昭和浪漫ノスタルジー「遥か彷徨の果ての円舞曲」

一章 黄昏のパリは雪に沈む

No,９ これは窮地！

　建物の中に吸い込まれるように通り過ぎる彼女を追って、思わず明彦も右脇の回転扉からホテルのロビーへと入り込んでしまった。

　自分の行動に戸惑う明彦。
──しかし今宵の明彦は賢明だった。

　彼女にはもう既に昨夜、拭い切れぬ程の失礼をはたらいてしまったではないか。にも関わらず、彼女はそんな自分を明日の夜会へ招待してくれた。
　そんな彼女に対してそれ以上の好意を求める事は、無礼を通り越し、もはや僭越とも強引とも言える。

　焦らずとも、明日には夜会の席で心置き無く彼女と会えるのだ。
　明彦は冷静に自分を取り戻し、今宵は慎む事とした。
──ただ、しばし物陰から遠目に彼女を眺め、束の間の感慨に耽りたかった。


　彼女には昨夜同様、一人の日本人男性が付き添っていた。
　明彦の急な声掛けに立ちはだかった例の男だ。どうやら今宵の付き添いは彼一人切りらしい。
　二人は一時華やかな人波の中に消えて行ったが、程無く彼女だけがただ一人、手持ち無沙汰そうに明彦の視界に戻って来た。

　明彦は壁のくぼみに身を隠した。
　こんな所で──こんな姿で彼女に見付かってしまったのではあまりに間の抜けた、とんだ大恥をかくだけである。
　明彦が隙を見てこの場を立ち去ろうと機会を伺っていたその時、あろう事か彼女が真っ直ぐ、明彦の隠れたくぼみに近付いて来るではないか。

（え！）

　幸い明彦は彼女には見付からずには済んだ。が、彼女は明彦の至近距離に立ち止まり、その壁に身体をもたれた。

（え、え……！）

　思いもよらぬその成り行きに、明彦は完全に足止めを食らってしまった。
　早いところ彼女がこの場を去ってくれなければ、どうにも出るに出られぬ状況に陥ってしまったのだ。

「ふぅー」と、彼女のため息がまるで明彦の耳元で発せられたかのように近く感じる。


（これは、大変な事になってしまった……）


　明彦が困惑したその時だった。突然、一人の青年が彼女の元へと歩み寄り、彼女の前で立ち止まった。
　青年はテールコートの正装を粋に着こなし、如何にも貴公子然としている。
　金髪に青き瞳。長身のまるで絵本の王子様と言った風情のその青年は、黙って彼女を見詰め、立ち尽くす。