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第8章 乙女ゲームが始まる

隠しきりたい思い、片思いって切ないな……

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初夏が過ぎた今は、夏真っ盛りだ。眩しい陽射しで地面から波打つ熱波が揺らぐ。そんな熱い室外でも訓練できるのは、体感温度を自動調整してくれるアトリ特製の魔道具のおかげだ。先ほどまで金属の交わる音が響き訓練場は、休憩時間の和気あいあいとした雰囲気で包まれていた。


日差しを遮る葉影の下で、英傑6人がベンチに座って涼みながら笑い合っているのを、離れた俺はぼんやりと眺めていた。容姿端麗な彼らが集まるその場は、あそこだけ別世界なんだよな……。


思考の海に潜っていた俺は、周囲の音が聞こえなくなったような、そんな錯覚に陥っていた。


「……____、おい、ヒズミ?」

ポンっと左肩を叩かれて、ふと我に返る。ビクッと身体が反射的に跳ねて、俺は勢いよく声がしたほうへと振り返った。そこには目を見開いた姿のガゼットが立っていた。


「あっ……。すまない、ガゼット。ぼうっとしてた……。えっと、何だったっけ?」

何かガゼットが質問していたようだけど、内容の大半が頭に入っていない。首を傾げて聞き返す俺を、ガゼットは顔を顰めて見つめてきた。


「……ヒズミ、最近ぼうっとしていることが多くないか?……根詰め過ぎると良くないぞ。研究棟と図書館に、籠りきりなんだって?」

ガゼットに言われて、俺は僅かに瞼を伏せた。最近は一日の中でも、ソルと顔を合わせる時間が最小限になっていた。お互いに訓練で忙しいのもあるけど……。


「僕もそう思うよ……。最近、ソレイユもヒズミと顔を合わせることが少ないって嘆いてた……。」

心配気に眉を寄せて、リュイが俺の顔を覗き込む。友人2人を心配させるほど、今の俺は頼りないようだ。


「……大丈夫。ちょっと暑さに当てられただけだ」

そっと、木陰に佇む美しい花々を背に、俺は友人たちと他愛もない会話をする。



午前の訓練が終わり、防音、魔力遮断の施された一室で、俺は膝に両手をついて肩を上下させていた。額からは汗が噴き出して、無機質な石床に落ちていく。全力疾走したときの息苦しさと、魔力を消費し過ぎた反動で眩暈を起こしたところで、スキアー先生に左肩を支えられた。


「……ここまでにしよう……。少し調子が悪いみたいだね?」

そんな日もあるさと、気軽な様子で肩を竦めつつ、スキアー先生が俺を支えて歩き出す。続き部屋にあるソファに、俺をそっと横たえた。


「……すみません……」

俺は力の入らない身体でソファに仰向けになりながら、洗浄魔法で汗を処理した。先生は冷やしたタオルを俺の額に乗せると、お茶を淹れて来ると背を向ける。俺はぼんやりした視界で見送ると、自分の右腕で両目を覆った。


ひんやりとした額の冷たさに、俺の頭が回り始めた途端、自分の情けなさに下唇を噛み締める。最近は、この訓練だけじゃない。心が乱れていることは、自分が一番良く分かっていた。


「……いつもの静かな水面を思わせる、闇とは違うね。……まあ、ヒズミ君みたいに最初から澄んだ闇を持つ人は、珍しいけど」

闇魔法は、精神面の揺らぎが影響しやすい属性だ。心の揺らぎは、闇の水面に波紋を作って感覚を鈍らせてしまう。


スキアー先生が近づいて、ローテーブルの上にトンッとグラスを置く。シナモンが香るアイスミルクティーが入ったグラスの中で、氷が揺蕩う音が聞こえた。


「……ありがとう、ございます。いただきます」

身体がほんの少し怠いけど、動かせるほどになったところで身体を起こした。ミルクティーの入ったグラスのストローに口をつける。ひんやりとした液体が、すぅっと身体の中を通っていく感覚が心地よい。


先生は向かい側のソファに腰を下ろすと、くつろいだ様子で自分のグラスに入った紅茶を飲む。ふうっと一息つくと、ゆっくりとした口調で俺に問いかける。


「……男子会でもしようか?お菓子もお茶も、いっぱいあるよ?」

女子会ならぬ、ね?とスキアー先生がウィンクして、茶目っ気を交えながら焼き菓子の載った小皿を俺に差し出してくれた。


ぼさぼさの髪やよれた服、好奇心旺盛な研究者の姿に隠れているけど、スキアー先生の生徒を想う心はいつも温かい。今だって、無理に話を聞き出そうとはしない。


先生が出すお茶には、必ずシナモンが入っている。心を落ち着かせるためのスパイスなのだと、最近になって知った。小皿に乗っている焼き菓子も、過激甘党の先生の口には合わない。つらい訓練が終わったご褒美にと、スキアー先生が俺のために用意してくれている。


