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1.恋人になってくれませんか?

5.

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「話があるの」


 ある日のこと。そう口にしたのは、グラディアの親友ロジーナだった。険しい表情を浮かべ、辺りを窺いながらグラディアとエーヴァルトを交互に見ている。


(……ついに修羅場か)


 エーヴァルトはそんなことを思いつつ、グラディアを覗き見た。緊張しているのだろう。その表情は不安げに強張っている。


「なぁ、俺も付いて行っていい?」


 エーヴァルトが尋ねると、ロジーナは眉間にグッと皺を寄せた。どうやらダメ、ということらしい。とはいえ、こんな状態のグラディアを一人にするなど、到底出来そうにない。


「あぁ……ダメなら悪いけど、今は二人で過ごしてるから――――」

「お願い。こんな機会またと無いのよ」


 ロジーナは声を潜め、身を乗り出した。そのあまりの剣幕に、グラディアもエーヴァルトも顔を見合わせる。


「グラディア! ロジーナも! 二人とも落ち着くんだっ」


 その時、この場の状況にそぐわない、間の抜けた声が響いた。クリストフだ。急いでやって来たのだろうか、息が上がり顔面が蒼白になっている。


「今はまだ、二人とも冷静に話ができないだろう? 僕だってそうだ。君たちはもう少し、距離を置くべきだと思う。いつかきっと、二人が仲直りできる日が来ると思うし――――」
「それじゃ埒が明かないって言ってるのよ!
――――もう、この際だから、ハッキリさせましょう。全員一緒に来て」


 そう言ってロジーナはクリストフの腕をグッと掴み、踵を返す。
 クリストフはオロオロと視線を彷徨わせ、ロジーナの腕から逃れようとしていた。けれど、状況がそれを許しはしない。ここにいる皆がクリストフのことを凝視しているからだ。
 エーヴァルトはグラディアの手を握った。身体が小刻みに震えている。


「落ち着け。大丈夫だから」


 耳元でそう囁くと、グラディアはコクコクと頷く。ギュッと握り返された手を引き、エーヴァルトはロジーナの後に続いた。



「クリストフとの結婚のことなんだけど」


 校舎の裏、建物に寄りかかり、ロジーナは端的に話を切り出した。グラディアは何も言わず、黙ってロジーナを見つめている。クリストフはロジーナに腕を掴まれたまま、忙しなく視線を彷徨わせていた。


「グラディアはわたしと彼を結婚させたいみたいだけど……わたし、彼と結婚なんてしない。既にお断りしているのよ?」

「…………へ?」


 それは思わぬ言葉だった。グラディアとエーヴァルトは互いに顔を見合わせ、そっと首を傾げる。クリストフだけが何とも言えない珍妙な表情を浮かべていた。


「な……ど、どうして? もしかして、わたくしのせいで――――?」

「違うわ。単にこの男の性根が気に喰わないってだけよ」


 ロジーナははぁ、と嘆息しつつ、グラディアを真っ直ぐに見つめた。


「良い? そいつはね……わたしとグラディア、二人の女に取り合われる快感を味わいたいってだけの馬鹿男なの。
だって変じゃない。これまで碌にグラディアへ好意を示していたわけでもない癖に、急に『僕はグラディアが好きだから結婚できない』だなんて。
確かにあなた達は幼馴染だし、仲が良かったから、互いに好意を寄せ合うのも無理はないなぁって。だったら、二人が結婚できるようにしたいと思って色々調べてたの。
だけどこいつ、グラディアだけじゃなくて他の女にも似たようなことを言っていたのよ! 頃合いを見てわたしと婚約する気だったらしいけど、おあいにく様。こんな男と結婚生活を送るなんてごめんだもの。キッパリ断ってやったわ」


 溜まっていた鬱憤を吐き出すように、ロジーナはそう捲し立てる。グラディアは大きく息を呑み、ギュッと胸を押さえた。


「だったらどうして? どうして直ぐに教えて下さらなかったのですか?」

「――――だって、グラディアはクリストフのことが好きだったでしょう? こんなこと言って信じてもらえるか自信がなかったし、あなたを傷つけるって分かってるんだもの。とてもじゃないけど言えなかったのよ。わたしの方が婚約者に選ばれた負い目もあったしね」


 グラディアの瞳は困惑したように揺れ動いていた。
 確かに、エーヴァルトと出会った頃のグラディアが、今の事実を知らされていたとしても、信じることは難しかっただろう。案外プライドの高いグラディアのことだ。寧ろ、ロジーナとの仲は険悪になっていたかもしれない。


「それに、そこの馬鹿がわたしたちを分断するように画策していたの。自分のせいでわたし達の仲が拗れるのが余程面白かったのね。
いつの間にか家人を買収されて、わたしが書いた手紙も、グラディアが書いた手紙も、全部全部握りつぶされていたみたい」

「そっ……そんな!」


 あまりのことにグラディアは悲痛な叫び声を上げた。直接話せば感情的になるからと、グラディアはロジーナに向けて手紙を認めていた。けれど、返事が返ってくることは無く、落ち込んでいたというのに。


「おまけにこの男、他の令嬢達を使って互いの悪口を吹き込ませたりしてたのよ。さっきだって無理やり割り入って、わたしたちが会話をしないように仕向けていたでしょう? おかげで全部がこの男のせいだって確信が持てるまで、今日まで掛かってしまった。本当に質が悪いったらありゃしないわ」


 グラディアの顔面は蒼白だった。幼馴染からの信じられない仕打ちに、開いた口が塞がらない。呆然としたグラディアを、エーヴァルトが励ますように抱き寄せた。


「ごめんなさい、グラディア。あなたがわたしのことで心を痛めてるって知っていたのに――――だけど今なら、グラディアはきっと、わたしの言葉に耳を傾けてくれると思ったの。グラディアの側にはいつも、あなたがいたから」


 そう言ってロジーナはエーヴァルトを見た。生温かい視線。エーヴァルトは気まずさにそっと目を逸らした。


「そ……そんなの、嘘っぱちだよ、グラディア! 僕が好きなのはグラディアだ! ずっとずっと、君と結婚したいと思っていた! 本当だ! 僕にはもう、君しかいないんだ!」


 グラディアはゆっくり、静かに顔を上げる。すると、クリストフの強張った表情が目に入った。自己保身と欺瞞に満ちた笑顔だ。少し前まで真摯に響いていたセリフも、今は陳腐な嘘にしか聴こえない。


(エーヴァルト様が仰っていた意味が、今ならよく分かるわ)


 『誰かを好きな振りをした自分』が好き、という人間は一定数存在する。彼等は総じて己が一番好きなのだ。それを今、グラディアは身を以て実感している。クリストフの言葉からは、グラディアに対する愛情を一ミリも感じられなかった。


「グラディア!」


 グラディアがそっと、クリストフの手を握る。彼の手のひらは無機質で、温度も感触も、何も感じられない。それは、グラディアのクリストフに対する感情を如実に表しているように感じられた。


「さようなら、クリストフ」


 そう言ってグラディアは朗らかに笑う。クリストフの表情が絶望に歪んだ。
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