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五葉紋
恋愛ごとが分かっていない
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コーディーを祝う会は大盛り上がりのうちに終わり、一人、また一人と家からの迎えがやって来て帰っていった。最後にコーディーが「先に退出してしまい申し訳ありません」と頭を下げてサロンから出て行く。マダムはキッチンに行ってしまったので、今はサロンにリックと二人きり。ノアの迎えは少し遅くなるというから、その間ここで待たせてもらうことになった。
レオンとリックは飾られた絵画や彫刻を視界に収めつつ歩き、時折足を止めて会話を進めている。
「遅くなったけど、ジェラルドがクイン家から持ち帰ってくれた研究所の捜査資料だ。ジェラルドの名誉の為に彼が監禁されていた事件自体、秘匿されていたらしい」
「ありがとうございます」
「もう研究所も、研究自体も凍結されたようだが、気持ちに区切りをつけるために情報は必要だろう」
レオンが手にした捜査資料の写しをリックに手渡すと、彼は神妙な顔で表紙を凝視した。
もう少し早くに見せたかったが、彼の魔力生成器官の移植が大詰めで、終わるまで繭に入ったままだとモーリスに説明されていた。だから、リックと会うのは本当に久々のことだ。側にいれば強い魔力で満ちているのが肌で分かるほどなので、移植は成功したのだろう。
「復讐できる力が手に入ったと思ったのに」
「研究所の所長は獄中死している。もういない」
「……悔しいです。逃げられたみたいだ」
リックの吐き捨てた言葉に、レオンは顔を顰めた。気持ちは痛いほど理解できるが、彼の攻撃的な言い方に不快感を覚えてしまう。自分が口にするのはいいのに、彼の言葉を受け入れられないというのはおかしい話だが、レオンにとってのリックはお日様のような存在であり、曇って欲しくない。
「せっかくの力だ。リックは魔術に興味があったじゃないか。モーリス卿から学んでみたらどうだ?」
「あの人『すぐに使えないのは不便だろう』って言って、僕の脳に一通りの術式を焼き付けたんです。今はレオン様より使えるようになってますよ」
「……」
レオンは口元を引きつらせて無言になった。モーリスはリックに対して、良かれと思ってそうしたのだろうが、恋愛ごとが分かっていない。一緒に学ぶ時間をとって距離を詰めれば、自然と仲良くなれたかもしれないのに。
「それは、まぁ……凄いな。さすがモーリス卿だ」
「そうですね。こちらはあの人からです」
そういってリックが手渡してきたのは、モーリスが『魔力生成器官』の移植時に〝見た〟というリックの記憶を描き起こした資料だ。パラパラとめくればすべて黒インクの線で構成された細密画で描かれている。
表紙には研究者たちがつけていたというバッジの図柄である〝五葉紋〟。特徴的なハート型の葉に走る直線的な葉脈は、レオンたちにとってなじみ深い植物だった。
「これは〝アルーラ〟だな」
五葉紋のモチーフとなっている植物は〝アルーラ〟という樹木だ。特徴的なのは実で、果肉はアルコール分を含み、種は幻覚作用を持つ。酔わせ、惑わす。この二つの要素から古来よりオメガを例える花とされている。オメガ収容施設である学園〝エデン〟の紋章はこのアルーラの花を意匠化したものだ。
「オメガ化させる実験をしていたみたいですし、そこからきているんでしょうか」
「分からない。しかし、意味はあったんだろうな」
事件の資料は起こった事実とその証拠、そしてどういう処分が下されたのかということだけしか記されておらず、研究がされていた理由はどこにもなかった。研究も研究所も凍結、研究者もいないというなら、自分たちをひどい目に合わせた思想の根源ぐらいは知りたかったのに。
レオンは心がギュッと引き絞られるように苦しくなり、それを鎮めるために胸に手を置いた。その隣でリックの足が止まる。
「この絵、もしかして僕たちですか?」
驚いた声に視線を向けると、そこには叔父の絵が展示されていた。クラスメイトの妊娠祝いに〝ティールーム〟で同窓会をすると話したら、彼に「きみをモデルにした絵をその日に展示してもらうよ」と提案されたのだった。リックが目をぱちぱちと瞬かせて驚いている姿に、レオンの中で渦巻いていた淀みが薄らいでいき、自然と顔が綻んでしまう。
