人の心、クズ知らず。

木樫

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第九話 サキと夢。

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 満面の笑みを浮かべて腕を伸ばす。

 ドアノブが下がり、内開きのドアが開いてその人物が部屋に入った瞬間──伸ばした腕で胸の中へ捕まえた。


「っ」

「あはっ、いらっしゃい」


 バタン。ドアが閉じる。
 二人っきりだね、最高だぜ。


「遅ぇよ、もう。すげぇ待ってた。ねぇ早く、早く終わらせて……暗殺者サン」


 突然抱きしめられた暗殺者サンは驚いたのか居心地が悪いのか身を固くし、耳朶をなぶられてビクリと小刻みに震えた。

 暗殺者サン。

 細身だけど密度のある筋肉に覆われた硬いカラダ。俺より熱い。でも俺より小さくて、なんだかカワイイ。


「捨てられるために生まれたみたいだ……」


 蚊の鳴く声で切に懇願しながら、ギュ、と腕に力を込めた。

 コレはアイツらの誰でもないはずなのに、少しだけ寂しくなくなったような気がしたからだ。はは、やっぱり誰でもいいのかよ。

 こんなに焦がれているのに他の人でもいいなら、やはり俺は誰も愛せない。


「っは……」


 グリングリンと暗殺者サンの首元に擦りつくと、おそるおそる腕が回される。

 そして徐々に力が増して、絞め殺したいように俺を強く抱きしめる。

 それが嫌になるくらい温かく感じて、全身の血液がドクンと速度を増す。


「──っ……アホ、咲」


 直後──聞き覚えのある声が鼓膜を震わせて、余計に頭がボウとした。


「あ、れ?」


 じゃれつくのをやめて、俺はぱちくりと瞬きを繰り返す。
 だって変じゃん。そんなわけねぇのに、この期に及んで質の悪い幻聴なんか聞きたかねぇよ。


「バカ野郎……あいつらに可能性があるからけしかけたのに、お前が全部捨てたら、今度こそカンペキぶっ壊れるに決まってんだろうが……」


 異常を感知して離れようとするが、擦りついた項の端に見える真っ赤な髪のせいで、俺はこの体から離れられない。


「まっかな……ハル」


 名前を呼ぶと、暗殺者サン──ハルは、俺を抱きしめたまま冷たい俺の首筋に熱い吐息を吹きかけた。


「そう。俺の名前、呼べよ」

「名前……? オマエは、名前……ハル。ノヤマハルキ。ハルキ」

「うん。じゃあまだ、帰ってこれるだろ? 咲野」

「どこに? なんで」

「なんだっていいの。昔、親父にあのマンションへ追い出されて崩れかけた時と同じにはできねぇけど……一人でも、ちゃんと連れ戻してやるから任せとけ」


 促されるがままに名前を呼ぶと、ハルは俺の存在を確認するように強く強く抱き寄せて、その場に俺ごと落として座り込んだ。

 昔、そうだ。
 確か高校生になって実家を追い出された時も、俺は少し、壊れかけた。

 あの時はアヤヒサが荷物運びを手伝うと言って、一緒に出てきたんだっけ。

 だけど俺は荷物を全部捨てたんだ。
 空っぽの部屋に身一つ。そうしたら、アヤヒサがいろいろ詰め込んだ。

 そう。そしてハルは俺の話を聞いて、しばらくずっと泊まっていた気がする。

 俺の世話をしていたのはアヤヒサで、俺の言葉や感情を整理したのは、ハル。

 でもそのハルがどうしてここいるのかや、ここにいてなにをするか、俺がどうすればいいか、どう感じているのかの回答が導き出せず、情報が錯乱する。


「なん、で……ハル俺、わ、けわかんない」

「大丈夫。大丈夫だって。な? ずっと感情なんか鈍ってたのにいろいろ感じすぎちまっただけだ。見たらわかんよ」

「ちょっと、わかんね、待って、は」

「俺が廃品回収してやるから、分けろ」


 抱きしめられると息苦しい。
 ハルが語るたびにぼやけた頭がグルグルとかき混ぜられ、めまいがした。


「全部聞いた。一番近い、初瀬がダメだったんだろ? ノーマルなお前なら、それで次を試してたはずじゃねぇか。捨てられた時親父と家のせいで壊滅的にバグってたのか……? それとも、もう、疲れた……?」

「どうだろ……」

「……俺らから、離れたい……?」

「……わかんない……」


 ハルの体温が予想以上に温かくて、体液が沸騰しているのがわかる。ハルの温度で、俺は溶けて消えそうだ。

 なのに、離れたくない。

 離れなければならないことはわかるが、離れたくない。その場合はどうしたらいいのか、わからない。


「わかんねぇよ……もう……」


 ──殺したすけてよ、かみさま。

 声が震えて、情けなさを感じた。
 ハルにとって俺はただの友達なのに。それならこうやって抱きしめあうのは、普通ならおかしなことだ。

 ならば離れなければならないのに、腕が動かなくて、息ができなくて、辛くて、蹲りそうで、俺はちょっとだけ困っているのだろう。




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