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1巻
1-1
プロローグ
五年前――妹が生まれたその日から、予感はしていた。
殺されるか捨てられるか。おそらく、わたしに待ち受けている運命はそのどちらかであろうと。
暗い暗い夜の闇。
自分の背丈ほどしかない小さな祠の前で、膝を抱えてうずくまる。
――わたしはもうじき、死ぬのだろう。
それは、「破魔家」の家に生まれながら無能として生きるわたしには、当然の帰結だったのかもしれない。
☆
わたし――道間ユキが「破魔」の家系である道間家に生を受けたのは、今から十五年ほど前のことだ。
赤子だったので覚えていないが、産み落としたわたしを見た母は悲鳴を上げ、父は代々当主に受け継がれる破魔の力がこもった太刀の切っ先を産声を上げるその喉元に突きつけたという。
道間家は、破魔家と呼ばれる魑魅魍魎を祓う一族だ。
家の起こりは、遡ること江戸時代。
先祖をたどれば平安時代。
物の怪や鬼と言った「悪しきもの」を祓うことを生業とする道間家において、尊ぶべきは「黒」だった。
同時に、それ以外の色を、「鬼の呪い」と呼び忌み嫌う。
――わたしは、生まれながらにして髪が少し生えていたそうだ。
そして、その色は「赤」だった。
正確には、赤みの強い茶色。
ゆえに父はわたしを斬ろうとし、けれどもギリギリで踏みとどまった。
それは、わたしが父の長子であり、体の弱い母が二人目を望めるかどうかわからなかったからだと聞く。
父はわたしを「鬼の呪い子」と呼び、我が子と口にすることはなかった。
母はわたしのような子を産んだ衝撃で心を病み、その存在を頭から否定した。
わたしは道間家の離れで乳母によって育てられた。
忌み嫌われる容姿であろうと、道間家の血は絶やせない。
そのまま母に次の子ができなければ、わたしは次代の「子」を産む道具として使われるのだろう……子供ながらに、漠然とそう思っていた。
さらに父を絶望させることに、わたしは道間家に生まれながらにして、「無能」だった。
魑魅魍魎を祓う力のない、ただの人間。
それを知った父は、何がなんでも次の子をと思ったのだろう。心を病んだ母を療養という名目で別邸に追いやり、妾を持った。
そして……わたしが十のときに、妹が生まれたのだ。
「黒」を持って生まれた妹に、父は狂喜乱舞した。
その瞬間。
わたしは子を産む道具としても父から不要とみなされたことを理解した。
赤子のころに死を免れたものの、近いうちに「処分」される、と。
それでも十五まで生かされたのは、妹がある程度大きくなるまで様子を見るつもりだったのかもしれない。
幼子が死ぬのはよくあるから、保険のつもりで残したのだろう。
妹が五歳になり、強い破魔の力を宿していると知った父は、ついにわたしを「処分」することに決めたのだ。
斬られると思っていたけれど、父はわたしを捨てることにしたようだ。
もっとも、斬られても捨てられても、待ち受ける運命は同じ。
「……こんなときでも、お月様は綺麗ね」
闇色に染まった木の葉の間から、金色の満月がわたしを見下ろしている。
なぜ、わたしはこんな赤茶色の髪で生まれてきてしまったのだろうか。
物心ついたときから幾度と自問し、答えがないことを理解しているのに、またそんなことを考えた。
わたしの髪が黒であれば、たとえ破魔の力を持たずとも捨てられることはなかっただろう。
無能だとしても、産む子までそうだとは限らない。
過去には無能の母から強い力を持った子が生まれたこともあり、道間家では能力を持たない娘も、次代の「母体」として丁重に扱われる――色が黒であれば。
だからこの髪が黒であれば、きっとそれなりにわたしも可愛がってもらえただろう。
母も心を病むことはなかった。
わたしはそっと自分の髪に触れる。
ろくに手入れをしていないために手触りが悪く、ごわごわしていてちっとも綺麗ではない。
離れに閉じ込められ、座敷牢のような小さな部屋の中でただ生かされていただけのわたし。
それでも、屋根のある部屋にいられただけましだったなと、はあ、と白い息を吐き出しながら思った。
飢えるのが先か、凍え死ぬのが先か。
冬の山の中だ、凍えるほうが先だろうか。
いつの間にかはらりはらりと舞い落ちはじめた雪に、わたしはつい、自分の名前を嗤う。
ユキ……漢字を当てれば「幸」だそうだ。
親に名を付けてもらえないわたしを、憐れんだ乳母はそう呼んだ。
いつの間にかその名が定着し、名付けなかったという事実など忘れて、父は娘の名を「ユキ」とした。
幸……忌み嫌った娘にその名が付けられたことに、何も感じなかったのだろうか。
感じなかったのだろう。
父の中で、わたしの存在はどうでもいいものであるに違いないから。
それにしても、冬の山は暗い。
帝都の夜はガス灯が煌々としているけれど、周囲に民家のない山奥で頼れるのは月明かりだけだ。
その月も、ゆっくりと漂う雲に覆われ、気が付いたら見えなくなっていた。
……わたしは明日の朝まで生きていられるかしら?
