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二章 旅立ちの日
25.ベンゼン亭
しおりを挟むお酒を飲むと気が大きくなるとは言うけれど、他人様に迷惑はかけちゃあだめだろう。
手をぱんぱんと払い、呆然とする女をチラリと見る。
「あ、ありがとうございました。お強いのですね」
「いえいえ、先程も言いましたが、酔っ払いよりは強いというだけです。ところで先程の方はお知り合いですか?」
「いえ、二、三日前からうちの店に来る方で……」
「お知り合いというより顔見知り、といった所ですか」
「はい」
「お店、とおっしゃいましたが……」
「え? あぁはい。私この宿屋で働いてるんです」
と、女は僕が入ろうとしていた宿屋の看板を指さして微笑んだ。
「ベンゼン亭、ですか」
「はい。食堂兼宿屋のベンゼン亭です」
「僕、ここに入ろうかと思ってたんですよ。そしたら揉めている声が聞こえて、今に至るというわけです」
「そうだったんですね、えと、良ければお泊まりになられますか?」
「そのつもりでしたのでぜひ」
「分かりました! ではどうぞ! あ! 申し遅れました! 私リンネと言います!」
「初めまして、ガイアスと申します」
お互いに自己紹介を終えると、リンネはベンゼン亭の扉を開けた。
カランコロンとドアベルの音が鳴り、リンネの後に続いて店内へ入った。
「おひとり様ごあんなーい!」
リンネの明るい声が響き、奥からスキンヘッドのおっちゃんがのっそりと出てきた。
「いらっしゃい」
店内は奥にカウンターがあり、丸テーブルが五卓。
カウンターでは、スキンヘッドのおっちゃんが僕を出迎えてくれた。
ん? このおっちゃん、どこか見た事があるような気がするんだが……気のせいだろう。
僕が見た事あるといえば王宮の人間か、イオの村の方々だけだ。
他人の空似、というやつだろう。
「こんな時間にすみません。食堂も兼ねておられると聞いたのですが……食事は……まだ出来ますか?」
「あぁ、構わんですよ。何にします?」
「良かった! ではそうですね……」
おっちゃんから手渡されたメニューを見て僕は思案する。
せっかくテルルに来たのだから、名物の魚料理を堪能しておきたい所だ。
がしかし、肉も食べたい心持ち。
野菜も取らなければ身体によろしくない。
ならば全部食べればいいじゃない! ということで。
「ウンモールフィッシュの塩胡椒焼き二つと、ツノイノシシの照り焼き一つ、ハーブソーセージ三本とテルルガーデンサラダ一つお願いします。ドレッシングはオニオンで、あとエールも下さい」
「はいよ。ちょっと待っててくださいね」
おっちゃんは注文を取ると、すぐに調理を始めてくれた。
注文を取ったのに調理し始めない食堂なんて、あってたまるかという感じだけれども。
「ガイアスさん、エールお待たせしました!」
「ありがとうございます、リンネさん」
リンネが配膳してくれたエールのグラスはよく冷えており、グラスの縁から弾ける泡が耳に心地良い。
「いただきます」
グラスをしっかりと持ち、一口目をグビリと喉に流し込む。
エールの炭酸が喉を刺激して、思わず咽せそうになるのを我慢して液体を飲み込む。
ほろ苦い甘さとフルーティーさが合わさって、とても良い感じだ。
実は初めて飲む種類のお酒だったのだけど、案外好みかもしれない。
「ぷはっ! おいしい!」
「良かったです! このエールはテルルで醸造している名物酒なんですよ! そういえばガイアスさんは……旅の方ですよね? テルルには観光に?」
「そうですね。きままにのんびり一人で旅をしています。テルルに来たのは観光と言うより、道の先にテルルがあったから立ち寄った。と言う方が正しいかもしれません」
「そうなんですね」
「ですがテルルの大河と、魚料理は素晴らしいと聞いていたので観光もしていくつもりですよ」
「大河、ですか……」
僕の言葉を聞くと、リンネは途端に表情を曇らせた。
眉根をキュッと寄せ、俯くリンネはとても悲しそうだった。
「どうか……したんですか?」
「その、シュティレ大河の事なのですが……」
「テルルの代名詞たるシュティレ大河、一体どんな場所なのか今からとても楽しみなんですよ」
「うぅ……その」
「何しろ水深も川らしからぬ深さ、独自の生態系を持つ超流ともいえる神秘な場所ですからね」
「そんなに、良い所ではない、ですよ」
「そうなのですか?」
しまった、楽しみな気持ちを全面に出し過ぎて、リンネの悲しそうな表情に突っ込むのが遅れてしまった。
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