聖玉を継ぐ者

しろ卯

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23.呼ばれて出てきたのは

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「おい、尹。お前が見張っとけ」
「はい」

 呼ばれて出てきたのは、十台半ばの青年だった。

「こっちです」

 奥の部屋から駆け出てきた青年は、ハンスの前まで来ると、すぐに踵を返した。

「ハンスです。よろしく、尹さん」
「あ、こちらこそよろしくお願いします」

 ハンスが自己紹介をすると、尹は足を止めて慌てたように白い帽子を取った。
 緋龍の人間にしては線が細く、弱腰な尹に案内されて、ハンスは奥の部屋に入る。先程の厨房よりも狭く、灯りも調理器具の種類も少ない。

 大抵の王宮には、三種類の厨房がある。
 一つは王族と賓客のための食事を作る厨房。清潔で明るく、調理器具も豊富で食材も溢れている。当然ながら、そこに居るのは国中から選び抜かれた、一級の料理人達だ。
 次に使用人達の食事を作るための厨房。作る量が多いため、広さも料理人の数も、王族達の食事を用意する厨房より広く多い。使う食材は質より量、味より栄養が重視される。
 最後に来客の従者達の食事を作るための厨房だ。これは貴族の屋敷などでは使用人達の食事を作る厨房と、併用する場合が多い。別に設けている場合は、使用人達の厨房に比べて広さも料理人も少ないのが一般的だ。食材や料理人の質は、主の考え方で異なる。

 ハンスが連れて来られた厨房は、広さや料理人の人数から、来客の従者用の厨房と推測できた。
 皇族に呈するための菓子を作るのには、充分な設備とは言えないだろう。それでも最低限の設備は揃っている。
 材料の質も低く、古い物も混ざっているが、使えない事はない。おそらく、他の厨房で余った食材が回されているのだろう。

「これ、自由に使っても良いですかね?」

 ハンスは食材の山を一通り見てから、尹に確認する。

「あ、はい。今日は二十六人分の食事を用意するよう命じられていますので、その分は残しておいてください」
「分かりました。ありがとうございます」

 礼を言うと、尹は照れて俯いてしまった。彼以外の料理人達は、興味無さそうに札の賭事に熱中している。
 緋龍では来客の従者への料理に重きが置かれていないことは、一目瞭然だった。

 使える材料から作る菓子を決めると、ハンスは下拵えに入った。
 ふと何かを忘れている気がしたが、思い出せなかったので大した事ではないのだろうと、菓子作りに集中する。
 一通りの下拵えを済ませ手が空くと、厨房の様子をうかがう。すると、尹一人だけが庖丁を振るっていた。他の料理人達は関心さえ寄せていない。

「いつも尹さんが一人で?」

 ハンスに問われ、尹は困ったように笑顔を浮かべながら頷いた。
 一人で作りきるのは、いかに料理の才を持つ料理人といえど、大変だろう。

「手伝わせて頂いてもよろしいですか?」
「良いのですか?」

 ハンスの申し出に、尹は顔色を輝かせた。ハンスは微笑んで頷く。

「何を作りましょう?」
「ええっと、とりあえず、ある物を火に掛けて、それから味を付けてください」

 大雑把な説明だが、ともかく有るもので何かを作れば良いのだと理解したハンスは、尹に頷いて食材と庖丁を取った。
 たちまち鍋の中で肉と野菜が躍り、芳香を漂わせる。机の上に並べた皿には、次々と色鮮やかな料理が盛り付けられていった。

「尹さん、申し訳ありませんが、味をみてもらえますか? 緋龍の料理はあまり経験がないので」
「あ、はい」

 ハンスに声を掛けられて手を止めた尹は、机の上に並ぶ料理を見て固まった。彼が一品を作っている間に、ハンスは尹のための一皿を残し、机の上を埋めてしまっていたのだ。

「焦げてますよ?」

 呆然とたたずむ尹に、ハンスは冷静に告げる。

「ああ、どうしよう」

 ハンスの料理に見とれていた尹の鍋から、煙が昇っていた。
 動揺する尹を横目に、ハンスは香草を刻む。

「汁物に変えましょう。緋龍の料理とは趣が異なりますが、美味しいですよ」
「あ、はい」

 尹の了承を取ると、ハンスは他の鍋で作った出汁を加え、香草を入れた。

「美味いな」

 賭事に熱中していた料理人達が、机の前に来ていた。
 ハンスは咎めることもなく、小さく微笑む。

「ありがとうございます。緋龍の味と違ってませんか」
「いや、ちゃんとこの国の味になっている」
「良かった」

 そう言って笑みを深めてみせるが、それが本心ではないことは料理人たちには一目瞭然だった。
 料理人としての格が違うと、緋龍の料理人たちはハンスに対し、羨望と嫉妬を燻らせる。
 続いて料理人達は、尹の鍋から一匙すくった。

