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なんでここでそのイベントが?!(原因は大体自分)

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授業は、大学方式で教授ごとに教室があり、学生が移動する。
そのため、質問などで休憩・移動時間を消費してしまうと、次の授業に遅れてしまう可能性がある。休み時間はそれなりに余裕があるとはいえ、そんなときは仕方がないので走って移動する。
スサンナはそれぞれの授業で予習復習もしているが、やはり知らないことが多く、授業の後で教授に質問して参考資料などを教えてもらうことが多い。


この日も同じく、歴史の授業で質問したら教授が嬉しそうに参考資料をいくつも教えてくれ、概要まで説明してくれたので休憩の残り時間が少なくなり、淑女として良くないことだが廊下をかなりの勢いで走っていた。
次は刺繍の授業で、少し教室が遠いのだ。こうなることが分かっているので、同じ授業を選択していてよく話すクラスメイトには、先に行ってもらうようにしている。
魔法の実技で、一通りの基礎の次に空間魔法を教えてもらった。これが非常に便利なもので、異空間に物品をしまえるのだ。貴族はもちろん、貴族に仕えたい人には必須の魔法らしい。実際に、クラスメイトは誰も教材などを持ち歩く姿を見たことがない。
商人にも人気の魔法で、平民なら習得すれば就職に有利になるという。その空間魔法のおかげで、荷物を持たずにしっかり走れる。
スカートだけが邪魔だが、こればかりは仕方がない。

そして、誰かに見つからないようなるべく足音を消して全速力で走っていると、進行方向の扉が開いた。
残念ながら、反射神経は良くない方なので、すぐには止まれず。
「っきゃあああ?!」
「おっ、と」
ぎゅむ。
無理やり止まろうとして体勢を崩したスサンナを、さっと支えてくれた腕があった。
その大きな手は、たわわに実るスサンナの胸を見事に掴んだ。なんなら、ひともみした気がする。
自分で言うのもなんだが、前世に比べて凹凸がはっきりした女性的な魅力のあるボディラインだと思う。さすがエセとはいえヒロインだ。
「っ!すまない」
しっかり掴んでいた胸から手を離して、さっと立たせてくれたのは、アードルフだ。
ぶつかったタイミングで胸を掴まれたのはこれで3回目だろうか。
「こちらこそ、毎度お恥ずかしい所を……」


シナリオは全力でスルーしているのに、どういうわけかアードルフ限定でお色気イベントが発生する。
エセ乙女ゲームの記憶によると、学園でのお色気イベントの相手は第二王子だったりエンシオだったりウオレヴィだったりとバラバラだったはずなのだが、ことごとく攻略対象ではないはずのアードルフが相手なのだ。
わかる限りイベントが発生する場所を避けて通っているものの、慌てているときや気を抜いているときに限ってアードルフに遭遇するのだ。その後ろに、第二王子がいることも少なくない。
きっと落ち着きのない残念女子だと思われていることだろう。

魔法の実技授業では、風魔法を練習していて思い切り自分のスカートをめくりあげてアードルフにパンツを見られた。たまたまそちらにはアードルフしかいなかったので、他の人には見られなかったことだけが救いだ。
階段から落ちかけて下にいたアードルフに抱きつき、思い切り彼の顔に胸を押し付けたこともある。普段はコルセットなど着けず、ブラジャーは薄いスポーツブラのようなものなので、布越しの触感がばっちり伝わっただろう。あのときはさすがのアードルフも固まっていた。
スサンナがこけそうになったところをアードルフが支えようとして、胸だけでなく、お尻や太ももを触られたこともある。
逆に、バランスを崩したスサンナの手がアードルフの胸や腕、股間に触れてしまうこともあった。アードルフは事故だから気にしなくていいと言ってくれたが、場合によったら不敬罪が適用される案件だろう。
股間はさすがに申し訳なさ過ぎて土下座しようとしたが、困ったように微笑んだだけで許された。冷たくされないところをみると、どうやらおっちょこちょいと認識し、寛容に許してくれているようだ。

そんなわけで、アードルフからは特に何もしていないので、完全にスサンナが痴女だ。
好きな人に見せたい姿ではないが、避けようがないので仕方ない。ラッキースケベだと思って我慢してくれているといいのだが。

買い物で街に出たときにも、宿屋の息子などが相手の同じようなエセ乙女ゲームのお色気イベントの情報が脳内を駆け巡るが、きちんとその場所を避ければシナリオ通りの事故は発生しない。
学園で、アードルフに対してだけ起こってしまう。

