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追っ手
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「はぁ……。逃げられた、のか?」
裏山を抜けて市街地へ出ると、人影がほとんどなかった。東の空が白みはじめてきた。空気が冷たく澄んでいる。
ケイルが兜を脱いで、マントを頭から被った。
「いつまでも寵童と衛兵でいると怪しまれる。いい店があるから、そこに行こう」
食料庫を襲った一派御用達だという衣装屋を訪ねた。朝早くに行っても、ケイルの顔に大きな怪我があっても、店のおかみはなにも聞かずにいてくれた。
「おかみさん、僕には麻のマントと貫筒衣、弦楽器を。この子には、臍へそが出るような艶めかしい踊り子の衣装を見繕ってくれるかな」
「なっ、俺が踊り子!?」
「僕はともかく、きみは王に連れられてあちこち行っているだろう? きっと、大勢がきみの顔を判別出来る。それなら、髪型も変えて女の踊り子に変装したほうがいい」
「そうか。……一理あるな」
髪を後ろでまとめ、顔には紗のベールを垂らす。上半身は胸帯のような体にぴったりした派手な衣装、腰から下は、短いスカートと透ける素材のパンツ姿になった。
更衣室から出て「変じゃないか?」と尋ねると、おかみさんが笑う。
「安心おし、可愛い娘さんにしか見えないよ! 化粧のしがいがある子だねぇ」
「こんなに綺麗だと、逆に目立ちませんか? 大丈夫ですか?」
ケイルが慌てると、おかみさんが噴き出した。
「あんたたち、駆け落ちかい? えらい惚れようだねぇ。安心しな、ベールを被って俯いていれば、顔なんてほとんど分からないよ」
料金は思いのほか高かった。口止め料も入っているのだろう。一緒に逃げよう、と言われたときに身につけた巾着の中に、貴重品を入れたままでよかった。
馬を借り、ケイルの前に乗せられる。駆け出すと、あたりの景色がどんどん後ろへと過ぎてゆく。
「ケイル、反対派の人たちにはなにもいわなくていいのか? 裏切ったと思われないか?」
「大丈夫。はじめから、僕の目的はジャミルだけだと言ってあるから。港に行って、ギリシャ行きの船に乗るつもりだ。もう後戻りは出来ない。いいかい?」
「いいに決まっている。俺だって、もう帰るところなんてない。お前と一緒なら、どこにだって行ける」
「安心した」
ケイルが馬に声を掛け、より一層スピードを出させた。
もうこの地へ来ることはないだろう。低所得層が住む高層階住宅群インスラが消えると、裕福な者たちの邸宅ドムス見えてくる。白い石造りに囲まれ、時々庭木や噴水が顔を覗かせる。
二年過ごした後宮を思い出す。少し寂しい気がした。俺に郷愁なんてものがあるのが不思議だ。
ギリシャ行きの乗船手続きを済ませ、順番に並んでいたときだった。
王宮警護の兵士が、木の板を持って歩いているのが見えた。木に描かれていたのは、俺とケイルの似顔絵だ。
「この者たちを探している。見ていないか?」
大声で、道行く人に尋ねている。
――追っ手だ。
心臓が跳ね上がった。いやな汗が噴き出る。
「ジェンナ。順番がなかなか来ないから、待ち時間の合間にひと稼ぎしようか?」
「ひと稼ぎ?」
「僕と一緒にいるのが楽しくて、本業を忘れちゃったの? きみ踊り子でしょう、ジェンナ?」
握っている手にギュッと力を入れられ、ジェンナというのは仮名なのだと理解した。
船に一番近い地面に、ケイルが座り込む。怪我のある右側は、ちゃんとマントで隠れている。弦楽器に手を伸ばすと、軽快な音楽が流れ出した。あたりの視線が俺たちに集まる。
「さあさあ、見るのはタダだよ。もし気に入ったら、お金を投げてくれると嬉しいな!」
ケイルの奏でた曲は、心が浮き立つようなものだった。ベールで顔は見えないと信じて、片脚を上げる。
踊りは得意だ。後宮で一番の稚児の地位を築くため、努力は惜しまなかった。
「姉ちゃん、もっと脚を見せてくれよ!」
下品な野次が入る。
そいつを蹴るようなポーズをしてやると、いつの間にか出来た人の輪からドッと笑いが起きた。
観客に、警備兵がなにごとか尋ねている。
チラリと横目で見ていると、似顔絵を見せられた客が首を振った。すると兵士が、今度は俺に視線を移す。
――バレたのだろうか。
楽の音が大きくなった。ケイルに励まされるように踊り続けると、兵士が一歩踏み出した。
――見つかった!?