「うん、そう。祖父の番……若いから叔父さんって呼んでるんだけど、彼の絵なんだ。リックの容貌は私の話でしか知らないからあまり似ていないけど」
「なんでよりによってこのシーンを……」
リックの戸惑う声に、レオンは苦笑してしまう。展示されていた絵は、幼いレオンとリックがロシュモア鳥に追いかけられて転び、蹴られているコミカルな場面だった。
幼いレオンはこの話が物凄く面白いエピソードだと思っていたので、周囲の大人たちによく話していた。子供は自分が愉快に感じる事を、みな同じように楽しんでくれると思いがちだ。しかし、話の内容ではなく、一生懸命話す子供の微笑ましさに大人たちは笑ってくれたのだろう。同じ顛末を話して聞かせたシェリーは笑っていなかったから、その程度の話なのだ。
「叔父さんは美人なのに性格は子供っぽい人で、この話を楽しそうに聞いてくれた。……よほど印象深く覚えていたんだろうね。誘拐事件後に隔離された私を元気づけようとして描いてくれたんだ」
「……」
「限られた人としか会えなかったし、一人でいる時間も多かったから寂しくて。きみと過ごした時間は本当に楽しかったから、これにずいぶん励まされたよ」
「レオン様……」
思い出せばしんみりとしてしまう。救出され、半月ほど高熱で生死を彷徨い、原因が分からないと奇病まで懸念されて離れに隔離された一年。そのほとんどの期間、体調に問題なかったというのに外に出して貰えなかった。
しかしレオンのそれは寂しいというだけであり、後々知ったリックの境遇とは比べものにならない。
孤児院では被害にあった子供達を、臨時の救護室として整えた礼拝堂に収容した。院長と決められた教員数名が看護にあたったと聞いたが、現場は戦場のようだったらしい。最初の半年で半数が亡くなり、一年かけて一人一人いなくなり、最後にリックだけが残された。
いつ自分が同じように命が潰えるのか恐怖も、悲しみもあったはず。歳の近い子供達は兄弟であり家族なのだから、彼の喪失の痛みはどれほどか。
「ごめんね。家族を失ったきみはもっと辛かっただろう。巻き込んだ私が何を言うのかと思われそうだが」
「いえ」
リックの顔からサッと血の気が引く。絵の由来として口にしてしまった話で、辛かったころの記憶が蘇ったのかもしれない。レオンは彼を支えるために、そっと抱き寄せた。
「変な話をしてしまったかな。リックにとってはこういう風に走り回って遊ぶのは日常だったかもしれないけれど、私はそうでなかったから……。きみとした小さな冒険の中でも、指折りの楽しい思い出だよ。院長先生に怒られながら治療されたことも含めてね」
レオンは彼を落ち着かせようと、穏やかな声音で語り掛けた。しばらく抱いたまま背中を撫でていると、徐々にリックの身体のこわばりが解けていく。落ち着いたかと腕を緩めれば、姿勢を正した彼の目は泣いたように赤くなっていた。
「でもこれ、ロシュモア鳥の羽数が違いますよね。八羽でしたよ」
リックは掠れた声で、しかし努めて普段通りに返そうとしてくれているのか、冷静に絵の間違いを指摘した。絵の中の二人は転んで蹴られて軽度のひっかき傷ができた……という事実とは違い、ロシュモア鳥の群れから子供らが襲撃を受けた〝事件〟という様相を呈している。
「そうだったか? 確かに倍以上に増えているな。まぁ、面白くしようと数を盛って話したんだろう」
レオンも彼の意図を酌んで、冗談めかすように軽い口調で返す。子供は物事を大げさに話すものだし、幼いレオンが叔父を楽しませようとした結果の描画内容に違いない。
「レオン様」
「なんだい?」
「僕も隔離を受けていた時、レオン様の事を何度も考えました。先生が〝生きてる〟って教えてくれたから」
そうリックが口にした瞬間、レオンは再びリックを抱きしめた。今度は友愛の抱擁だった。
「レオン様⁉」
「いや、可愛いなと思って」
「もう。あまりくっつくとジェラルド様から怒られますよ」
「いい。嬉しい時はこうするものだよ。私たちは親友なのだから」
レオンがぎゅうぎゅうと抱きしめると、最初は慌てていたリックも観念したのか大人しくなり、抱き返してくれる。彼の髪に顔をうずめれば、子供の頃と変わらないお日様のような匂いがして、懐かしさに胸が熱くなった。
