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ヴガッティ城の殺人
プロローグ
しおりを挟むなぜだろう。
タイプライターを打っていると、不思議なことに心が落ち着く。
白と黒の文字盤は、まるでピアノの鍵盤のように美しく、指先で強く打ち込むごとに規則的な音が響き、頭のなかに描く完全なる犯罪計画が、白い紙に文章として生まれ変わる。
カタカタカタ、カタカタカタ、チーン!
カタカタ……カタ……。
あ、しまった。
またスペルを打ち間違えた。
『ジョゼ・グラディオラ』
うーん、なんて打ちにくい名前だろう。
本土に広大な土地をもつ伯爵であり考古学者。
そして娘のマイラは私立探偵。
エングランド人のくせに、なんともスパニッシュな名前。
名前か……。
幼いころは、名前なんてなくてもいい、そう思っていたが、憧れの師匠から名前をつけられたときは、とても嬉しかった記憶がある。
ああ、師匠に会いたい。
そう思うが、師匠に会うには、まだ早い。
風来坊の師匠は、ああ見えてかなりおしゃべり好き。
かわいい愛弟子が離島に帰ってきたと知ったら、誰でもかまわずベラベラしゃべるだろう。それはよくない。自分は今から、完全犯罪をする。
師匠と会うのは、がまん、がまん……。
それにしても、タイプライターの嫌なところは、誤字脱字をしたら、また白紙から書き直さなければならないこと。
仕方なく、用紙をセットから取り出して、丸めてゴミ箱に捨てる。
ふと気がつけば、ゴミ箱は手紙で山盛りになっていた。
ああ、もう何枚も何枚も手紙を書いては失敗して、ゴミ箱に捨てている。
しかし、このゴミはここには残せない。そう、絶対に残せない。
犯罪の証拠となる痕跡を、絶対に残してはいけない。
指紋も、机や床に落ちた髪の毛さえもすべて。
うむ、あとでいつもどおり、ヴガッティ城の裏にあるマグマに持っていき、すべてを燃やそう。
完全なる犯罪をするために……。
さて、気を取り直してもう一度タイプライターを打ち込もう。
ピアニストのように、美しい音を響かせて……。
カタカタカタ、カタカタカタ、チーン!
マイラへ
おめでとう
もしも、この手紙を読んでいるのなら
事件はすべて解決したのだろう
この灰色な城が、緑色の森が、青い海が
守れてよかった
あなたは重要なパズルのピースで
探偵という役を演じているにすぎない
そして結婚して
これからは妻としての役を演じる
どう、ドラマチックな展開だろ?
ハーランド
さぁ、できた……。
タイプライターから紙を取り出して、真剣に見つめて推敲する。
推敲とは、小説をよりよい作品にするため、作り直していくこと。
小説か……なるほど。
さしずめこの手紙は、ミステリ小説の序章“プロローグ”にふさわしい。
高尚な古典文学としての、推理物語がいま、幕を開けようとしている。
よし、美しい、文章的に良さそうだ。
この手紙は、そうだな、机の抽斗の奥にしまっておこう。
うふふ、うふふふ……。
ん? この感情はなんだ? 胸が高鳴り、指先の震えが止まらない。
人が死ぬから、恐ろしい、そう思っているのか?
いや、それはない。
幼いころから、人を殺すことだけを考え、修行をし、心を鬼にしてきた。
じゃあ、この感情はなんだ?
ひとつだけわかることは、師匠と出会い絵を描くようになって、それから世界中を旅してからは、自分の心はとても変化している。
そうだな……この感情は、絵を描くのと似ている。
絵を見た人がどう思うか?
どんな反応をするか?
わくわくドキドキしている、その感情と似ている。
ああ、マイラはこの手紙を読んだとき、どんな気持ちになるのだろうか?
怒り、悔しさ、それとも虚無感?
いやむしろ、ありがとう、と感謝をするだろうか?
なぜなら、好きな人と結婚できるかも……しれないから。
いいなぁ……。
羨ましく思う。運命的な出会いをして、一目惚れして、どんどん好きになって、愛する人になって、そして結婚して子どもを産んで……ああ、素晴らしい未来へとつながる手紙を、マイラに届けてしまった。
レオと幸せになる未来が……。
ゆっくりと目を閉じる。
背が高くてかっこいい執事の後ろ姿が、瞼の裏に蘇った。
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