エセ記憶によると、第二王子とのイベントのときには、たまに悪役令嬢が一緒にいてチクチクとお小言をもらうことになるのだが、よく似たシチュエーションでも第二王子にぶつかるようなことはなく、すべてアードルフが被害を被っていた。
第二王子をかばう形での対処もあったように思うので、ある意味スサンナにとって被害者を増やさないでいてくれる防波堤でもある。
それにしても、最初よりも明らかに接触が増えていて申し訳なくなる。

「次の授業のために急ぐのは分かりますが、気を付けてくださいよ」
「本当に申し訳ありません!ラウティオラ様にばかりご迷惑をおかけしてしまって」
一目惚れした相手に残念な姿ばかり見せてしまっていて、若干落ち込む。羞恥に頬を染めて俯くと、アードルフがふふ、と笑った。その声を聞いて、思わず見上げて固まった。
いつも誰にでも涼やかな(むしろ感情を乗せず冷たい)表情なのに、たまにスサンナに向けてこうやって微笑まれると心臓が跳ねる。勘違いしそうになるから、毎回自分に『これは特別ではない』と言い聞かせないといけない。
「クラスメイトの噂では、ヒルヴィサーリ嬢は落ち着いた優秀な生徒だというのに。私が見る限りはうっかりした女性のようです。うまく隠しているんですか?」
「えっ?!いえ、まぁなんというか、ラウティオラ様限定でタイミングが……」
ちらり、と見上げると、極上のイケメンが楽しそうに笑みを浮かべていた。
その笑顔のあまりの破壊力に、スサンナは真っ赤な顔でじっと見入ってしまった。

―― 綺麗だしかっこいいし、なんかちょっと可愛い。

脳内がぽやんとピンクに染まりかけたところで、アードルフが言った。
「ところで、授業は大丈夫ですか?」
「あ!そうでした!!あの、重ね重ね申し訳ありませんでした!失礼します!」
スサンナは、慌てて腰を折ってまた教室へ向けて駆けだした。
「きちんと前を見てくださいよ?」
「っ!はい!」
後ろからくすくすと笑う声が聞こえたが、恥ずかしすぎて振り返ることなく走り去った。






そんなある日の夜。
タウンハウスで宿題をしているときに、ふとエセ乙女ゲームの情報が脳内に浮かんできた。

第二王子の婚約者は彼の幼馴染だという同じ年の公爵令嬢。その悪役令嬢の名前はアーダ・ラウティオラ。
アーダの一目惚れから結ばれた仮婚約で、どちらかにほかに思う人が現れたり過失があったりしたらすぐになかったことにするという約束であった。
アーダは、金髪ドリルヘアに空色の瞳のキツめの美人である。

「っはぁああああああっ?!」
その記憶を理解して、スサンナは大声を上げて思わず椅子から立ち上がった。そして椅子が盛大にこけて床にぶつかった。
すると、廊下からぱたぱたと慌てた足音が聞こえてきた。
「どうなさいました?!」
扉の向こうから声をかけてきたのは、イェッテだ。部屋に入ってこないのは、たいていのことは自分でするのがヒルヴィサーリ子爵家での決まりだからだ。
「あー、ごめんなさい。その、実は、ちょっと、そう、宿題!宿題の、範囲を間違えてしまっていて。これから、やり直すわ」
「さようでございますか。お怪我はありませんか?」
「大丈夫よ」
「かしこまりました」

倒れた椅子を起こし、そっと座ってから、深いため息をついた。
なぜ今までエセ乙女ゲームの悪役令嬢の名前が思い浮かばなかったのかは分からないが、これで判明したことがある。
ラウティオラ公爵家には、アードルフ以外には年の離れた弟しかいない。
つまり、アードルフは元々アーダなのだろう。
どういうわけか、エセ乙女ゲームの情報とは違い、悪役令嬢になるはずだったアードルフは令息として産まれ、第二王子の友人兼側近候補となったようだ。
まぁ、第二王子に別の婚約者候補がいるほか、皆それぞれ血の通った人間だし、スサンナが自分の意志で動けるので強制力のようなものはないし、エセ乙女ゲームはここと似て非なる世界なのだろう。
同じようなお色気イベントが発生するのは、それこそきっと似た部分があるせいだ。
「まぁ、何にしても高嶺の花よね……」
スサンナは、自嘲気味に笑って独り言をこぼした。

