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第一章
第一話
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光夜は両国広小路の隅に座って頬杖を突きながら人混みに目を遣っていた。
皆、光夜には目もくれずに通り過ぎていく。
よれよれの着物を着た子供など珍しくないからだ。
光夜の方も見返りもなしに手を差し伸べてくれる大人がいるとは思ってないし、飯の種になりそうにない人間に用はないから気にも止めてなかった。
ねぇなぁ……。
喧嘩が起きたら止めに入って助けた奴に取り入り、用心棒にでも雇ってもらおうと思っていた。
しかし、さっきから揉め事を起こしているのは破落戸や若い職人など、金を持ってなさそうな連中ばかりで雇ってくれそうなのはいない。
光夜の腹が情けない音を出して鳴った。
仕方ねぇ……。
大道芸人と喧嘩を始めた破落戸を横目で見ながら立ち上がった。
大道芸人も金は持ってないだろうが助けてやれば飯くらい奢ってくれるかもしれない。
そちらへ向かって歩き出そうとした時、目の前を若侍が通り過ぎた。
こいつ、女だ。
十五、六歳だろう。
腰まである長い髪を後頭部の高い位置で一纏めにし、白に近い薄紅色の地に紺色の柄の小袖、藍色の袴を穿いている。
身のこなしは正に武士のそれだし腰に両刀を帯びているが間違いなく女だった。
しかも遣える……。
女は大道芸人と破落戸の間に入ると刀を抜くこともなく、あっという間に三人の破落戸を倒してしまった。
大道芸人は盛んに頭を下げながら懐から財布を出した。
女は手を振って断ると両国橋の方へ歩き出した。
しまった!
女に気を取られて喧嘩の仲裁に入るのを忘れた!
でも……。
光夜は釣られるようにして女の後を付け始めた。
女はどこへ向かっているのか道から徐々に人気が無くなっていく。
完全に人気が途絶えた火除け地――広い空き地に入ると女は立ち止まった。
「そろそろ出てきてはどうか」
女が低い声で言った。
やはり気付いてたか……。
光夜がそのまま様子を窺っていると、男達が飛び出してきた。
さっき女が倒した破落戸とその仲間らしき牢人風――というか間違いなく牢人だろう――の男達だ。
牢人達は色褪せた着物に刀を落とし差しにしていた。
「さっきはよくもやってくれたな。礼はさせてもらうぜ」
破落戸の一人が言った。
……五、六、七。
破落戸三人を入れて全部で七人か。
「そこもとは?」
女が光夜の隠れている方に顔を向けた。
バレれてた!?
自分は気付かれていない自信があっただけに驚いた。
光夜が塀の陰から出る。
「俺はそいつらの仲間じゃねぇよ」
「私に何用か」
女が両手を垂らしたまま訊ねた。
牢人達は鯉口を切っているのに女は柄に手を掛けてすらいない。
大丈夫なのかよ……。
助っ人が来る様子はない。
女がそれなりに遣えるとしても七人を相手に勝てるのか……。
「てめぇ、無視してんじゃねぇ!」
破落戸達が後ろに下がり四人の牢人が一斉に女に斬り掛かった。
女の背後にいた男が真っ先に駆け寄って刀を振り下ろす。
次の瞬間、背後の男が喉から大量の血を吹いていた。
女が振り向きざま抜刀して喉を斬り裂いたのだ。
それを見た両脇の男達の動きが一瞬止まった。
女が背を向けた男が刀を突き出す。
女は男に向き直るように身体を反転して刀を避け、その勢いのまま刀を横薙ぎにする。
更に向きを変えて別の男と相対する。
男が刀を振り下ろした。
女が左足を引き体を開いて避ける。
女は刀を横に払って男の脇腹を割いた。
「ーーーーー!」
牢人が脇腹から臓物を溢れさせながら倒れる。
最後の牢人が袈裟に振り下ろした。
間に合わねぇ!
