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騎士様は魔女を放さない

騎士の鍛錬

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 午前中は薬師団へ向かい、午後は鍛錬をというのが、私の今日の予定であった。予定通り、コの字型の騎士団の中央部に位置する鍛錬場へ、エルートと共に向かう。

「カルニックに何もされていないな?」
「ええ。本当に、話しただけです」

 エルートは先程から、何度も念入りに、カルニックとのやりとりを確認してくる。カルニックは驚くほどに薬草への探究心があったが、直接手を出してくることは全くなかった。
 エルートの懸念は、思いすぎである。私が事実を話しても、エルートはまだ納得しないように首を傾げていた。
 薬師団での振る舞いを見るに、騎士であるエルートは、落ち着いてじめっとした薬師団の雰囲気が苦手らしい。カルニックを過度に厭うのは、騎士と薬師の違いもあるのかもしれない。

 鍛錬場に近づくにつれ、土と金属の香りが強くなる。キィン、と耳鳴りのように響いたのは、金属同士がぶつかった音だ。複数の人がいることは、混ざり合って流れてくる匂いでよくわかる。
 騎士団本部の角を回ると、鍛錬場が目に入った。六人の騎士達が陣形を組み、互いに模擬戦をしている様子だ。剣を打ち合い、盾で防ぎ、飛んでかわしたりまた斬りかかったりと、絶え間なく動いている。動くたびにはためく黒衣こそが、誉れ高き騎士の証。
 エルート達以外の騎士とは、食堂ですれ違う他には、顔を合わせたことがない。食堂で会うと必ず、皮肉な笑みを浮かべつつ、「これが『命知らず』の恋人か」と聞こえよがしに品評されるのだ。ところが、真剣な表情で剣を構える姿には、そんな緩んだ部分はかけらもなかった。どこを見ても、凛々しく頼もしい、騎士の姿がある。

「行こう。皆に紹介する」

 エルートに連れられて、鍛錬場に近づいていく。汗と血の染み込んだ地面に一歩足を踏み入れた瞬間、騎士達は打ち合いを止め、一斉にこちらを向いて背筋を正した。
 途端、エルートと彼らの間に、張り詰めた糸のような緊張感が走る。私まで息が詰まりそうだ。エルートは私を隣に立たせると、背を押して一歩前に進ませる。彼らは皆、エルートより少し若く見えた。若々しく真っ直ぐな視線が、私に集中する。注目を浴びたことに緊張感が増し、冷えた汗が背筋を流れる。

「こちらが、魔獣を発見する魔法を持つ、カプンの魔女だ。君達の討伐隊での役目は、彼女を護衛し、肉食の魔獣を討伐することだ」

 エルートの声も、いつもより厳かに聞こえる。騎士団長のガムリを思わせる、有無を言わせぬ威厳。騎士たちは、微動だにせずにその言葉を受けている。

「俺も商隊護衛の経験があるが、あれは大変な役回りだ。戦うことのできない商隊を守り、遠い他国まで、国の宝である宝玉を運ばねばならない。魔獣はもちろん、悪党を警戒する必要もある。君達の経験を生かせば、彼女を守り、魔獣の討伐を果たすことができるだろう」

 なるほど。商隊護衛とは、宝玉を他国に届ける商人の護衛をする役回りらしい。
 魔獣の討伐に全てを注ぎ、命を懸けても人々を救う騎士の姿は、物語でしか見られない一面的なものである。魔獣を討伐する以外にも、王宮の警護や、門番など、いろいろな役目がある。騎士団にいるうち、私にもそのことがだんだんわかってきた。彼らの世界は、一般人が想像する以上に複雑だ。

「彼女に傷ひとつ付けぬよう、全神経を注いで行動するように」
「はいっ!」

 一糸乱れぬ、即座な返事。空気を震わすような良い返事に、勝手に背筋が伸びる。

「ニーナからは何かあるか?」
「いえ……よろしくお願いします」

 私の声は、エルートや騎士たちの凛々しい声と比べると、あまりにも頼りなくて気が抜けて。我ながら、嫌になるほど間抜けだ。

 エルートとレガット、アイネンが一組だったように、騎士達は討伐には三人一組で向かう。ただし、商隊の護衛は別らしい。前方を護衛する一組と最後尾を護衛する一組、合わせて二組で行うそうだ。ここに集まっている六人の騎士は、商隊護衛に就いていて、その中でも腕の立つ騎士だという。
 そして今回、彼らが私と共に討伐に望む部隊として、抜擢されたらしい。抜擢なんて言い方を自らするのは、烏滸がましいが。

「騎士様が六人も同行するなんて、手厚いんですね」
「宝玉は、他国に高く売れる。わが国の、重要な交易品だ」

 エルートが動き始めると、騎士達は姿勢を緩め、打ち合いに戻る。鋭い金属音の間を縫い、私達は鍛錬場を横切っていく。

「俺達が魔獣を討伐し、その心臓を薬師が宝玉に変え、他国の金品と交換する。この国は、そういう風に回っているんだ」
「魔獣の討伐は、国のためにもなるんですね」
「ああ、そうだ。だから、命を賭して魔獣を屠る騎士団は、庶民が混ざっていたとしても、それなりに良い扱いを受けることになる」

 魔獣の討伐によって、人々の命を救える。それだけでなく、より多くの人にも、国にも影響する。危険を承知の上で、誰かのために魔獣と向き合うなんて素晴らしいことなのに、エルートは何でもないことのように話す。彼の纏う黒衣が、私にはひどく尊いものに見えた。
 エルートは鍛錬場の端まで付くと、積み上がった木の板をひとつ持ち上げ、こちらに差し出す。

