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第七章:皇太子は王女を欺けない

33:おぞましい記憶

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 いずれ皇太子妃になるというスーの立場に気後れしていた令嬢たちも、彼女のきどらない気性にはすぐに気づいたのだろう。ルカの想像どおり、スーを輪の中心として令嬢たちが集まっている。

 ほとんどルカの邸宅から出ることもなく過ごしてきたスーには、新鮮な体験だろう。
 彼女から笑顔が漏れるのをみて、ルカはほっと心を緩めた。

「殿下。わたくしはそろそろお暇いたします」

「ヘレナ」

「このような場にわたくしが長居すると、余計な詮索をなさる方が増えるでしょう」

 婚約披露に公妾を伴うことは、事実はどうであれ人々に悪評を提供するに等しい。

 ヘレナも理解しているのだろうが、彼女のもたらした助言の価値を思えば些細なことだった。

「あちらの令嬢方が、こちらを睨んでおられましたわ。スー王女にも余計なことを耳打ちされているのでしょうね」

 涼し気なヘレナの声に含みを感じる。ルカは気づかないふりをして笑顔を向けた。

「今日は私の悪評を王女に知ってもらう良い機会です。あなたとの関係を誤解させておくのも一興だな」

 ヘレナが呆れたように、瞳と同じ薄紫色の羽を施された扇で口元を隠した。癖のない銀髪にも、扇の色が映る。

「わたくしは、あの可愛らしい方に憎まれたくありませんわ」

 意外な答えに、ルカは一瞬言葉を失う。

「ーー珍しいな。あなたがそんなふうにおっしゃるのは」

「殿下には、ぜひ幸せになっていただきたいのです。殿下も王女のことは憎からず思っておられるのでしょう?」

「まさか。皇位継承を誇示するための政略結婚なのは、あなたも知っているはずだ」

「たしかにそう思っておりましたわ。今日、スー王女とお会いするまでは」

 ヘレナにはすぐにスーの気性が見抜けたのだろう。
 クラウディアの貴族には稀有なほどに、裏表のない純真無垢な輝き。

「王女は殿下のことが大好きでたまらないご様子ですわ」

 面白そうにヘレナが笑う。

「落ち着かれた暁には、ぜひスー王女に私の邸へいらっしゃってほしいです。……必要であれば、殿下との関係もきちんとご説明さしあげますわよ」

「ーー必要ない」

「ルキアから話を聞いて興味を抱いていたのですが、今日は王女にお会いできてよかった。わざわざ赴いた甲斐がございました」

 いったいルキアは姉であるヘレナに何を伝えていたのか。なんとなく予想がついて、ルカは知らずに眉間に皺が寄る。ヘレナが軽やかな声をあげて笑った。

「殿下のそのようなお顔を見られるなんて、本当に良い日ですわ。改めておめでとうございます」

「皮肉にしか聞こえない」

「考えすぎです。殿下はわたくしにとっては、家族のように見守りたいお方なのですから」

「…………」

 ヘレナの言葉が、嘘偽りのない本心だとわかる。彼女はルカの歩んできた道を知っている幼馴染なのだ。
 ルカは返す言葉が見つけられず、婚約披露のために飾り立てられた会場内を見た。

 華やかに飾られた色とりどりの花は、こぼれ落ちそうな艶やかさを持って花弁を開いている。辺りにたゆたう、甘く爽やかな香り。

 美しく盛られた多彩な料理は、人々の食欲を満たし、喜びをもたらしていた。
 磨かれた銀食器が、シャンデリアの光を照り返して、鈍く輝いている。

 着飾った人々の鮮やかな衣装が、万華鏡のように閃いて、不規則に揺れうごく。
 会場の奥からは、心地のよい管弦楽の演奏が響き、広間の喧騒を穏やかに包みこんだ。

 祝福に満ちた王宮。

 あの日も、こんなふうに晴れやかな舞台だった。普段は封印している、おぞましい記憶の蓋が開く。ルカの出自を疑う父が、自分に向けた仕打ちが蘇った。

 半人前の幼い皇子から、一人前の大人として世間に認められる成人披露。
 クラウディアでは、皇子の成人は精通を迎えた頃に認められる。

(おまえが子を成せば、その子はわたしが教育してやる)

 ルカにとって父の声は、狂気そのものだった。

 幼い頃は父に愛されていると思えた日々があった。愛情が反転したのは、父が母の不貞を疑い始めた頃からである。何がきっかけだったのかはわからない。

 自分の息子ではない。いつからか父は確信していたようだ。

 父からの風当たりが強くなったことは、幼いながら気づいていた。それでも、ルカの心には父に愛されていた日々の思い出が刻まれていた。

 恐れて嫌悪することがあっても、父を信じていた。
 成人披露の夜を迎えるまでは、「クラウディアの粛清」を放ち、狂気を抱える父を、それでも信じようと努めていたのだ。

 父を心底おぞましいと思い、ルカの信頼が殺された、あの夜までは。

(これがおまえの役割だ)

 成人披露の夜に仕組まれた凶悪な媾合。

 まるで家畜の繁殖を行うように、童貞のルカに見知らぬ女たちとの性交を強いた。致死量に近い催淫剤を与えられて、自分が何をしたのか。

 虚ろに覚えているのは、むせ返るような甘い香り。心が乖離したまま、際限なく込みあげた欲望を、絶望に打ちつけ、朦朧とした頭で吐きだし続けた。

 命が途切れてしまいそうな悪寒。幾度も死線を意識した。

 父はあの夜、本当は息子を殺してしまいたかったのかもしれない。今となっては、思いだして心を痛めることもないが、当時は毎日のように悪夢を見て、嘔吐を繰りかえした。
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