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5.ゆらぐ気持ち
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仕事終わりに佐原に連れて来られた先は、駐車場だった。
意外だったのは、佐原が車で通勤していたことだ。聞くとその日の気分で車か電車か通勤の方法を選択しているらしかった。
佐原の愛車メルセデスベンツのSUVの助手席に乗せられ、到着したのは銀座にあるイタリアンレストランだ。
「おい、佐原どういうことだ?」
佐原にはプレイに誘われたはずだ。Dom/Subのプレイをするのなら、ラブホテルや相応の場所に連れて行かれるとばかり思っていたのに。
「腹減ったから、まずは飯食ってからな」
佐原は涼しい顔で店内に入っていくが、和泉は戸惑った。
この店には一度来たことがある。『ポルト』という店名も変わりない。
和泉が大学一年生のときに、初めて尚紘とデートらしいデートをしたときに訪れた店だ。
大学生にしては少し背伸びをした店で、「初デートの記念に」と言って尚紘に奢られた記憶がある。
最後に訪ねたのは八年ほど前の話だ。八年経ってもまだ店の雰囲気は、当時の面影を十分に残していた。
席に案内され、シンプルなコース料理を頼んだあと、必然的に佐原と向き合う。
「佐原。お前はどこでこの店を知ったんだ?」
店に連れてこられたときからずっと気になっていた。外食できる店ならごまんとあるのに佐原はなぜこの店を選んだのか。
「え? 知り合いに教えてもらったんだ。ここのコース料理は値段の割に美味いって。前々から一度来てみたかったんだよ」
「へぇ。佐原は初めてなのか……」
特別な理由はなさそうだ。偶然、同じ店になっただけなのかもしれない。
「和泉は? 来たことあるのか?」
「大学生のころに、一度だけな」
尚紘とふたりでこの店を気に入って、いつかまた行きたいと話してはいたものの、なんとなく訪ねることのないまま時が過ぎてしまったのだ。
いつか行こう。ではダメだった。できることは叶えられるうちに叶えておかないと、ある日唐突に、やりたかったことは叶えられなくなる。
「そうだったのか。何か思い入れのある店なのか?」
「えっ?」
驚いた。佐原は結構鋭いタイプの男のようだ。
「まぁ、少し……」
「どんなことがあったんだ?」
尚紘との思い出は、誰にも話したことがない。和泉はダイナミクスをNormalだと偽ってきたからDomのパートナーの話なんて共有したくても、できるはずがなかった。
だが佐原には和泉がSubだとすでにバレている。そのことで、少し和泉の口が軽くなる。
「昔、パートナーのDomと来た店だ」
「尚紘って奴か?」
その名前を出されて一瞬怯んだが、佐原は何もかも知っているんだと思い直し、和泉は「そうだ」と頷いた。
「そっか。まぁ、今日はその思い出にじ浸れよ」
なんだか不思議な感覚だ。こんな世間話みたいに誰かと尚紘の話をするなんて。
「和泉が好きになったDomなんて、相当いい男だったんだろうな」
「たしかに俺にはもったいないくらいのいい奴だったよ……」
尚紘は最高のDomだった。あんな事故さえなければずっと一緒にいたかった。今も生きて和泉のそばにいてくれたら。それこそこの店に一緒に尚紘と訪れて、こんなふうに向かい合って初デートの思い出話でもしていたかもしれない。
「相手が俺で残念だったな」
「お前もな」
佐原も気の毒な男だ。本当なら和泉じゃなくて別の相手を誘いたかったのだろうから。
やがて料理が運ばれてきた。
数種類の前菜が一つの大きなプレートにまとめられているのだが、どれも美味い。
ナッツとキヌア入りのシーフードカクテルサラダも、ローストビーフも、一口サイズのカツレツも、オリーブやピクルスも他とはひと味違う。
和泉の普段の食事は簡素なものばかりだ。朝は通販サイトで購入したスムージー。昼と夜は食べ飽きたコンビニ飯と栄養バランスを摂るためのサプリメント。いつもそれをものの五分で食べて終わる。
料理は苦手だし、ひとりぶんを作るのも億劫で、ひとり暮らしを始めてすぐにやめた。
食事を楽しむ、なんて言葉をすっかり忘れていた。久しぶりに美味しい食事にありつけて和泉の頬が緩む。
「和泉が嬉しそうだと俺も嬉しいよ」
佐原はそう言って料理に手もつけずにこちらを見て口元を緩める。
「なんだよ、お前も食べろよ」
「気に入ったならまたお前を連れてくるよ」
「いい。遠慮する」
反抗心から突っぱねてみたものの、次に運ばれてきたパスタを食べて気が変わりそうだった。
手打ちのタリアテッレパスタに濃厚なボロネーゼソースが絡んでめちゃくちゃ美味い。
コンビニのミートソースでじゅうぶんだと思っていたのにこれは全く別の代物だ。
そういえば、昔、尚紘が手打ちパスタにやたら感動していたことをふと思い出した。「こんな美味いもの世の中にあったんだ!」なんて大袈裟に騒ぐからウェイターに「そんなに感動してくださりありがとうございます」などと笑われて恥ずかしい思いをしたんだった。
思い出してまた尚紘に会いたくなる。少し目が潤んできたが、まさかこんなところで泣くわけにはいかないと意識を切り替える。
目の前の佐原は何も言わずに静かに食事をしている。よかった。放っておいてもらえて。
