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親友の秘密

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 授業のない休日の午後、俺は殿下に誘われて城の離れを訪れていた。
「殿下? わたくしに会わせたい方がいるということでしたが……」
「うん。君が私にマリーを引き合わせたように、私も君に会ってほしい人がいるんだ」
 俺のように。つまり殿下は、俺に婚約者として娘を紹介しようとしているのだろうか。
 確かに、殿下がマリーと婚約すれば俺も男として暮らすことになり、婚約者が必要になってくるだろう。
 俺がマリーを見つけたように、殿下が俺を想い紹介する娘ならきっと間違いはないのだろう。
 殿下がそれ以上何も言わないから、俺も前を進む殿下に黙って付いていく。殿下の足は離宮の、更に奥へと進んでいった。
 離宮には、主に陛下の妾たちが暮らしている。離宮と呼ばれてはいるものの、造りは一本の大きな廊下を中心として、そこから各部屋へと道が分かれて伸びており、基本的に妾たちが顔を合わせずに暮らすことのできるようになっている。
 もちろん、部屋に籠りきりでは精神にもよくないだろうと談話室や見晴らしの良い庭も用意されていた。あいにく今日は天気が悪いため、ほとんどは部屋か談話室にいるようで廊下や庭に人影はない。
 その中でも再北に位置する部屋の前に立つと、殿下は俺を振り返った。
「……ここだよ」
 殿下はそう言って俺に微笑むと、人気のない廊下に煩く響くノックで部屋の主に呼び掛けた。
「アザリナ、私だ」
「サフィール様? よくぞいらしてくださいました!」
 明るく弾む声を返事に、殿下は自ら扉を開けて中へと入ってしまう。
 殿下がいらっしゃったというのに扉も開けないとはどういうことだろうか。そう思った俺の疑問は、部屋の中の彼女を見た瞬間に消え去ってしまった。
「……あら? 今日はお一人ではないのですか?」
「あぁ。今日は私の親友を連れてきたよ」
 まぁ、と嬉しそうな声を上げたアザリナと呼ばれた娘は両手を叩くと座っていた椅子から立ち上がる。
 その際に、ドレスの裾を自ら踏んでしまい、バランスが崩れたところをすかさず殿下が駆け寄ってその両肩を支えた。
「大丈夫かい? 気を付けないと」
「ありがとうございます、殿下」
 殿下の手は当たり前のように彼女の体に触れていて、彼女もまた安堵した様子で殿下の方を見上げている。
 その距離感を目にすれば、二人の間に積み重ねられた時間の存在を嫌でも意識させられた。
 アザリナはそのまま何かを探すように後ろ手に手をさ迷わせる。
 その姿を微笑みと共に見下ろした殿下は、さ迷う彼女の手を取り、ソファの肘掛けに導いた。
「困ったときは言って欲しいと言っただろう?」
「すみません、殿下でしたら言葉にしなくてもわかってくださるのではないかと思い甘えてしまいました」
 微笑む彼女の瞳に、光は宿らない。それは、離れた位置からでもはっきりと見てとれた。
 不自然なほどに色素の薄い瞳と、殿下の方を見ているようだが実際には殿下の頭の先へと向けられている視線。
 アザリナは、おそらく目が見えていない。だから、殿下は彼女が扉を開けに来る前に部屋へと入ったのだろう。
「さ、ティオ、こっちへ」
「……!」
 ティオ。それは殿下が俺に付けた男としての名前だった。
 公式の場で呼ばれることは決してない。子供の頃の遊びの一つだ。何がきっかけだったかはもう覚えていないが、何かの勝負をして負けた方が言うことを聞くというなんとも単純な遊びの中で、殿下は俺に男として話してほしいと命令してきた。
 さすがにその時にティアナと呼ばれるのは気持ちが悪いということで、殿下が付けた名前がこれだ。
 二人だけの秘密の遊び。
 両親ですら、俺が男の口調や態度で殿下と接していることを知らない。そんな背徳感が子供の遊びには魅惑的なスパイスになっていたのだ。
「……はい」
 ティオと呼ばれたからには、女の振りは必要ない。
 幸い、アザリナの目には俺の長髪もドレスも映っていない。
 目が見えないので、なるべく存在がわかるように足音を立ててソファに座ったアザリナの前に立つ。
 気配を感じたのか、彼女はどこをみているかわからない眼差しで俺のいる方を見上げた。
「私は南のコルテカ王国から参りました。アザリナ・ローデンクトです。いつもサフィール殿下には良くしていただいております」
 コルテカ王国。遥か南の小国の王女か。
 この国では珍しい褐色の肌と、癖の強い深い黒髪は確かに話で聞いていた南部出身の人々の特徴に一致している。
 自然と浮かべられた笑顔はまるで太陽のように眩しい。
 マリーの微笑みが月のようなら、アザリナはまさしく太陽だった。
 光を知らぬはずなのに、本来の明かりよりも眩しい。
「俺はティオ。幼い頃より殿下のお側に仕えさせていただいている」
「では、私なんかよりもずっと殿下と一緒にいるのですね。羨ましいです」
 真っ直ぐに宙へと伸ばされた彼女の手を、恐る恐る握り返す。
 あり得ない話だけれど、太陽のような彼女の手はもしかしたら驚くほどに熱いかもしれない。そんな馬鹿げたことを考えていた。
 俺の心配は杞憂に終わって、マリーよりは熱い掌から離れるとアザリナは俺の方を見上げて何やらにこにこと笑みを浮かべている。
「普段の殿下はどのようにお過ごしなのですか? 殿下はよく私に会いに来て下さるのですが、いつもどんな花が咲いたとか、綺麗な景色を見たとかのお話ばかりなのです。それはとても素敵なのですが、私はもっと殿下自身のお話も聞きたいのです」
「そんなもの、面白くないと思うよ?」
「そんなことありません。私が聞きたいのです」
 苦笑を浮かべる殿下の方へと顔を向け、アザリナは怒ったような、ふて腐れたような、それでいて幸せそうな声で首を振った。
 彼女を見つめる殿下の眼差しも、今まで見たことがないほどに柔らかいものであった。
 苦笑したまま殿下は俺の方を向くと、困ったように肩を竦めた。
「……ということだ。アザリナに何か話してくれないかな」
「俺がですか? 殿下のお話なのですから、ご自身でなさればよいではありませんか」
「自分で自分の話をするのはなんだか恥ずかしくてね」
 どこまでが本気なのかよくわからない笑顔。
 俺は大きくため息を吐くと、お望みの通り普段目にする殿下の姿を話し始めた。
 特別なことは何もない。
 ただ俺が毎日目にして、感じている殿下の姿を言葉にするだけ。
 たったそれだけのことで、見えないはずのアザリナの瞳には光が宿る。そして、その様子を見守る殿下の瞳にも、同じ光が宿っていた。
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