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125.墨汁

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「やはり若い人が居るだけで屋敷が活気づきますね」

イーダン子爵様はそう言いかなり早いピッチでワインを召し上がっている。子爵様は気の良いおじいちゃんになってお口もよく回り、愛想のいいヘルマンさんが子爵様のお相手をしている。アレックスは話しを振られれば話すが基本自発的に話さない。そして私の横に陣取り私の料理をカットし食べやすくしてくれている。その様子を子爵様が目尻を下げて見ていて

「アレックス殿は新妻が可愛くて仕方ない様ですね」
「えぇ…私の妻はこの世界で一番愛らしい」
「「!」」

また無自覚の激甘フレーズに汗が出て来て、向かいに座るヘルマンさんはグラス片手に唖然としている。昔のアレックスを知る人ほど彼の激甘フレーズに驚くようだ。
 
「アレックス殿。奥方はこの世界の何者より大切にせねばなりませんよ」

子爵様がそう言うと姿勢を正し大きく頷くアレックス。この後2人は仲間意識が芽生え愛妻談議に花が咲き、隣で座っているのが辛くなって来た。向かいに座るヘルマンさんは目が合うと苦笑いをし黙々と食事をしている。こうして楽しい?食事は終わり早めに休む事になった。他愛もない話をしながら廊下を歩いていて

「領地の話はしなくていいの?」
「今日はいいんだ。恐らく明日になればフライズ男爵の息のかかった商人がこぞって俺に会いに来るだろう」

どうやら私たちの訪問は内密にされ、陛下の命を受けた子爵様も内緒にしてくれ、本当に誰も知らなかったそうだ。そして偶然会ったウィリーさんがスピカーになり、今頃領地内では新しい領主が来たことが伝わり大騒ぎになっている頃だ。
やっと部屋に着くとアレックスは侍女を下がらせ、当たり前の様に私の身支度の手伝いをする。この調子でいくとまた湯浴みを一緒にする事になる。何としても阻止しないと、明日ぐったりするのが目に見えている。どうやって躱そうかと考えていたら、ヘルマンさんが部屋に来た。これはチャンス!

「私は湯浴みをしお話のお邪魔にならない様に、寝室で休んでいますから。ごゆっくり…」

そう告げダッシュで浴室に行き内側から鍵をかけた。
ほっとしてゆっくり湯に浸かっていると、何度が浴室の扉をアレックスがノックして様子を伺いに来た。けど開けないもん!

そして浴室から直接寝室に行き、ベッドの上でゴロゴロしていたら眠ってしまった。

『ん?』

急に体が浮き目を開けると直近にアレックスの綺麗な顔があり目が覚めた。

「あれ?ヘルマンさんは?」
「さっき帰ったよ」

そう言い掛け布団を捲り、ベットに私を下ろし抱きかかえた。アレックスの香りと温もりでまた眠くなりそのまま眠りに着いた。

翌朝気持ちよくアレックスの腕の中で目覚める。今日は朝から予定が詰まり忙しい。早めに着替え朝食後に子爵様から領地について説明を受ける。もちろんメインはアレックスと、実質管理するヘルマンさん。私はアレックスのサポートの為する為に同席する。そして朝食の席で子爵様から

「昨晩遅くにワルダン商会の会頭から文が届き、昼から伯爵様にお目にかかりたいと申し出がありました。如何なさいますか?」

アレックスは会う事を子爵様に告げ私に同席を求めた。恐らくワルダン商会はフライズ男爵の息がかかっているはずだ。早速悪者登場に気が引き締まる。
そして子爵様から領地についてお話を聞き、改めて豊かで素晴らしい領地だと感心する。

『こんな素晴らしい領地を与えて下さった陛下に感謝しないと』

そんな事を考えながら子爵様から話を聞いていた。午前中はあっとう間に過ぎ、昼食後ワルダン商会の会頭が到着するまで一旦部屋に戻る。部屋で休んでいたら侍女がワルダン商会の会頭到着を告げ、応接室へ移動する。廊下を歩いているとアレックスは腰を引き寄せて顔を寄せ耳元で

「春香。恐らくワルダンはを春香に売り込み、仲介を申し出て来るはずだ。取り合えず話を聞き、適当に返事をしインクを褒めて…」
「…へ?」
「後は任せてくれ」

そう言い視線だけ侍女に向ける。どうやら案内をする侍女が聞き耳を立てていた。彼女はフライズ男爵の手の者のようで、アレックスはヘルマンさんに視線を送り頷いた。これも想定内で昨晩私が寝ている間に打ち合わせ済みの様だ。

あからさまに聞き耳を立てている侍女に苛ついたアレックスが一睨みすると、侍女は身をこわばらせ震えだした。そうアレックスは決して細くは無いが切れ長の目をしていて眼光が鋭い。不機嫌な時は厳つさが増すのだ。冷気を発するアレックスを見上げ微笑むとやっといつもの優しい顔になる。
そして応接室の前に来て…
 
