人の心、クズ知らず。

木樫

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第八話 ショーゴと粉雪。

36(side翔瑚)

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 微かにしゃくりあげてすすり泣く俺を真正面から見据える俺の夢は、終わりもあっさりしたもので、簡単に現実へ引き戻した。

 引き止めてくれるかもしれないという希望すら抱かせないほど、咲は咲であり続ける。そんな咲でも愛している。

 だからこそ、俺はこの手を離すのだ。


「お、俺じゃあ、きっと、何度生まれ変わっても変えられないから……さきに俺の愛し方、教える言葉が、わからないから……元の関係に、戻るしか、で、できない……」


 暴れたいほど頭が割れそうに痛くても、悲鳴をあげて今すぐ目の前の男を抱き寄せたくても、ただただ泣いて立ち尽くすのだ。


「咲……おまえはなんて、残酷なんだ……」


 ヒク、と横隔膜が痙攣する。
 俺の心を代弁するかのように、重たげな空からシンシンと降り注ぐ粉雪。


「ちげーよ、ショーゴ。オマエが俺に愛されるにはキレイすぎたんだ」


 自分の姿が歪んで見える咲は、メソメソと泣くだけの俺をキレイだと目を細めた。

 ささやかな雪が舞う中で微笑みとともに俺の涙を見つめるその姿は、野に咲く花ではなく、手のひらで消える粉雪に見えた。

 咲は俺の頭をポンポンとなでる。
 子どもを相手取るような声で、気持ちのない慰めを繰り返す。


「俺には、オマエの泣いてる意味がわからない」

「バカだ……咲はバカ……」

「うん。でもわかんねーの。だって俺に別れを告げたのはオマエだろ? 自分でフって自分で泣いてんの? バカだなぁ、ショーゴは」


 その言葉を残して咲の手が俺の頭から離れたあと、気配が離れて、背を向けて歩いていく靴音がした。

 顔をあげられずに泣き続ける。
 俯きまぶたを閉じて嗚咽を殺し、早く咲が完全にいなくなればいいと祈る。

 もう顔も見たくない最低最悪なクズだったと、ちゃんと割り切るために。

 ふと、咲の足音が途中で止まる。

 思い出したような声音で「ショーゴ」と名前を呼ばれ、目を開けてしまう。


「あぁ……なんでもないっぽい」

「っさ、……っ」


 途端──頭に感情の大波が押し寄せ、バッ! と顔を上げた。

 だがすぐに声を殺した。

 あの背中に声をかけてはいけない。追いかけてはいけない。近寄れば最後、すがりつきそうな引力がある。

 夢のような時間は、まさに夢だったのだ。

 目を覚ませ、目を覚ませ、目を覚ませ。
 何度も頭の中で繰り返す。

 それだけでは足りず、ぐっとこらえてその場にしゃがみこみ、両手で顔をおおって、擬似的な暗闇の中で言い聞かせる。

 ──忘れよう。
 ──どうせ今から縋ったって、愛しているフリをされるだけの片想い交際じゃないか。

 ──意識的に愛されているとわかっていて、どうして恋人を望める?

 ──偽物の関係ならば、体だけのものであっても、本物の関係がいいだろう?

 だからもう、忘れよう。
 悪い夢を見たと忘れよう。

 何度も何度も繰り返す。

 咲の姿が完全に見えなくなって、薄くレンガ道に降り積もり始める粉雪とイルミネーションの中で、俺は自分に言い聞かせる。

 言い聞かせて、言い聞かせて。


「──……俺をおいて、行かないで……ほんとは終わりたくないんだ……」


 膝を抱えて項垂れながら吐露した心。

 心のない咲を、羨ましいと思った。

 それほどまでに、俺は咲を、どうしても愛していたのだ。


 第八話 了




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