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1、贖罪のスピネル
22、黒馬ゴールドシッターには何もない
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窓から見える外の木の枝に、初々しいつぼみが揺れる朝。
都市グランパークスの宿は、商会の武装兵だけでなく空国の王兵も警備に付いている。かなり物々しい。
「ミランダ、カントループはまだ戻らないのね」
「姫殿下、商会長は、商談が長引いておられるのです。でも、もうすぐ戻られますよ」
相槌を打つミランダと並んで、サイラスが付いてくる。
その立ち位置は、一応『兄』。しかし、正体はバレていて、公認の兄妹ごっこみたい。
(嘘ばっかり)
世の中、嘘ばかり。
「聖女様!」
神鳥を頭に乗せ、長い髪をなびかせて通路を歩むフィロシュネーを見ると、兵士たちは揃って畏まり、頭を垂れる。
(あっ。ありがとうのチャンスですわぁ?)
頭を垂れる中に包帯を巻いている緑髪の若い騎士を見つけたので、フィロシュネーはいそいそと近づいた。
「あなた、お怪我をなさっているのね!」
「なぜ嬉しそうなんです?」
後ろでサイラスが疑問を呈しているが、フィロシュネーは華麗にスルーした。
「わたくし、治して差し上げます」
「け、軽傷です」
声をかけられると思わなかったという顔で驚いているのは、いかにも純朴といった顔付きの若い騎士だ。ルーンフォーク・ブラックタロン卿と呼ばれていた記憶がある。
「ルーンフォーク卿、でしたか?」
「!! 俺の名をご存じで!?」
「ふふっ、当たりね! わたくし、名前を覚えるのは得意でしてよ」
王族に名前や顔を覚えられると、みんな喜ぶ。光栄に思う。みんな、良く思われたがる。
それは、フィロシュネーにとって当たり前のことだった。
後ろでむすりとしている英雄は、例外中の例外だ。
手をかざして治癒魔法を使うと、ルーンフォークは何度も肯定の声を返しつつ、熟れた林檎みたいに顔を上気させている。
「あ、あ、ありがとうございます、聖女様!」
ルーンフォークが「ありがとう」を送ってくれる。フィロシュネーはどきどきした。
(わたくし、わたくし……物語の主人公みたいに、人を助けて感謝されちゃった!)
「こちらこそ、ありがとうですわ!」
「えっ? な、なぜお礼を」
「ええと、『お礼を言われると気分がよいので、嬉しい言葉をありがとう』って意味ですわ」
(とても正直な気持ちを打ち明けますと、わたくしは誰かの役に立ちたかったのです。誰かに感謝されてみたかったのです。魔力の花びらが貯まるのが嬉しいのですっ!)
本音を隠しつつ、フィロシュネーはこれまでの十四年間で習得した表情筋操作術を駆使して、お姫様スマイルを浮かべた。
『シュネー、お勉強ができなくてもいい。とりあえず可愛く笑っておきなさい』
青王クラストスは、幼いフィロシュネーにそう諭し、礼儀作法の先生は挨拶の仕方や歩き方、手の振り方、笑顔を見せるときの首の角度までを徹底的に叩き込んだ。
(お父様、今どちらにいらっしゃるのかしら)
ちなみに、実の兄である王太子アーサーは、たまにフィロシュネーを「こいつ、王家の恥と言われるようなことやらかさないだろうな」って感じの眼で見ていた記憶がある。
まあまあ他人以上身内未満といった距離感だ。
第二王女と喧嘩していたときも、呆れた様子で遠くから見ていて、たまに「やめるように」と侍従をつかわして止めたりしていた。
基本、兄は妹たちにあまり接近しなかった。
(第二王女はもういないのね)
ふとそんな現実に思い至り、フィロシュネーは笑顔の内側にしんみりとした感傷を覚えた。
(わたくしたち、仲が悪かった。でも、なんだか『もういない』と思うと、なにかしら。言いようのない感じ)
――それまで当たり前に存在した誰かが存在しなくなるって、なんだか言葉にできない感覚がするわ。
建物の外に出れば、道の脇に並ぶ木々が枝いっぱいに花のつぼみをつけている。
これから芽吹く生命のつぼみは可愛らしい。見ているだけで胸があたたかくなる。
(そういえば、ゴールドシッターはお元気かしら)
やんちゃな姿を思い出して、自然とそちらに足が向く。
「なぜ厩舎に」
