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凛と鈴音

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 我が子を産む事を決心していた私は、林おばあちゃんのご厚意に甘え家を借りた。
 だが、未成年の私では契約書を書く事が出来ずに、名目上は居候に近い。
 子供が産まれるまでは無償で貸してくれると言ってくれたおばあちゃんに感謝をして、雨水と風を凌げる宿を手に入れた私は、そこを拠点に仕事を探した。
 
 子供を産む、育てるにしてもお金は絶対に必要だ。
 年金とアパートの納金で暮らしているおばあちゃんに頼る程の図々しさは私には無い。
 自分で稼いだお金で、将来胸を張って貴方を産んだのよと子供に誇れるようにしたい。

 そう思って、なりふり構わずに仕事を探したけど、仕事探しは難航した。
 正社員なんておこがましい望みは無く、コンビニのバイトでもなんでもアルバイトを探したけど、身籠った人を雇うわけがなかった。
 おばあちゃんが更にご厚意でお金を貸してくれて、そのお金で履歴書を沢山買って、色々な所に面接に行き、16回目ぐらいでアルバイトで採用された。
 仕事内容はビル内の廊下やお手洗いの清掃員。
 お腹が膨らみ始めた体では鉛の様に重たい上に、同僚の人から未成年で身籠った私を嘲笑う者も居たし、沢山後ろ指をさされたけど、挫ける訳にはいかない。

 子供を産むって目標が出来たからと言って辛くない訳が無く。
 日に日に重くなる体でこなす仕事は重労働だった。
 幸いな事に、おばあちゃん曰く「一人で食事しても寂しいから。これはおいぼれの寂しさを助けると思って」と言って、疲れて帰って来た私を温かいご飯で出迎えてくれた。
 本当におばあちゃんには感謝しかない。もしおばあちゃんが居なかったら、私はお腹の子と一緒に野垂れ死んでいただろう。
 
 私はおばあちゃんの厚意に報いる為に、我が子を真っ当に育てる為に日夜働いた。
 日々の生活も質素で食材と日用品以外は買わず、服も安売りしていた服を何度も着まわして節約。
 おばあちゃんの知り合いって言う産婦人科の所に月1で通院していたけど……保険が無くて大打撃。
 
 私は重くなる体を支えながらに仕事をこなし、日々の節制の賜物で何とか出産費用と出産後の生活費を確保出来た。
 
 そして遂に来た陣痛。立つ事もままならない程の激痛に私は喚くけど、おばあちゃんがしっかりと私をフォローしてくれて、助産所に運ばれた私は長い痛みに耐えながら、必死に子を産もうと力む。
 ラマーズ法をするのも辛い。この激痛が永遠にも感じる程に長く、早く出て来てと願う。
 全国、いや、世界中の母親はこの痛みに耐えているのかと思うと感慨深い。
 数分、数時間……本当はあまり経ってないはずだけど、それぐらい長い体感時間を感じながら、遂に

「おぎゃー!おぎゃー!」

 生誕の産声で分娩室に響く。
 先ほどまで息をするのも辛い程の激痛は多少の余韻はあるが治まり、私は助産師の人が抱えているその新たな命を見て痛みで流していた涙とは違う、感涙を流す。

「ほらお母さん。貴方の子だよ。元気な女の子」

 布に包まれた我が子を渡され、私は緊張しながら優しく我が子を抱く。
 小さな吐息を吐きながらに確かに生きてる小さな命。
 それはシャボン玉のように軽く触れれば割れんばかりに儚く、そして尊くて愛おしい。
 私はこの安らかに微笑みながらに眠る我が子の顔を見て、長い妊娠期間の苦しみから解放された以上に強く想った言葉があった。

「産まれて来てくれて……ありがとう」

 母親として当たり前の言葉かもしれないけど、その言葉を言わずにはおけなくて、私は我が子を抱きながら喜びに涙した。

 そして産まれた子に私は『鈴音』と名前を付けた。
 私の『凛』って名前は、リンリンと鳴る風鈴が好きだったみたいで、当初は『りん』って名づけようとしたらしいけど、お父さんが『すず』と呼び間違えが何度かあったから『凛《りん》』って名前になったとか……。
 もしかしたら私が付けられるはずだった『鈴』って名前を付けたくて、私と呼び間違いが無いように『鈴音』と名付けた。
 