半分平民の血が混じった子爵家の娘と、由緒正しい公爵家の子息とでは身分が違い過ぎる。家庭教師からも学園でも教養を学んだので、それくらいはよくわかる。
学生だから、今だけは気軽に会話することもあるが、社交界では挨拶できればいい方だろう。
それなら、せめて。
「彼に恥ずかしくないように、きちんと学んで卒業しよう」
うん、と一つ頷いたスサンナは、自分に勇気が出ないことからは目を背け、また机に向かった。






そうしていつも遠くからアードルフを眺め、現実逃避としてモリモリ勉強していると、エセ乙女ゲームの仕様チートなのか、どんどん知識と魔法技術を習得していった。
実技ではエンシオのサポートも必要なくなり、ほとんどクラスメイトたちの実習に追いついた。そこからはやけくそ気味に図書館で見た魔法を片っ端から試していったところ、半年ほどしてほとんど実践し終わり、たまたま見つけた古い本にあった癒しの魔法を立て続けに成功させ、それを教授に報告すると王城に呼ばれた。


なぜだ。





訳が分からぬまま城へ連れて来られ、高位貴族や魔法省筆頭であるマケライネン侯爵(エンシオの父親だ)たちが集まる中、国王の前に連れ出され、最後に習得した上級の癒しの魔法を発動するよう命じられた。
魔法の対象は、ついこのあいだ立太子した第一王子だ。
成人前のスサンナは出席しなかったが、両親がやってきてパーティーに参加していた。久々に会う両親は、以前と変わらず仲が良かった。どうやら商売での経験を生かして、うまく貴族としてやっているらしい。

第一王子には特に怪我や病気があるようには見受けられないが、実験台にしていいのか迷う。
「かまわぬ。癒しの魔法は失敗してもなにも起こらない。成功した場合に治るだけだからな」
黙ってとまどうスサンナに気づいたのか、安心させるように、国王が優しく言った。
そう言われて子爵令嬢ごときが逆らうことはできない。
どうにか礼儀作法の記憶を引っ張り出し、国王と第一王子殿下に向かってカーテシーをして口を開いた。
「かしこまりました」
スサンナは小さく言ってから深呼吸をし、どう治せばいいのか分からないので、とりあえず「健康体」のイメージを固めて魔法を発動させた。

「おおぉ……」
大人たちから、感嘆の声が上がった。
キラキラとした光が王太子を包み込み、彼に吸い込まれて魔法が発動したのを感じた。
どこが悪かったのか分からないが、とにかく成功したらしい。
きちんと行使したのは初めてだったが、びっくりするほど魔力が抜き取られた。
正直、立っているのがやっとだ。
「どうだ、リクハルド」
「っ!!……はい、しっかりと聞こえます。両方、聞こえています」
「「「おぉぉぉ!!」」」

王太子は、片耳が聞こえなかったらしい。
王族や貴族たちの中では知られていた事実だったようだが、スサンナは初耳だった。
そして、スサンナが習得した癒しの魔法によって、聞こえなかった片耳を治したようである。

喜び溢れる国王と王妃、王太子、ついでにいたらしい第二王子。
その喜びを嬉しそうに見守る高位貴族たち。
魔力が枯渇しかけてフラフラだがなんとか立ったまま、しかし状況を理解できずにぼんやりするスサンナ。

―― なんかマズった気がする。

権力に逆らえずに行動したが、これもシナリオにあった気がした。
はたして、エセ記憶にヒットしたイベントは。

「では、スサンナ・ヒルヴィサーリをヴェルホン・ラッカウス王国の聖女と認定しよう」
国王が高らかに述べた。

―― そうだ、聖女イベント。どのキャラでもトゥルーエンドには必須のイベントだ。

攻略対象とのフラグは立てていないはずなのに、聖女になってしまった。癒やしの魔法の発動が、そのフラグだったのだ。
あまりのできごとに衝撃を受け、また魔力の使い過ぎで、スサンナは意識を落とした。
シナリオでは驚きながらも普通に立ち去っていたな、と思ったのが最後の記憶だ。



目覚めたときには、もう聖女として扱われていた。

聖女と言っても、別に教会に所属したり結婚できなかったりするわけではない。むしろ未婚の王族がいれば結婚させられ、王国に保護という名目で囲い込まれ、定期的に王都で重症者に癒しを授ける仕事をする。もちろん適切な報酬が支払われ、使い潰される心配はない。
学園で習った知識でもあるが、エセ乙女ゲームの情報でも同じだ。
スサンナは、状況をしっかりと認識して青ざめた。

