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4. 夫、それはダメだろう?!
しおりを挟む翌朝、ノアルファスことノアは自室の寝台で目覚めた。
夫婦の繋ぎ部屋となっている扉をじっと見つめ、すぐに目線を反らす。
「そんなところで寝ているはずもないか」
基本、この国では結婚した夫婦は繋ぎ部屋で閨を共にすることが多い。勿論、個人の私室にも寝台は用意されている。
だが、自分達は契約結婚。だから、繋ぎ部屋などもう使われておらず、フィリスはきっと彼女の自室で寝ているに違いないと、そう思ったのだ。
まあ、憶測だけで、繋ぎ部屋に確認しに行く勇気はないのだが······。
「それにしても、初夜で子供を授かるとは」
幸運だった?跡継ぎが出来るかもしれない事を考えれば、確かに幸運だったのかもしれない。
だけど······子供が産まれる事を考えれば、心が締め付けられるように苦しいのは何故だろうか。
『契約の目標達成ですね!』なんて笑顔で言われて、離縁を突き付けられるのだろうか······。
「まあ、どのみちそうなっていた事だ。それに俺がそう願ったことだしな」
ノアはその思考を捨てるように首を振った。
外交には全く必要のない、鍛え上げられた身体を清め、彼は邸で過ごすためのゆったりとしたシャツとスラックスを身に着ける。
フィリスの懐妊の知らせを聞いて、慌てふためき、日程を早めて急遽帰邸したのが昨日。
国王にも報告は済んでいて、“暫く休暇を取り、少し妻を労わりなさい”との言葉と共に臨時休暇をひと月も貰った。
貰った、は良いものの······考えてみれば全く彼女との接点がなくノアは途方にくれる。
「とりあえず、朝の挨拶に行くか。可能であれば共に朝食をとって······」
部屋を出て廊下に足を踏み出せば、すぐ隣のフィリスの部屋から怒鳴り声が聞こえてノアは足早に部屋に近づいた。
だが、それがレオンのものであることがすぐに分かり、ノアは顔を顰める。
昨日の態度といい、レオンがフィリスをとても気にかけているのは明白。でも、どうして、あいつが彼女の部屋に入っているのだろうか?
もしかしたら、自分の留守中に二人の距離が急速に縮まったのかもしれない······。
そう考えた瞬間、自分でも分からない、どんよりと黒い感情に埋め尽くされてノアは扉の前に立ち尽くす。
「なんで、無理矢理食べさせようとするんだ!可哀相だろ!いい加減にしろよ」
「レオンハルト様、フィリス様は何も食べていらっしゃいません。栄養を取らなくてはと······」
部屋を覗き見れば、湯桶を手に嘔吐を繰り返すフィリスと、その背中を優しく擦っているレオン。そして彼がメイド達に厳しく当たり散らしているのが見えた。
「栄養なんて、食べられるときになったらで十分だと母上も言っていた!フィリスの食べたい物を食べたい時にだけ、食べれるだけでいいんだよ!!なんで······なんで、誰もフィリスの事を分かろうとしてあげないんだ!」
その時、ノアの中でその黒い感情が弾けた。
言うならば、大きく膨らんだ風船が割れ、そこから真っ黒なドロドロした液が流れ出てきたような感覚。
彼はフィリスの部屋に踏み込むと、レオンに向かって冷ややかな瞳を向けた。
「レオン、感心しないぞ。他人の妻の名を呼び捨てで呼ぶなど。公爵家の人間としてそのような教育はされてきていない筈。それに、栄養は取って貰わねば困る。契約に従いしっかり元気な子供を産んでもらわなくてはいけないからな」
「兄上っ!兄上も”契約”ばかりを気にするなど······おかしいです!自分の事しか考えられない所······本当に父上と似てらっしゃいますね······」
ノアはそのレオンの反抗的な態度に苛立った。
だから後先考えず、言葉を出任せに発してしまったのだ。
「はん、それはお前もだろう?人の妻の寝室にまで入り込むとは。それにそれを許す妻も妻だ。本当に俺の子か気になるな」
その瞬間、部屋の時間が止まったかのように静まり返り、凍りついた。