膝を抱えてうずくまり、そっと息を吐く。
どうせ死ぬのなら早めに死んだほうが苦しまない。
わかってはいるのだが、人間というものは、死が目前に迫っていても、生にしがみつきたくなる生き物なのかもしれない。
あと少し、少しだけ、生きていたかった――
わたしにこの名を付けてくれた乳母が願ったように、死ぬ前に「幸せ」というものを知りたかった。
乳母が去り、ひとりぼっちになった離れの中でずっと願った、わたしの「幸せ」。
誰でもいい。
わたしを必要としてくれる人に、出会いたかった……
寒さのせいか、意識がとぎれとぎれになりはじめていたわたしの耳に、がさりと落ち葉を踏むような音が聞こえた。
ぼんやりしながら膝の間から顔を上げ、ぱちりぱちりと緩慢に瞬く。
一瞬、お月様が落ちてきたのかと思った。
だが、それはすぐに勘違いだとわかる。
目の前に現れたのは、月のように綺麗な金色の髪に赤紫色の瞳をした背の高い男性だった。
白に赤い紅葉の模様が美しい羽織を纏い、腕を組んでじっとわたしを見下ろしている。
その目は驚くほど怜悧で、同時に、わたしをひどく憎んでいた。
……鬼。
彼は「鬼」だ。
すぐにそれを理解した。
腐っても破魔の家系に生まれた者だからだろうか。
人となんら変わらない外見をしている彼が鬼なのだと、直感が告げている。
はじめて見る鬼。
おそろしく冷ややかで怖いのに、このときわたしは、ただただ彼のその怜悧さが美しいと、そう思った。
「……道間の、女狐か」
うずくまったわたしに、彼は忌々しそうに言う。
女狐なんてはじめて言われた。
なんの力もないちっぽけなわたしが「女狐」なんて呼ばれるとは――
その言葉が決して誉め言葉ではないことはわかっていたけれど、なんだかおかしくなる。
彼はわたしを、道間の人間として警戒しているのかもしれない。
魑魅魍魎を祓う力がなく父から忌み嫌われていたわたしを警戒する必要は、どこにもないのに。
「……ふふ」
「何がおかしい」
「いえ……」
寒さで頭の動きが鈍くなっているのかもしれない。
この状況で笑えた自分に驚くと同時に、ああ、それもそうかと得心する。
――ひとりで死に逝く定めだと覚悟していたのに、誰かに看取られる……たとえそれが、わたしを憎んでいそうな鬼だとしても、嬉しいのだ。
笑いながら、意識が朦朧としていくのがわかる。
ぼんやりしている間に、周囲にうっすらと雪が積もりはじめていた。
「……死ぬのか」
わたしの様子を眺めながら、鬼が軽く目を見張る。
そんな顔をしていても、やっぱり綺麗……
鬼は人を惑わすために美しい顔をしていると聞いたことがあるけれど、まさしくその通りだ。
鬼の呪い子と呼ばれたわたしが鬼に看取られて死ぬとは、ちょっと変で面白い。
ゆっくりと目を閉ざすと、体を支えられなくなって、うずくまった姿勢のままこてんと横に倒れた。
ずっと凍えるような寒さの中にいて、限界に来ていたようだ。
「死ぬのか」
鬼は一歩わたしに近づいて、もう一度つぶやいた。
薄く笑おうとしたわたしのそばに、膝をつく。
そしてゆっくりと手を伸ばして、わたしの首に指を巻き付けた。
軽く力が込められて、わたしは完全に目を閉じる。
死に逝くわたしに、止めを刺してくれるのだろうか。
殺されそうになっているのに、なぜかそのことに安堵してしまう。
このまま鬼が立ち去ってひとりで死を待つよりは、彼の手にかかるほうがましだと、わたしはそう思ったのだ。
徐々に徐々に力が込められていく。
すでに朦朧としているからか、あまり苦しさは感じない。
「……死ぬのなら、俺の手で殺してやろう。道間」
それが「道間ユキ」として聞いた、最後の言葉だった。
鬼の隠れ里
――ぽかぽかと暖かいのが不思議だった。
ぼんやりと瞼を持ち上げたわたしは、そのまま何度か目をしばたたく。
……ここ、は?
