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後編
恋愛とは。(ローデリヒ過去)
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「でも、殿下は陛下の唯一の子供。ゆくゆくはこのキルシュライト王国を担っていく事になるわ。これから先の危ないことから守る為にも、今が大事よ?」
ハイデマリーには自信しかなかった。彼女にとっての正論。当たり前の事を諭したまでの事。
余裕の面持ちでティーカップに口をつける。
対するべティーナは、のんびりとした口調でローデリヒに向けて言った。
「今日はダンスの先生がいらっしゃるわ。女の方だから後宮に来てもらっているの。もうすぐ来ると思うわ」
「でも……、母上」
ハイデマリーは今日も複雑に髪を結い上げていた。キラキラとした宝石を散りばめた髪飾りに、どこぞの夜会にでも行くのかという衣装。そんな見た目のハイデマリーと母親を一緒にしたくなくて、ローデリヒは渋った。ハイデマリーは唇を釣り上げてわざと仰々しく言葉を並べる。
「あら?殿下はダンスがお嫌なのですか?」
「…………行って参ります」
うるさい、という言葉は飲み込んだ。なぜそんな言い回しをするのか。
大体、ローデリヒがべティーナの傍を離れたくなかったのは、ハイデマリーがいるからなのに。
こういう所が嫌いなんだ、と負けず嫌いで沸点の低いローデリヒはムッとした顔をする。
だから聞き分けよく出て行ったフリをして、扉に耳をペタリとくっ付けた。ギリギリ中の人の声が届く距離。
「ハイデマリー様はアロイスの扱いがお上手ですねえ」
クスクス、とべティーナの笑い声が聞こえる。
母親を虐めようものなら乗り込んで行く気概でいたが、思っていたのと違っていた。
「……ああいうのは、わざと怒らせるのが一番だわ」
「アロイスはハイデマリー様に性格が似てますからねえ」
「……べティーナ。貴女、体の調子は良いのかしら?」
「あまり変わらないかもしれません」と、母親は良いとは言わなかった。時間を重ねる毎に段々と体が悪くなってきている。傍で見ているローデリヒには最初は些細で気付かなかった。しかし、前よりも起きている時間が短いかもしれない、そう思うと悪くなっているのが分かるくらいの変化。
「ハイデマリー様。アロイスの事ですけれど、私はどうしても産まれた時の事を思い出してしまうのです」
人の形をしていなかった、そう母親は言っていた。
まずローデリヒには人の形をしていなかったと言われて、どんな姿だったのか想像がつかない。物心ついた頃には人の形をしていたのだから。
「……確かにあれは痛ましかったけれど」
「本当に痛そうで、可哀想で……。ベッドじゃなくて、金属のトレイに乗せられた血塗れのあの子を見た時、涙が止まらなかったの。……ちゃんとした姿に産んであげられなくてごめんね、って」
感極まったのか、べティーナの声が震える。やけに生々しくて、ローデリヒは自分の指先が段々と冷えていく気がした。
「だから、アロイスを危ない目に合わせたくはないのです」
「べティーナ。貴女の気持ちは充分理解しているつもりよ。でも、殿下は一人しかいないの。他の側室に子供が産まれればいいのだけど、その様子は全くないわ」
「王族ならば、ヴォイルシュ公爵家のエーレンフリート様が先祖返りなのですよね?エーレンフリート様でもいいのではないの?」
「貴女も知っているでしょう?エーレンフリートは魔力が多すぎて、体を悪くしているって。魔力は先祖返りでも、血は薄れているのよ」
親戚だが、あまり会ったことのなかったエーレンフリートの名前まで出てくる。次いで、ゲルストナー公爵の事が話題に上ったが、現時点ですぐに子供が産まれる可能性はないだろうとハイデマリーが否定をした。
「アロイスが目の前で血を吐いた時、またこの子を失ってしまうのかって怖くなったのです。ディートヘルム様には申し訳ないけれど、他の側室様との子供を次の王に付けて欲しいわ」
「べティーナ……貴女」
ハイデマリーの声が険しいものに変わる。
「貴女、陛下の事が好きではなかったの?あれほど、陛下を愛しているというお芝居のような台詞を吐いて、陛下の側室になったのでしょう?!」
「ええ。好きです。今でも好き。……でもね?好きな人が他の女の人の所にも行くのって、辛くて辛くて仕方なくて、段々と好きっていう気持ちが穏やかになっていったの」
声を荒らげたハイデマリー。べティーナは落ち着いたペースを崩すことなく続ける。
「穏やか……とは違うかもしれません。段々と麻痺してしまったわ。一々嫉妬する自分にも、疲れてしまった。私は疲れてしまったんです」
「…………分からないわ。その感情が。陛下の寵愛は貴女の元にあるというのに?」