 鈴音は元気にスクスクと育ってくれた。
 子供の成長は早い。少し前まで寝返りもうてないと思ってたのが気づけばハイハイと部屋を徘徊する。
 一瞬でも目を離せば壁に激突したり、物を落したりしかねないからいつもハラハラする。
 夜泣きも子育てで一番の苦痛って言うけど、本当にそうで、まともに寝れない日もある。
 けど、私はこの子のお母さんなんだから頑張らないとって鈴音の笑顔で奮起した。

 鈴音を産み、身軽になった私は正社員を目指して仕事を探した。
 けど、中卒の私を入社させてくれる会社は無くて、結局はアルバイトを掛け持ってお金を稼いだ。
 けど、ずっとアルバイトって訳にはいかないから、学歴が無ければ資格で勝負するしかないと、空いた時間に私は資格取得を独学で勉強した。
 全ては鈴音を幸せに育てあげる為に。

「ねえ凛ちゃん。最近少し頑張り過ぎなんじゃない? ちょっとは体を休ませないと……」

 おばあちゃんは心配そうに仕事と資格取得に奮闘する私に言ってきたけど。

「大丈夫だよおばあちゃん。鈴音に美味しい物と良い洋服とか買ってあげたいし、お母さんなんだから頑張らないと」

 私の家の環境は決して良い物ではない。
 もしかしたら、同じ未成年でのシングルマザーの人よりかは良い環境なのかもしれないけど、やっぱり父親がいない家庭で鈴音はしっかり育ってくれるのか心配ではあった。
 だけど、それは杞憂で。鈴音は素直で優しい子に育ってくれた。
 おばあちゃんも私が仕事でいない間は鈴音を見てくれて、血の繋がりはないけど、鈴音は少しおばあちゃんっ子だ。
  
 鈴音は、少々お転婆でヤンチャな性格だけど、正義感が強くて、保育園で友達を虐めっこから助ける為に喧嘩したなんて電話が職場に来た時は肝が冷えた。
 勿論、どんな理由でも喧嘩は駄目だって叱ったけど鈴音は『ふんだ。みーちゃん(友達)をいじめてたあいつらが悪いんだ! あいつらがみーちゃんにあやまらないとすずねだってごめんなさいしないから!』と強情だった。
 頑固な性格は私似ってよりも、お爺ちゃんお父さん似なのかな。困ったけど何処となく嬉しかった。
 
 時が進むのは早くて、鈴音は小学生になって、小学校は共学だったけど、友達も多く作ってくれて。
 中学からは鈴音を私立の女子中に進学する事を勧めた。
 正直これは私の勝手な都合トラウマで。男子とはあまり接してあげたくなかった。勿論、教師も。
 中学生から子は性を感じるようになる。だから地元にあった男子教師が殆どいない女子中に進学してもらった。鈴音も何人かの友達がそこに進学するからと了承してくれたが、子供の進路を狭めて少し罪悪感があった。学費は私立って事で高かったけど、毎日鈴音が楽しそうで働くのは苦ではなかった。
 
 そこは高校も一貫としていたから高校も女子高で進学はスムーズにいった。
 成績も上位で運動神経も良くて、頭は兎も角運動音痴の私から産まれた子にしては優秀な子だった。
 自分で言って歯がゆいけど、鈴音は母親思いの良い子で、家事や洗濯、料理を全て手伝ってくれた。
 私はいつでも鈴音が独り立ちできるように、私が持つ家事スキルを全部叩き込んだ。
 って言っても、私が仕事で家にいない時があったから自然に身に付いたって方が近いかも。
 いつの間にか料理に関しては私以上になってたし……母親としての威厳が。

 とにかく鈴音が可愛かった。
 親として子を想う心に偽りが無く、私の生き甲斐は鈴音が幸せになってくれること。
 無事息災に育って行って、信頼できる人と恋愛して、結婚して、子供を産んで、幸せに過ごして欲しい。それが私の願い。

