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三章 モンブロワ公国編
38話 移住
しおりを挟むブルクハルト王国、王都の港街にモンブロワ公国からの大型の船が3隻乗り付けられていた。以前に乗った航海に重きを置いた造りではなく沢山の人を運ぶ為の客船。
中から続々と人が降りて来て、船着場を埋めていく。大量の荷物と積荷も降ろされ、複数箇所に高く積み上げられていた。
ブルクハルトの魔族達は、予め告知されていた人間達の訪問を待ちわびていたかの様に集まって来ている。
ローブのフードを深く被って隠れる様にその様子を見ていた僕は、とうとうこの日が来てしまったと胃を痛めていた。
シャルが僕に心配そうな視線を送るので、努めて平常のフリをしているけどお腹痛い。
「お兄様、行かれないのですか?」
『…うーん、心の準備と言うものが』
苦笑いの僕は大きな積荷の木箱の影に隠れて深く深呼吸した。
「王陛下!」
『ッ!?』
突如後ろから声を掛けられ、恐る恐る振り返る。其処には見知った顔の少年が此方を見上げ、目を輝かせていた。
『マルコじゃないか!君も来てくれたのかい?』
「勿論です、王陛下!僕達平民に救いの手を差し伸べて下さって、本当に有難う御座います!」
知った顔が見れて少し緊張が解ける。マルコは前に見た時より随分と人懐っこく明るく見えた。前回は小間使いとして来ていたから抑圧されていたのかもしれない。
「僕の家族も来る予定です!」
『後から?』
「はい!僕が生活環境を整えられたら、直ぐに呼ぶつもりです!」
『それまで1人?何か困った事があったら言ってね』
新しい土地での一人暮らしは少年の身を思うと大変だと思う。「有り難う御座います!」と笑う彼からは新生活への沢山の期待と少しの不安が垣間見える。
『僕達も君達の街を一生懸命作ったんだ。気に入ってくれると良いのだけど』
王都ブルクハルトの西側の草原だった所には、今では立派な都市が広がっていた。
1ヶ月と言う短い期間に建設されたとは思えない程の美しい街並み、十分な広さ、都市としての機能性、どれをとっても僕としては文句の付けようがない。
実際に街を作った職人達は寝不足だと言うが、リリスが謝礼を上乗せした為また街を作る時は是非呼んで欲しいとまで言われた。
「凄く楽しみです王陛下!」
人懐っこく頷いたマルコと暫く談笑していると、モンブロワの人達が少しずつ此方に集まって来る。
黒いローブの怪しい奴が少年を誑かせている、と誤解されたかな?とフードを摘んで盗み見る様に辺りを見回した。
「やっぱり魔王陛下だ!魔導師様もいらっしゃる!」
「お久し振りです!」
「陛下、あの時は有り難う御座いました…!」
僕を知ってる口振りだったので、集まって来た人達を改めて見る。
『あ、久し振りだね!元気そうで良かった』
「王陛下のお陰です」
「陛下が居て下さらなかったら、救助さえしなかったかもしれないと船の方に聞きました…!」
「王陛下から頂いた服、我が家の家宝にしています!」
モンブロワ公国に向かった船で、魔物に襲われた人を救助したんだっけ。沢山の見覚えのある人達がニコニコして、熱い眼差しを此方に向けていた。
「陛下が派遣して下さった竜騎士の方々が居て下さらなかったら、今回は魔物に食われてましたよ!」
「クラーケンだろ?一瞬だが、でっかな蛸みたいな吸盤と触手が見えたんだ!間違いねぇ!」
「竜騎士様方が災害と言われる程の魔物を難無く退治なされて、夢かと頬を抓り合ったものですよ!ははははっ」
以前なす術なく沈没させられた大魔獣を明るく笑い飛ばせるくらい、元気になってて良かった。
僕は予めメルに頼んで海の竜騎士に彼らの護衛をお願いしていたりする。こっちに来る途中に事故に遭ったなんて、とんでもないからだ。
『快適な船旅だったのなら何よりさ』
後で竜騎士の人達にもお礼言っとかなきゃなぁ。
