僕《わたし》は誰でしょう

紫音

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第二章

教えて

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「そろそろ教えてくれてもいいんじゃないんですか?」

 竹林の陰に停めていた車に戻ると、開口一番に沙耶が言った。
 対する井澤さんは「何を?」ととぼけながらシートベルトを着用する。

「いい加減、あなたの知ってることを全部教えてくださいよ。すずのこと。今どうしてこんな状態になってるのかも、全部わかってるんでしょう? すずに遠慮して、あたしたちも強くは言わなかったけど。さすがに今のすずの状態を見てたら、あたしも黙ってられないし」

 先ほどぼくが頭痛を訴えていたのを見て、彼女もついに痺れを切らしたのだろう。これ以上は黙って見ていられないと、強めの口調で井澤さんに迫る。

「俺が全部喋ってしまうと、それは本人にとってはただの『知識』になってしまうぞ。本来の意味での『記憶を取り戻す』という形ではなくなってしまうわけだが、それでもいいのか?」

 井澤さんは確認するようにこちらをちらりと見る。同じく後部座席からも二人の視線が向けられる。

「すずはどうしたい? このまま自然と記憶が戻るのを待つ方がいいの?」

 聞かれて、返事に詰まる。早く情報が欲しいというのが本音だが、しかし井澤さんの言うことにも一理ある。彼から口頭で真実を並べられても、それは本当の意味で記憶を取り戻したことにはならないのではないか。
 しばしの沈黙の後、最初に口を開いたのは意外にも桃ちゃんだった。

「じゃあさ。あんたがすずに会いにきた理由だけでも教えてくれよ。あんたがなんですずのことを知っていて、オレたちの存在も知っていたのかを。それならまだ、すずの記憶に直結するわけじゃないだろ?」

「そうだなぁ」

 桃ちゃんの提案に、井澤さんは車のエンジンをかけながら肯定的に返事をする。

「まぁ、『比良坂すず』に関することだけなら話してもいいかもな」

 エアコンが作動し、灼熱の車内にやっと冷風が混じる。すぐにアクセルが踏まれ、タイヤが動き出す。
 車は先ほど川の下流に見えた新しい橋を目指していた。丈夫そうで、高い場所にあって、洪水が起こってもそうそう沈むことはなさそうに見える。
 と、そこで車道の脇を人が歩いているのが目に入った。中学生くらいの女の子四人組で、それぞれカラフルな浴衣を着ている。

(もしかして、今日はお祭りがあるのかな)

 祭りの様子を想像しただけで、胸が高鳴った。盆踊りの太鼓の音。屋台から香る美味しそうな匂い。人々の楽しそうな笑い声。そして、夜空に打ち上がる大きな花火。

「正直に言えば、俺は『比良坂すず』には用はない」

 井澤さんが言った。
 その発言に、桃ちゃんは「何だと!?」と今にも殴りかかりそうな勢いだったが、隣から沙耶が必死に止める。そんな彼らを意に介した様子もなく、井澤さんは淡々と続けた。

「俺は、比良坂すずに会いに来たわけじゃない。俺が用があるのは……——比良坂すずのだけだ」
 
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