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5、鬼謀のアイオナイト

349、砂糖より塩の方が俺の心が平穏で/ わたくしが作った愛の巣ですけど

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 エルフの『まどろみの森』までは、馬車で二日ほどかかる。
 
 準備を終えて馬車に乗り込む段階になると、スケジュールの都合をつけたらしきサイラスがやってきた。見送りをしてくれるのか、とフィロシュネーが思っていると、馬車に乗り込んでくる。

「あら。神師伯様はお仕事でご多忙なのでは?」
 
 見送りならまだしも、一緒にお出かけして紅国は大丈夫なのだろうか。
 目を丸くしていると、サイラスは眉をあげた。
 
「姫? まさか俺を置いておひとりで何日も遠出なさるおつもりだったのですか?」
「えっ。護衛はつけていますわ」

 ひとりではない、と主張すると、微妙に残念そうな目が返ってくる。

「な、なんですの。その目は」
「いえ。まあ、いいでしょう。むしろそれくらいで良いのかもしれませんね」
「何が?」

 きょとんとしていると、頭痛をこらえるように頭に手を置いている。
 
「砂糖より塩の方が俺の心が平穏で姫が安全という意味です」
「むう? あなたが甘い物苦手というお話、ではないのでしょうね。冷たくしてほしいという話?」
「後者でしょうか」
「えっ……、そ、そう」
  
 謎めいたことを言っている。そのうちアルブレヒトみたいに麻縄で縛れとか言い出したらどうしよう。フィロシュネーは動揺を隠すように馬車の車窓から外の景色を見た。


 馬車が動き出して、景色が後ろへと流れていく。

 紅都の通りは、雪が積もっていて、人は少なめ。街路樹は白い粉雪で飾られている。
 行き交う人々は自分が信じる神の聖印をお守りのように握りしめ、不安そうに周りを警戒しながら足早に目的地に向かっていた。

 紅都を出ると、雪に覆われた道が一面に広がっている。馬車が進むのは、除雪され、踏み固められた雪道だ。
 
 透明な氷の結晶が窓ガラスについていて、外の光景がキラキラと輝いて見える。

「姫。エルフは自然を大切にしています。森の中ではお気をつけください」
 
 サイラスが口を酸っぱくして「いかにエルフが繊細で神経質でめんどくさいか」を語る。

 曰く、枝一本でも軽はずみにパキッと折ってはいけないとか。
 足元に気を付けて、踏み固められた道から外れてはいけないとか。
 可愛いお花があっても勝手に摘み取ったりしてはいけないとか。

「美味しそうな果実も勝手に食べちゃだめですよ」
「わたくしを分別のない子どものように扱うのをやめません?」

 日が沈む前に見えてきたのは、オレンジ色の屋根に雪を積もらせた家々が並ぶ都市だった。
 先回りした騎士が宿の手配をしていたので、夜も安心だ。

 サイラスはふと何かを思い出した様子で問いかけてくる。
 
「今夜は宿に泊まれます。嬉しいですか」
「なんだか、懐かしいことをおっしゃるのね」 
「姫の記憶力はご立派ですね。お部屋は別に取ってあるのでご安心ください」
 
 機嫌よく言ったサイラスに頷いて宿に入ると、騎士が困り顔で頭を下げてくる。
 騎士の近くでは宿の主人らしき禿頭のおじさんが一緒になって頭を下げている。何か予想外の困りごとがあったらしい――と見ていると、騎士が申し訳なさそうに口を開いた。
 