「陛下…そのお召し物は?」
不審者丸出しの僕に、生存者の1人が不思議そうに目を丸くした。
『いやぁ、…記念すべき最初の移住者の人達を新しい街へ案内しようかなって。でもあまり目立ちたくなくてさ』
そう、僕はその為に城から降りて来た。酔った僕が大きな口を叩いてこんな事になってしまったなら、せめて最後まで責任を持たなくてはと五天王の皆とリリスを説得して此処に来ている。
それに、どんな人達が来るのかも興味あったし、ブルクハルトの人が彼らに対してどんな反応なのかも気になった。
港街の人達を見ると、積荷を降ろす手伝いや気さくな感じでモンブロワの人に話し掛けている。(うん…問題なさそうだ)
ただ、最初からこれ程の人がブルクハルトを訪れるとは思わなかった。リリスが凄く大きな街を計画していたから、僕はその半分くらいで良いんじゃない?って思っていた。とんでもない、リリスは有能だ。
「王陛下!」
『マイン男爵!来てくれたんだね』
皆が屯する一画から背の高いオールバックの男が僕に気付いて此方に来た。
「ご無沙汰しております、陛下。その節は、大変申し訳ありませんでした」
『うん?此方こそ?お酒に酔って僕が君に無茶な事を言ったのは聞いてるよ』
謝るべきは僕の筈だ。予め彼を僕がブルクハルトに上から目線で招待した事に関しては聞いている。
「とんでもありません!私の家族、領民全てを受け入れて下さる陛下の寛大なるお心遣いに感謝してもしきれません!」
『此処に居る人達ってマイン男爵の領地の人なの?』
「いえ、手酷い扱いを受けていた者を優先して連れて参りました。私の領地の者は、渡航が決まっている者達の最後の方へ回って貰っています」
『…そっか。やっぱり君に来てもらって正解だったね!』
「それは…」
彼は良い統治者になる。少なくとも何も出来ない僕よりは。移住を決意した人達の中には、彼の存在があったからこそ踏ん切りがついた人も居ただろう。
見知らぬ土地しかも魔大陸、残虐な暴君で知られる魔王の元へ移住なんて勇気が要る行為だ。彼は皆の不安を宥め、ブルクハルト王国がどんな所か説明してくれたのかもしれない。
言葉の意味を掴み損ねた彼は首を捻っていたが、僕は微笑んでおいた。
『あ…マイン男爵』
「王陛下、今の私は貴族でも何でもありません。気軽にあの時の様にイシュベルトとお呼び下さい」
『そう?じゃぁ、僕もアルバで良いよ』
イシュベルトが何とも言えない表情で固まり、僕の横に居たシャルも動きが止まる。
暫く悩んでいた彼は「では、アルバラード様と…」と窺う様にシャルを見た。
「お兄様、あまりに優渥では?」
『え?イシュベルトは良い人だし、気兼ねなく名前で呼んで欲しいよ』
シャルは拗ねた様に口を尖らせていたが、それ以上何も言ってこない。
『で、そうそう。3船合わせてどれぐらい人が居るのかな?荷物もあるから長距離の移動は難しいと思って、シャルに転送して貰おうと思ったんだけど』
「3隻合わせると1万人ほどでしょうか?」
『い…っ…え?』
「なにぶん船が足りなくて…、まだ国に沢山の民が残されております。この3隻も直ぐにモンブロワへ戻り、何回も往復し移住を希望する民を運びます」
最初の移住希望者は100人くらいだと勝手に予測してた。100倍の人数に自分の耳を疑うが、イシュベルトの話だとまだまだ居るらしい。
『うーん、シャル何とかならない?』
「モンブロワ公国へ魔導師団を派遣して、直接街へ転移させるのが良いかと…」
『じゃぁそうしようか。まず、この1万人の転移だけど出来るかい?』
「お任せ下さいお兄様」
シャルはにっこり笑って右手に背丈と同じ長さの杖を出した。それで軽く地面を叩くと、巨大な魔法陣がシャルの足元と周りで旋回する。
見ていて幻想的で、僕は魔法という物に密かに憧れを抱いた。
「【広大範囲転移】」
彼女がそれだけ言うと、辺りが白く輝き始める。次に目を開いた時には、景色が全く異なっていた。