「ハイデマリー様。恋愛と寵愛は違うのです。私にはもう、ずっと前からアロイスしかいない。だから、アロイスが居なくなってしまったら、私は生きていけない。アロイスが特別でなくてもいいの」
べティーナの言葉は思っていた以上に重かった。母の為に今で頑張って来たことは、本当に母の為だったのだろうか。
「貴女が殿下を可愛がっているのは分かっているわ」
「元々陛下には私の子供が王位に着くことは難しいだろう、と言われていたんです。だから、何も問題はないじゃないですか」
「それは産まれる子が虚弱体質だと言われたからよ。でも、殿下は元気だわ」
「何かの拍子に急に倒れるかもしれないです」
ハイデマリーは深々と溜め息をついた。過保護すぎだわ、と呆れた声音で説得を諦めたようだった。
「ローデリヒ殿下、どうされたんですか?」
すぐ側で呼び掛けられてローデリヒの肩がはねる。いつの間にか近くに侍女がいたらしい。慌てて侍女の袖を掴んで、引っ張る。その場からやや遠くまで離れて、ローデリヒは焦りながら侍女に声を掛けた。
「な、何?」
「あ……、あのダンスの講師の方が来られたのでご報告に参りました」
「ああ……。ありがとう」
そういえば母親が言っていた、とローデリヒはぼんやり思い出す。
「盗み聞きしてたことは内緒にしてて!」
侍女の袖を掴んだままお願いをする。ローデリヒの勢いに押された侍女は、黙っている事を承諾した。
これでバレてハイデマリーに嫌味を言われなくて済む。
意外にも母がハイデマリーに虐められている訳ではなかったようだった。
だが、いつも変なことを言っているのだと思っていた言葉が、やけに現実味を帯びていた。ハイデマリーも当たり前のように受け止めている。
「あれって、本当にあった事なのかな……」
ローデリヒは侍女について行きながら、ポツリと呟いた。
ーーーーーーーーーーーーー
ーーーーーーーー
「恋愛っていい事なの?」
「えっ?!」
訓練の休憩中。汗を拭いながら、何気なしに近衛騎士団長に聞く。先程団長から、意識が訓練に向いていないと言われたばかりだった。
大柄な三十代半ばの近衛騎士団長は、逞しい筋肉に流れる汗もそのままにローデリヒに詰め寄る。
「ローデリヒ殿下……。好きな子でも出来たんですか?!」
「違うけど……。恋愛って何なのかな?って思ったから」
「恋愛とは……うーん、異性を好きになる事ですかね……。良いことだと思いますよ」
「疲れるのに?」
ローデリヒの問いにちょっと目を見張った近衛騎士団長は、眉を下げた。考え込むように顎に手を当てる。
「それは、恋愛の終わりでは?」
ハイデマリーには自信しかなかった。彼女にとっての正論。当たり前の事を諭したまでの事。
余裕の面持ちでティーカップに口をつける。
対するべティーナは、のんびりとした口調でローデリヒに向けて言った。
「今日はダンスの先生がいらっしゃるわ。女の方だから後宮に来てもらっているの。もうすぐ来ると思うわ」
「でも……、母上」
ハイデマリーは今日も複雑に髪を結い上げていた。キラキラとした宝石を散りばめた髪飾りに、どこぞの夜会にでも行くのかという衣装。そんな見た目のハイデマリーと母親を一緒にしたくなくて、ローデリヒは渋った。ハイデマリーは唇を釣り上げてわざと仰々しく言葉を並べる。
「あら?殿下はダンスがお嫌なのですか?」
「…………行って参ります」
うるさい、という言葉は飲み込んだ。なぜそんな言い回しをするのか。
大体、ローデリヒがべティーナの傍を離れたくなかったのは、ハイデマリーがいるからなのに。
こういう所が嫌いなんだ、と負けず嫌いで沸点の低いローデリヒはムッとした顔をする。
だから聞き分けよく出て行ったフリをして、扉に耳をペタリとくっ付けた。ギリギリ中の人の声が届く距離。
「ハイデマリー様はアロイスの扱いがお上手ですねえ」
クスクス、とべティーナの笑い声が聞こえる。
母親を虐めようものなら乗り込んで行く気概でいたが、思っていたのと違っていた。
「……ああいうのは、わざと怒らせるのが一番だわ」
「アロイスはハイデマリー様に性格が似てますからねえ」
「……べティーナ。貴女、体の調子は良いのかしら?」
「あまり変わらないかもしれません」と、母親は良いとは言わなかった。時間を重ねる毎に段々と体が悪くなってきている。傍で見ているローデリヒには最初は些細で気付かなかった。しかし、前よりも起きている時間が短いかもしれない、そう思うと悪くなっているのが分かるくらいの変化。
「ハイデマリー様。アロイスの事ですけれど、私はどうしても産まれた時の事を思い出してしまうのです」
人の形をしていなかった、そう母親は言っていた。
まずローデリヒには人の形をしていなかったと言われて、どんな姿だったのか想像がつかない。物心ついた頃には人の形をしていたのだから。
「……確かにあれは痛ましかったけれど」