ふわりと肌に触れるのは、柔らかくて温かい布団の感触だった。
パチパチと火が爆ぜるような音がする。首をめぐらせると、両手で抱えられないほど大きな火桶が置いてあった。
火の爆ぜる音は、そこからしているようだ。
火桶のおかげか、布団か。それともその両方か。
先ほどまで凍えていたはずのわたしは、まるで春の日差しに包まれているかのように暖まっていた。
……ええっと。
記憶がつながらなくて、布団に横になったまま首をひねる。
ここはどこで、わたしはどうして眠っていたのか。
確か、父の命令を受けた道間家の使用人に山奥に捨てられたはずだった。
彷徨い歩いているうちに小さな祠を見つけて、そこで膝を抱えて自分に訪れる死を待っていたのだ。
そして、綺麗な鬼に会った。
……そうよ、わたしは鬼に殺されたはず。
殺されたというよりは、情けをかけてもらったのほうが正しいのか。
舞い落ちる雪に埋もれながら徐々に命の灯が小さくなっていくわたしを、彼は一思いに殺してくれようとしたのだ。
最後に、首にかけた鬼の指にぐっと力がこもったのを感じた。
それから記憶が途絶えているのだが……順当に考えれば死んだはず。
それが、ここで寝ているのはどうしてだろう。
ここは死後の世界なのだろうか。
横になったまま考えているところに、すっと襖の開く音がした。
首をめぐらせると、牡丹の絵柄の襖の奥に鬼が立っている。
わたしを殺した――いや、殺そうとした? 鬼だ。
死んだのか、死んでいないのか。
自分のことなのによくわからなくて、わたしはただただじっと彼を見つめた。
明るいところで見ても、やっぱり綺麗だ。ぐっと眉を寄せた不機嫌な顔で、畳の上を歩いてくる。
そしてわたしの枕もとで、腕を組み仁王立ちになった。
このまま寝ているのは失礼な気がしたので上体を起こし、布団の上に正座をして彼に向き直る。
「あの……」
「お前は死んだ」
戸惑うわたしに、彼は冷ややかな声で告げた。
わたしがぱちりぱちりと瞬くと、布団の横に胡坐をかいて座る。
何も理解できていないわたしは、いったい何を訊ねていいのかもわからなかった。ただ瞬きを繰り返す。
そこで彼が一つ息を吐いた。
「道間……いや、もう道間ではないな」
道間で、ない?
