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 そして、和平協議へ

146話 私はその言葉に従い、歩んで行こうと思う

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「まっさか、宰相さんから恋愛相談受けることになるだなんてねえ」

 病院にて。さきほど私は、ソノコへとはっきり好意を伝えた。互いの気持ちを確認し合い、周囲の者たちへもその旨を周知した。真っ赤になったソノコを見送ったあとに。往診を装って私の病室へやってきたレヴィ医師は、苦笑して応接椅子に座った。私はその言葉を否定はせずに人払いし、彼と相対する。

 彼はリシャール殿下の采配で、和平交渉の際の派遣医師に含まれた人物だ。表向きはマディア公爵夫人のためではあったが、その実はソノコの精神状態を確認するため。どうやらソノコがルミエラで懇意にしていた女性医師とは師弟関係にあるらしい。
 ソノコがどういう状況でレテソルへと来たのかを把握していて、かつ、的確な接し方を心得ている。女性的な言い回しや仕草をするのもその一環のようだった。尋ねてみると「まあ、職務上それがいいことの方が多いんですよ」と言われた。経歴書には未婚だとあったが、婚姻の印である指輪をしているのもそれに関わることだろうか。

「ソノコは――あなたの目から見て、どうだった」
「いい子ですね」

 即答されて、私は笑った。それはおそらく、彼女に接したことのあるすべての人間の感想だろう。そしてレヴィ氏は言葉を続けて「ただそのいい子なところが、彼女の弱さの現れだとも思います」と述べた。私はそれに「興味深いな、どういうことだろうか」と返す。

「基本的に考え方が破れかぶれなんですよ、あの子。自分がどうなってもいいと、心のどこかで考えている。だから博打みたいなこともできるし、他の人ばかりを優先した言動になる」
「自傷願望があるということだろうか?」
「そうとも言えますが、もっとはっきりしない感覚じゃないですかね。そもそも、自分のことをそんなに重要な人間だと感じていないようです。彼女の場合、自傷することもないように思います」

 私は疑問に思い「それは、どういうことなのだろうか。重要ではないと感じているからこそ、自傷に走るものだと思っていたのだが」と尋ねる。

「彼女、納得しているんですよ。自分がだれにとっても重要ではないという、その考え方に」

 私はその言葉を受け取り損ねた。なにを言っているのだろう。彼女は、とりわけルミエラからマディア領へ来てからというもの、生来のものと思われる善性を駆使していろいろな人を助けて回っていたではないか。交通局には彼女への感謝をつづった手紙が何通も届いたと聞いているし、マディア公爵邸内でさえ、彼女を高く評価する声があった。

「まあ、いくらか探りは入れてみましたけれどね。自分のお国で、親族からそれほど大切にされていなかったようです」
「虐待されていたということか?」
「いえ、たぶん、『無関心』。……そうですね。衣食住は保証されていたのでしょう。かなり上等な教育も受けられている」

 言葉を選ぶように間を置いて、レヴィ氏は続けた。

「けれど、親族の話になると歯切れがよくない。じーちゃんとばーちゃんのことは、饒舌に語ってくれましたけれどね」
「祖父母以外のことは」
「兄がふたりいる、とだけ。その話題に触れられるのが嫌というよりは、話すべきことがないのだと……答えづらいのではなくて、答える材料がないのだろうと僕は感じました」

 私が返答に困っていると、レヴィ氏は「なので、きっと共に暮らしていたわけではないのでしょう。なにかの事情で途中から祖父母と共に暮らしていたのだと思います」と結論づけた。

「途中から、というのは?」
「とても幼いころから、話に聞いた愛情深いじーちゃんばーちゃんに育てられていたら、あんな風に無価値感を全肯定していないですって。それでも歪みなくやってこれたのは、表面上だけでも整えることができるくらいには愛されたってことなんでしょう」

 その言葉を、私はどう受け止めればよいのかわからずに戸惑う。私の目に映っていたのは、明るくて、いつも朗らかなソノコの姿だけだった。そこに陰りを見たことはないし、彼女の心になにか淀んだ沈殿物があるとも考えたことはなかった。レヴィ氏は私の心への重い置き土産と言わんばかりに、「――ソノコちゃんは、自覚こそしてはいないものの、死んでしまったじーちゃんばーちゃん以外に、自分を『本当に』愛する人間はいない、と考えていますよ」と付け加えた。
 ――私は……どうしたらいいのだろう。

