その男、幽霊なり

オトバタケ

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霜月

16

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 テーマパークを出て港町に移動して、今夜の宿であるホテルに入った。
 今日もツインルームで、同室者は海老原だ。
 晩飯を終えて部屋に戻り、ベッドに腰掛けて部屋にあった観光冊子を読んでいる俺の目の前には、昼食時のやりとりの影響なのか、俺をガードするように男が仁王立ちしている。
 海老原は男の威嚇など気にする様子もなく、向かいのベッドにうつ伏せになって本を読んでいる。
 ふいにベッドから立ち上がった海老原が窓際に移動してカーテンを開けて、少し外を覗いたあと窓を開けてバルコニーに出ていった。

「凄い綺麗な夜景だよ。宇佐美くん達も見においでよ」

 楽しそうな声で誘ってくる。

「アンタ、見たいか?」
「ええ。拓也が嫌でなければ」

 どうせやることがなかったし、どれくらい綺麗な夜景なのか興味が湧いたのでバルコニーに向かう。
 ピンと張り詰めた冷えた空気がチクリと肌を刺すが、気の引き締まるような心地好い寒さだ。
 振り返って俺達が出てきたのを確認した海老原が、紹介するように夜景に視線を戻す。
 部屋は七階だが、暗さで地上との距離感を殆ど感じないので恐怖で足が竦むこともない。

 海老原の隣に立って夜景を見ようとすると、すうっと二人の間に移動してきた男が、俺と海老原が隣り合わせになるのを阻止してきた。
 何故そんなに海老原を敵視するのだろうか?
 男が一人で必死になっているだけで海老原は相手にしていないようなので、あまり深刻に考える必要はないようだが。
 苦笑しながら、夜景に目を向ける。
 安易な言い方だが、宝石箱をひっくり返したようなその景色に息を呑む。
 隣に立つ男も目を奪われたようで、無言で夜景を眺めている。

「あーあ、ボクも好きな人と一緒に眺めたかったな。眠たくなっちゃったからお風呂入ってくるね。ボク長風呂だから一時間は出てこないから、二人はゆっくり夜景見ててね」

 ふわぁと欠伸をする小さな口を押さえて、部屋に戻っていく海老原。

「海老原の好きな人って誰なんだろうな?」

 もう少しこの美しい景色を眺めていたかったのでバルコニーに留まることにしたのだが、先程の海老原の発言が少し気になった。
 今まで、海老原とは恋愛に関する話をしたことなどなかったからだ。

「カニなんとかの話なんてしないでください」
「なに一人で拗ねてるんだよ」

 不機嫌丸出しの声色に思わず吹き出してしまうと、男は下唇を噛んで眉を寄せて、益々ガキ加減を増していった。

「何が気に入らないか分からないけど機嫌直せよ」
「手を繋いでくれたら直します」
「仕方ねーなー。ほら」

 折角の夜景をそんな顔で見るのは勿体無いと思い右手を差し出すと、顰めっ面をくしゃりと崩して破顔した男の左手が重ねられた。
 冷えた空気に晒されていた掌に優しい熱が広がるのを感じながら眼下の色とりどりの光を眺めていると、ふとある光景が脳裏に浮かんだ。

「アンタ、プラネタリウムって知ってるか?」
「ええ。投影機から発した光をドーム状の天井のに映し出して星を再現する施設ですよね?」
「どこで仕入れてきたのか知らないけど、アンタって現代の生活に精通してるよな。まぁそれはいいんだけど、この夜景を見てたらプラネタリウムで見た星空を思い出したんだ」
「地上に瞬く星、ですか」
「星か……。じゃあ、あれは流れ星だな」

