妖からの守り方

垣崎 奏

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第一篇

27.黄玉宮の三番手・夕星 3

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 夕星の送り出しの翌日、昼間に翠月が黄玉宮を訪ねると、広間で風に当たる星羅の姿があった。普段から趣のある雰囲気を持つ彼女が、何か憂いているように見えた。

「翠月、今日の予定は?」
「自主稽古もしないです」
「なら、少しお話しましょ」
「はい」

「今だから話すんだけど」と、星羅が続ける。姿を見せないことが自分の価値を上げるから、手すりから下町を見ることは、本来芸者はしない。上位なら余計やらないこと。それでも星羅は、手すりに肘をついてもたれ、どこか遠くを見ている。

「夕星、黎明のことを慕っていたのよ」
「え?」

 話がいきなりすぎて、戸惑った。呆けて星羅を見ていたところ、菘が茶を出してくれた。とりあえず一口啜る。

「でもこういうお仕事でしょう? 夕星は自分から身を引いたの。宮番が、誰かひとりに肩入れするわけにはいかないから、それは黎明を困らせるからって。昨日みたく身請けされるのが、一番芸者として華だからって。黎明も御座敷にいたから、結局まともに顔も上げずに去って行ったわ」
「……」

 高臣がだいぶ年上だと分かってから、翠月は高臣も夕星も見ないようにしていた。高臣の食事の世話をしながら、黄玉宮の上位芸者と高臣との会話を耳で拾っていただけだった。だから、夕星が顔を上げていなかったことに気付いていなかった。

「明らかな肩入れをしている宮番もいるけれど、別の宮の話だから…。あの子が自分で選んで、それが最善だと思ったのだから、私は口を挟まなかったの」

 戸惑いながらも、頭を回した。どうして、送り出しが終わってからそれを翠月に話しているのだろう。星羅には何か、抱えきれないものがあったのだろうか。

「…後悔ですか?」
「そうとも言えるかもしれないわね。黄玉に関わった芸者には、幸せに、楽しく生きて欲しいだけよ」
「……」
「せっかくの華やかな場の後にごめんなさいね。でもこういうこともあるのが、深碧館ここなの」
「…覚えておきます」


 *


「あ、そうそう。改めて紹介するわ」

 そう星羅が言うと、すずなと一緒にあずさが現れた。菘は星羅の世話係だが、梓は夕星の世話係だったから、今は芸者付きではなく、黄玉宮の三階を世話するように変更されているはずだ。

「梓よ。貴女の世話係にと思って」
「え?」
「驚くのも無理はないわ。まだ見習いだもの。でもきっと、芸者と名乗るお許しが出るの、そんなに遠くないと思うのよね」
「……」

「私や菘より歳も近いし、相談相手と思っていいわ。他の座敷が忙しくない限り、梓も翠月の御座敷に入るようにするわね」
「よろしくお願いいたします、翠月さま」
「…こちらこそ、よろしくお願いします」

 梓の礼に、反射的に頭を下げた。翠月は、黄玉宮の三階の見世に入ったことはないし、自分が特例なのは分かる。ひとつの座敷と芸者に対して、同じだけ、もしくはそれ以上の世話係がつくのは上位芸者だけだ。三階の小さめの座敷で御客を取る芸者には、いくつかの座敷にまとめてひとりの世話係がつくと聞いている。

 人間だから、三階での見世はできないのかもしれない。芸者の数も増えるし、必然的に御客の数も増える。しかも三階は単価が安く、ひとりの芸者が一日に何回も御客を迎えて見世をするらしい。上位芸者の座敷がある二階と比べ、妖の数が圧倒的に多い。

 上位芸者が三階ではなく二階を使うのは、階段を通る御客に上位芸者を意識させるためだそうだ。御客の送り迎えで上位芸者の姿を見たら、その御客はもう下位芸者では満足できなくなると、天月も星羅も同じことを言っていた。上位と下位には、それだけ明確な差があると考えるべきなのだろう。

 翠月が真っ先に思ったのは、紅玉宮の反応だ。黄玉宮の下位芸者は、星羅や黎明の指示であれば素直に聞き入れる者が多い。ただ、食堂や番台ですれ違う紅玉宮の面々には、何かしら暴言を吐かれる心づもりをしておいた方がいい。


 *****



「今日は非番だったろう?」
「はい、でも黄玉へ」
「何か話したか?」
「世話係の梓を、私につけると」
「ああ、俺も聞いている。これも、確かに早いが、見習いに世話係がついた前例はある。黄玉の一番手に認められている証拠だ」
「はい」

 見世終わりの見回りの時に、黎明から聞いたばかりだ。全く聞いていなかった話で少し驚きはしたものの、考えてみれば理にかなっている。翠月が芸者になり座敷をひとつ任せることができるなら、三階より二階の方が安全だ。独り立ちする頃には、夕星の使っていた黄檗の間を使うといい。

 黄玉宮を仕切る星羅と黎明、両名が翠月を高く評価している。嬉しいことではあるが、座敷に上がれば上がるほど、外部の妖との接点が増えていく。ニンゲンにとっては危険度も増していく。翠月は真の意味で、それを自覚しているだろうか。確認する術は、ないと思っておく方がいいだろう。緑翠があまり妖力を行使するのも、翠月のためにならない。

「…それから、夕星さんのことを」

(…やはり、話したか)

 星羅のことだ。翠月に話すかどうかは迷ったのだろうが、結局話すことにしたのだろう。

 普段通り日記をつけていたであろう翠月に、緑翠の見当が当たっているか確認するためにも、先を促した。大体想定通りで、ニンゲンで身請け自体が考えにくい翠月には馴染めないことだろうが、他の芸者に関わる以上は知っていて欲しいことでもあった。

「…星羅も言っただろうが、それが、夕星の選択だっただけだ。他者が立ち入れるところではない」
「はい」
「黎明は、全く気付いていない。夕星が隠しきった。そういった、心の揺れが起きる場所が、深碧館だ」
「…私にも、起きますか?」

 そう聞いた翠月の瞳を覗いてみても、特別何も感じられない。普段通りの翠月が、目の前にいる。

 芸者は、好かれることもあれば疎まれることもある。感情の揺れを感じて悩みすぎると、瑪瑙宮に行くことにもなりかねない。上手く発散していくことも、覚えていかなければならない。

「…ニンゲンだから、妖よりは少ないかもな。翠月は他の芸者と比べるには、前提が異なっている。御客とも一歩引いたところから見世ができる。発情期もないから、その駆け引きもない」
「そうですか」
「また天月が、そのうち教えてくれるだろう。俺もニンゲンについて全てを知っているわけではない」
「…はい」

 天月は、この世界で一年近く暮らすことができているが、緑翠の妖力に当たってしまうため、宵に守られている。もし宵と合わなければ、天月はここまでのびのびと、芸者として表に立つことは難しかっただろう。毎日のように会っている翠月に対しては、きっと自分で話したいと思っているはずだ。緑翠から翠月に、天月と宵の関係を話すことはしなかった。

(言ってしまえば、俺の逃げ場もなくなるからな)
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