風にまぎれて、サイラスからの疑問の声が聞こえる。
「お姫様が好きこのんで足を運ぶような場所ではないですよ」
厩舎に入ると、特有の匂いがした。
土とか、草とか、生き物の体臭とか、色々な有機的な匂いが混ざった、複雑で素朴な匂いだ。
「なぜって、わたくしが行きたいと思ったからです。ほら、婚約者ですし?」
「そういえばゴールドシッターは姫の婚約者でしたね」
サイラスと冗談を交わしていると、ミランダが不思議そうな顔をしている。
「ぶひひんっ」
首をぬっと伸ばして挨拶をする黒馬ゴールドシッターは、元気そうだった。
無邪気な様子で首を振り、大きな目でフィロシュネーを見つめる馬づらは、可愛い。
(可愛いわね。それに、このお馬さんには、嘘も本当も何もない)
鼻がふんふんと呼吸を繰り返している。鼻筋を撫でるとしっかりとした触感。
撫でやすいようにと自分から身体を寄せる様子は、無邪気だ。
「姫殿下は、馬を好まれるのですね」
ミランダが意外そうに問いかける。それを好ましく感じている様子の声だ。
「ミランダ、この子におやつをあげたらダメかしら?」
ミランダの表情をうかがうと、優しい顔をしていた。
世話役に確認を取って「ひとつだけ」とニンジンを渡してくれるミランダは、優しい雰囲気。きっと善良な人だ。フィロシュネーは、そう思った。
そして、お城にいたときの侍従たちを思い出した。
(わたくし、あんまり周りにいた人たちに印象がないわ。だって、いっぱいぞろぞろと付いていて……ううん。それは、言い訳だわ)
興味がなかった。
知ろうとしなかった。
……どうでもよかった。
「ふふっ、くすぐったい」
馬の口があんぐりと大きく開いて、ニンジンに噛みつく。歯が、ちょっとだけ怖い。
立派で頑丈そうな歯。鼻息がすごい。生あったかい。生臭い。よだれは、ちょっとイヤかもしれない。はむっ、べろんっ、と、あっという間に食べていく。見ていて楽しい。
「ゴールドシッター、おいしい? よかったですわね。わたくし、野菜はあんまり好きではないの。でも、食べてみようかしら。あなたが美味しそうに召し上がるから」
フィロシュネーがニコニコしていると、ミランダが「では、夕食はニンジンを使ったお料理を出すよう手配しましょうか」と微笑んでくれる。
(わたくし、ミランダとも仲良くなれるかもしれないわ)
フィロシュネーはそう感じながらミランダに笑みを返した。
「わたくし、挑戦してみます」
『シュネー、お勉強ができなくてもいい。とりあえず可愛く笑っておきなさい』
父の言葉が胸に蘇る。
(そうね。お父様)
ミランダが優しそうに笑うから、わたくしは「ミランダは優しそうで、親しみがあって、仲良くなれるかもしれない」と感じる。
わたくしがニコニコしていたら、ミランダもわたくしが「優しそうで、親しみがあって、仲良くなれるかもしれない」と感じてくださる?
「お姫様らしくないことばかりなさって、どうしちゃったんです?」
背後からは、サイラスの声がする。
「下々を気に掛けたり、馬に触れたり……」
高貴な王族の姫らしくない。そんな声だ。
身分が下の者なんて人間ではない、ぐらいに思っているのが高位貴族や王族でしょう。
相手にどう思われても気にする価値がない、そう思うのが高貴な方でしょう。
――そんな思いが透ける声だった。
「ショックが大きすぎたのでしょうか? 今までみたいなお姫様な態度ではいけないと思ってしまった? いいのですよ、ご無理なさらなくても」
* * *
サイラスは、哀れな姫を心配していた。
まだ感受性豊かな十四歳の少女ではないか。
何不自由なく育ってきた少女には、現実がつらすぎたのだ。それで、姫は、すっかり気を病んでしまったのだ。
サイラスはそう考えた。
心労が大き過ぎたのだ。決して丈夫ではないであろう、小さくていたいけな体に、無理をさせてしまったに違いない。
心身を酷使しすぎて、魔力まで神鳥に吸われて生死の境を長く彷徨い、目覚めてすぐに祖国の敗戦を聞かされて、おかしくなってしまったのだ。
ゴールドシッターやミランダと話す姿は気丈にも元気そうに振舞っているが、その内心はどれほど悲しみと嘆きに染まり、絶望なさっていることだろう。
……愛らしく無邪気な笑顔の裏で、どれほどの悲痛に耐えていることだろう!
