「脇役」令嬢は、「悪役令嬢」として、ヒロインざまぁからのハッピーエンドを目指します。

三歩ミチ

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8 学外活動はお金がかかります

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 お風呂から上がると、ベッドに寝転がり、本を開く。
 表紙に大写しの美女と美男子、その後ろに小さく美少女を含む複数のキャラクターが描かれていた小説は、ヒロインと悪役令嬢が仲良くなる話であった。

 そもそもこの話は、前提として、ヒロインも悪役令嬢も、生まれ変わった人間であった。ヒロインは生前から、悪役令嬢のファン。だから、ヒロインの側から、ぐいぐい令嬢に詰め寄ることになる。
 ヒロインは、攻略対象と悪役令嬢をくっつけるため、奔走する。令嬢の意向と全く無関係に恋のキューピッドをしようとするヒロインは、ずれていて、そこが憎めない。

 ページを軽快にめくっていた私の手が、止まる。

「共通点、か」

 恋のキューピッド作戦を敢行するヒロインの画策の中で、そんな手段が登場した。
 攻略対象と悪役令嬢の共通点を強調し、心の距離を近づけようとする。あからさまなヒロインの行動に困惑しつつも、確かに共通点を発見し、結果的に仲良くなってしまうふたり。そのやりとりは、甘酸っぱくて、胸がきゅんとなる。

 共通点があれば、仲良くなれる。確かにそうだ。現に私と慧は、自分と周囲を比較した時の劣等感を共有して、明らかに距離が縮んだ。
 共通点を見つけたら、仲良くなれる。
 前に読んだ物語も、「努力家」という目標があって、ヒロインと主人公が親しくなったのだ。

 泉との共通点を見つけたら、もっと仲良くなれるかもしれない。
 共通点のヒントはもうあって、私はお化粧をし始めたし、彼女はお化粧のことをもっと知りたいのだ。

「今日もお化粧をしてよろしいですか?」
「ええ……あのね、シノ」

 身支度を進めるシノに、泉が化粧を習いたいと言っていたことを伝える。母には、既に友人を呼ぶ了解を得ている。あとはシノが良いと言えば、泉を呼んで、お化粧を習うことができる。

「私が、ですか?」
「そう」
「それは……私はあくまでも、侍女ですから。お嬢様のご友人に、何かお教えするだなんて」

 シノは困ったように笑っている。
 その表情を見て、ああ、申し訳ない提案をしてしまった、と思った。シノはあくまでも、父が私のために付けている侍女だ。
 いつも優しいからつい甘えてしまったが、私の個人的なわがままに付き合わせてはいけなかった。

「ごめんなさい、無理ならいいの」
「いえ……せっかくですから、お嬢様にお教えいたしますよ。それで、お嬢様がご友人にお教えするのは、いかがですか?」
「いいの?」
「ええ、それなら」

 私はお嬢様の教育係ですから、とシノは頷く。

「ありがとう。お願いするわ」

 それでも、構わないだろう。
 それに、シノに教わってお化粧の知識が増えれば、泉とももっと話せるかもしれない。

「お任せください」

 シノの微笑みは、心強い。

「あっ、おはよう、藤乃さん!」
「お……おはよう」

 教室に入ると、泉が声をかけてくる。その勢いに押され、不自然な返事になってしまった。

「ねえ、どうだった? お化粧のこと!」
「それは……これ、泉さんに、招待状です」

 鞄から取り出した封筒を手渡す。泉は、不思議そうな表情で、封筒を照明に透かすように見た。

「開けてもいい?」
「ええ、どうぞ」

 封を開け、「わあ!」と声を上げる。

 昨日、母に勉強会の承諾を得た私は、すぐに招待状を作成した。中には、お招きの文面だけでなく、文香を入れてある。

「良い香りだね。なんだろう……」
「藤の香りなの」

 お気に入りの、藤の香りのするお香。その匂いを、厚手の栞に染み込ませたものだ。封を開けると、ふわっと香る。
 せっかく用意しても、今まで、親戚以外に贈ったことはなかった。褒めてもらえたことが、ただ、嬉しい。

「藤乃さんのお宅にお邪魔するの、楽しみだなぁ」
「私もよ」

  家に招くなんて、本当に、友達みたいだ。
 嬉しそうに便箋を眺め、香りを嗅ぐ泉を見て、こちらも嬉しくなる。親しくなる、第一歩を踏み出したのだ。

「楽しみだな、千堂くんの家での、勉強会」
「いいの? あいつが来られないなら、ふたりになるよ」

 海斗の家で行われる勉強会も、近づいてきているようだ。

 聞き耳を立てるのはよくないとわかっていても、聞いてしまう。一緒に参加するはずだった隣の組の会長は、来ないことになったという。
 つまり、親のいない家に、海斗と早苗がふたりきりになる、ということ。彼らの仲が進展することを思うと、胸がちくりと痛んだ。