『おぉー!凄いねシャル』
「転移系統の高位魔法ですか…!本当に凄い…」
僕とシャル、イシュベルトにその他の移住者全員が、一瞬で西側の街に来ていた。
王都ブルクハルトの西側の城壁を取り壊して、川で街境を作っているが何方が行き来しても問題ない。
建物は赤茶けた色の瓦で統一された落ち着きある街だ。
住居もマンションみたいな集合住宅の様な造りや一軒家、邸宅と様々な種類がある。
自然も多く取り入れてあって、並木街通りや公園、広場など余念がない。
店も出せるように様々な店舗を配備出来る造りにしてもらったので、商業も盛んになる筈だ。裏手には広い田畑が完備されていて、農業に力も入れられる。
僕は念願の米をお腹いっぱい食べれるかも知れないのだ。魔大陸では麦が主で、米はあまり作られて居なかった。ユーリに聞くとユニオール大陸で盛んに作られていると知り、国交も始めたし折角だからと他国から沢山の苗を輸入して貰った。
彼らの頑張り次第にはなるけど、是非とも美味しいお米を育てて欲しい。
主要道路の幅も広く、沢山の馬車や人が行き来出来る。
向こう側にある筈の城壁が見えない程に広く、第2の王都と言っても過言では無い程に立派な街だ。
イシュベルトも他の人達もこれには吃驚した様で、互いに顔を見合わせたり、頬を抓り合ったりしている。
「こんな…立派な街に俺たちが住んで良いんですか?」
「仮設テントでも良いとさえ思っていましたが、凄い…」
「こんな美しい街に住めるなんて夢みたい!」
それぞれ涙を流す人も居るし、感激してくれてるのが伝わって来た。うん、頑張って良かった。
『リリス!』
街の最終確認をしていた五天王の纏め役の後ろ姿を見つけ、声を掛ける。
振り返った彼女は嬉しそうに「アルバ様!」と此方に近付いて来た。後ろに沢山の近衛騎士を従えている。
『問題は無さそうかい?』
「はい!各住宅に1世帯辺り6人程で1年は遊んで暮らせるだけの金銭を各金庫に入れておきました」
「な…っ!?」
横のイシュベルトが吹き出して、耳を疑う。
「リリアス様、ご無沙汰してます。この耳が信じられないのですが、各住宅にですか!?」
「マイン殿、お久し振りです。アルバ様の指示で、暫く生活出来る様、計らうようにとの事でしたので」
今度はイシュベルトがへらへら笑う僕を見た。
後で民衆には説明するけど、各住宅には此方で用意した魔法が掛かった金庫が入れられている。
1度開けるとその金庫と住宅はその人の物であると認識し、役所で自動的に住民票の発行がされる。
金庫はその人と近しい者しか開けられなくなり、引っ越しの際は役所にその旨を伝え住民票の提出が必要になる。
それで金庫と住宅の魔法がリセットされる仕組みだ。複数の金庫契約は出来なくなっていて、盗難にも遭わない。
『暫く皆生活に慣れるのが大変かと思ってね。税金も最低1年、何か事情があれば届け出てくれれば最高3年は免除されるよ』
「アルバラード様…っ」
ガクリと膝を突いて、いきなり彼が僕に跪いてしまった。何事かと焦った僕がオロオロしていると、イシュベルトは目に光るものを浮かべながら此方を見上げる。
「このイシュベルト、身を粉にしてアルバラード様にお仕え致します!至らない所はある事と思いますが何なりと、お申し付け下さい!」
『いやぁ、そんな事言って貰える程、僕は偉く無いしね』
僕が困った様に笑っていると、周囲でその遣り取りを聞いていた人達も僕とシャル、リリスに向けて膝を折り始めた。
まるで波紋の様に1万の群勢が此方へ向けて膝を突き、頭を垂れる。
『いや、あの…っイシュベルト、立ってくれないかい?』
リリスとシャルは当然の如く平然としているし、こんなに沢山の人達に頭を下げられてるなんて僕には分不相応だ。
「皆の者、魔大陸ブルクハルト王国、アルバラード・ベノン・ディルク・ジルクギール=ブルクハルト国王陛下のお言葉です。有り難く拝聴しなさい」