―― やってしまった。

未婚の王族として残っているのは、婚約者の候補がいるだけの第二王子と、10歳ほど下の第三王子だ。
つまり、スサンナの相手は自動的に第二王子が最有力候補となる。もちろん、状況を鑑みて他の高位貴族の子息になる可能性もあるだろう。

胸に浮かんだのは、金の髪に涼し気な空色の目。
王国の宝として大切に扱われる聖女であれば、公式の場で会うことになる。スサンナは与えられた夫と結婚し、アードルフが恋愛結婚するところを間近に見ることになるだろう。
スサンナは、キリキリと痛みを訴える胸を押さえ、ぎゅっと目を閉じた。
震える唇から細く息を吐き、涙を堪えた。

アードルフだけは、聖女の相手に選ばれないはずだ。

彼の家は政略結婚よりも恋愛結婚主義だし、現在恋人のような関係になっているどころか、スサンナに気持ちを向けてくれているわけですらないのだから。




体調が落ち着いてから、改めて国王陛下と謁見することになった。
その場には父と母も呼ばれ、それはもう恐縮していた。あんなに肝の座った母が緊張しているのは初めて見た。
娘が聖女になることは栄誉なことであるが、だからといって聖女の両親に何かの権力を与えるようなものではない。もちろん、多少便宜を図ってもらえることはあるだろうが、それだけだ。

聖女を使い潰そうとしたり聖女を盾に権力を行使したりすると、神か何かからそれなりの制裁が与えられるというのが歴史的に明確に残っている。一度は、それでどこかの国が滅びかけたらしい。
だから、丁重に囲って、無理のない範囲で癒しの魔法を使ってもらうに留めるのだ。聖女が存在する間は、大きな被害をもたらす災害も起こらない。そのため、神に愛された存在として知られているし、どの国でも必死に留め置く。

この国では、聖女の意見は聞かなくもないが、とにかく王族や有力貴族に嫁いで不自由のない生活に、という条件が優先される。これまではそれで問題がなかったようだ。
もちろん、希望があれば聞いてもらえるらしいが、階級制を理解している下位貴族のスサンナにそんなことを主張する気概はない。

エセ乙女ゲームの情報では、この場で攻略中のお相手の名前をポロリと零すことが、トゥルーエンドへの最後のフラグだった。
きっと、エセ乙女ゲームヒロインの心臓は鋼鉄で覆われていたに違いない。

―― 半分平民のにわか貴族が、玉の輿ってやつよね。きちんと納得して満足しないと、旦那様(予定)に失礼だわ。私なんかを押し付けられるんだから。

ほかの男性に懸想している妻なんて、王命で仕方なく娶るだけなのにもっと扱いにくくなるだろう。もちろん大切にはされるだろう。もしかすると、家族として友好的な関係は築けるかもしれない。
スサンナは、国王から嫁ぎ先を見繕うと言われても、両親から心配そうな目線を向けられても、ただ静かに口角を上げて、淑女の笑顔を張り付けて頷くだけだった。

―― アードルフ様以外なら、誰でも一緒。せめて想いを飲み込んで、相手に誠実でいないといけないわ。恋はできなくても、家族愛なら持てるだろうから。

憂いを含んだ笑顔に、両親は思うところがあったらしいが、覚悟を決めたスサンナをただそっと抱きしめてくれた。




謁見の次の日、聖女の結婚相手と早速顔合わせとなった。
両親は、数日間王都のタウンハウスにいるということで、もしも気に入らなかったら自分たちから断るから安心して、と言ってくれた。けれど、スサンナは断らないだろう。
ずっと王城に留め置かれているので、身支度は王城に勤めるメイドたちがしてくれた。自分でもなかなか素晴らしいできあがりに見えたし、彼女たちには言葉で感謝を示したが、精神衛生上よろしくないので、できればイェッテにいてほしかった。

お相手はどうやらスサンナの知っている人だということだった。気軽に会ってほしいから、と立会人はなしだ。
結婚はほぼ決定だから2人で会うことに問題はないけれど、初回から2人きりにするなんてよっぽどお互いに見知っている人なのか、とスサンナは眉を顰めた。

―― やっぱり、第二王子殿下、よね。

1人で客室のリビングのソファに座って待っていると、ノックの音の後、メイドが「お連れしました」と告げ、扉が開かれた。
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