 私はそんなこと、絶対にさせてもらえなかった。
 やっぱり海斗は、私に好意なんてなかったのだ。

「この間の話し合いで出た案の、学外活動の費用について、皆さんにお示ししますね」

 ホームルームで、会長からそう話がある。配られた資料には、学外活動のクラスとしての予算と、スポーツ大会、クルーザーの貸し出し、花火大会にかかる費用がそれぞれ書かれている。
 学外活動では、予算からはみ出す分は、自分たちで賄うことになっている。要するに、親に出してもらうというわけ。
 当然ながら、クルーザーや花火大会のような大掛かりな活動は、与えられる予算では足りないので、家庭からの持ち出しが多くなる。

「今日は時間があまりないので、資料の配布だけにさせていただきます。各自で確認し、意見をまとめておいてください」

 私は、もらった資料をぼんやりと眺める。
 それにしても、つくづく、規模の大きな行事だ。
 スポーツ大会はともかく、クルーザーの利用や花火大会の企画は、多額の持ち出しを前提としている。

「どれがいいかなぁ」
「あたしはやっぱり、クルーズかな」
「早苗が言うなら、わたしもクルーズかなぁ」

 学外活動について口々に語る級友を背に、廊下へ出た。
 意見を言うのは、早苗達に任せればいい。私は、そういう柄じゃない。

「学外活動の、候補が上がってるんだ」
「そうなんです」

 借りた本の返却作業を見つつ、図書室のカウンター越しに慧と話す。
 こうして世間話をするのも、もう恒例のこととなった。

「何をするの?」
「こういう意見が、一応出ていて……」

 滑らかに作業をする慧の手つきは、相変わらず、無駄がなくて美しい。
 作業の手を止め、先ほど配布された資料を、慧は受け取る。眼鏡のつるに軽く触れ、資料に並ぶ数字に、暫く見入る。

「どこの学年も、そう変わらないんだね」
「そうですか?」
「俺のクラスも、去年、こんな感じの候補が出ていた気がする」

 慧の言い方は、なんとなく、他人事めいている。

「慧先輩のクラスは、何をしたんですか?」

 私のクラスの話には、興味がないのだろうか。まあ、関係ないものね。
 そう思って、彼の方に話を振った。

「さあ。何だったかな。みんなは色々話し合っていたけど、俺は聞いてなくてさ。行かなかったから」
「行かなかったんですか?」

 行かなかった、なんてこと、あるのか。
 頷く慧は、俯きがちで、表情が読み取れない。

「そうだよ。予算外の持ち出しなんて、払えないからね」
「ああ……」
「俺の家は、藤乃さんたちとは違って、貧しいんだ」

 言葉の後に、自嘲的な、乾いた笑いを付け足す。

 お金がないから、行事に参加できない。

 彼のせいではない、どうにもならない悲しい話をしているのに、その声は妙に淡々としている。
 その落ち着きに、かえって胸が痛くなった。

「……残念ですね」
「そうでもないよ。経済的な格差があるのはわかっていて、入学したんだから」

 だとしても、だ。

 特待生であるという理由で、慧がクラスで肩身の狭い思いをしていることは、なんとなく想像がついている。
 肩身が狭いことを、諦めているのだ。その冷静さが、私には切なかった。

「そう、ですか」

 ああ。こんな話を振ったことが、申し訳ない。申し訳なく思うことすら、失礼なのかもしれない。

 続く言葉に迷って、視線を泳がせる。すると慧が、「ねえ」と言った。
 見ると、慧の頬には、うっすらとえくぼが浮かんでいる。

「学外活動に行かなかった人が、何をするか、知ってる?」
「行かなかった人が……?」
「そう。学外活動は年間計画に入ってるから、何もしない訳にはいかないんだよね。だから、行かない人は、学級での活動に、代わることをするんだよ」

 そんな話、初めて聞いた。
 会長からも、そんな説明はなかった。ぽかんとする私を見て、ふっと息を吐いて慧が笑う。

「知らなかったよね。俺も去年、金銭的に行くのが無理だと伝えて初めて、先生から言われたから」
「何をするんですか?」
「自由。自分で興味のある活動を体験して、レポートを書けばいい」

 慧の目が、きらっと、悪戯っぽく光る。

「しかも、ひとりぶんの予算は分配してもらえるから、その中で行けば、余計なお金はかからない」
「楽しそうですね、それも」

 クラスの皆で相談して行くべきところを決め、企画し、実施する。それも楽しいが、予算内で自分の好きなように体験を組むのも、それはそれで楽しそうである。

「そうなんだよ」

 実際、慧もどことなく楽しげだ。
 彼が置かれた状況を楽しんでいるとわかって、ほっとする。

「昨年は、どこへ行かれたんですか?」
「動物園」
「どうぶつえん……?」

 思わず復唱してしまったのは、あまりにも意外だったから。動物園なんて、最後に行ったのは、初等部の頃だ。それも、低学年。
 幼かった私は、当時は大きなキリンやゾウに大喜びしていたけれど、成長した今、同じように喜べるとは思えない。