 道路を行き交う車のライトを指差す。

「消えるまでに願い事を三回唱える、でしたっけ?」
「あぁ。でも、あれは消えないし数が多すぎるから願っても叶わないだろうな」

 ここから見たら綺麗な光も、近付けば排気ガスを吐き出す地球にとっては毒にしかならない乗り物のライトだ。
 他の灯りだって、半分以上はつける必要のないネオンだろう。
 客寄せの為につけられた汚い灯りを見て、綺麗だと感じてしまっているなんて……。
 素直に綺麗だと認められない捻くれ者の俺が、一番汚いのかもな。
 自嘲しながら、地上のきらびやかな星に霞んでしまっている星空を仰ぐ。
 地上の星とは違う、慎ましやかな美しさがある。

「星空も綺麗ですね」

 俺の視線の先に気付いた男が、同じように空を仰いで呟いた。

「アンタは、どっちが綺麗だと思う?」
「どちらもそれぞれの美しさがあるので、どちらか一つには決めかねますね。どちらも拓也の美しさには敵いませんが」

 空を仰いでいた視線を俺に移した男に、射抜くように見つめられる。

「美しいとか言うな。そんなこと言われても嬉しくない」

 前に男に同じようなことを言われた時はカチンときたのに、今回はカチンとくるどころかトクンと胸が高鳴ってしまった。
 男の、あの瞳がいけないんだ。
 慌てて顔を逸らすが、時すでに遅しで、心臓はヘビメタのドラムばりに鳴り響いている。

「拓也……」

 優しい熱が、ふわりと体を包んでくる。

「好きです。愛しくて愛しくて堪らない」

 大切なものを護るように俺を抱き締める男が、耳元で切なげに告げてきた。
 耳から入ったその声が、体中を切なさで染めていく。
 ただ切ないだけではない、温かさも優しさも感じる不思議な感覚だ。
 胸の奥が熱いような擽ったいような締め付けられるような、グチャグチャな感情でツキンと痛んで、泣きたくなってくる。
 昨日、名前も知らない女子に同じ台詞を吐かれても何とも思わなかったのに、男の言葉は心を激しく動かして感情の波を荒立ててきた。

「それって友達的な意味でだろ?」
「いいえ。愛の告白ですよ」
「俺は男だ……」
「分かっていますよ。男の拓也ではなく、拓也が好きなんです。目を閉じて見える拓也の美しさに惹かれたんです」

 目を閉じて見える俺……。
 男であるとか、生きている人間であるとか、といった外面を覆う俺ではなく、俺自身に惹かれた?

 スルスルと、体に巻き付いていた鎖が外れていく感覚がする。
 身軽になった体の中心に、偏見や固定観念の鎧の無くなった素の心が現れる。
 素の心は男の想いを素直に受け入れ、喜びに満たされて震えている。

 同じ男のアンタを? もう生きてはいない幽霊のアンタを?
 そんなカタチは関係なく、アンタ自身が……
 俺はアンタが……好きだ。

「俺は……」

 素の心に従って想いを告げようとすると、ふいに夏休みに考えていたことが頭を過った。
 男を満足させれば成仏するのではないか。生身の体が欲しいと願わせれば、輪廻転生する為にあの世に旅立っていくのではないか。
 アンタに想われて嬉しいと言ってしまったら、俺もアンタが好きだと言ってしまったら、満足して成仏してしまうのではないか?

 アンタが隣に居ない生活なんて考えられない。
 俺が生きている間も、あの世に旅立ってからも、ずっと隣に居て欲しい。
 アンタが成仏してしまう可能性のあることは避けなければ……。

「幽霊の男に好きだとか言われても嬉しくない」

 好きな相手の想いを受け止められ、俺の想いも受け止めてもらえる、こんなに嬉しいことはない。
 だけど、アンタを隣から失いたくない。
 喉まで上がってきている愛しい想いは無理矢理飲み込んで、素っ気なく言う。

「拓也……」

 切なげに名を呼ばれて、男を傷付けてしまったのでは、と思って焦る。
 すると、体を包んでいた優しい熱が遠退いていった。
 嫌だ、離れていかないでくれ……。
 縋るように見上げた男はにこやかに微笑んでいて、優しい色を宿した瞳で俺を見つめていた。
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