それはわたしが道間家から捨てられたからだろうか。
それとも、他に意味があるのだろうか。
やっぱり何も言えないでいるわたしに、彼は端的に訊ねた。
「名は?」
「……ユキ、と呼ばれておりました」
「そうか。では、ユキ。お前は、死んだ」
「…………さようで、ございますか」
たっぷり沈黙して、理解できないまま頷く。
彼は形のいい眉を跳ね上げて、じろりとわたしを睨んだ。
「理解しているのか?」
「いいえ、理解しておりません……」
けれど、それを訊ねていいものかすら判断できない。
道間家では、わたしは「問う」ことを許されなかった。
疑問を抱くことも、それに否を唱えることも、何一つ許されてこなかった。そんなわたしにとって、訊ねるという行為はひどく戸惑いをもたらす。
悩み、惑って、おずおずと問いではなく「確認」を入れることにした。
「わたしは、死んだのでございますね」
彼はそっと息を吐き出した。
そして、吐き捨てる。
五年前――妹が生まれたその日から、予感はしていた。
殺されるか捨てられるか。おそらく、わたしに待ち受けている運命はそのどちらかであろうと。
暗い暗い夜の闇。
自分の背丈ほどしかない小さな祠の前で、膝を抱えてうずくまる。
――わたしはもうじき、死ぬのだろう。
それは、「破魔家」の家に生まれながら無能として生きるわたしには、当然の帰結だったのかもしれない。
☆
わたし――道間ユキが「破魔」の家系である道間家に生を受けたのは、今から十五年ほど前のことだ。
赤子だったので覚えていないが、産み落としたわたしを見た母は悲鳴を上げ、父は代々当主に受け継がれる破魔の力がこもった太刀の切っ先を産声を上げるその喉元に突きつけたという。
道間家は、破魔家と呼ばれる魑魅魍魎を祓う一族だ。
家の起こりは、遡ること江戸時代。
先祖をたどれば平安時代。
物の怪や鬼と言った「悪しきもの」を祓うことを生業とする道間家において、尊ぶべきは「黒」だった。
同時に、それ以外の色を、「鬼の呪い」と呼び忌み嫌う。
――わたしは、生まれながらにして髪が少し生えていたそうだ。
そして、その色は「赤」だった。
正確には、赤みの強い茶色。
ゆえに父はわたしを斬ろうとし、けれどもギリギリで踏みとどまった。
それは、わたしが父の長子であり、体の弱い母が二人目を望めるかどうかわからなかったからだと聞く。
父はわたしを「鬼の呪い子」と呼び、我が子と口にすることはなかった。
母はわたしのような子を産んだ衝撃で心を病み、その存在を頭から否定した。
わたしは道間家の離れで乳母によって育てられた。
忌み嫌われる容姿であろうと、道間家の血は絶やせない。
そのまま母に次の子ができなければ、わたしは次代の「子」を産む道具として使われるのだろう……子供ながらに、漠然とそう思っていた。
さらに父を絶望させることに、わたしは道間家に生まれながらにして、「無能」だった。
魑魅魍魎を祓う力のない、ただの人間。
それを知った父は、何がなんでも次の子をと思ったのだろう。心を病んだ母を療養という名目で別邸に追いやり、妾を持った。
そして……わたしが十のときに、妹が生まれたのだ。
「黒」を持って生まれた妹に、父は狂喜乱舞した。
その瞬間。
わたしは子を産む道具としても父から不要とみなされたことを理解した。
赤子のころに死を免れたものの、近いうちに「処分」される、と。
それでも十五まで生かされたのは、妹がある程度大きくなるまで様子を見るつもりだったのかもしれない。
幼子が死ぬのはよくあるから、保険のつもりで残したのだろう。
妹が五歳になり、強い破魔の力を宿していると知った父は、ついにわたしを「処分」することに決めたのだ。
斬られると思っていたけれど、父はわたしを捨てることにしたようだ。
もっとも、斬られても捨てられても、待ち受ける運命は同じ。
「……こんなときでも、お月様は綺麗ね」
闇色に染まった木の葉の間から、金色の満月がわたしを見下ろしている。
なぜ、わたしはこんな赤茶色の髪で生まれてきてしまったのだろうか。
物心ついたときから幾度と自問し、答えがないことを理解しているのに、またそんなことを考えた。
わたしの髪が黒であれば、たとえ破魔の力を持たずとも捨てられることはなかっただろう。
無能だとしても、産む子までそうだとは限らない。
過去には無能の母から強い力を持った子が生まれたこともあり、道間家では能力を持たない娘も、次代の「母体」として丁重に扱われる――色が黒であれば。
だからこの髪が黒であれば、きっとそれなりにわたしも可愛がってもらえただろう。
母も心を病むことはなかった。
わたしはそっと自分の髪に触れる。
ろくに手入れをしていないために手触りが悪く、ごわごわしていてちっとも綺麗ではない。
離れに閉じ込められ、座敷牢のような小さな部屋の中でただ生かされていただけのわたし。
それでも、屋根のある部屋にいられただけましだったなと、はあ、と白い息を吐き出しながら思った。
飢えるのが先か、凍え死ぬのが先か。
冬の山の中だ、凍えるほうが先だろうか。
いつの間にかはらりはらりと舞い落ちはじめた雪に、わたしはつい、自分の名前を嗤う。
ユキ……漢字を当てれば「幸」だそうだ。
親に名を付けてもらえないわたしを、憐れんだ乳母はそう呼んだ。
いつの間にかその名が定着し、名付けなかったという事実など忘れて、父は娘の名を「ユキ」とした。
幸……忌み嫌った娘にその名が付けられたことに、何も感じなかったのだろうか。
感じなかったのだろう。
父の中で、わたしの存在はどうでもいいものであるに違いないから。
それにしても、冬の山は暗い。
帝都の夜はガス灯が煌々としているけれど、周囲に民家のない山奥で頼れるのは月明かりだけだ。
その月も、ゆっくりと漂う雲に覆われ、気が付いたら見えなくなっていた。
……わたしは明日の朝まで生きていられるかしら?