「本当に痛そうで、可哀想で……。ベッドじゃなくて、金属のトレイに乗せられた血塗れのあの子を見た時、涙が止まらなかったの。……ちゃんとした姿に産んであげられなくてごめんね、って」
感極まったのか、べティーナの声が震える。やけに生々しくて、ローデリヒは自分の指先が段々と冷えていく気がした。
「だから、アロイスを危ない目に合わせたくはないのです」
「べティーナ。貴女の気持ちは充分理解しているつもりよ。でも、殿下は一人しかいないの。他の側室に子供が産まれればいいのだけど、その様子は全くないわ」
「王族ならば、ヴォイルシュ公爵家のエーレンフリート様が先祖返りなのですよね?エーレンフリート様でもいいのではないの?」
「貴女も知っているでしょう?エーレンフリートは魔力が多すぎて、体を悪くしているって。魔力は先祖返りでも、血は薄れているのよ」
親戚だが、あまり会ったことのなかったエーレンフリートの名前まで出てくる。次いで、ゲルストナー公爵の事が話題に上ったが、現時点ですぐに子供が産まれる可能性はないだろうとハイデマリーが否定をした。
「アロイスが目の前で血を吐いた時、またこの子を失ってしまうのかって怖くなったのです。ディートヘルム様には申し訳ないけれど、他の側室様との子供を次の王に付けて欲しいわ」
「べティーナ……貴女」
ハイデマリーの声が険しいものに変わる。
「貴女、陛下の事が好きではなかったの?あれほど、陛下を愛しているというお芝居のような台詞を吐いて、陛下の側室になったのでしょう?!」
「ええ。好きです。今でも好き。……でもね?好きな人が他の女の人の所にも行くのって、辛くて辛くて仕方なくて、段々と好きっていう気持ちが穏やかになっていったの」
声を荒らげたハイデマリー。べティーナは落ち着いたペースを崩すことなく続ける。
「穏やか……とは違うかもしれません。段々と麻痺してしまったわ。一々嫉妬する自分にも、疲れてしまった。私は疲れてしまったんです」
「…………分からないわ。その感情が。陛下の寵愛は貴女の元にあるというのに?」
「ハイデマリー様。恋愛と寵愛は違うのです。私にはもう、ずっと前からアロイスしかいない。だから、アロイスが居なくなってしまったら、私は生きていけない。アロイスが特別でなくてもいいの」
べティーナの言葉は思っていた以上に重かった。母の為に今で頑張って来たことは、本当に母の為だったのだろうか。
「貴女が殿下を可愛がっているのは分かっているわ」
「元々陛下には私の子供が王位に着くことは難しいだろう、と言われていたんです。だから、何も問題はないじゃないですか」
「それは産まれる子が虚弱体質だと言われたからよ。でも、殿下は元気だわ」
「何かの拍子に急に倒れるかもしれないです」
ハイデマリーは深々と溜め息をついた。過保護すぎだわ、と呆れた声音で説得を諦めたようだった。
「ローデリヒ殿下、どうされたんですか?」
すぐ側で呼び掛けられてローデリヒの肩がはねる。いつの間にか近くに侍女がいたらしい。慌てて侍女の袖を掴んで、引っ張る。その場からやや遠くまで離れて、ローデリヒは焦りながら侍女に声を掛けた。
「な、何?」
「あ……、あのダンスの講師の方が来られたのでご報告に参りました」
「ああ……。ありがとう」
そういえば母親が言っていた、とローデリヒはぼんやり思い出す。
「盗み聞きしてたことは内緒にしてて!」
侍女の袖を掴んだままお願いをする。ローデリヒの勢いに押された侍女は、黙っている事を承諾した。
これでバレてハイデマリーに嫌味を言われなくて済む。
意外にも母がハイデマリーに虐められている訳ではなかったようだった。
だが、いつも変なことを言っているのだと思っていた言葉が、やけに現実味を帯びていた。ハイデマリーも当たり前のように受け止めている。
「あれって、本当にあった事なのかな……」
ローデリヒは侍女について行きながら、ポツリと呟いた。
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「恋愛っていい事なの?」
「えっ?!」
訓練の休憩中。汗を拭いながら、何気なしに近衛騎士団長に聞く。先程団長から、意識が訓練に向いていないと言われたばかりだった。
大柄な三十代半ばの近衛騎士団長は、逞しい筋肉に流れる汗もそのままにローデリヒに詰め寄る。
「ローデリヒ殿下……。好きな子でも出来たんですか?!」
「違うけど……。恋愛って何なのかな?って思ったから」
「恋愛とは……うーん、異性を好きになる事ですかね……。良いことだと思いますよ」
「疲れるのに?」
ローデリヒの問いにちょっと目を見張った近衛騎士団長は、眉を下げた。考え込むように顎に手を当てる。
「それは、恋愛の終わりでは?」
応援ありがとうございます!
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