学部4号館の院生室にいると聞いている。正直、まだ三谷くんがそんなことをするのかと疑問に思っているが……尾瀬くんが危ないのなら、協力するよ」

 視界が開け、すっきりとした顔つきで七星は大きく頷いた。

「ありがとう、教授」

 しかし、すぐにいつもの蠱惑的な笑顔を取り戻し、可愛く首を傾げながら猫なで声で教授におねだりをした。

「それとね、もうひとつお願いがあって……理学部全棟のマスターキーも貸して♡」
「音石、お前の精神どうなってんだ」
「……はあ、バレたら本当に私の首が危ないからね。内緒だよ。早めに返してくれ」
「ふふ、ありがと。教授、なんだかんだ俺に甘いよねぇ」

 渋々取り出された鍵を握り、七星は踵を返す。先ほどより自信のついたその背中に、教授は呼びかけた。

「尾瀬くんのこと、頼んだよ」
「うん。絶対俺が助けるから。今度お礼するね!」
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