あなたへの愛は時を超えて

cyaru

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最愛を失った男③

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玄関扉の向こうから聞こえる話声に気が付いたディッドは勢いよく扉を開けた。
そこにはコレットが夜明け前に勤めていた魚市場の支配人が立っていた。
昨日も、今日も出勤しなかった事に病気だろうかと心配で来たのだと言う。

「あの娘、出て行っちゃったのよ」

兄嫁の吐き捨てるような言葉に、魚市場の支配人は胸ポケットから財布を取り出した。数枚の札を数えディッドに手渡すが、向けられた視線と言葉は今のディッドには致命傷になり得るくらい鋭かった。

「いつかはこうなると思っていたよ。働き者でどんなに辛くても笑顔を絶やさない子だったのに。どうして大事にしてやれないのに結婚なんかしたのかね。端数は切り上げてるよ。どうせあんたたちが使っちまうんだろうがな」

ディッドは言い返せなかった。握らされた札が手のひらに食い込む。
少し遅れて、仕立て屋の女将が数人やって来た。

びしょ濡れの包みのままで残っていた仕立物を無言で広げ、縫製を指でなぞると金貨を1枚ディッドのポケットに捩じ込んだ。睨みつける目は魚市場の支配人と同じくディッドを非難するものだった。

女将の1人は怒りを含んだ声をディッドに掛けた。
その女将は、コレットが住み込みで働いていた仕立て屋を切り盛りする女主人。幼い頃からコレットに裁縫を教え、文字を教え、算術を教えてゆくゆくは店を任せようかとさえ考えていた。

しかし、手慰み程度の仕事にしなければ、明かりの点いていない家にディッドが帰宅せねばならなくなるからと惚気を交えてコレットは固辞したのだ。以降は金になる仕事を持ち帰りでコレットは担当するようになった。

内職でなんとかヒモの4人を養えたのはそのような事情もあったのだ。

「あんたが所属するならウチは第三騎士団から手を引かせてもらうからね。ハッキリ言って大損害だよ。あんたと結婚さえしなければあの子は店を持てるくらいの腕前だったのに。あの子は何も言わないし他人様の家の事だから誰も言わなかったけどね、アンタも、アンタの家族も最低の最悪だよ」

「待ってください」

「なんだい。金貨1枚じゃ足らないって?」
「本当に守銭奴を親に持てば息子もだね。いいよウチが出す」
「なら、ウチも出させてもらうよ。コリーとこいつらが縁切りになるなら安いもんさね」


店の使用人がディッドがコレットに絡み、コレットが頬を張る場面までを目撃しており女将に話さねばと大雨の中走り出し、大きな落雷の音に振り返ると、馬車道にディッドが手を伸ばしていた。
いい加減雨で視界の悪い馬車道に人を突き飛ばせばどうなるか。使用人は女将に報告をしたのだった。

数人の女将は我先にと金貨を取り出し、ディッドのポケットに捩じ込んでいく。

「違うんですっ。俺は…コレットを――」
「寝言は聞きたくないね。騎士の兄ちゃん。寝言ってのは寝て言うから寝言って言うんだ。今更コリーの名を口にするんじゃないよ。兎に角、ウチもアンタが在籍する団からの仕事は今後はお断り。さ、帰ろうか。コリーを探さないとね」


ガックリと項垂れ、膝から崩れ落ちたディッドに一瞥もくれず女将たちが立ち去った後、ディッドの両親と兄夫婦はもういいだろう?とばかりに家の中に入ろうとした。

「入るな…消えろ」

部屋に入ろうと踏み込んだ父親をディッドは手を伸ばして制止した。

「何を言ってるんだ。こっちはもう昨日からまともなものは食べていないし、こんな所で一夜を明かしたんだぞ?もっと親を敬え」

「入るなと言ってる。聞こえないのか」

「ディ、ディッド君?でもほら、着替えもしなくちゃいけないでしょう?」

怯え乍らディッドに話し掛ける兄嫁の後ろで、つまらなさそうな顔をする母親が見える。ディッドはギリっと奥歯を噛み締めると部屋の中にある彼らの荷物を手当たり次第に掴み、部屋の外に投げ捨てた。