俺は小さな焼き菓子を一つ、口に頬張った。ほんのりと優しい甘さが、今日はすこぶる心に沁みた。


「……先生は、してはいけない恋を、したことがありますか?」


じんわりとした優しさに、俺は自然と言葉が零れていた。先生は静かに微笑み、お茶を飲みつつ黙って話しの続きを促す。俺は俯きながら、零れる言葉を紡いでいく。


「……俺が好きになった人には、想い人がいます。……それは、最初から決められた運命みたいなもので……。彼がその想い人と結ばれれば、確実に幸せになれるんです」


攻略対象者は、聖女と恋に落ちる。その強い絆が、魔王を封印するためには必要なはず。そして、聖女と結ばれた攻略対象者はだれでも幸せになれる。

愛しい人と永遠の愛を誓って、平和な世界で末永く暮らす。この世界はヒロインである聖女と結ばれれば、幸せになる未来が確約されているのだ。


「もしも、彼が想い人と結ばれなかったら、不幸な未来が待っているかもしれない……」


ソルは愛しい人と結ばれなければ、最悪の場合、絶望したソルへと古からの呪いが移って、次代の魔王になってしまう。人を襲う魂を失った人形に。

カランっと、グラスの中の氷が音を立てて崩れた。


「……最初から分かっていたことなんです。彼が、その人を好きになることは……。それでも___ 」

俺は日本から転生して、前世でこの乙女ゲーム『聖女と紋章の騎士』のシナリオを知っていた。どれだけ想いを寄せても、攻略対象者は聖女しか目に映らなくなる。


……それでも、俺はソルを好きになってしまった。


「……気が付いたら、彼のことが好きで……。自覚してしまったら、もう引き返せなくなっていた……」

本能的に抑えていた自分は、ある意味正しかったのだ。自覚したら、もう抑えきれない。コップから溢れた水が戻らないように、ただ流れて下に墜ちていく。


「俺は、彼には幸せになってほしい。……それに彼の想い人は、俺にとって家族みたいに大切な人で。……2人の恋が成就することは喜ばしくて、幸せを願わなくてはいけないのに……」


足の間で組んでいた両手に、独りでにギュッと力がこもった。

妹のアヤハも、目に入れても痛くないほどに可愛い、大切な存在だ。この世界でただ一人の家族。幸せに暮らしてほしい。本心からそう思っている。


それなのに。



「___どうして、俺じゃないんだろうって……。俺のほうが、彼とずっと一緒にいたのに……」

今なら、俺を刺したあの女の子の気持ちが、痛いほどよく分かってしまう。


___俺のほうが、先に好きだったのに。


この鉛のように重く、ドロリとした淀んだ感情。黒く沈んでいく感情のまま、彼女のように……。


「……自分の手で、大切な家族を手にかけてしまうのではないかと、ぞっとしたんです」

やり場のない淀んだ感情が、自分の中に巣食っている。その気持ち悪さに、眩暈がする。

冷たさを感じさせるモノクルのガラス越しには、穏やかな焦げ茶色の瞳が見えた。こちらを非難する色はない。肯定も否定もしない、ただ穏やかなスキアー先生の瞳に、言葉は朗々と流れていく。


「……彼の傍に、一番近くに居たいのに……。今はただ苦しい……」

アヤハとソルが、微笑み合っている姿を見ると胸が軋む。俺がソルの傍に居ない未来を、見せつけられているようだった。喉が渇いて引き攣るような痛みと、冷たい氷柱が心臓を突き刺して抉る痛みを感じる。


いっそのこと溢れる思いを、ソルに伝えてしまおうかとも思った。でも、ソルを混乱させるだけだと気がついた。

ソルは、俺のことを友人としてしか見ていない。


そんな相手に、突然恋情を吐き出されたら、どう思うだろうか?嫌悪される場合もある。……優しいソルは、俺を突き放すことはしないだろう。

それでも、今の唯一無二の相棒のような関係が壊れてしまうことは確かだった。最悪、今の関係が壊れてしまうと考えると、告白なんてできるはずもなかった。それが、俺にはどうしても怖い。


俺はソルが離れて行くことが、堪らなく怖くて、嫌なんだ。


「離れたくないのに、傍にいると苦しいなんて……。片思いって、こんなにも……」


自分の胸元に下がった、琥珀色の宝石をぎゅっと右手で握りしめる。ソルから貰った、俺だけの宝物。この宝石に隠れて触れることだけが、今の俺に許された愛を示す仕草。


……こんなにも、痛いのか。


してはいけない恋で、一生告げられない想いだと分かっているのに。膨らんでいくばかりの恋情は、行き場を失ってただ胸に溜まり続ける。


溢れる感情のままに、脈絡のない俺の話を、スキアー先生は黙って見守るように聞いてくれた。





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