お互い心の支えとなって生き残り、今でも隣にいることは奇跡としか言いようがない。
「はい、親友です」
またリックの泣き出しそうな声が耳に触れる。この時の彼の反応を、レオンは〝友情に感動しているのだろう〟と勘違いしていた。
レオンとリックは飾られた絵画や彫刻を視界に収めつつ歩き、時折足を止めて会話を進めている。
「遅くなったけど、ジェラルドがクイン家から持ち帰ってくれた研究所の捜査資料だ。ジェラルドの名誉の為に彼が監禁されていた事件自体、秘匿されていたらしい」
「ありがとうございます」
「もう研究所も、研究自体も凍結されたようだが、気持ちに区切りをつけるために情報は必要だろう」
レオンが手にした捜査資料の写しをリックに手渡すと、彼は神妙な顔で表紙を凝視した。
もう少し早くに見せたかったが、彼の魔力生成器官の移植が大詰めで、終わるまで繭に入ったままだとモーリスに説明されていた。だから、リックと会うのは本当に久々のことだ。側にいれば強い魔力で満ちているのが肌で分かるほどなので、移植は成功したのだろう。
「復讐できる力が手に入ったと思ったのに」
「研究所の所長は獄中死している。もういない」
「……悔しいです。逃げられたみたいだ」
リックの吐き捨てた言葉に、レオンは顔を顰めた。気持ちは痛いほど理解できるが、彼の攻撃的な言い方に不快感を覚えてしまう。自分が口にするのはいいのに、彼の言葉を受け入れられないというのはおかしい話だが、レオンにとってのリックはお日様のような存在であり、曇って欲しくない。
「せっかくの力だ。リックは魔術に興味があったじゃないか。モーリス卿から学んでみたらどうだ?」
「あの人『すぐに使えないのは不便だろう』って言って、僕の脳に一通りの術式を焼き付けたんです。今はレオン様より使えるようになってますよ」
「……」
レオンは口元を引きつらせて無言になった。モーリスはリックに対して、良かれと思ってそうしたのだろうが、恋愛ごとが分かっていない。一緒に学ぶ時間をとって距離を詰めれば、自然と仲良くなれたかもしれないのに。
「それは、まぁ……凄いな。さすがモーリス卿だ」
「そうですね。こちらはあの人からです」
そういってリックが手渡してきたのは、モーリスが『魔力生成器官』の移植時に〝見た〟というリックの記憶を描き起こした資料だ。パラパラとめくればすべて黒インクの線で構成された細密画で描かれている。
表紙には研究者たちがつけていたというバッジの図柄である〝五葉紋〟。特徴的なハート型の葉に走る直線的な葉脈は、レオンたちにとってなじみ深い植物だった。
「これは〝アルーラ〟だな」
五葉紋のモチーフとなっている植物は〝アルーラ〟という樹木だ。特徴的なのは実で、果肉はアルコール分を含み、種は幻覚作用を持つ。酔わせ、惑わす。この二つの要素から古来よりオメガを例える花とされている。オメガ収容施設である学園〝エデン〟の紋章はこのアルーラの花を意匠化したものだ。
「オメガ化させる実験をしていたみたいですし、そこからきているんでしょうか」
「分からない。しかし、意味はあったんだろうな」
事件の資料は起こった事実とその証拠、そしてどういう処分が下されたのかということだけしか記されておらず、研究がされていた理由はどこにもなかった。研究も研究所も凍結、研究者もいないというなら、自分たちをひどい目に合わせた思想の根源ぐらいは知りたかったのに。
レオンは心がギュッと引き絞られるように苦しくなり、それを鎮めるために胸に手を置いた。その隣でリックの足が止まる。
「この絵、もしかして僕たちですか?」
驚いた声に視線を向けると、そこには叔父の絵が展示されていた。クラスメイトの妊娠祝いに〝ティールーム〟で同窓会をすると話したら、彼に「きみをモデルにした絵をその日に展示してもらうよ」と提案されたのだった。リックが目をぱちぱちと瞬かせて驚いている姿に、レオンの中で渦巻いていた淀みが薄らいでいき、自然と顔が綻んでしまう。
「うん、そう。祖父の番……若いから叔父さんって呼んでるんだけど、彼の絵なんだ。リックの容貌は私の話でしか知らないからあまり似ていないけど」
「なんでよりによってこのシーンを……」
リックの戸惑う声に、レオンは苦笑してしまう。展示されていた絵は、幼いレオンとリックがロシュモア鳥に追いかけられて転び、蹴られているコミカルな場面だった。