「何をするの!!」

悲鳴にも近い声をあげた母親と兄嫁だったが、ディッドはクローゼットからも引き千切るように彼らの衣類を抱きかかえると外に投げ捨てた。
引き出しの中身も取り出しはしない。引き出しごと投げ捨てると餌に群がるサルのように母親と兄嫁が散らばった宝飾品を拾い集めだした。

自分たちの持ち物は何一つ売ろうともせずに、ただ寄生しただけの彼らをもう家族とは思えなかった。伽藍洞になった部屋に残ったのはシーツのない寝台と兄夫婦の寝汗で染みだらけになったソファーベッドだけだった。



その夜も次の日もコレットがディッドの元に戻る事はなかった。

――俺も同罪だ…結局コレットを人身御供に差し出したのは俺だ――

ディッドは一人きり、部屋の中で声をあげて泣いた。

無断欠勤の続いたディッドは飲まず食わずで足の長さの不揃いな椅子に腰かけ、竈を撫で、虚ろな目に何も映さずコレットの名前だけを呟いているのを同僚に保護された。

生きる気力を失ったディッドは気が触れたとされ、退団扱いとなり教会に保護された。
しかし、目を離すとコレットが消えたあの馬車道の縁石に腰掛け、暑い日も雨の日も座っているのを発見されることが続いた。


「ディッドさん」

名を呼ばれ顔をあげれば、コレットとの結婚式で立会人となってくれた行商人の男がいた。

大雨の日に落雷と共に消えた妻を待つ男として噂にもなっていたディッドは行商人の男にしがみついた。もしかすればやり直せるかもしれない。彼にまた立会人となって貰えればコレットが戻って来るかも知れない。
ディッドの思考は支離滅裂だったが、僅かな希望が見えた気がした。

行商人の男の腕を引き、結婚式を挙げた教会にディッドは向かった。

教会の扉を開ければ、コレットが祭壇で微笑んで振り返ってくれる気がしたのだ。
しかし、当然コレットがいる筈はない。

行商人の男はディッドの肩を叩き、茫然自失となったディッドをチャーチベンチに座らせた。

「詳しい事は解りませんが、あの日の貴方がたは幸せそうだった。実は私は隣国で刑期を終えて出所し…食うに困って詐欺をしようとこの国に来たのですが、貴方がたを見て誠実であろうと心を入れ替えました。今はもう犯罪を犯そうなんて思いません。飢えてもそれは試練だと思えるようになったんです。飢えを乗り越えたその先にあの日の貴方がたの笑顔があるような気がしたんですよ」

「乗り越えた先に…俺たちの…すみません…すみっ…せんっ」

「いいえ。今回この国を訪れたのは先月、こうやって行商をして得た金で昔迷惑をかけた方に初めて謝罪の言葉と損害金を受け取って貰えたんです。全額には程遠いんですけどね、それまで会う事も拒否されてましてね。あ、これを差し上げます」

そう言って差し出してきたのは「欅の種」だった。

「発芽させて苗になった物は店で売られてますが、私はその苗にする為の種をこうやって行商してるんです。他人様を騙して大事な山林を伐採し木材を売り捌いてしまいましたので贖罪というところでしょうか。でね?欅は1000年は育つと言われておりまして、薔薇なんかにある花言葉って言うんですかね。欅は健康や幸せという花言葉があるそうなんです。奥様が健康でいられるよう、離れても幸せでいられるように育ててみてはと思いまして」


手渡された歪な形の小指の爪ほどの大きさの種をディッドは握りしめて泣いた。

教会に世話になりながら庭の剪定を行い、種を植えた翌年数本の発芽があった苗を間隔を置いて植え替え、ディッドはコレットを思い乍ら世話をした。

ディッドが67歳で亡くなる頃には10mを越し、数本は教会の修復に使用した。

「コレットの幸せ」と書かれた立札のある欅の木の側に亡くなる間際、欅の側に埋葬して欲しいと願ったディッドの亡骸は遺言通りに埋葬された。


ディッドが亡くなり270年後、ベルトニール帝国が攻め入りベラン王国の名は過去のものとなった。その後、200年ほど修復されながら使用した教会も廃墟となり、取り壊しが決定した時、当時の皇帝はあまりにも見事な欅の木は残すように指示を出した。

ディッドが亡くなって872年。今も整備された公園の中央に堂々と欅の木は根を張っている。
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