 だから鈴音には後悔して欲しくなくて、私の昔の後悔談を沢山した。
 世の中の男性が全員が紳士では無く、体目当ての人もいるし、人を騙す人もいる。
 だから鈴音には人をしっかり見なさいって何度も言った。
 だけど……鈴音が彼氏として連れて来たのは確かに一見優しそうな人だけど、私には直ぐに分かった。鈴音の彼氏から…………宮下先生と同じ臭いがした。恋は盲目で当時は気付かなかったけど、本性を表した時から初めて気づいた遊び人の臭い。

 鈴音に最初怒りを覚えた。
 昔から何度も言って来たのに、連れて来たのが年下の体目当ての男だったなんて……。
 けど、不思議では無かった。

 思春期に入り性を意識し始める中学から私は鈴音を極力男性と触れ合わせる事はしなかった。
 故に、鈴音は男性を知らない。誰が良い人で悪い人なんかの洞察力は言葉だけでは身に付かない。
 私は昔の事があったから身に付いたけど……男性と触れ合った事がない鈴音にはそれがなかった。
 
 私は大学生の彼氏と鈴音の交際を認めなかった。
 本気で鈴音を幸せにするつもりがなければ別れろって激昂した。
 すると彼氏は拗ねた様に出て行き、その後鈴音と彼氏は別れている。
 あれだけの事で別れるって事は、それだけの気持ちだったのだろう。

 当たり前だけど、鈴音も強く私に言って来た。あそこまで言わなくてもいいじゃないかと。
 その後に私と鈴音は口論になった。
 今までに親子喧嘩は何度かしたけど、その時の鈴音は何処か違っていた。
 私が彼氏との交際を認めなかったから……いや、違った。鈴音はずっと溜め込んでいた不満を私にぶつけてきた。

「後悔後悔って……。なら、その後悔の末に生まれた私ってなんなの!?」

 私はこれまでに鈴音に宮下先生との交際を後悔している事は話した事がある。
 目の前の物に目を眩んで本当に大切な物を見失った私が、娘に失敗して欲しくない為に。
 
「私の体には、お母さんが憎んでいるお父さんの血も半分流れている! お父さんの顔は知らないけど、私の何処かがお父さんに似ているんじゃないの!? なら、お父さんの面影と重なる私が憎いと心の中で思ってるんじゃないの!』

 私は一度も鈴音を憎んだ事はない。
 鈴音の父親である宮下先生の事は多少恨んでいるかもしれないけど、結局は騙された自分が悪いと思って割り切っていた……けど、鈴音にはそう伝わって無かったらしい。

 私もここで確かにそうだと初めて気が付く。
 鈴音を産んだ事に後悔は無い。
 だけど、その鈴音が産まれる過程である宮下先生との交際自体に後悔はしている。
 なら、元を辿った先生との交際を後悔しているって事は……鈴音の存在も否定しているって。

 私は鈴音に私と同じ過ちを犯して欲しくない。
 鈴音には私には出来なかった良い人と出会って幸せになって欲しい親心として反面教師として語っていたが……私は母親として当然の事をしてきたつもりだったけど、それは……自惚れだったんだ。

 ずっと溜め込んで来た鬱憤が爆発した鈴音はこの事が原因で出て行ってしまった。
 私はあまりの事で暫く硬直をして、我に戻った時に急いで追いかけたけど鈴音の姿は何処にもなかった。
 
 私は自分を強く恨んだ。
 自分勝手な価値観を娘に押し付け、自惚れに浸り、鈴音を深く傷つけていた事に気づかなかった最低な自分を殺したいほどに。

 鈴音は私にとって残された肉親。心配しない訳がない。
 家を飛び出した鈴音を私は夜が明けるまで探したけど、見つからなかった。
 
 この時には次の職場が決り、前の職場を退職していたから時間に余裕があった私は時間が許される限りに街中や鈴音と交流の合った人たちに連絡したけど、手掛かりは無かった。
 
 1週間以上探し回って見つからず、私は鈴音はこの街にはいないと予想した。
 この街にいなければ私が探せる場所には限界がある。
 だから私は最後の希望として、警察に捜索届を出す事にした。
 ……けど、