幼いレオンはこの話が物凄く面白いエピソードだと思っていたので、周囲の大人たちによく話していた。子供は自分が愉快に感じる事を、みな同じように楽しんでくれると思いがちだ。しかし、話の内容ではなく、一生懸命話す子供の微笑ましさに大人たちは笑ってくれたのだろう。同じ顛末を話して聞かせたシェリーは笑っていなかったから、その程度の話なのだ。
「叔父さんは美人なのに性格は子供っぽい人で、この話を楽しそうに聞いてくれた。……よほど印象深く覚えていたんだろうね。誘拐事件後に隔離された私を元気づけようとして描いてくれたんだ」
「……」
「限られた人としか会えなかったし、一人でいる時間も多かったから寂しくて。きみと過ごした時間は本当に楽しかったから、これにずいぶん励まされたよ」
「レオン様……」
思い出せばしんみりとしてしまう。救出され、半月ほど高熱で生死を彷徨い、原因が分からないと奇病まで懸念されて離れに隔離された一年。そのほとんどの期間、体調に問題なかったというのに外に出して貰えなかった。
しかしレオンのそれは寂しいというだけであり、後々知ったリックの境遇とは比べものにならない。
孤児院では被害にあった子供達を、臨時の救護室として整えた礼拝堂に収容した。院長と決められた教員数名が看護にあたったと聞いたが、現場は戦場のようだったらしい。最初の半年で半数が亡くなり、一年かけて一人一人いなくなり、最後にリックだけが残された。
いつ自分が同じように命が潰えるのか恐怖も、悲しみもあったはず。歳の近い子供達は兄弟であり家族なのだから、彼の喪失の痛みはどれほどか。
「ごめんね。家族を失ったきみはもっと辛かっただろう。巻き込んだ私が何を言うのかと思われそうだが」
「いえ」
リックの顔からサッと血の気が引く。絵の由来として口にしてしまった話で、辛かったころの記憶が蘇ったのかもしれない。レオンは彼を支えるために、そっと抱き寄せた。
「変な話をしてしまったかな。リックにとってはこういう風に走り回って遊ぶのは日常だったかもしれないけれど、私はそうでなかったから……。きみとした小さな冒険の中でも、指折りの楽しい思い出だよ。院長先生に怒られながら治療されたことも含めてね」
レオンは彼を落ち着かせようと、穏やかな声音で語り掛けた。しばらく抱いたまま背中を撫でていると、徐々にリックの身体のこわばりが解けていく。落ち着いたかと腕を緩めれば、姿勢を正した彼の目は泣いたように赤くなっていた。
「でもこれ、ロシュモア鳥の羽数が違いますよね。八羽でしたよ」
リックは掠れた声で、しかし努めて普段通りに返そうとしてくれているのか、冷静に絵の間違いを指摘した。絵の中の二人は転んで蹴られて軽度のひっかき傷ができた……という事実とは違い、ロシュモア鳥の群れから子供らが襲撃を受けた〝事件〟という様相を呈している。
「そうだったか? 確かに倍以上に増えているな。まぁ、面白くしようと数を盛って話したんだろう」
レオンも彼の意図を酌んで、冗談めかすように軽い口調で返す。子供は物事を大げさに話すものだし、幼いレオンが叔父を楽しませようとした結果の描画内容に違いない。
「レオン様」
「なんだい?」
「僕も隔離を受けていた時、レオン様の事を何度も考えました。先生が〝生きてる〟って教えてくれたから」
そうリックが口にした瞬間、レオンは再びリックを抱きしめた。今度は友愛の抱擁だった。
「レオン様⁉」
「いや、可愛いなと思って」
「もう。あまりくっつくとジェラルド様から怒られますよ」
「いい。嬉しい時はこうするものだよ。私たちは親友なのだから」
レオンがぎゅうぎゅうと抱きしめると、最初は慌てていたリックも観念したのか大人しくなり、抱き返してくれる。彼の髪に顔をうずめれば、子供の頃と変わらないお日様のような匂いがして、懐かしさに胸が熱くなった。
お互い心の支えとなって生き残り、今でも隣にいることは奇跡としか言いようがない。
「はい、親友です」
またリックの泣き出しそうな声が耳に触れる。この時の彼の反応を、レオンは〝友情に感動しているのだろう〟と勘違いしていた。
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