人の心、クズ知らず。

木樫

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第九話 サキと夢。

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 腕の中で驚いたのがわかる。
 髪に頬を擦り寄せると、思わず顔を上げたアヤヒサと目が合った。

 レンズ越しに揺れる濡れた琥珀の瞳。
 無機質なそれに似合わない大粒の涙を、眼鏡を上げて、優しく唇で拭う。


「さ……き……」

「聞いてたならわかんだろ? ……俺は全員泣かせて、全員傷つけて、そういうことしかできないのに全員欲しがる、無双のクズ。価値がないし……ザンネンながらオマエだけってわけでもねぇの」

「あ……」

「ダメならさっさと俺を置いて行って。俺の腕をなるべく冷たく振り払って。もしかしたら縋るかもしんないけど、そうなったら、躊躇しないで切り落として逃げて」


 目尻を舐めて、キスをして。
 滲む雫を丁寧に奪いながら寝物語を読み聞かせるような声で語る。

 本当は、俺のなにもかもを聞かれていたと思うと、とても我慢ならない。

 アヤヒサの返事も聞かずに口を塞いで、自分の耳を潰して、それでまたどこかの土の下にでも埋まろうかと逡巡する。

 でも、それはぐっと我慢した。

 声を出して語るのは苦手だ。
 聞かれてもないのに自分とかいう興味のないものの話なんか、したくないんだ。

 それでも不遜でワガママで不信な贅沢者の願望を叶えてもらう一縷すらない希望のために、せめて真摯に訴えようと思う。


「ほんとのほんとに、嫌なら喉を、抉ってな」


 どうにかこうにか溢れるぶんを拭いきったアヤヒサの耳に、そろりそろりと口元を寄せて、薄く開く。

 脳みそをフル回転させて、アヤヒサに許してもらえるように、アヤヒサに愛し続けてもらえるように、俺なんか恐縮だけど、飾りっけなしのバカヤロウを隠さずに。

 自信がないから、ささめくように頼みごとをする。


「実は俺、アヤヒサがいないとダメになる」

「っ……」

「わかってる、キモイよな。俺はアヤヒサに嫌われることをいっぱいしたと思う。どれ、ってのは正しく思いつかないけど……初めて会った時、声をかけて、ごめんね。ごめん。ごめんなさい」


 俺が懺悔すると、アヤヒサは息を呑み、唇を噛み締めて黙り込む。

 それからややあって、フル、フル、と震えながら首を横に振った。
 許さないってことだ。そうだよな。

 許されない自覚があったから驚かない。悪あがきに「来世は絶対話しかけないから」と付け足すが、余計にブンブンと首を横に振られる。違う? 死ねって?

 それとももっと誠意を見せろってことかも。わかってる。なんでもすんよ。謝り方を教えてくれれば。

 アヤヒサはみたび首を横に振る。ハッキリ必死に、なのに声を出さない。
 どして、ごめん。わかんねぇな。

 少し弱って、抱きしめていた腕を名残惜しく、緩慢に引いた。


「許さなくていいよ、もう。……でも俺、アヤヒサのことが凄く好きで、だからその……こうやって泣かせんのは、嫌じゃなくて、怖いんだ。泣いてほしくねぇから傷つけたくなくて、なのにいつの間にか追い詰めて、そんな自分も、怖いんだ。俺には、わからないから」

「……そう、か」

「泣かせて、傷つけて、もうそんなことしたくねぇよ。してるつもりないのにそうなるのは怖い。したくない相手に限って困らせて不幸にする。それで俺なんか邪魔だって言われんのは怖い。俺なしのほうが幸せになれるってバレんのも怖い。もう要らないって、あっち行けって、俺の存在を許さないって」

「あぁ……」

「そう言うだけで俺の呼吸を止められる。そんな人間が、お前だ。アヤヒサ」

「わかった……」

「俺、アヤヒサを愛してるよ」


 耳元に寄せていた顔を引くと、アヤヒサは啼泣の名残で目元を赤くしながらも、俺の告白を受け止める。表情に変化はない。

 その双眸が美味しそうで、噛みつきたい衝動をそ知らぬ顔で抑えた。

 愛しいほど俺は我慢が難しい。
 でも自分のそれらを、相手のためなら発狂しようが捻じ曲げられる。

 俺にとって、それは愛の証。
 唯一俺の感情を揺さぶれるのは、恋の相手だけ。それを我慢できるのも。

 その相手がやっぱり五人分いるというのだから、他人には理解されないと思う。

 自分の思考を理解されないことは、もう何度も味わった慣れた現象だ。
 どれだけ説明しても有り得ないと一刀両断される。回答がおかしいということですらなく、公式から理解できないとクズを見る目で一蹴されるのが常。

 ただ、今それをアヤヒサにされると、イイコのフリになっちゃいそうだなぁ。


「……今日、初めて聞いたあなたの内側。……その答えは、もうずっと前に、言ったとおり。変わらずに私の声だ」


 だけどアヤヒサは、そうしなかった。
 約束しただろう? と僅かに首を傾げて、視線で問いかけられる。


『ずっとそばで・・・、命令してくれること。命の最期は・・・、あなたであること。それさえあれば……構わないんだ。愛の矛先が、誰だろうと……』


 記憶しようと思えばそう簡単には忘れずに記憶していられる質である俺は、脳のページを捲って思い出す。

 記憶を解読するとアヤヒサは俺の恋人が何人いても構わないということになったが、納得はできなかった。

 構うでしょ。
 現にアヤヒサ、ついさっきまでべそべそ泣いてたじゃん。

 強がりなのか嘘なのか。
 アヤヒサの本心が納得できないなら、俺はこのオネダリを今すぐ取り下げる。

 だって、針のムシロは座り心地が悪いだろ。雲の上でお昼寝してよ。




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