「動物に興味がおありなんですか?」
「当時ね。動物を撮った写真集をよく見てたんだ。せっかくだから、本物を見に行こうと思って」
「へえ……」

 いまひとつ共感しきれず、曖昧な相槌を打つ。

「楽しかったよ。動物園なんて子供の頃以来行ったことないだろ? それを、写真撮りながら、ゆっくり見て回ってさ」
「楽しいんですね」
「クジャクが羽を広げる瞬間、見る? ちょうど、タイミングよく動画が撮れたんだ」

 慧が携帯を取り出したので、その画面を覗き込む。画面の中で、鮮やかな羽を、見事に円形に広げる孔雀の姿。

「え! すごい音」

 バチバチという、骨と骨が擦れるような音を聞いて、驚いた。羽を広げる孔雀は、こんな音を立てるのだ。
 羽を広げた孔雀は、その色柄を見せつけるように、ゆったりと回っている。

「面白くない?」
「面白いです、たしかに」
「でしょ? 貧乏には貧乏なりに、楽しみ方があるってことだね」

 卑屈めいてはいるものの、その言い方は、得意げでもあった。

「電車で2時間くらい行くと、関丘動物園っていうのがあるの、知ってる?」
「聞いたことあります。最近有名になりましたよね」

 関丘動物園の名前は、聞いたことがある。動物の展示が、他園と比較して工夫されているそうだ。初等部の下級生は、社会科見学の行き先が、そこに変更になったらしい。

「そこに行ったんだ。往復と入園料、それに昼食とかを含んで、ちょうど五千円」
「おお……」

 その間も、車窓の風景、昼食のプレート、動物の姿と、慧の持つ携帯に映し出される写真は変わっていく。それを見ながら彼の話を聞いていると、たしかに、これはこれで楽しそうだ、という気がしてくる。

「今年はどこへ行くつもりなんですか?」
「水族館かな。最近は、海の写真をよく見ているから」

 カウンターの近くにある、返却図書用の棚には、今日も青い表紙の写真集が置かれている。表紙はくらげ。この間のものとは、また違う本である。

「いいですね。私も行ってみたいです」

 水族館だって、記憶にあるのは、幼い頃に行ったこと。動物園同様、今行けば、新たな発見があるのだろう。
 そう思って口にすると、慧は「そう?」と反応した。

「行きたいなら、一緒に行ってもいいよ」
「いいんですか?」
「まあ、お金は自分で出してもらわないといけないけどね」

 それはそうだ。
 私の分の予算は、学級での活動に使われる。

「それは、構いません」

 慧には失礼かもしれないが、私は、自分でひとり分の料金が出せないほど、困ってはいない。

「だよね」

 私が応えると、慧はえくぼを作った。

「藤乃さんが、そんなに水族館に興味をもつとは思わなかったよ」
「そうですね……慧先輩が、楽しそうに話すから」

 水族館なんて興味がなかった。学外活動に行けない特待生が、別のことをするなんて知らなかった。
 わざわざそれに参加してみようと思ったのは、慧の話を聞いて、楽しそうだと思ったからだ。

「それに慧先輩と行ったら、水族館も好きになるかもしれません」
「どういうこと?」
「私が図書室を好きになったのも、先輩のおかげだからです」

 何も傷つけるもののない、図書室という優しい空間。
 図書室を好きになれたのは、慧がわざわざ話しかけ、優しく教え、嫌な顔をせず受け容れてくれたから。

 そう考えて、自分自身で、はっとした。
 慧と行く水族館は、優しい青に包まれ、ゆったり泳ぐ魚たちと共に、穏やかな時を過ごせる場所に違いない。
 頭の中に幻想的な光景が広がる。

「そっか。気に入ってくれて嬉しいよ」

 西陽の中で、微笑む慧の眼鏡のフレームが、きらりと光る。

「話し込んじゃったね。本、借りておいで」
「はい」

 カウンターを離れると、慧はまた、視線を手元に落とす。私は、書架の間を縫って目的の場所を探す。
 悪役令嬢を主人公とする本を、もう何冊読んだろうか。新しい本を手に取り、壁際の定位置で読み始める。暫く読んでいたら時間になったので、貸出手続きをして、図書室を出た。

「また明日、藤乃さん」
「はい、慧先輩」

 慧のいつもの挨拶を、嬉しく思いながら。
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