今、尚紘の話をしたらきっと堪えきれなくなりそうだったから。
意外だったのは、佐原が車で通勤していたことだ。聞くとその日の気分で車か電車か通勤の方法を選択しているらしかった。
佐原の愛車メルセデスベンツのSUVの助手席に乗せられ、到着したのは銀座にあるイタリアンレストランだ。
「おい、佐原どういうことだ?」
佐原にはプレイに誘われたはずだ。Dom/Subのプレイをするのなら、ラブホテルや相応の場所に連れて行かれるとばかり思っていたのに。
「腹減ったから、まずは飯食ってからな」
佐原は涼しい顔で店内に入っていくが、和泉は戸惑った。
この店には一度来たことがある。『ポルト』という店名も変わりない。
和泉が大学一年生のときに、初めて尚紘とデートらしいデートをしたときに訪れた店だ。
大学生にしては少し背伸びをした店で、「初デートの記念に」と言って尚紘に奢られた記憶がある。
最後に訪ねたのは八年ほど前の話だ。八年経ってもまだ店の雰囲気は、当時の面影を十分に残していた。
席に案内され、シンプルなコース料理を頼んだあと、必然的に佐原と向き合う。
「佐原。お前はどこでこの店を知ったんだ?」
店に連れてこられたときからずっと気になっていた。外食できる店ならごまんとあるのに佐原はなぜこの店を選んだのか。
「え? 知り合いに教えてもらったんだ。ここのコース料理は値段の割に美味いって。前々から一度来てみたかったんだよ」
「へぇ。佐原は初めてなのか……」
特別な理由はなさそうだ。偶然、同じ店になっただけなのかもしれない。
「和泉は? 来たことあるのか?」
「大学生のころに、一度だけな」
尚紘とふたりでこの店を気に入って、いつかまた行きたいと話してはいたものの、なんとなく訪ねることのないまま時が過ぎてしまったのだ。
いつか行こう。ではダメだった。できることは叶えられるうちに叶えておかないと、ある日唐突に、やりたかったことは叶えられなくなる。
「そうだったのか。何か思い入れのある店なのか?」
「えっ?」
驚いた。佐原は結構鋭いタイプの男のようだ。
「まぁ、少し……」
「どんなことがあったんだ?」
尚紘との思い出は、誰にも話したことがない。和泉はダイナミクスをNormalだと偽ってきたからDomのパートナーの話なんて共有したくても、できるはずがなかった。
だが佐原には和泉がSubだとすでにバレている。そのことで、少し和泉の口が軽くなる。
「昔、パートナーのDomと来た店だ」
「尚紘って奴か?」
その名前を出されて一瞬怯んだが、佐原は何もかも知っているんだと思い直し、和泉は「そうだ」と頷いた。
「そっか。まぁ、今日はその思い出にじ浸れよ」
なんだか不思議な感覚だ。こんな世間話みたいに誰かと尚紘の話をするなんて。
「和泉が好きになったDomなんて、相当いい男だったんだろうな」
「たしかに俺にはもったいないくらいのいい奴だったよ……」
尚紘は最高のDomだった。あんな事故さえなければずっと一緒にいたかった。今も生きて和泉のそばにいてくれたら。それこそこの店に一緒に尚紘と訪れて、こんなふうに向かい合って初デートの思い出話でもしていたかもしれない。
「相手が俺で残念だったな」
「お前もな」
佐原も気の毒な男だ。本当なら和泉じゃなくて別の相手を誘いたかったのだろうから。
やがて料理が運ばれてきた。
数種類の前菜が一つの大きなプレートにまとめられているのだが、どれも美味い。
ナッツとキヌア入りのシーフードカクテルサラダも、ローストビーフも、一口サイズのカツレツも、オリーブやピクルスも他とはひと味違う。
和泉の普段の食事は簡素なものばかりだ。朝は通販サイトで購入したスムージー。昼と夜は食べ飽きたコンビニ飯と栄養バランスを摂るためのサプリメント。いつもそれをものの五分で食べて終わる。
料理は苦手だし、ひとりぶんを作るのも億劫で、ひとり暮らしを始めてすぐにやめた。
食事を楽しむ、なんて言葉をすっかり忘れていた。久しぶりに美味しい食事にありつけて和泉の頬が緩む。
「和泉が嬉しそうだと俺も嬉しいよ」
佐原はそう言って料理に手もつけずにこちらを見て口元を緩める。
「なんだよ、お前も食べろよ」
「気に入ったならまたお前を連れてくるよ」
「いい。遠慮する」
反抗心から突っぱねてみたものの、次に運ばれてきたパスタを食べて気が変わりそうだった。
手打ちのタリアテッレパスタに濃厚なボロネーゼソースが絡んでめちゃくちゃ美味い。
コンビニのミートソースでじゅうぶんだと思っていたのにこれは全く別の代物だ。
そういえば、昔、尚紘が手打ちパスタにやたら感動していたことをふと思い出した。「こんな美味いもの世の中にあったんだ!」なんて大袈裟に騒ぐからウェイターに「そんなに感動してくださりありがとうございます」などと笑われて恥ずかしい思いをしたんだった。
思い出してまた尚紘に会いたくなる。少し目が潤んできたが、まさかこんなところで泣くわけにはいかないと意識を切り替える。
目の前の佐原は何も言わずに静かに食事をしている。よかった。放っておいてもらえて。
今、尚紘の話をしたらきっと堪えきれなくなりそうだったから。
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