「おぁ!春香妃殿下にお目にかかれ僥倖でございます!」
 
入るなり胡散臭い微笑みを湛えたワルダン商会の会頭らしき男性が跪いて手を差し出し大袈裟にそう言った。礼節を弁えない会頭にイラっとしていたら、隣からまた冷気が…
すると子爵様が会頭を窘める。会頭は40代後半で浅黒い肌をし大きくギラついた瞳は曲者感が半端ない。子爵様に叱責され大人しくなった会頭を子爵様がアレックスを紹介すると、丁寧に挨拶しアレックスは最低限の挨拶をする。こんな態度をとる時のアレックスは相手を敵とのみなしている事が多い。雰囲気が悪くなりヘルマンさんがフォローに入ると、会頭は私に挨拶したいとアレックスに申し出た。溜息を吐いたアレックスが許可すると

「お目もじ叶い光栄でございます。イーダン領でインクの取扱及び製造に携わるワルダン商会代表のトーマスと申します。春香妃殿下に是非このイーダン領の素晴らしいインクを知っていただきたく…」

そう言い許可なく会頭は私の手を取った。親しくもない人に手を取られ、身震いがして鳥肌が立ってしまう。

“パシッ”

アレックスが会頭の手を払い私を抱え込んだ。目を見開き固まる会頭に子爵様が

「許可を得ず女性に触れてはいけない。何度も注意しただろう」

どうやら会頭はセクハラおやじの様だ。アレックスは私を抱え会頭を睨みながら、無意識に腰の辺りで剣を探している。帯剣していたら抜刀騒ぎになっていた。
子爵様に謝る会頭は口先だけで悪いと思っている感じはない。それに謝るべきは私にじゃないの? 嘗められていると感じまたイラっとして

『なんでも初めが肝心よね!』

アレックスに大丈夫だと言い一歩前に出て毅然とした態度で

「ご存じの通り私には3人の夫がおります。今はオリタ伯爵の妻として新たに治める領地に来ております。つまり妃では無く伯爵の妻としてここに居るのです。そこを間違わないで頂きたい。それに礼節に欠ける方は信頼は置けません」

そう言い切ると青い顔して頭を下げ陳謝するトーマスさん。するとアレックスが肩を抱き満足気な表情をする。でもちゃんとフォローするよ!

「今後長いお付き合いになるのです。お互い節度を持ってお付き合いして参りましょう」
「本当に失礼いたしました。素敵な女性を目の前にして年甲斐も無く舞い上がった様です。平にご容赦を…」

やっとちゃんとした謝罪を受け、会頭は商会と子爵家の取引付き合いについて話し出した。着席し現状のイーダン子爵とワルダン商会の契約内容を説明していただく。

『なにこの契約取引!』

元の世界で私は事務仕事をしており、契約書も何度も見て来たので見方も分かる。滅茶苦茶な条件に思わず顔を顰めると会頭が不安げに私を見ている。一応伯爵夫人だと分かっていても、私の後ろにローランドがチラつき気になる様だ。
でも今回は無知の設定だから口を噤んだ。会頭は面談中もひっきりなしに今まで上手くいっていたので、領主が変わってもこのままの取引をして欲しいと懇願した。心の中で『あり得ない!』と叫びながら微笑んで会頭とアレックスを見ていた。

そしてふとある事に気づく。先ほどから応接室に何度も執事がメモを持って来て、子爵様に渡し耳打ちしている。気になりアレックスに顔を寄せ聞いてみると

『恐らく他の商会や職人が挨拶に来ているのだろう』
『ふ…ん』

私が飽きて来たのを感じた会頭は徐に鞄からを取り出して

「お耳に入っていると思いますが、これが新たに完成した【漆黒】のインクでございます。もしよければお試しになって下さい」
「へぇ…」
 
アレックスもヘルマンさんも身を乗り出しインク見ている。やっぱり黒のインクは相当珍しいようだ。私からしたらガラス瓶に入った墨汁にしか見えない。そんな事を考えていたら会頭はガラスペンを取り出し私の目の前に置いた。緊張が走る。

重要キーポイントなのよね…』

緊張しながらガラスペンを持ちインクをつけて、紙にある文字を書いた。
不思議そうに紙の文字を見る皆さん。そして会頭は困った顔をして…

「春香様。これは何を書かれたのでしょう?」
「名前ですよ」
「!」
「この様な文字は初めて見ました!」
「そうでしょうね。私の世界の文字ですから」

実はこれこそがワルダン商会の不正を暴く鍵になる。子爵様とヘルマンさんは面白いと私の書いた字をガン見している。そして困り顔の会頭はまた別の紙を取り出してさらに試し書きを勧めたのだった。

こうしてワルダン商会との面会を終え、トーマスさんはまた後日商談に来ると言い帰って行った。

『さて、次来るときは契約書を持参して下さいね~』

と心の中でそう呟きながら第一段階成功にニヤけてしまう。そして会頭から見本でいただいた黒インクを見ながら、久しぶりに上手くないくせに習字がしたくなり、領地が落ち着いたら筆を作る事を決め、1番初めに何を書くか今から考えて楽しくなって来たのだった。







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