光夜は咄嗟に小柄を投げた。
だがその時にはもう牢人は腹を刺されて倒れていた。
全て一瞬の出来事だった。
女は残心の構えのまま倒れている牢人達に近付いていき、未だ息がある牢人達に止めを刺して回る。
躊躇いが無い。
斬ったのは初めてじゃねぇな……。
破落戸達の姿は消えていた。
女は懐から取り出した懐紙で刀に付いた血を丁寧に拭ってから鞘に収めた。
「取り敢えず、ここを離れよう」
女は光夜に声を掛けると背を向けて歩き出した。
「良いのかよ、俺に背を向けて。あんたのこと斬るかもしれないぜ」
「斬られぬ自信がある故」
女は不敵な笑みを浮かべて振り返った。
確かに後ろから不意打ちしても勝てそうにねぇ……。
光夜は女の後に随いて歩き出した。
どうやら女は破落戸共と戦うためにわざと寂しい場所へ行っただけらしく、すぐに人通りのある道に戻った。
「一応、有難うって言っておくわね。名前は? 私は桜井花月」
花月は女らしい柔らかい笑みを浮かべて言った。
言葉遣いが変わった?
声音も普通の女の声で特に低くはない。
光夜が怪訝な顔をすると、
「女だって分かってるんでしょ」
気付いてることもバレていたようだ。
整った顔立ちだが頬の柔らかな曲線が優しげな印象を与えていた。
女の格好をすれば誰もが振り返るだろうに。
「俺は菊市光夜」
花月が更に何か言おうとしたとき光夜の腹が鳴った。
「じゃ、お礼に御馳走するわね。そこで良い?」
花月は微笑って蕎麦の屋台に目を遣った。
「礼って?」
「小柄、投げてくれたでしょ」
牢人達と戦いながらそんなところまで見ていたのか。
投げた時には倒していたのだから礼の必要などないだろうに。
だが光夜にそれを断れるだけの余裕はなかった。
花月は光夜の返事を待たず道端の屋台に向かう。
皆、光夜には目もくれずに通り過ぎていく。
よれよれの着物を着た子供など珍しくないからだ。
光夜の方も見返りもなしに手を差し伸べてくれる大人がいるとは思ってないし、飯の種になりそうにない人間に用はないから気にも止めてなかった。
ねぇなぁ……。
喧嘩が起きたら止めに入って助けた奴に取り入り、用心棒にでも雇ってもらおうと思っていた。
しかし、さっきから揉め事を起こしているのは破落戸や若い職人など、金を持ってなさそうな連中ばかりで雇ってくれそうなのはいない。
光夜の腹が情けない音を出して鳴った。
仕方ねぇ……。
大道芸人と喧嘩を始めた破落戸を横目で見ながら立ち上がった。
大道芸人も金は持ってないだろうが助けてやれば飯くらい奢ってくれるかもしれない。
そちらへ向かって歩き出そうとした時、目の前を若侍が通り過ぎた。
こいつ、女だ。
十五、六歳だろう。
腰まである長い髪を後頭部の高い位置で一纏めにし、白に近い薄紅色の地に紺色の柄の小袖、藍色の袴を穿いている。
身のこなしは正に武士のそれだし腰に両刀を帯びているが間違いなく女だった。
しかも遣える……。
女は大道芸人と破落戸の間に入ると刀を抜くこともなく、あっという間に三人の破落戸を倒してしまった。
大道芸人は盛んに頭を下げながら懐から財布を出した。
女は手を振って断ると両国橋の方へ歩き出した。
しまった!
女に気を取られて喧嘩の仲裁に入るのを忘れた!