「持てるか?」

 両手で受け取ると、ずしりと重みがかかる。重たいが、両手なら持てないことはない。
 木の板に見えたものは、盾であった。継ぎ目のない一枚の厚い板が、私の上半身を隠すくらいの大きさで、三角形に削り出されている。裏には、腕を通すための金具が付いていた。
 試しに金具に腕を通し、持ち手を握ってみた。片手に重みがかかると、耐えきれずに盾の下端が地面に刺さった。

「片手では厳しいな。なら、両手で持てばいい。この金具を、それぞれの手で」

 私は腕を抜き、盾の裏に付いている金具を、それぞれの手で握る。持ち上げると、地面から浮き上がった。

「脇は締めた方が、安定する」

 エルートは私の二の腕に両側から触れ、体の側面に付けさせた。彼の手が体に触れた瞬間、胸がどきんと跳ねる。持ち方を調整するために手に触れ、支え方を直すために背中と肩に触れる。真面目な行為なのに胸が高鳴る、浮かれた自分が嫌になる。

「……耳が赤い」

 それは、揶揄するような指摘ではなく、単なる呟きだった。盾がまた地面に落ちたのは、動揺した私の腕から、力が一気に抜けたからだ。

「あ、悪い。つい」
「……すみません、浮かれてしまって」

 浮かれた状況を見抜かれたことで、引き締まった気持ちが持てた。私は長く息を吐いてから、手に力を込め直す。両手で持ち手を掴み、脇を締めて持ち上げると、体の上半分を隠す形になる。
 エルートが前後左右から姿勢を確認し、「それで良い」と言った。

「君に求める護身は、魔獣の不意の一撃を、盾で防ぐことだ。盾が壊れても良いし、体勢を崩しても構わない。初撃さえ防げば、後は俺達が魔獣の気を引き、討伐を完遂する」

 エルートはちらりと騎士たちを見てから、声のトーンをやや落とした。

「ニーナは、匂い……いや、魔法で、魔獣が襲ってくる方向がわかるな?」

 エルートが「魔法」と言い換えたのは、周囲の耳を気にしてくれたからだ。
 私は、匂いの方向を追って、魔獣のいる方向を探っている。それを打ち明けたのは、家族以外だとエルートが初めてだ。嗅覚が頼りだとわかれば、別の香りを撒き散らしたり、鼻を塞いだりすれば封じることができてしまう。自分の身を守るために、いつもは「勘」という言葉で誤魔化している。
 エルートはそれがわかっていて、わざわざ「魔法」と表現してくれたのだ。私は頷く。確かに、匂いの流れる方向を追えば、魔獣がどちら側から飛びかかって来るのかを知ることができる。

「やはりな。ニーナは魔獣が襲う前に方向を言ったり、反応したりするからそうだろうと思っていたんだ。なら、君のやることは簡単だ。魔獣のいる方向に、この盾を向け続ける。それだけでいい」

 私の目標は、魔獣が初撃で自分を狙ったときに、防ぐことだけ。素人の私でも明確にわかる目標に、それならできるかもしれない、という前向きな気持ちが湧いてくる。

「これからニーナには、素早く盾の向きを変える鍛錬を積んでもらう。手首だけで動かすと痛めるから、こんな風に、上半身全体を使って……」

 背後に回ったエルートが、私の手に手を重ね、実際の動き方をレクチャーしてくれる。距離の近さと、抱き寄せるような姿勢に、胸がドキドキする。
 落ち着け私、浮かれるな。私はお腹に力を入れ、静かに呼吸を整えた。
 心配しなくても、浮かれていられるのはここまでだった。

 数刻後、私は何もしなくても小刻みに震える腕を何とか持ち上げ、フォークを手に取った。
 あれから重い盾を素早く振り回す練習を重ねた結果、盾を持ったまま、さっと体の向きを変えることはできるようになった。それ以上のことはできないものの、それだけで充分らしい。エルートの許しを得て久しぶりに盾を地面に置いたときの解放感といったら、腕が軽くて軽くて、羽が生えて飛んでいくかと思うほどだった。

「大丈夫か?」

 疲れ果てた手には力が入らず、フォークはカランと音を立てて机に落ちた。向かいに座るエルートが、肉を口に運ぼうとする仕草のまま止まり、こちらを案じてくれる。

「大丈夫……ではないです」

 エルート達は日頃からもっと厳しい鍛錬をしているわけだし、盾を少し振り回したくらいで音を上げたら情けない。そう思ったが、フォークを再度握りしめようとしても、また手元が狂って落としてしまった。まるで寒さに耐えているように、手が小刻みに震えている。
 こんな状況で強がっても、嘘なのは明白だ。私は諦めて弱音を吐く。エルートはなぜか、口元をふっと緩めた。

「懐かしいな。俺も幼い頃、父に初めて素振りを習った時は、そんな風になっていた」

 エルートは幼い頃、魔獣によって父を亡くしている。しかし、これは養父ではなく、実の父とのエピソードだとわかった。

「泣き言を言うと、騎士たる者は弱音を吐いてはいかん、と叱られたものだ。最初から、俺を騎士にするつもりだったんだろうな」

 実父の思い出を話すエルートの表情は、柔らかく緩んでいる。その顔を見て、少しほっとした。エルートにも懐かしい、幸せな幼少期の記憶があるのだとわかったからだ。
 私の疲労が彼の幸せな記憶を呼び起こしたのなら、それだけで報われる。

 ちなみにその後、フォークを持てない私の口元へエルートが食事を運んでくれるという、嬉しいような恥ずかしいような時間を過ごした事で、私はますます報われた気持ちになった。
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