人の心、クズ知らず。

木樫

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第九話 サキと夢。

08

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 どこか夢見心地でマンションに戻った。

 鍵のかかっていない部屋の中に入る。静まり返った部屋に安堵した。

 ここは俺でも理解できるものしかない。
 これ以上は本当に後戻りできないなにかが噴きあがる。

 一人だが眠ろうと思い、重く煩わしい体を引きずって寝室のドアを開く。


「……タツキ」


 けれどそこには先客がいて、喉の奥で血の味がした気がした。

 丸くなってすやすやと眠るタツキがいつここへやってきたのかはわからないが、俺の帰りを待っていたことは確かだろう。

 用事なら夢で聞くのに。
 なんでここは幸せで安心するって寝顔でわざわざいんのかな。

 そっとしゃがみこみ、ドア側のはじっこで眠るタツキの唇に親指を這わせる。


「ん、む……」


 すると這わせた親指へ、ちゅ、と甘えるように吸いつかれた。
 無意識っぽいのでいい夢でも見ているのだろう。羨ましい限りだ。

 俺は夢をほとんど見ない。
 見たとしてもあくびも出ない、つまらないものばかり。

 たいてい父親が出てきて、今の俺が一人ぽつんと仰向けに横たわる部屋に入ってくるところから始まる。

 父親は大きく成長しきった俺の服を剥いで、俺の頭をやわくなでた。

 父親の少しシワめいた手の感触。
 あまり笑わない口元が、あの頃はよく緩んでたんだ。あは。

 目の色は変わらなかったけど声の色はだいぶ違って、歳の割に鍛えた体でも歳らしい肌の質感や厚みを今も反芻できる。

 今の父親はもっと違ってんのかな。
 そうやって想像してたから、夢の中の父親も、今の姿をしていた。

 ウケるよ、マジで。

 シワの増えた初老男が目鼻立ちのハッキリした男の唇に何度もキスをして、浮き出た喉仏を甘噛みし、平均より育ち骨ばった筋肉質なカラダで遊ぶんだ。

 そして腹の中を刺したり抜いたり、ドクドクと精を注ぎ込む。
 だけど父親が離れると、それは全部俺の中からドス黒いヘドロになって溢れた。

 それがわかっていても俺は指先一つ動かすことができず、父親を抱き返すことも引き留めることも声すらあげられない。

 夢の中で、俺の姿はいつもボロな人形だった。


「はは、アホらし。大人の俺が他人のオトウサンに抱かれる夢とか」


 完全に糸が切れたおかげで最近は見なくなった喜劇的な夢を思い出して笑う。

 気遣いもなく声を出したせいか、眠っていたタツキが「んん」と身じろいでゆっくりとまぶたを開いた。


「おはよ」

「……さ、き……? おはよォ……」


 寝起きで掠れた低い声が応える。

 コイツの声は、いつも耳朶を食むようなまとわりつき方をする。
 だから世の中の耳を離さないのだろう。

 低く高くハスキーでクリア。
 どんな出し方をしたらあんなふうに歌えるのかわかんねー。

 けど、タツキは確かに天才だ。

 話していると癖があるいい声だな、くらいの声は、歌を歌うと一瞬全てを忘れて聴き入り否応なしに語る言葉が脳に届いてしまうのだから一種の魔性だろう。好みは除外。

 曲作るのもうまいよ。
 歌詞の意味はハテナな時もあるけど、感性、センスあるっぽい。
 簡単な言葉で人の内側をノックする。

 そういえば出会った時も変なことを言っていた。
 俺を〝神サマ〟だって。

 ま、音楽以外は全部ダメだけどさ。

 とても天才には見えないベッドの上のタツキは、モソモソと起き上がり、膝に肘をついて見つめる俺に向き直った。


「なんの夢見てたの?」

「ン? 咲の夢。オレ、いつも咲の夢見るんだゼ」


 へへ、と嬉しげに笑う。
 なにが嬉しいのかわからない。

 俺が父親の夢を見ていたようにタツキが俺の夢を見るなら、俺にとっての父親がタツキにとっての俺ということになる。

 それってなんか、最低だよな。

 結局、俺はあの人の子どもってことだろ。どっこも似てないのに中身ばっかり似通ってて反吐が出る。じゃあ同じだ。


「なぁ」

「っは、っ……!?」


 衝動的にタツキをベッドに押し倒して馬乗りになって押さえつけ、首に片手をかけて見下ろした。

 こんな首、絞め殺そうと思えばいつだってできる。

 たいそう素敵な声を出す高価な喉を内蔵していても、誰だって力さえあれば絞められないってことはない。
 力がなくてもやりようでどうとでもなる。今の俺ならほら、ちょっと体重をかけて押しつぶせば握らなくても終わるんだ。

 でも、俺は手に力を込めなかった。

 目を丸くして俺を見つめるタツキは相変わらず純粋なバカで、俺がなにをしたいのかわからなくとも抵抗すらせず、ただ驚いて困惑しているだけ。

 スリ……と首を浅く掴んだまま往復する。

 タツキの手のひらがシーツを握り、掴んだ喉がゴク、と唾を飲む。


「タツキ、俺を殺してよ」

「──……ッ!?」


 ヒュッ、と掠れた呼気が喘いだ。

 なにビックリしてんの? おかしなことなんてなにも言っていないのに、タツキは言葉を失って震えはじめる。

 変なタツキ。みんな変だ。

 俺からするとみんな、変だ。


「俺が死ぬとハルがいやがるんだわ。ハルがいやがるとなんか俺もいやな気がする。だから、殺されたなら許してくれんじゃね? ってさ」

「……っ……それは、むつかしい……」

「は。なにも難しいことなんかねーよ」


 変なタツキは変だから仕方ない。
 理解が及ばないらしいタツキのために説明してあげようと、俺は一本、これみよがしに人差し指を立てた。

 その指で、自分を指す。


「俺を」


 続いてタツキを、同じ指で指す。


「お前が」


 指した指を、タツキの左右の目の間ちょうどの位置で止める。


「殺す」


 そのまま真っ直ぐに前進して、シワになったタツキの眉間をトン、と突いた。

 な、シンプルでわかりやすいだろ?

 俺を殺すってのは、愛だの恋だのをたわわに実らせるよりもずっとずっとわかりやすくてかんたんな話だ。




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