でも……。
光夜は釣られるようにして女の後を付け始めた。
女はどこへ向かっているのか道から徐々に人気が無くなっていく。
完全に人気が途絶えた火除け地――広い空き地に入ると女は立ち止まった。
「そろそろ出てきてはどうか」
女が低い声で言った。
やはり気付いてたか……。
光夜がそのまま様子を窺っていると、男達が飛び出してきた。
さっき女が倒した破落戸とその仲間らしき牢人風――というか間違いなく牢人だろう――の男達だ。
牢人達は色褪せた着物に刀を落とし差しにしていた。
「さっきはよくもやってくれたな。礼はさせてもらうぜ」
破落戸の一人が言った。
……五、六、七。
破落戸三人を入れて全部で七人か。
「そこもとは?」
女が光夜の隠れている方に顔を向けた。
バレれてた!?
自分は気付かれていない自信があっただけに驚いた。
光夜が塀の陰から出る。
「俺はそいつらの仲間じゃねぇよ」
「私に何用か」
女が両手を垂らしたまま訊ねた。
牢人達は鯉口を切っているのに女は柄に手を掛けてすらいない。
大丈夫なのかよ……。
助っ人が来る様子はない。
女がそれなりに遣えるとしても七人を相手に勝てるのか……。
「てめぇ、無視してんじゃねぇ!」
破落戸達が後ろに下がり四人の牢人が一斉に女に斬り掛かった。
女の背後にいた男が真っ先に駆け寄って刀を振り下ろす。
次の瞬間、背後の男が喉から大量の血を吹いていた。
女が振り向きざま抜刀して喉を斬り裂いたのだ。
それを見た両脇の男達の動きが一瞬止まった。
女が背を向けた男が刀を突き出す。
女は男に向き直るように身体を反転して刀を避け、その勢いのまま刀を横薙ぎにする。
更に向きを変えて別の男と相対する。
男が刀を振り下ろした。
女が左足を引き体を開いて避ける。
女は刀を横に払って男の脇腹を割いた。
「ーーーーー!」
牢人が脇腹から臓物を溢れさせながら倒れる。
最後の牢人が袈裟に振り下ろした。
間に合わねぇ!
光夜は咄嗟に小柄を投げた。
だがその時にはもう牢人は腹を刺されて倒れていた。
全て一瞬の出来事だった。
女は残心の構えのまま倒れている牢人達に近付いていき、未だ息がある牢人達に止めを刺して回る。
躊躇いが無い。
斬ったのは初めてじゃねぇな……。
破落戸達の姿は消えていた。
女は懐から取り出した懐紙で刀に付いた血を丁寧に拭ってから鞘に収めた。
「取り敢えず、ここを離れよう」
女は光夜に声を掛けると背を向けて歩き出した。
「良いのかよ、俺に背を向けて。あんたのこと斬るかもしれないぜ」
「斬られぬ自信がある故」
女は不敵な笑みを浮かべて振り返った。
確かに後ろから不意打ちしても勝てそうにねぇ……。
光夜は女の後に随いて歩き出した。
どうやら女は破落戸共と戦うためにわざと寂しい場所へ行っただけらしく、すぐに人通りのある道に戻った。
「一応、有難うって言っておくわね。名前は? 私は桜井花月」
花月は女らしい柔らかい笑みを浮かべて言った。
言葉遣いが変わった?
声音も普通の女の声で特に低くはない。
光夜が怪訝な顔をすると、
「女だって分かってるんでしょ」
気付いてることもバレていたようだ。
整った顔立ちだが頬の柔らかな曲線が優しげな印象を与えていた。
女の格好をすれば誰もが振り返るだろうに。
「俺は菊市光夜」
花月が更に何か言おうとしたとき光夜の腹が鳴った。
「じゃ、お礼に御馳走するわね。そこで良い?」
花月は微笑って蕎麦の屋台に目を遣った。
「礼って?」
「小柄、投げてくれたでしょ」
牢人達と戦いながらそんなところまで見ていたのか。
投げた時には倒していたのだから礼の必要などないだろうに。
だが光夜にそれを断れるだけの余裕はなかった。
花月は光夜の返事を待たず道端の屋台に向かう。
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