A*Iのキモチ

FEEL

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 愛を眺めているとふと彼女がこちらに振り向いた。愛もまさか俺が愛のことを見ているとは思っていなかったようで一瞬だけ驚いた顔を見せたが、そのあとすぐにはにかんだ表情を見せる。その仕草に不覚にもドキッとさせられてしまった。
 なんだなんだ、これじゃあ本物の恋人同士みたいじゃないか。しかもラブラブな。
 正直なところ、この状況に悪い気はしていない。いつのまにか毎日は少しずつ楽しくなり、Aに対する後悔の念も少なくなっている自覚があった。それがいいことなのか悪いことなのか、俺の中では判断に困るところもあったが。少なくとも今の環境はとても楽だった。
 だからこそ、そうであるからこそ、終わりの時間が少しずつ近づいてきているのが堪らなかった。愛は感情を表すようになり、ようやくまともなコミュニケーションを取れると思った矢先に別れが来る。初めから聞いていたことだったはずなのにそれがとてつもなく苦しいことだと感じていた。
 だから俺は今日を楽しむと心に決めた。
 きっと愛の苦しみは俺以上だ。別れの喪失感だけの俺と違い、彼女はその命までがなくなってしまう。近くでAが人の形をしたただの物体になっていく姿を見た時、それは凄く残酷で、凄く悲惨なことだと心が思った。彼女は今日を過ぎればAと同じ境遇に立たされる。そんな彼女に俺の喪失感まで背負わせたくなかった。
 結局最後まで授業に集中できないまま終業のチャイムが鳴った。授業後のホームルームでは愛のことは全く触れなかった。察するに十二月晦は急な予定で愛が転校したという設定にしたいみたいだ。確かにそれなら余計なことを聞かれる隙間はない。いかにも十二月晦らしい考え方だ。

「お待たせしました。翔琉君」

 愛が俺の席にやって来た。それを見て周りの生徒が色めき立つが、もう気にすることもない。この光景も今日が最後だ。

「じゃあ、行こうか愛」
「はいっ」

 鞄を取って席を立つ。どこに行くか予定なんて決めてないが、町を見て回るのだから却ってその方がいいと思った。
 とりあえず教室を出て行くと愛はぴたりと横についてくる。表情は穏やかなもので今からの時間を楽しみにしているのが伝わってくる。
 学校を出た俺たちはとりあえず繁華街の方向に向かった。ただ歩くだけでは芸がない。賑やかな方向に進んでいけば何かしら興味を引くものがあるだろうと考えたからだった。
 この考えは当たりだった。街並みが賑やかになっていくにつれて、愛は目を輝かせてキョロキョロと街並みを眺めている。

「ここらへんなら学校から数分ってところなのに、全然来たことがないのか?」
「ええ、ええ。必要のないところには行かないように言われていましたから」
「十二月晦にか?」
「そうですっ」

 愛に万一の事態を考えて――なんて殊勝な奴ではないな、十二月晦は。おおかた愛の身体に何かしらの傷がつけば困ると考えたのだろうか。なんにしても酷な話だ。楽しそうに辺りを伺う愛を見ているとそう感じてしまう。
 感情を手に入れた愛はまるでAみたいだ。明るく、感情を隠す事なく表に出す。かと思えば落ち込んだりこちらの様子を窺ったりしてAとは正反対の行動を取ったりする。まるで愛の身体に二人の性格が存在しているようだ。
 感情を学習という仕組みがもう俺にはさっぱりだからよくわからないが、仮にも機械がこんな滅茶苦茶な行動を取るものなのだろうか?

(待てよ……)

 ――思えば水族館に行った時。愛の様子は明らかにおかしかった。初めて来た場所を来たことがあるみたいに言ったり、パニックを起こしたかと思えば一目散に帰ろうとしたり。
 今までは本人が言っていたのもあって故障か何かだと思っていたけど、本当はもっと別の何かが起きていたんじゃないのか?
 俺や十二月晦、そして愛本人にもわからない何かが――。
 俺は意識を戻してかぶりを振った。

(……考えすぎか)

 仮にそこまでの問題が起きているのなら、十二月晦が慌てているはずだ。だが今まで話している様子だとそんな雰囲気は微塵も感じなかった。万事予定通りといった感じで嬉々として話していたくらいだ。
 それに当の本人である愛だって何も不調を訴えてきていない。
 つまりすべては予定通り。何も問題ないということなのだろう。

「どうかしましたか?」
「あ、いや。大丈夫。なんでもない」

 余程真剣な顔でもしていたのか、愛は心配そうにこちらを伺っていた。
 失敗だ。ついさっき楽しく努めようと決めていたのにこんな表情をさせてしまうなんて。自分の甲斐性の無さに絶望してしまいそうだった。