膝を抱えてうずくまり、そっと息を吐く。
どうせ死ぬのなら早めに死んだほうが苦しまない。
わかってはいるのだが、人間というものは、死が目前に迫っていても、生にしがみつきたくなる生き物なのかもしれない。
あと少し、少しだけ、生きていたかった――
わたしにこの名を付けてくれた乳母が願ったように、死ぬ前に「幸せ」というものを知りたかった。
乳母が去り、ひとりぼっちになった離れの中でずっと願った、わたしの「幸せ」。
誰でもいい。
わたしを必要としてくれる人に、出会いたかった……
寒さのせいか、意識がとぎれとぎれになりはじめていたわたしの耳に、がさりと落ち葉を踏むような音が聞こえた。
ぼんやりしながら膝の間から顔を上げ、ぱちりぱちりと緩慢に瞬く。
一瞬、お月様が落ちてきたのかと思った。
だが、それはすぐに勘違いだとわかる。
目の前に現れたのは、月のように綺麗な金色の髪に赤紫色の瞳をした背の高い男性だった。
白に赤い紅葉の模様が美しい羽織を纏い、腕を組んでじっとわたしを見下ろしている。
その目は驚くほど怜悧で、同時に、わたしをひどく憎んでいた。
……鬼。
彼は「鬼」だ。
すぐにそれを理解した。
腐っても破魔の家系に生まれた者だからだろうか。
人となんら変わらない外見をしている彼が鬼なのだと、直感が告げている。
はじめて見る鬼。
おそろしく冷ややかで怖いのに、このときわたしは、ただただ彼のその怜悧さが美しいと、そう思った。
「……道間の、女狐か」
うずくまったわたしに、彼は忌々しそうに言う。
女狐なんてはじめて言われた。
なんの力もないちっぽけなわたしが「女狐」なんて呼ばれるとは――
その言葉が決して誉め言葉ではないことはわかっていたけれど、なんだかおかしくなる。
彼はわたしを、道間の人間として警戒しているのかもしれない。
魑魅魍魎を祓う力がなく父から忌み嫌われていたわたしを警戒する必要は、どこにもないのに。
「……ふふ」
「何がおかしい」
「いえ……」
寒さで頭の動きが鈍くなっているのかもしれない。
この状況で笑えた自分に驚くと同時に、ああ、それもそうかと得心する。
――ひとりで死に逝く定めだと覚悟していたのに、誰かに看取られる……たとえそれが、わたしを憎んでいそうな鬼だとしても、嬉しいのだ。
笑いながら、意識が朦朧としていくのがわかる。
ぼんやりしている間に、周囲にうっすらと雪が積もりはじめていた。
「……死ぬのか」
わたしの様子を眺めながら、鬼が軽く目を見張る。
そんな顔をしていても、やっぱり綺麗……
鬼は人を惑わすために美しい顔をしていると聞いたことがあるけれど、まさしくその通りだ。
鬼の呪い子と呼ばれたわたしが鬼に看取られて死ぬとは、ちょっと変で面白い。
ゆっくりと目を閉ざすと、体を支えられなくなって、うずくまった姿勢のままこてんと横に倒れた。
ずっと凍えるような寒さの中にいて、限界に来ていたようだ。
「死ぬのか」
鬼は一歩わたしに近づいて、もう一度つぶやいた。
薄く笑おうとしたわたしのそばに、膝をつく。
そしてゆっくりと手を伸ばして、わたしの首に指を巻き付けた。
軽く力が込められて、わたしは完全に目を閉じる。
死に逝くわたしに、止めを刺してくれるのだろうか。
殺されそうになっているのに、なぜかそのことに安堵してしまう。
このまま鬼が立ち去ってひとりで死を待つよりは、彼の手にかかるほうがましだと、わたしはそう思ったのだ。
徐々に徐々に力が込められていく。
すでに朦朧としているからか、あまり苦しさは感じない。
「……死ぬのなら、俺の手で殺してやろう。道間」
それが「道間ユキ」として聞いた、最後の言葉だった。
鬼の隠れ里
――ぽかぽかと暖かいのが不思議だった。
ぼんやりと瞼を持ち上げたわたしは、そのまま何度か目をしばたたく。
……ここ、は?