 レヴィ氏は考えに沈む私をじっと見て、「――ルミエラでの、ソノコちゃんへの横恋慕事件、覚えてます?」と言った。私が「もちろんだ。あなたはそのことを手当てするためにも派遣されたのだろう?」と返すと、彼は「むしろそのためです」と笑った。

「僕の後輩のフォーコネが主治医として診ていましたが。彼女からいろいろ所見は聞いています。彼女の患者に幾人か同じ状況の女性がいるそうで」
「それは、良い医師に会えてよかった」
「ミュラ公使のご紹介とのことですよ。結果的に僕につながったので、彼に美味しいものでもごちそうしてあげてください」
「わかった」

 私がうなずくとレヴィ氏は笑った。そしてすぐに医師の顔に戻る。

「――つきまとい被害に遭った女性は多くの場合、過度に人目を気にするようになったり、人混みを恐れたりするようになります。その点ではソノコちゃんもいっしょだったそうです」
「そのことはレアから聞いている。特に男性に過剰に反応すると」
「そうですね。そこで、フォーコネは彼女になんと言ったと思います?」

 茶目っぽく尋ねられたところで私にわかるはずがない。少しの時間考えたが、降参して答えを問う。

「『あなたは普通の人。女優でも女王でもお姫様でもない。だからだれかに見られているかもなんて考えなくていい』」

 病室内に静寂が落ちた。なるほど、という気持ちと、それはある意味荒療治だな、という思いがあった。レヴィ氏は「ソノコちゃんはね。それを聞いたとき、泣いたんだそうです」と言った。

「……『そうですよねえ』って、泣いたんだそうです。うれしそうに。同様の被害に遭った女性の患者さんの中では、混乱していてその言葉を理解できず、すぐには受け入れられない人もいたそうですが。けれど……ソノコちゃんにとって、だれかが自分を特別視しているということの方が、受け入れがたい事実のようです」

 ソノコを思い浮かべているのだろうか。レヴィ氏の表情は柔らかく、けれどどこか陰があった。

「フォーコネがそれを……『彼女がだれかに注目されている』ということを否定したのは、彼女の奥底にある『自分はだれにとっても無価値である』という考え方を肯定してしまったのだと思います。それによって、なるほど、彼女がこれまで歩いてきたとおりに歩むことはできるでしょう。でも、それって健全ですか?」
「いや」

 問いかけに私は即座に首を振った。違う。そうじゃない。そんな仕方で、笑っていてほしいのではない。彼女は、ソノコは、価値ある存在だ。たとえ彼女自身が、今はそれを認められなかったとしても。

「宰相さん、僕ね。ソノコちゃんがかわいい」

 父というには若いだろう。だが、彼はそんな気持ちでいるのかもしれない。私はうなずいて、その言葉の先を待った。

「あの子に、ちゃんと幸せになってほしいんですよ。だれか他の人の幸せを、幸せそうにながめているだけじゃなくて。ちゃんとそれを、自分も望んでいいのだと気づいてほしい。わかるかな。あの子、いいこなんです。とても」
「わかるとも」
「だからね、お尋ねしたい。あなた、あの子を幸せにする気あります?」

 即答しかけて、やめた。そんな軽い問いかけではない。レヴィ氏と視線が絡んだ。私は私の気持ちに偽りがないことを確認する。心はもう、決まっている。決めた。深呼吸をして、私は口を開いた。

「――もちろん。この世のだれよりも幸せにする。彼女が……それを望んでくれるならば」

 レヴィ氏は笑った。これまでのどの表情よりも生き生きとして、若々しかった。そして「わかっていると思うけど。ソノコちゃん、あなたのことはだいじょうぶみたいだしね。信頼もしている。……このままあなたに任せれば寛解できるかもしれない」と言う。努めてソノコの周囲には、女性であったり制服の人間だけを配置するようにはしていたが。私もそうは感じていたので、少しだけ面映ゆくなる。
 そして、レヴィ氏が述べたその『寛解』という言葉は、つきまとい被害によるソノコの心身異常のみを指してはいないだろう。それは続いた言葉からも知れた。

「……宰相さん、これは僕の持論なんだけれどね。特別に教えちゃう。――あのね、人間は、いつだって愛されるべき生き物なの」

 秘密を分け合うように彼はささやいた。その言葉は、きっとこれからの私の行動指針となって行くと思う。

「――愛を示すのに、遅すぎることなんてないのよ。どんな場合でも。だから……今から教えてあげて。あなたは愛されるべき人だって。……ソノコちゃんに」
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