「それにしても人が多いですねぇ」

 だが愛は俺の様子を気にした素振りを見せなかった。いや、気にはかけてくれているのだろうがそれよりも街並みを眺めるので忙しいといった具合だ。
 街中まで移動している間に陽は徐々に落ちて夕闇時へと移っていく。それに合わせて街灯が点き始めて都会とまではいかないが綺麗な景観を見せていた。今まで愛は学校が終わればすぐさま帰宅していた様子だった。水族館に行った時だって色々あって陽のある内に帰宅した。だから街灯に照らされる街並みが珍しいのかも知れない。
 言葉には出さないが愛は明らかにはしゃいでいる。足取りは軽く街灯に照らされただけのなんてことのない道路を映画のヒロインのようにステップを踏みながら歩く。そんなに嬉しそうにしてくれるなら、もっと早く気づいて連れてくるべきだった。

「楽しいですね、翔琉君」

 無邪気にはしゃぐ愛に俺は頷いて答えた。

「でも歩いているじゃ楽しさも半減だろう。適当に店でも見て回ろう」
「いいですねお店っ。入ってみたいです」

 愛は凄く乗り気で看板が置かれた店先に次々と入っていった。道中聞いた話では必要最低限の行動を義務付けられていた愛は贖罪以外の買い物なんて一度もしたことがなかったということだ。その話を聞いて愛のテンションの上がりようが理解できた。
 彼女は楽しかったのだ。感情に任せて自分の好きなことが出来るのが。まるで子供が遊園地に初めて連れてこられたように、彼女は今、別世界に迷い込んだような感覚になっているはずだ。
 実際、彼女の興奮――暴走ぶりは凄かった。適当に見て回っていると決まって店員が声をかけてくる。無知な彼女は店員のいう事に誘導されてあれやこれやと商品をお勧めされては購入を検討する。おすすめされる商品はどれをとっても高級な代物だった。
 もちろん俺が制止して店を出ると、息をつく間もなく愛は別の店に入っていく。それを幾度も繰り返していると繁華街の中央部分についた。
 人が一番集まる交差点だからか、車の侵入は禁止されて大量の歩行者が思い思いに過ごしている。愛はつくなり上を見上げて口を開いた。

「あれはなんですか?」
「あぁ、あれはモミの木だよ」

 この町には中心部分に広場があって、その中央にはベンチに囲まれた大きなモミの木が植えられていた。今は少し葉が寂しいが、シーズンになると大きく茂り、ライトアップもされる街の目玉になる。と、いう説明を愛にしてみると目を輝かせながらモミの木をじっと眺めていた。

「ライトアップですか、これだけ大きな木を飾るならきっと綺麗なんでしょうね」

 俺は何度か見たことがあったから、頷きかけたが途中で止めた。
 ライトアップの期間には、今からならまだ数か月はある。その時に当然愛はここにはいない。それを承知の上で愛はモミの木を見上げて、無数の電灯に照らされた大きな木を想像しているのだ。そこに「綺麗だよ」と声を掛けるのは無粋極まりない。愛の後悔を水増しするだけだ。だから俺は、黙って愛の事を待っていた。

「なんだか不思議なんです」
「え?」
「私、今日初めてこの木を見るはずなのに見たことがあるような気がするんです。しかも一度や二度じゃなくて、ライトアップされた木の姿やそれを見る周りの人たちまで見てきたように想像が出来る。これっておかしいですよね」

 モミの木を眺めながら愛は呟くように言った。
 彼女の話を聞いて俺は水族館の出来事がフラッシュバックしたように脳裏に映る。もしかして今回もまたあの時のようなことが起こるんじゃないかと背筋がざわついた。

「愛。何かおかしな感覚はないか? どこかに違和感があるとか」
「ふふ、心配してくれてありがとうございます。でも問題ありませんよ。寧ろ快調なくらいです」

 俺から見ても愛の表情は穏やかなものだ。嘘や空元気でそんなことを言っているようには見えない。だが一度おかしな姿を見てしまった以上、どうしても不安感は拭えなかった。
 そんな俺の心中を察したのか、愛は話を続ける。

「水族館に行った時のことを覚えていますか?」
「……あぁ」

 忘れたくても忘れられない。記憶を辿ると出てくるのは悲惨な映像に歪みそうな表情をグッと堪える。

「あの事故から、いえ……あの水族館に行った時から私の身体に何か変化が起きたんです。あ、でも勘違いしないでくださいね。悪い物ではないと思っているので」
「その変化ってなんなんだ?」
「――私の中には、もう一人の私がいる」
「もう一人の、愛?」

 俺の言葉に愛は返事をしなかった。

「その一人が教えてくれるんです。水族館のことも、このモミの木のことも、そして、翔琉君のことも」
「俺のことだって?」

 そんな馬鹿な。そう思って否定しようとすると、言下に愛が言葉を繋げる。

「翔琉君は子供の時はわんぱくで、率先して動くタイプだったんですよね。そして彼女――Aさんの前を意識して歩いていた。幼稚園の時から続いたその習慣は最後の瞬間まで変わらずに、Aさんは後ろをついてくるように歩いていたんですよね」
「……そんな細かいこと、覚えてない」
「それ、あまりに前に出たがるから不思議に思って何回か質問したこともあります。そのたびにそうやってぼかしてましたね。でも本当はわかってたんです。昔から犬の鳴き声とかいきなりやってくる通行人とか、そういうびっくりすることが苦手なAさんのために先導して確認していたことを。優しいですよね、翔琉君は」
「……」
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