ふわりと肌に触れるのは、柔らかくて温かい布団の感触だった。
パチパチと火が爆ぜるような音がする。首をめぐらせると、両手で抱えられないほど大きな火桶が置いてあった。
火の爆ぜる音は、そこからしているようだ。
火桶のおかげか、布団か。それともその両方か。
先ほどまで凍えていたはずのわたしは、まるで春の日差しに包まれているかのように暖まっていた。
……ええっと。
記憶がつながらなくて、布団に横になったまま首をひねる。
ここはどこで、わたしはどうして眠っていたのか。
確か、父の命令を受けた道間家の使用人に山奥に捨てられたはずだった。
彷徨い歩いているうちに小さな祠を見つけて、そこで膝を抱えて自分に訪れる死を待っていたのだ。
そして、綺麗な鬼に会った。
……そうよ、わたしは鬼に殺されたはず。
殺されたというよりは、情けをかけてもらったのほうが正しいのか。
舞い落ちる雪に埋もれながら徐々に命の灯が小さくなっていくわたしを、彼は一思いに殺してくれようとしたのだ。
最後に、首にかけた鬼の指にぐっと力がこもったのを感じた。
それから記憶が途絶えているのだが……順当に考えれば死んだはず。
それが、ここで寝ているのはどうしてだろう。
ここは死後の世界なのだろうか。
横になったまま考えているところに、すっと襖の開く音がした。
首をめぐらせると、牡丹の絵柄の襖の奥に鬼が立っている。
わたしを殺した――いや、殺そうとした? 鬼だ。
死んだのか、死んでいないのか。
自分のことなのによくわからなくて、わたしはただただじっと彼を見つめた。
明るいところで見ても、やっぱり綺麗だ。ぐっと眉を寄せた不機嫌な顔で、畳の上を歩いてくる。
そしてわたしの枕もとで、腕を組み仁王立ちになった。
このまま寝ているのは失礼な気がしたので上体を起こし、布団の上に正座をして彼に向き直る。
「あの……」
「お前は死んだ」
戸惑うわたしに、彼は冷ややかな声で告げた。
わたしがぱちりぱちりと瞬くと、布団の横に胡坐をかいて座る。
何も理解できていないわたしは、いったい何を訊ねていいのかもわからなかった。ただ瞬きを繰り返す。
そこで彼が一つ息を吐いた。
「道間……いや、もう道間ではないな」
道間で、ない?
それはわたしが道間家から捨てられたからだろうか。
それとも、他に意味があるのだろうか。
やっぱり何も言えないでいるわたしに、彼は端的に訊ねた。
「名は?」
「……ユキ、と呼ばれておりました」
「そうか。では、ユキ。お前は、死んだ」
「…………さようで、ございますか」
たっぷり沈黙して、理解できないまま頷く。
彼は形のいい眉を跳ね上げて、じろりとわたしを睨んだ。
「理解しているのか?」
「いいえ、理解しておりません……」
けれど、それを訊ねていいものかすら判断できない。
道間家では、わたしは「問う」ことを許されなかった。
疑問を抱くことも、それに否を唱えることも、何一つ許されてこなかった。そんなわたしにとって、訊ねるという行為はひどく戸惑いをもたらす。
悩み、惑って、おずおずと問いではなく「確認」を入れることにした。
「わたしは、死んだのでございますね」
彼はそっと息を吐き出した。
そして、吐き捨てる。
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これは、
誰にも評価されなかった兵站官(へいたんかん)が、
隣国の辺境伯にだけ価値を見抜かれ、
人生を取り戻す物語。
今更「戻ってきてくれ」と泣きつかれても、
私は隣国の最高機密ですので――!