それは、言ってはいけないと分かっていてつい口が滑ってしまった事による事故だった。
二人は歳が近いし、レオンは他人への気遣いに長けている。だから、感情の制御ができなかっただけ。
だが、口から出てしまった言葉は取り返せない。
言ってしまったら、もうそれは······無かった事になどできないのだ。
そんな事、子供じゃあるまいし、分かっていた筈なのに······。
「いや、その······気になる、というのは······「もう、出て行ってください」
フィリスの弱弱しい声が部屋に響く。
「その······い、いまのは違うんだ······!」
「もう、お願いだから!一人にしてくださいませんか!?出て行って下さい!今は誰とも······話したくないの······ですっ······」
ポロポロと涙が彼女の頬を伝い、流れ落ちて、床を濡らす。
メイド達が気持ちを察して部屋を出て、レオンはフィリスの肩を軽く擦った後、ノアの横を通って退出した。
「今の発言、男としてどうなのですか」という台詞をすれ違いざまに呟き、足早に廊下を歩いて行くレオンを見送って······。
······ノアは······踵を返して、部屋から出るとそっと扉を閉めた。
脚が前に進まなかったのだ。ここで彼女に何をしてあげればいいのか、全くわからなかった。悔しくて、情けなくて、ノアルファスは壁を叩いて顔を俯ける。
「あんなこと、言うつもりではなかったのに······!」
レオンが馴れ馴れしく自分の妻に触れていたから。レオンが勝手に彼女の部屋に入り、彼女の気持ちを汲んで傍に寄り添っていたから。
自分のできないことを全て軽々しくやってのける弟が羨ましくて······あんな言葉を!
後悔に苛まれるノアの背後から、執事の声が聞こえ、彼はすぐに振り返った。
「旦那様、ボルマン医師からお話があるそうですが······後に致しますか?」
「······いや、今聞こう」
◆
ノアは邸の執務室、大きなソファに腰掛ける。
そんな彼の前で、公爵家お抱えの医師ボルマンが深く腰を折った。
「公爵様、奥様の懐妊ですが」
「ああ、ボルマン医師、診察ご苦労」
「誠におめでとうございます」
「ああ」
「奥様の御様子を見るに、大体妊娠2~3ヵ月といった所でしょうか。身体の変化が大きく出るころです。精神的にも安定しないかと······」
「······あ······あぁ」
ノアは先程言ってしまった言葉を思い出す。
言葉は時に刃物となり他人の心を傷つける。そして今の状況がまさにそれだ。
それも、妊娠で精神的に安定していない妻にあんな事を······。と罪悪感に襲われ、それを悟られないように医師を見た。
「あまりストレスを溜め込みますと、そちらの方が御身体に障ります。公爵様の母上も一度それで御子を······」
「は?!」
ノアは予想だにしなかった、あまりの内容に驚き、目を見開く。
「はい······あの時は大変お辛そうでした。支えになってあげられる方もおらず」
「······なるほど。では、彼女は私がしっかりと見張ろう。食事の件はどうするのだ?それとあの嘔吐はどうにかならないのか」
「御食事は食べたい時に食べれるだけでよろしいかと。嘔吐は······この時期は悪阻というもので仕方のないことで。耐えていただくしか······」
「そうか······ツワリか······わかった。料理長とメイド達にはそのように告げよう」
「はい。それと、もし安定期に入れば、運動や閨事など制限も少し緩和されます。ですが無理は禁物です」
閨事ときいてノアは目を反らす。きっと今の彼女は一緒の寝台でも眠ってくれるかわからないから。
「ああ、わかった。とりあえず、その安定期とやらまでは安静にしていてもらおう」
医師と執事の居なくなった部屋で、ノアは盛大に溜息をついた。
「どうするんだよ······知らなかったとはいえ、既に精神的に負担を与えてしまったなど······夫として失格だ······」
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