妖からの守り方

垣崎 奏

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第一篇

61.緑翠の姉 2

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 実家の豪勢な門をくぐると、すぐに妖力を感じた。翠玉宮よりもはるかに大量の妖力で、結界が張られている。平民の生まれでは、守られていなければとても耐えきれない程度だろう。複数の妖力が混ざっているから、ひとりで張ったものではないことも感じ取れる。皇家では、この屋敷を守るための結界を張れる妖力を持つ者が減っていて、複数が集まって掛け直す事態が起きているのは、すぐに想像できた。

 妖力の減少は、高位貴族としては致命的だ。皇家の次に妖力が高いのは、国の主として最も位の高い夜光の一族しかいない。その前提があるから、皇家は貴族最高位として威厳を保てる。実家の状況悪化は、下町での緑翠の影響力にも関わってくるため、今回自身の目で確認できたことは、良点だと思った方がいい。

(本気で、腹を括るしかない。姉さまの状態も気にかかる)


 そのまま庭園をしばらく進み、屋敷の玄関の前に馬車を寄せてもらって、扉を開け顔を出す。侍女や近侍がすでに待機し出迎えてくれるが、その目はどれも冷ややかだ。この多重の結界の中で動けているのだから、洗脳され操られていると言っていい。

 妖力の弱い妖は、強い妖からの妖力に抵抗すれば身動きが取れなくなり、監禁されると思っていい。服従すれば生活はできるが、意思を発信できなくなる。妖力での使役は、公共の場ではとっくに見られなくなったが、私有地は治外法権、夜光もわざと見逃している部分で、緑翠が嫌う妖力の使い方のひとつだ。

 対ニンゲンでなくても、相手を制圧できる手段が妖力だ。ゆえに、強い妖力を持つ高位貴族には明確に序列が決まっていて、制御への倫理も問われる。深碧館にいる妖はほぼ平民で、ここまでの妖力を感じながら生活をしたことはない者ばかりが集まっている。緑翠は、自らの感覚が鈍っていたことに気が付いた。皇家では、これが当然の景色なのだ。

 久々の帰省で当主と会話する前に、実家を嫌悪するに値する理由が増えてしまった。緑翠が知らなかっただけで、昔から妖力に支配された働き手しかいなかったのだろう。


 この屋敷に住んでいた頃の緑翠は、年齢の割に身体が小さく、侍女や近侍からも揶揄われることが多かったが、今は異なる。妖力を使わずとも、上背や長髪など、風貌の高貴さが理解できる相手であれば威圧できる。

 緑翠が皇の血を引く証で、働き手が皇の血縁の妖力に服従している証拠でもある。皇の妖力に服従しているのであれば、その血を引く緑翠に反抗できるわけがない。緑翠にさっと頭を下げてから、働き手たちが散り散り配置へと戻っていった。


 緑翠に対する礼の後、ただひとり残った近侍に案内され、奥の間の前で一度息を吐く。朧は背後に控えているが、座敷に一緒に入ることはない。緑翠がひとりで現当主と対することになる。緑翠を連れた近侍は、軽く振り返って緑翠の折を伺った。目を合わせ、頷いた。

「…緑翠さまをお連れいたしました」
「通せ」
「失礼いたします」

 敷居を跨ぐ前に一度、廊下の板張りの上で両膝と手を床に付け頭を下げる。座敷の中ほどへ進んでから相対し、再度畳に膝を付き手も添えて頭を垂れる。深碧館の御客の座敷に入る折ですら、ここまでの礼はやらない。

 幼い頃から、緑翠だけが求められた、現当主である祖父への礼だ。

 これを行うことに、控えている側近たちからも何も触れられない。やはり、緑翠は皇家を継ぐ者として、認められていない。承認されていれば、ここまでの卑下は否定されるはずだ。

 そして、指示があるまで頭を上げることは許されない。皇家の生業である深碧館や人攫い・子払いを継いでからは十年、例祭を継いでからも七年が経つが、それでもなお、緑翠は久々訪れた実家で、その礼を変えることはできなかった。従っておいた方が、後に有利に働く場合もある。わざわざ当主の機嫌を損ねる必要はないと、無理に納得し自らの感情を殺した。

「来たか、混血」
「ご無沙汰しております、当主さま」

 ようやく声が掛かり見上げた先には、一段上がった舞台に腰を下ろし、満足気に口角を上げた当主がいる。緑翠が頭を下げていたのを存分に楽しんだのだろうが、肘掛けに寄りかかる当主の視線は、背の伸びた緑翠と同等の高さだ。緑翠も、この屋敷にいた頃とは異なる。あの頃よりも、身体は大きくなり妖力の制御も上手くなった。

「お前を呼んだことに他意はない。手紙の通りだ。最後の希望を聞いたら、お前に会いたいと言った。妖力がほぼないとしても、本家の妖だ。最後の希望くらい、叶えてやろうと思ってな」
「左様ですか」

 皇家現当主はそう言い放った。姉は当主にとって直系の孫に当たるが、妖力をほぼ持たないために表には出されなくなった。その原因となった緑翠は、同じ敷地内に住んでいると分かっていても、一目見る許可をもらえないまま、深碧館へと移り住んだ。

 屋敷に入った瞬間から、この屋敷に漂う膨大な妖力を感じていた。妖力の少ない姉は、同じ一族の妖力とは言え、この結界に負けてしまっているのだろう。皇家への服従を選ばず抵抗しているなら、身体は思うように動かず軟禁状態となっているのは想像に難くない。身体をいざ動かそうと思えば、体力や妖力の消費も大きいはずだ。

 抵抗し続ける姉に対して服従の選択を取れずにいるのが、現当主である祖父だろう。言葉通りに受け取り当主が姉の希望を聞けるのであれば、姉は意思を持ち話せる状態だが、もう先が長くない。抵抗できるだけの気力も、もう少ないのだろう。

「いつから、臥せているのでしょう」
「…三年、いや五年になるか」

 姉が臥せていることを、否定しなかった。便りにも具体的な状況は書かれていなかったし、緑翠の想像でしかなかった。

「…姉上と、ふたりにしていただきたい」
「それが翡翠の希望だからな。妙な気は起こすな」

 その現当主の言葉に、緑翠は言葉では答えず、黙って頭を下げた。
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