『捜索届を受理致します』

 私は警察署で鈴音の特徴を書類に書いて、手掛かりとして写真を提出した。
 受付の警察官は懇切丁寧に対応してくれて、捜索届は受理されたのだけど、受付の警察官は私に言う。

『確かに捜索届は受理されます。ですがお母さん。正直な話ですが、あまり期待されない方が宜しいかと思います』

『え、何故ですか……?』

 突然警察官から不安になる様な事を言われ私は困惑した。

『勿論、私たちも娘さんの捜索をするために、全国の警察署に情報共有を致します。ですが、行方不明者は毎日増え続け、年間には7万人を超える程の行方不明者が出ます』

『そんなに出るんですか……家出ですか?』

『違います。家出は勿論の事、高齢者による認知症での失踪。家庭に原因が無くの突然の失踪、誘拐ですね、など行方不明にも沢山の種類がございます』

『はぁ……』

『私たちも大変遺憾ながら、全ての行方不明者を捜索出来る様な事は出来ず、止む無くそれらに優先順位を付けているのです』

『優先順位って……』

『……認知症による失踪。又は家庭に何も原因が無くの突然の失踪などの事件性があるものを優先して捜索します……。ですが言葉ながらに申し上げにくいのですが、喧嘩による家出の場合は私たちの中では優先順位は低いと位置づけられます』

『それって警察としてどうなんですか!?』

『先ほども申し上げた通り。私たちも出来る事なら全てを捜索したい気持ちはあります。ですが、全ての所に手は届きません。ですから、命の危機がある誘拐などの方を優先して解決するしかないのです』

 最後の頼みとしての警察にさえ見放され、私は言葉が出なかった。
 
 警察の方も出来る限りに尽力するが、捜査は難航するだろうと言われ、私は警察署を後にした。



 そして警察署に捜索届を提出してから1週間経っての現在。
 捜査がされたかどうかは分からないけど、鈴音は発見に至ってない。
 私も仕事があって鈴音を探す事が出来ず、毎日鈴音が見つかる事をあのアパートに帰っている事を祈るしか出来なかった。
 本当は仕事を放って鈴音を探したい衝動に駆られるけど、一社会人として仕事中は仕事に集中、休みの日は一度おばあちゃんの所に帰って僅かでも情報を得る為に奔走した。
 そのおかげで新人の歓迎会に遅刻しそうになったけど、鈴音……貴方は今何処にいるの。

 ご飯はしっかり食べているのか。お風呂には入っているのか。
 もし誰かに泊めて貰っているのなら、その人に酷い事されていないのだろうか……日々心が削がれる。
 
 私は酔い潰れたこーちゃんを体で支えながらにこーちゃんの家へと歩く。
 結局タクシーは捕まらずに徒歩で連れて歩き、携帯のマップ機能を頼りにこーちゃんの家と思われるマンション前に到着。

「ふぅ……こーちゃん家に着いたよ……って、まだ寝てるし」

 どんだけ酒が弱いんだと思う程に酔い潰れたこーちゃんを私は玄関前まで運んだ。
 聞いた話だとこーちゃんは一人暮らしらしいから、家に帰っても誰もいないんだよね。
 こんな酔い潰れた状態じゃあ、まともに布団にも入らないかもね。
 風邪を引かれたら困るし、せめて布団に寝かせよう。

「こーちゃんの家の鍵は何処に……あった」

 私は家の鍵を取る為に懐を探り、家の鍵を取り出す。
 肩でこーちゃんを支えながらに鍵を開け、扉を開く。
 
「……あれ? 電気が点いている。こーちゃんったら、家の電気が点きっぱなしで外出したんだね……」

 昔からこーちゃんは部屋の電気を消し忘れがあったけど、大人になった今でも治ってないなんて……。
 と思った矢先だった。部屋の奥から足音が聞こえた。誰かいるのかな?

「もう! こーちゃん遅いですよ! 今日は新作のゲームを一緒にするって約束を――――――」

 部屋の奥から姿を現した人物と目が合い私は固まる。
 相手も私と目が合い、怒っていた顔が徐々に青ざめわなわなと震える。
 
「お………お母さん!?」

「鈴音!? 貴方、なんでこんな所に!?」

 私が必死に探し続けた鈴音むすめは……こーちゃんの家こんな所にいました。
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