『いやぁ、僕は』
遠慮しとくよ。
皆の目が此方に向けられて、しかもその目に期待とか羨望とか込められてるものだから最後は声にならない。
僕はへにゃりと笑って思ったままの言葉を伝える事にした。
『えっと、皆、ブルクハルト王国へ来てくれて有り難う』
シャルが【拡声器】を使ったのか、僕の声が皆に聴こえる様に大きくなる。(恥ずかしいなぁ)
『僕としては此処では自由にして貰えたらって思ってる。隣街のブルクハルトへお出掛けしても良いし、逆に魔族の僕達がこっちに遊びに来たりね。種族は違うけど、此処に住む者同士協力して国を盛り立てて行きたいなぁ』
僕はゆっくり、穏やかに話す様に心懸けた。
『この西街以外にも人間が住む街を作るつもりだし、君達が肩身を狭い思いする事もない。生まれは違っても、もうブルクハルトの民だ』
此方に向けられた顔が数人下を向く。周りの人に背中を摩って貰ったり、慰められてるのを見て分かったが泣いてしまっていた。
恐らく、モンブロワ公国で酷い目にあっていた人達だと思う。
『ここはスタート地点に過ぎない。なんたって君達はもう自由だから!ブルクハルトの港街とかに移り住んでも良いし、他の街へ行ってみるのも良い。此処は君達の為に作られた街ではあるけど、囚われる必要はないよ』
「嗚呼、王陛下…!」
「なんて素晴らしい王様なのか」
口々に聞こえてくる賛辞に、また恥ずかしさが増す。
『…魔族は人間に対して優劣がどうこうって聞いた事があるけど、ブルクハルトではそれさえ無い国を目指す。人間も魔族であっても出来る事も出来ない事も其々あると思うから、優劣を付ける必要がない。ブルクハルトに来た人間が古臭い差別に苦しむ様なら、僕が直々に対処する』
対処って言っても、僕は単に注意しか出来ないけど不安を和らげるくらいにならなると思う。
『長々とごめんよ。1番言いたい事は、ブルクハルトは君達を歓迎するって事だ!』
その途端、皆が一斉に歓声を上げ、喝采に包まれた。
モンブロワ公国、都市シャリーンより西へ早馬で3日駆けた所にホーリー・アランの伯爵領地が存在する。厳密には彼の父親の領地だった所だ。
しかし今は以前の面影もない。屋敷の芝は荒れ放題で、庭には雑草が茂っている。
夜中だと言うのに灯りは灯らず、広い屋敷の中は誰も居ないかの様に静まり返っていた。
1階の窓硝子は全て破られ、冷たい風が吹き抜ける。
平民が居なくなった貴族の鬱憤はホーリーへ向かう事となった。屋敷の外壁には落書きがされ、それを消してくれる使用人も居ない。
魔王を侮り勝手を振る舞った彼を、他領地へ移り住んだ両親は叱咤し親子の縁を切るとまで話が進んだ。
彼の前々からの蛮行により平民が殆ど居なくなった領地は寂れ、税も全く納められない。
「くそ…っあの、野郎!」
こうなる事を分かっている様な口振りだった。あの時のホーリーは平民が居なくなった事で困る事があるなど、想像もしていなかった。
彼に付けられたブルクハルトからの監視役は夜も目を光らせている。
領地の外へ逃げる事は許されない。しかし、此処に居ても何れ飢えるか、怒りに狂ってしまう。
国を混沌に導いたホーリーへ他領からの差し入れなど無いし、領地で自給自足など1人じゃとても出来ない。
「はぁ…っはぁ…っ」
自慢だった綺麗なブロンドの髪を掻き毟り、突き型のナイフでクッションを何度も刺した。
こうでもしないと、あまりの不条理に耐えられない。
何故、自分がここまで苦しまなければならない。平民なぞ痛めつけて踏み付けにして何が悪い。奴等は下賤の生まれで、自分は高貴な貴族の筈だ。
ボロボロになったクッションから羽毛が飛び散り、部屋中に舞う。
「やっほー」
突然女の声がして、ホーリーは驚いた。見れば窓の方に人影が居るではないか。
そもそも自身の部屋は3階で、ブルクハルトの騎士も目を光らせていた筈だ。それを掻い潜ってよじ登ってきたのか?