「これは緋龍の味じゃない。だが美味いな」
「ありがとうございます」

 礼を述べたハンスは、居座ることなく菓子作りに戻る。休ませたおいた生地を成形し鉄板に並べると、熱した鍋を蓋代わりに乗せる。その上に置き火を乗せて焼いていく。

「変わった調理方ですね」

 ハンスの腕前を知り、目の色を変えた尹が覗き込んできた。

「使いたい調理器具がなかったので、代用ですよ。セントーンの菓子と緋龍の菓子を用意したくて」

 答えたハンスに、料理人たちは驚いた眼差しを向ける。

「セントーンの王宮料理人か」
「いいえ。将軍寮の菓子職人です」

 即座にハンスは訂正する。料理人たちの顔が、訝しげに歪んだ。

「冗談だろう? それじゃあ王宮料理人はどんな化け物だ?」
「そうですね。俺が知っている以前の料理長は、食材を最大限に化かす、化け物でしたよ」

 ハンスは笑って応じた。
 緋龍の料理人たちは顔を見合わせると、苦々しげに先ほどまで自分たちが興じていた札を睨みつけたのだった。




 その晩、王族達の晩餐に招かれたライとシャルは、以前に招かれた朝食とは異なり、緋凰から離れた下座の席を用意された。
 目に見えて不貞腐れているライを、玉緋はたしなめる。

「あのね、緋凰兄様の横に座れたことが奇跡なの。同席できるだけでも感謝しなさいよ」
「ああ、申し訳ありません。俺が苛立ってるのは、こっちの事情なのでお気になさらないでください」

 ライは言葉とは裏腹に、反省の色もない声で弁明する。玉緋は顔をしかめて睨みつけると、そっぽを向いてしまった。
 心配したシャルもどうしたのかと小声で聞いたが、ライは何でもないと答えなかった。

 料理が並び、食事が始まる。
 困り顔のシャルに、ライは料理を取り分けてやる。

「そちらのお嬢さんには、お口に合わないようね。セントーンの料理は余程美味しいのかしら? 私も食べてみたいわ」

 皇族の席から微かな笑いが起こり、シャルは耳まで赤く染めて俯いた。

「こいつはガキだから、辛いのは苦手なんですよ」

 すかさずライが言い返したが、シャルはますます赤くなった。
 料理が進み、食後の茶と菓子へと移る。見慣れない菓子に、皇族達はざわめいた。

「綺麗。天女みたい」

 器には緋龍伝統の豆を潰し濾して作った、竹を模した菓子が並ぶ。竹林には、薄桃色の羽衣を纏った白い玉が舞っていた。
 そして竹の根元には、木の実の乗った焼き菓子が添えてある。

「いつもより繊細な細工ね」

 目で楽しんだ後、口に運んだ女達は再び歓声を上げた。

「美味しい。滑らかで口の中で溶けて」
「甘さも調度良いわ。それに何かしら? この優しい後味」
「新しい菓子職人が入ったの? これから楽しみね」

 口々に絶賛する皇族達の片隅で、シャルは喜びに目を輝かせる。

「兄さん、来てくれたんだ」
「これ、アイツの菓子か?」
「はい」

 周囲に聞こえない小声で、シャルとライは言葉を交わす。

「あの野郎。俺を待たせておいて何してる」

 殺気の籠る呟きに一瞬固まったシャルだったが、久し振りのハンスの菓子をゆっくりと味わった。

「でもこの木の実の菓子は余計ね。折角の美しい皿が台無しだわ」

 その声に、シャルは固まる。
 木の実の菓子は、ハンスがシャルのために焼いてくれた最初の菓子で、シャルの好物だ。この皿に盛ったのも、シャルを安心させるために違いないだろう。

「あら、でもこれも美味しいわよ」

 続いた言葉にシャルは安堵して、心置きなくハンスの菓子を味わう。

「兄さん」

 セントーンを出てからというもの、緊張続きで心休まる時間もなかったが、ハンスの菓子を味わうごとに、心身が緩んでいくのを感じた。
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