そう思ったとき。兵士が腰からなにかを取り出した。
チャリン、と俺の足元に小銭を投げ、また雑踏へと戻っていった。
心音が、今度は浮き立つように高鳴る。――逃げ切れそうだ。
裏山を抜けて市街地へ出ると、人影がほとんどなかった。東の空が白みはじめてきた。空気が冷たく澄んでいる。
ケイルが兜を脱いで、マントを頭から被った。
「いつまでも寵童と衛兵でいると怪しまれる。いい店があるから、そこに行こう」
食料庫を襲った一派御用達だという衣装屋を訪ねた。朝早くに行っても、ケイルの顔に大きな怪我があっても、店のおかみはなにも聞かずにいてくれた。
「おかみさん、僕には麻のマントと貫筒衣、弦楽器を。この子には、臍へそが出るような艶めかしい踊り子の衣装を見繕ってくれるかな」
「なっ、俺が踊り子!?」
「僕はともかく、きみは王に連れられてあちこち行っているだろう? きっと、大勢がきみの顔を判別出来る。それなら、髪型も変えて女の踊り子に変装したほうがいい」
「そうか。……一理あるな」
髪を後ろでまとめ、顔には紗のベールを垂らす。上半身は胸帯のような体にぴったりした派手な衣装、腰から下は、短いスカートと透ける素材のパンツ姿になった。
更衣室から出て「変じゃないか?」と尋ねると、おかみさんが笑う。
「安心おし、可愛い娘さんにしか見えないよ! 化粧のしがいがある子だねぇ」
「こんなに綺麗だと、逆に目立ちませんか? 大丈夫ですか?」
ケイルが慌てると、おかみさんが噴き出した。
「あんたたち、駆け落ちかい? えらい惚れようだねぇ。安心しな、ベールを被って俯いていれば、顔なんてほとんど分からないよ」
料金は思いのほか高かった。口止め料も入っているのだろう。一緒に逃げよう、と言われたときに身につけた巾着の中に、貴重品を入れたままでよかった。
馬を借り、ケイルの前に乗せられる。駆け出すと、あたりの景色がどんどん後ろへと過ぎてゆく。
「ケイル、反対派の人たちにはなにもいわなくていいのか? 裏切ったと思われないか?」
「大丈夫。はじめから、僕の目的はジャミルだけだと言ってあるから。港に行って、ギリシャ行きの船に乗るつもりだ。もう後戻りは出来ない。いいかい?」
「いいに決まっている。俺だって、もう帰るところなんてない。お前と一緒なら、どこにだって行ける」
「安心した」
ケイルが馬に声を掛け、より一層スピードを出させた。
もうこの地へ来ることはないだろう。低所得層が住む高層階住宅群インスラが消えると、裕福な者たちの邸宅ドムス見えてくる。白い石造りに囲まれ、時々庭木や噴水が顔を覗かせる。
二年過ごした後宮を思い出す。少し寂しい気がした。俺に郷愁なんてものがあるのが不思議だ。
ギリシャ行きの乗船手続きを済ませ、順番に並んでいたときだった。
王宮警護の兵士が、木の板を持って歩いているのが見えた。木に描かれていたのは、俺とケイルの似顔絵だ。
「この者たちを探している。見ていないか?」
大声で、道行く人に尋ねている。
――追っ手だ。
心臓が跳ね上がった。いやな汗が噴き出る。
「ジェンナ。順番がなかなか来ないから、待ち時間の合間にひと稼ぎしようか?」
「ひと稼ぎ?」
「僕と一緒にいるのが楽しくて、本業を忘れちゃったの? きみ踊り子でしょう、ジェンナ?」
握っている手にギュッと力を入れられ、ジェンナというのは仮名なのだと理解した。
船に一番近い地面に、ケイルが座り込む。怪我のある右側は、ちゃんとマントで隠れている。弦楽器に手を伸ばすと、軽快な音楽が流れ出した。あたりの視線が俺たちに集まる。
「さあさあ、見るのはタダだよ。もし気に入ったら、お金を投げてくれると嬉しいな!」
ケイルの奏でた曲は、心が浮き立つようなものだった。ベールで顔は見えないと信じて、片脚を上げる。
踊りは得意だ。後宮で一番の稚児の地位を築くため、努力は惜しまなかった。
「姉ちゃん、もっと脚を見せてくれよ!」
下品な野次が入る。
そいつを蹴るようなポーズをしてやると、いつの間にか出来た人の輪からドッと笑いが起きた。
観客に、警備兵がなにごとか尋ねている。
チラリと横目で見ていると、似顔絵を見せられた客が首を振った。すると兵士が、今度は俺に視線を移す。
――バレたのだろうか。
楽の音が大きくなった。ケイルに励まされるように踊り続けると、兵士が一歩踏み出した。
――見つかった!?
そう思ったとき。兵士が腰からなにかを取り出した。
チャリン、と俺の足元に小銭を投げ、また雑踏へと戻っていった。
心音が、今度は浮き立つように高鳴る。――逃げ切れそうだ。
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