可哀想に。お可哀想に。
「やはり、お部屋に戻ってお休みください」
「あなた、もしかしてわたくしの気が触れたとか思っていないでしょうね……?」
姫はじっとりとした視線で不服そうに見上げてくる。この感じは、懐かしい。
「わたくし、心を病んだりはしていませんっ」
強がっているのか、本気かはわからないが、姫はそう仰った。
都市グランパークスの宿は、商会の武装兵だけでなく空国の王兵も警備に付いている。かなり物々しい。
「ミランダ、カントループはまだ戻らないのね」
「姫殿下、商会長は、商談が長引いておられるのです。でも、もうすぐ戻られますよ」
相槌を打つミランダと並んで、サイラスが付いてくる。
その立ち位置は、一応『兄』。しかし、正体はバレていて、公認の兄妹ごっこみたい。
(嘘ばっかり)
世の中、嘘ばかり。
「聖女様!」
神鳥を頭に乗せ、長い髪をなびかせて通路を歩むフィロシュネーを見ると、兵士たちは揃って畏まり、頭を垂れる。
(あっ。ありがとうのチャンスですわぁ?)
頭を垂れる中に包帯を巻いている緑髪の若い騎士を見つけたので、フィロシュネーはいそいそと近づいた。
「あなた、お怪我をなさっているのね!」
「なぜ嬉しそうなんです?」
後ろでサイラスが疑問を呈しているが、フィロシュネーは華麗にスルーした。
「わたくし、治して差し上げます」
「け、軽傷です」
声をかけられると思わなかったという顔で驚いているのは、いかにも純朴といった顔付きの若い騎士だ。ルーンフォーク・ブラックタロン卿と呼ばれていた記憶がある。
「ルーンフォーク卿、でしたか?」
「!! 俺の名をご存じで!?」
「ふふっ、当たりね! わたくし、名前を覚えるのは得意でしてよ」
王族に名前や顔を覚えられると、みんな喜ぶ。光栄に思う。みんな、良く思われたがる。
それは、フィロシュネーにとって当たり前のことだった。
後ろでむすりとしている英雄は、例外中の例外だ。
手をかざして治癒魔法を使うと、ルーンフォークは何度も肯定の声を返しつつ、熟れた林檎みたいに顔を上気させている。
「あ、あ、ありがとうございます、聖女様!」
ルーンフォークが「ありがとう」を送ってくれる。フィロシュネーはどきどきした。
(わたくし、わたくし……物語の主人公みたいに、人を助けて感謝されちゃった!)
「こちらこそ、ありがとうですわ!」
「えっ? な、なぜお礼を」
「ええと、『お礼を言われると気分がよいので、嬉しい言葉をありがとう』って意味ですわ」
(とても正直な気持ちを打ち明けますと、わたくしは誰かの役に立ちたかったのです。誰かに感謝されてみたかったのです。魔力の花びらが貯まるのが嬉しいのですっ!)
本音を隠しつつ、フィロシュネーはこれまでの十四年間で習得した表情筋操作術を駆使して、お姫様スマイルを浮かべた。
『シュネー、お勉強ができなくてもいい。とりあえず可愛く笑っておきなさい』
青王クラストスは、幼いフィロシュネーにそう諭し、礼儀作法の先生は挨拶の仕方や歩き方、手の振り方、笑顔を見せるときの首の角度までを徹底的に叩き込んだ。
(お父様、今どちらにいらっしゃるのかしら)
ちなみに、実の兄である王太子アーサーは、たまにフィロシュネーを「こいつ、王家の恥と言われるようなことやらかさないだろうな」って感じの眼で見ていた記憶がある。
まあまあ他人以上身内未満といった距離感だ。
第二王女と喧嘩していたときも、呆れた様子で遠くから見ていて、たまに「やめるように」と侍従をつかわして止めたりしていた。
基本、兄は妹たちにあまり接近しなかった。
(第二王女はもういないのね)
ふとそんな現実に思い至り、フィロシュネーは笑顔の内側にしんみりとした感傷を覚えた。
(わたくしたち、仲が悪かった。でも、なんだか『もういない』と思うと、なにかしら。言いようのない感じ)
――それまで当たり前に存在した誰かが存在しなくなるって、なんだか言葉にできない感覚がするわ。
建物の外に出れば、道の脇に並ぶ木々が枝いっぱいに花のつぼみをつけている。
これから芽吹く生命のつぼみは可愛らしい。見ているだけで胸があたたかくなる。
(そういえば、ゴールドシッターはお元気かしら)
やんちゃな姿を思い出して、自然とそちらに足が向く。
「なぜ厩舎に」
風にまぎれて、サイラスからの疑問の声が聞こえる。
「お姫様が好きこのんで足を運ぶような場所ではないですよ」
厩舎に入ると、特有の匂いがした。
土とか、草とか、生き物の体臭とか、色々な有機的な匂いが混ざった、複雑で素朴な匂いだ。
