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1、贖罪のスピネル
20、王兄と女騎士
しおりを挟むミランダの主君は白銀の髪を持ち、王族の瞳をしている。
神秘的な瞳は現在、深い青色で、鮮やかな星のように輝いていた。
その眼差しは優しく、愛情深い。
「ハルシオン殿下。こちらにいらっしゃいましたか……お体が冷えてしまいます、ミランダは心配です」
年下の青年主君、いと貴き王兄殿下ハルシオン。
彼は、繊細な心を持っている。ただの人には理解できないものを見ている。そんな人だ。
ハルシオンは、木の上に登って枝の上で林檎をかじっていた。落ちるかもしれない、という心配はしていない。彼は特別だから。
「呪術で空調を整えているので」
耳に心地よい、柔らかな青年の声が返ってくる。
自分に声を返してくださった。ミランダは嬉しさを噛みしめながら木に近付いた。
「余計な心配を失礼いたしました」
「いえいえ。ミランダもおいで」
ふわりと体が浮いて、「おいで」の言葉通りにミランダの全身が木の上に運ばれる。宮廷に仕える呪術師でも、人を簡単に浮かせて運んだりするのは難しい。それを呼吸をするように自然にこなすのが、ミランダの主君なのだ。
「きゃっ」
「ああ、失礼しました……私はまた人間らしくないことをしてしまいました……」
両腕で支えられて小さく悲鳴をあげると、ふわふわと頬を染めて別人になったように純情な気配でハルシオンが慌てている。
霜が降りたみたいに長い睫毛が伏せられて、傷付きやすい年頃の少年みたいな顔を見せる。
「大丈夫です、ハルシオン殿下。何も問題ございません。殿下は、とても」
不安定なお心を持つ方なのだ。欲しい言葉を差し上げて、安心させてあげなければ。
「とても人間らしいですよ、私の可愛い殿下」
優しく、聖母のように。
そう意識して声を紡げば、ハルシオンはほわほわと無垢で夢見るような微笑を咲かせてくれた。
年頃の乙女なら誰もが見惚れて夢中になってしまうような美しさ。見慣れたミランダでも、舞い上がってしまいそう。
「星がみえるでしょう? 夜を待てずに光をつよく放って自己主張する、一番星が」
ハルシオンは少年のような声で言った。
「もうすぐ夜が来ると思っていたのです。私は、これから出かけようとしていたのです。そうだ。そうだった! アルに会いに行くんですよ」
ハルシオンは文脈のあやしい言葉を紡ぎ、「でもね、私はちゃんと帰るんです。あの子と約束したので」とふにゃふにゃと笑った。
「では、殿下はご自分が陛下の罪をかぶるのをおやめになるのですか」
ミランダは歓喜をあふれさせた。
空王アルブレヒトの罪を王兄に着せて、ハルシオンは自分を犠牲にしようとしていた。それが、ミランダにはとても心配で、どうにかできないかとやきもきしていたのだ。
(アルブレヒト陛下は、少し真面目すぎるくらい生真面目な方。けれど、いつからかその御心には闇が宿ってしまったのですね。ご政務にも懸命だと思っていましたが)
ミランダは、空王アルブレヒトに敵意を募らせていた。
ハルシオンが猫になったあと、空王アルブレヒトは「ハルシオンが乱心して父空王と戦った。駆け付けたアルブレヒトは、ハルシオンを猫に変えて、父君を守ろうとした」と説明していたのだ。
ミランダは、その言葉を信じた。猫になったハルシオンを悲しみ、元に戻せないかと反国家主義で爵位を奪われた過去のある問題だらけの呪術の名家ブラックタロン家まで頼っていたのだ。
ハルシオンがふわふわとした声で、ミランダの意識を現実に戻してくれる。
「ええ。ええ。あの子がね、やだって。パパ、帰って来てねって」
あの子というのは、ハルシオンが気に入っている青国の王女だ。
とても可憐で、心配になるほど華奢で、繊細な硝子細工みたいな、砂糖菓子みたいな少女だ。
「姫殿下の、おかげ」
「うん」
思えば、あの可愛らしい姫殿下がハルシオンの呪いを解いたのだ。それ以前、かなり不安定で今みたいに会話するのもおぼつかない様子だったハルシオンは、呪いが解かれた後から少し安定したように見えるのだ。
(あの姫殿下は、ハルシオン殿下によい影響を与えてくださる)
「ミランダ、カントループは商談に出かけます。姫を私だと思って仕えてくださいね」
ミランダは頷いた。
空に見える明星を見つめる、ただひとりの主君を一心に想って。
「可愛い私の殿下。ミランダは姫殿下をあなた様だと思って誠心誠意お仕えします。ご安心くださいますよう」
「安心した」
ぽつりと返る言葉をきく者は、自分だけ。
ミランダはそんな現実を心地よく思いながら、「お帰りをお待ちしています」と呟いた。神聖な祈りを捧げるように手を組めば、「掴まっていないと危ないよ」と笑われる。
その後でハッと正気度を上げた様子で「といいますか、何故私たちは木に登っちゃったのでしょうね。お、おりましょうか」と慌てるハルシオンは、微笑ましい。
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