レースカーテンが揺れて月明かりだけじゃ誰か分からない。しかし、近付いてその姿が鮮明になるにつれ、ホーリーに嫌な汗が伝った。
「凄い荒れてるみたいだねぇ?部屋の中もぐちゃぐちゃじゃん?」
ブルクハルト王国、魔王直属の五天王、【神速】の異名を持つ少女だ。窓枠に座って嘲笑している彼女は月明かりに照らされて金髪が瞳と同じ黄金に輝いている。
「貴様…っあの魔王に言われて来たのか?」
「アルバちゃん?違うよぉ」
少女はニコリと愛らしく目を細めた。
「貴様らが差し向けた監視役はどうした?」
「え~?騎士如きが私に気付く筈ないじゃん?」
「気付かれずに来ただと…?と言う事は、俺を此処から逃してくれるのか!?」
思案する様に「んー?」と上を見て、考えていた彼女は「チッチッチ」と人差し指を彼の前で振る。
「なぁんで私があんたを逃すの?」
「船で、俺が1番格好良いと言っていたじゃないか」
「はぁ?」
船で、との単語に少女は思い当たる事があったのか口元を吊り上げた。
「シャルルちんと話してたあれ?気配がしてたから分かってたけど、話はちゃんと最後まで聞こうね?」
「なん、だと?」
「あれは誰が1番殺したいくらいムカつくかって話してたんだよぉ」
お腹を抱えてケラケラ笑っている少女を前に、ホーリーは怒りで顔を歪める。
「ふざけるな!では此処へ一体何をしに来た!?」
「リリア姉様に頼まれてたお土産を取りに来たんだぁ」
(リリアス殿へのお土産?)記憶を遡ったホーリーは思い当たるクリスタルの土産は魔王に渡したのを告げるが、彼女は納得しなかった。
「それじゃないよぉ、もう利用価値も無いだろうから持って来る様に言われたの!本当は前此処に来た時にお土産として頼まれてたんだけど、アルバちゃんの計画の邪魔しちゃダメだから待ってって言われたんだぁ」
魔王の計画…!やはり奴はモンブロワ公国を狙っていたと言うのか。此方を城へもてなしたり、海で救助活動を行なったり、無能そうに振る舞っていながら、腹の底では属国にする算段を付けていた。
まさかあのクラーケンによる沈没の被害も、平民の人気を得る為にアイツが嗾けたのではあるまいか。
大公には謝りに来たなどとほざき、油断させてまんまと利用されたとホーリーが憤る。
「くそ…ッ!」
「アルバちゃんは本当に頭が良いから、仕方ないよねぇ?」
「…っ、リリアス殿は何と!?俺を心配なされてるに違いない…」
「心配?してたよぉ!鮮度が落ちると臭うから」
何を言っているのだこの娘は、とホーリーが首を傾げた。
「リリア姉様はぁ、歯向かった人間の生皮を生きたまま剥ぐのが好きなんだー」
「は…はぁ?」
そんな筈ないだろう。彼女は女神の様に美しく、その微笑みは虫も殺せぬ程に優しかった。
そんな、何処かの魔物の様な残虐な事、出来るはずがない。
「だから頼まれたんだってば!優しいアルバちゃんへの無礼を思えば当然だよねぇ?平民が居なくなって散々苦しんだだろうしぃ?計画も順調だから利用価値ももう無いって事で」
明るい声が、逆に不気味だった。
「リリア姉様みたいに上手く出来るか分からないけどぉ、」
「ま、待て!一体俺に何をするつもりだ…!?」
「だーかぁらぁ!顔の生皮、頂きまぁす!」
最高の笑顔で、一歩ホーリーに近付く少女。言い知れぬ恐怖と不安を感じて彼が後方へ後退る。
顔の皮だと?そんな数年前、国内に留まらずユニオール大陸を震撼させた暗黒騎士の様な事。(暗黒騎士…?)まさか、そんな。
「そんな馬鹿な…っ」
悲壮に染まる表情を見て、少女は「今の顔ぉ、リリア姉様にも見せたかったなぁ」と微笑んだ。
そう言えば、魔王が玩具屋に立ち寄った際頭から被るマスクの前で立ち往生していたのを走馬灯の様に思い出す。
彼女が所望した土産は、貴族の顔の皮だった。
玩具で済まそうとした魔王は、冗談のつもりか、まだ利用価値があるから玩具で我慢しろと言う事か、それとも実際の人間の皮を望んでいると気付かなかったのか。
【暗黒騎士】を従えている魔王が、まさか後者ではあるまい。
ホーリーの首に、刃物が1周突き立てられる。薄く手加減され、死ぬまでには至らない傷だ。
彼は自分が切られた事にさえ血が出る瞬間まで気付けなかった。
「ひ、ひぃい…!」
駆け出しても遅過ぎる。金髪を揺らした少女が、一瞬で彼の背中へ飛び乗り、床へ転がした。
仰向けに転がったホーリーの腕に足を乗せ、笑顔のまま首の皮膚を引っ張る。
「あぁあっい、ぎゃああ!」
「暴れると綺麗に剥げないよぉ」
ホーリーが生きたまま皮を剥がれる激痛にもがくと、先程彼が持っていた筈のナイフが腹部に刺さる。
彼が最後に見た光景は、嬉々として自身の生皮を剥ぐ少女の姿。先程の羽毛が舞っていた。少女は天使かと見紛う程に美しく残忍だった。
その笑顔は夢にまで見たあの美女のモノと完全に一致していた。
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