「なぜって、わたくしが行きたいと思ったからです。ほら、婚約者ですし?」
「そういえばゴールドシッターは姫の婚約者でしたね」
サイラスと冗談を交わしていると、ミランダが不思議そうな顔をしている。
「ぶひひんっ」
首をぬっと伸ばして挨拶をする黒馬ゴールドシッターは、元気そうだった。
無邪気な様子で首を振り、大きな目でフィロシュネーを見つめる馬づらは、可愛い。
(可愛いわね。それに、このお馬さんには、嘘も本当も何もない)
鼻がふんふんと呼吸を繰り返している。鼻筋を撫でるとしっかりとした触感。
撫でやすいようにと自分から身体を寄せる様子は、無邪気だ。
「姫殿下は、馬を好まれるのですね」
ミランダが意外そうに問いかける。それを好ましく感じている様子の声だ。
「ミランダ、この子におやつをあげたらダメかしら?」
ミランダの表情をうかがうと、優しい顔をしていた。
世話役に確認を取って「ひとつだけ」とニンジンを渡してくれるミランダは、優しい雰囲気。きっと善良な人だ。フィロシュネーは、そう思った。
そして、お城にいたときの侍従たちを思い出した。
(わたくし、あんまり周りにいた人たちに印象がないわ。だって、いっぱいぞろぞろと付いていて……ううん。それは、言い訳だわ)
興味がなかった。
知ろうとしなかった。
……どうでもよかった。
「ふふっ、くすぐったい」
馬の口があんぐりと大きく開いて、ニンジンに噛みつく。歯が、ちょっとだけ怖い。
立派で頑丈そうな歯。鼻息がすごい。生あったかい。生臭い。よだれは、ちょっとイヤかもしれない。はむっ、べろんっ、と、あっという間に食べていく。見ていて楽しい。
「ゴールドシッター、おいしい? よかったですわね。わたくし、野菜はあんまり好きではないの。でも、食べてみようかしら。あなたが美味しそうに召し上がるから」
フィロシュネーがニコニコしていると、ミランダが「では、夕食はニンジンを使ったお料理を出すよう手配しましょうか」と微笑んでくれる。
(わたくし、ミランダとも仲良くなれるかもしれないわ)
フィロシュネーはそう感じながらミランダに笑みを返した。
「わたくし、挑戦してみます」
『シュネー、お勉強ができなくてもいい。とりあえず可愛く笑っておきなさい』
父の言葉が胸に蘇る。
(そうね。お父様)
ミランダが優しそうに笑うから、わたくしは「ミランダは優しそうで、親しみがあって、仲良くなれるかもしれない」と感じる。
わたくしがニコニコしていたら、ミランダもわたくしが「優しそうで、親しみがあって、仲良くなれるかもしれない」と感じてくださる?
「お姫様らしくないことばかりなさって、どうしちゃったんです?」
背後からは、サイラスの声がする。
「下々を気に掛けたり、馬に触れたり……」
高貴な王族の姫らしくない。そんな声だ。
身分が下の者なんて人間ではない、ぐらいに思っているのが高位貴族や王族でしょう。
相手にどう思われても気にする価値がない、そう思うのが高貴な方でしょう。
――そんな思いが透ける声だった。
「ショックが大きすぎたのでしょうか? 今までみたいなお姫様な態度ではいけないと思ってしまった? いいのですよ、ご無理なさらなくても」
* * *
サイラスは、哀れな姫を心配していた。
まだ感受性豊かな十四歳の少女ではないか。
何不自由なく育ってきた少女には、現実がつらすぎたのだ。それで、姫は、すっかり気を病んでしまったのだ。
サイラスはそう考えた。
心労が大き過ぎたのだ。決して丈夫ではないであろう、小さくていたいけな体に、無理をさせてしまったに違いない。
心身を酷使しすぎて、魔力まで神鳥に吸われて生死の境を長く彷徨い、目覚めてすぐに祖国の敗戦を聞かされて、おかしくなってしまったのだ。
ゴールドシッターやミランダと話す姿は気丈にも元気そうに振舞っているが、その内心はどれほど悲しみと嘆きに染まり、絶望なさっていることだろう。
……愛らしく無邪気な笑顔の裏で、どれほどの悲痛に耐えていることだろう!
可哀想に。お可哀想に。
「やはり、お部屋に戻ってお休みください」
「あなた、もしかしてわたくしの気が触れたとか思っていないでしょうね……?」
姫はじっとりとした視線で不服そうに見上げてくる。この感じは、懐かしい。
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強がっているのか、本気かはわからないが、姫はそう仰った。
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