「実は、生命力吸収事件の影響で倒れた都市民や旅人の救護施設として部屋を使っていて、部屋が一部屋しかご用意できないというのです」

 なるほど、空いている部屋がひとつしかないというのだ。

 案内された部屋を見てみると、まあまあ広め。
 ダブルベッドが用意されている。

「騎士や使用人は大部屋に泊まれますね」
「さようでございます」
「なるほど」

 サイラスは少し考えてから、部屋に衝立ついたてを運ばせた。何をするのかと見ていると、ベッドの前に衝立を置いている。

「俺は衝立の外側で不寝番ねずばんをしましょう」
「まるで護衛のようなことをおっしゃるのね」
「護衛です」
「ええ……」

 「一緒に寝ましょう」とは言いにくい。
 でも、元々忙しそうだった人が「一晩中起きています」というのに「そうしてください」とは言えない。
 
 フィロシュネーはちょっと考えてから掛け布と敷き布を追加で運ばせた。
 
「ずっと起きていなくても、簡易ベッドを用意して眠ったらいいと思いますの」
「眠りません」
「なぜ……」

 掛け布と敷き布をずるずると敷いていると、見かねたように手伝ってくれる。
 フィロシュネーは仕上げに枕を置いてあげた。

「ふふっ、なんだか、ナチュラさんの巣作りみたいですわね」
「す、巣作り……」

 微妙な表情で動きを止めているサイラスがおかしい。いつもだけど。
 フィロシュネーはニコニコした。
 
「ほら、サイラス。できましたわよ。ここが愛の巣ですわ!」

 手でぽふぽふと簡易ベッドを叩くと、「自分がつくった」という達成感や誇りに似た感情が湧いてくる。でも、サイラスはびっくりした様子で目を見開いていた。
 
「なんとおっしゃいましたか、姫?」
「えっ、『わたくしが作った愛の巣』ですけど。あなたも手伝ってくれたから、共同作業ね」
「その煽るようなご発言は、わざとですか?」
「? 何がですの」
「いえ……」

 サイラスは困ったような表情で顔をそむけた。
 最近、よくこんな顔をさせてしまう。フィロシュネーは申し訳なく思った。
 
(巣という言い方が気に入らなかったのかも。そうよね、鳥扱いですもの。サイラスは特に、生まれ身分のコンプレックスがあるのですもの)

 脳裏に過ぎるのは、愛読してきた恋愛物語の数々。そして、社交の場で貴婦人たちが語る婚約者や配偶者の愚痴だった。

 『毎日のように顔を合わせて初めてわかりましたの。この相手とは感性が合わないのだと……』
 『私にとっては耐えがたいことなのに、私の旦那様はそれが理解できないのですわ』
 
(大変。わたくし、サイラスが何を嫌がっているかをちゃんと理解して改善しないとは、は、……)

 ――破局してしまうのでは!
 
 何が悪かったのかは理解している、と思う。フィロシュネーは、サイラスの過去を知っている。本人も散々言っていた。
 
 『俺は貴族が嫌いです』
 『上流階級の貴族たちは、底辺出身者を暇つぶしの遊戯の駒やアクセサリーのように扱うものでした』
 『あの箱入りの姫君は、俺を愛玩動物やアクセサリー、着せ替え人形のように思っておられるようです』
 
 フィロシュネーは、生まれ身分だけでサイラスにはマイナス印象なのだ。気を抜いて偉そうに振る舞ってはいけない。
 
「ごめんなさい。わたくし、また失礼なことを言ってしまいましたわ。あなたを鳥さん扱いしたわけではありませんの。ただ、ほら、何かを創るって楽しいでしょう? 愛の巣という言葉もありますし、悪い意味ではなかったのですわ」
「くっ……、もういいです。俺は姫のことを悪く思っていませんので、休んでください」
 
 謝罪すると、サイラスはくるりと背を向けてしまった。

「ええ。おやすみなさい、サイラス」
「おやすみなさい、姫」
  
 フィロシュネーは反省しつつ、自分のベッドにもぐりこんだ。
 
(サイラスが「石の力で部屋を増やしましょう」とか、「部屋の広さを広くしてベッドを増やしましょう」とか言い出さなくてよかったわ)
 
 そこまでできてしまったらどうしようかと思った。できないことがあって――もしくは、「そうする」ことを思いつかないでくれて、よかった。

「わたくし、なんでもできちゃう神様よりも、人間のあなたが好きよ」 

 そっと吐息まじりに小声で言って、フィロシュネーは心地よい眠りに浸った。
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