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第7章 乙女ゲームのシナリオが少しずつ動き出す

魔力暴走後、それでも緊張が続く

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「……勇者の紋章……」

それは、ソルが勇者として覚醒した証。
俺は力が抜けたソルを地面に横たえ、紋章が浮かぶ右手をそっと持ち上げた。

やはり見間違いではない。指先で触れた紋章は擦っても消えることはなく、入れ墨のように身体に刻まれている。それに……。


「……熱い……」

俺はソルの右手を触って、その熱さに目を見張る。汗で張り付いた前髪をそっと払うと、俺はソルの額へと手を当てた。

明らかに高熱とも言える体温が、手の平から伝わってくる。無表情だったソルの顔が、今度は眉根を寄せて苦し気に小さく呻いていた。

魔力暴走は収まったはずだ。
それなのに、なぜソルの様子が未だにおかしいんだ?


「ヒズミ!ソレイユ!!怪我はないですか?!」

焦った声を上げてアトリが駆け付け、ソルと俺を交互に見遣った。熱で魘されるソルを目の前に、どうしたら良いか分からない俺は、泣きそうになりながらアトリに応える。


「……俺は大丈夫……。それよりも、ソルの身体が異様に熱いんだ……」

俺の言葉を聞いてすぐに、アトリはソルの額へ手を置いた。やがて苦々しく顔を顰める。


「膨大な魔力を無理矢理に体内へ収めたから、身体が悲鳴を上げているんです。早く、医務室に連れて行かなくては……」

アトリは冷気を纏った手をソルの額に乗せ、訓練場にいる救護係の先生へ応援を呼んだ。その間もソルは苦しそうに身動ぎ、浅い呼吸を繰り返す。


訓練場から再びソルへと視線を戻したアトリが、ふと動きを止めた。大きく目を見開いて、はっと息を飲んでいる。


「これは、まさかっ……!」

アトリの視線は、紋章が描かれたソルの右手に釘付けになっていた。アトリもソルの異変に気が付いたらしい。ほんの僅かな時間、アトリは驚愕で動きを止めたが、やがて何かを振り払うように頭を振った。


「……今は後です。余計な騒ぎにならないように、これをしておきましょう……」

そう言ってアトリは、懐からハンカチを取り出すとソルの右手へと巻き付けて結び目を作る。紋章がちょうど隠れるように。先生方が急いで駆け付けて、ソルを担架で運びだす。

担架で運ばれたソルの後を追おうと立ち上がろうとしたときに、俺の身体が突然ふわっと浮いた。爽やかで安らぐ香りが、俺の身体を包み込む。


「……っ?アトリ……?」

「ヒズミも医務室へ行きますよ。……無茶をし過ぎです」

心配げに揺れる空色の瞳が、俺を近くで見下ろしていた。アトリは俺の膝裏へ手を入れ、俺の身体を軽々と持ち上げている。

いわゆる、お姫様抱っこというやつだ。


「……アトリ、自分で歩けるから……」

俺だって男だから重いだろうし、アトリも生徒を守るために魔法を施して疲れているはずだ。降りようと身じろいだ俺を、背中に回された腕が許してくれなかった。

アトリの腕は微かに震えていて、ギュッと力が籠められる。俺はアトリの胸に引き寄せられ、囲うように抱きしめられた。顔を上げた俺の目に映ったのは、安堵と不安が入り混じった、アトリの複雑な表情だった。


「そんなに怪我をして……。私がどれだけ心配したことか……」

今にも泣きだしそうなアトリの声音に、俺ははっと気付かされた。俺がアトリを振り切って、ソルへと駆け寄ったときの緊迫した声を思い出す。 

あんなアトリの声を、俺は今までに聞いたことが無い。


「……ごめん……。アトリ……」

「……無事で良かった……」

俺は無謀とも言える、自分の軽率な行動を恥じた。魔力暴走が生み出した、凶器のような魔力の渦に飛び込んだ俺を見て、アトリはどんな気持ちだっただろうか。

俺は大人しくアトリの胸に身体を預け、医務室へと続く道を黙ったまま連れて行ってもらった。

去り際にアトリの胸の中から、観覧席の座席が飛んで壊れ、ドアが外れている荒れ果てた訓練場を見た。凄まじい魔力暴走の爪痕を残した訓練場を後にする。


俺は幸いにも軽い切り傷だけで大きな怪我も無く、治療も早く終わった。包帯を巻かれて、一日安静にしているように診断された後、学校保健師の先生は俺にソルの容態を教えてくれた。
 

「君の友達は別室で治療を受けている……。見に行ってあげてくれ」

そう言った先生は、どこか声を落として俺に教えてくれた。学校保健師の先生に教えて貰ったソルのいる部屋に足を運び、ドアをノックする。部屋から聞こえてきたのは、馴染みのある声だった。


「どなたですか」

「ヒズミです」

俺が名乗ると、中にいるだろうアトリから一瞬だけ間をおいて返事があった。


「……どうぞ」

入室の許可が部屋の中から聞こえたところで、俺は木製の部屋のドアを開けた。簡易的なベッドに眠るソルの近くで、椅子に座ったアトリが気難し気な顔で俺を出迎える。

アトリは、ソルの額に置かれた布に手をかざし冷気を送ったあと、俺に向かい側の椅子に座るよう勧めた。


「ヒズミ、怪我の具合はどうですか……?」

空色の瞳が心配げに俺を見つめる。俺が軽傷で済んだことを説明すると、アトリは僅かに安堵の息を吐いた。それでも、険しい表情が変わらない。

俺は少し嫌な予感がしつつ、アトリへ問いかけた。


「……ソルは……?」

俺の問いかけに、アトリは目を伏せた。眉間の皺をさらに深めて口を閉ざす。数秒間の静寂が部屋を支配した後、アトリは重い唇を開いた。


「……暴走した魔力を身体に収めたのは、ソレイユの意志によるものでしょう。よく、あれだけの被害で収めてくれました……。しかし……」

そこでアトリは言葉を切る。膝に置いているアトリの拳が、わなわなと震えているのが向かい側から見えた。


「……膨大な魔力が、ソルの身体を蝕んでいます。学園にある空の魔石を全て使いましたが、体内に溜まっている魔力が多すぎる。……至急、魔石を調達していますが、それまでに本人が耐えられるか……」


最後まで言い切らなかったアトリは、何かを耐えるようにぎゅっと目を瞑った。

その様子からしても、おそらくは追加分の魔石が到着するのを待っていては、ソルの身体が先に壊れる可能性のほうが高いのだろうと推測が出来る。


……魔力を吸収、か……。

この事態を、あの図書棟にいた古の魔導師は予測していたということなのだろう。


俺は制服の懐に手を差し入れると、中にある小さな布袋を取り出した。古の魔導師は常にこの魔道具を持ち歩くようにと、俺に助言をくれていたのだ。

全ては、おそらくこの時のために。


「……アトリ。すまないが、俺とソルを少しだけ2人きりにしてくれるか?」



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