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後日譚
6.初めての街歩き 後
しおりを挟む特に目的の店もなく、ぶらぶらと散歩する。ふたりの周りだけ、人が避けていくのが気になったが、それ以外は普通の恋人や夫婦のようだろう。
そもそも市場に慣れていないふたりだ。中に入ることができたのは、髪飾りの店だけだったが、装飾具の店など、いくつかミアの興味を惹くものはあった。その表情の移り変わりを見ているだけでもルークは楽しく、もっと早く連れ歩くことができていればと少し後悔した。
匂いに誘われて、ミアがワッフルの店の前で立ち止まる。王家の焼菓子が好きなミアだ。この香ばしい甘い匂いには勝てないだろう。
「食べたい?」
「決められない」
「一個に決めなくていいよ、持って帰ってもいいし」
また、その顔だ。今日、事あるごとに見せてくれる、そのキラキラと輝いた瞳。こんなにたくさんの人がいるところで、しないでほしい。その表情を向けられているのは、ルークだけであることも分かっていてそう思うのだから、自分の独占欲も相当だと、呆れた。
「ルークは食べる?」
「食べてほしい?」
聞き返されると思っていなかったのだろう、ミアが驚いている。本当に百面相で、ミア以外だとチャールズやジョンとしか関わってこなかったルークには、その表情を見ているだけで心があたたかくなる。ずっと、見ていたい。
「食べるよ、僕のも選んで」
「紅茶は?」
「いる」
結局ミアは、味の違うワッフルを一個ずつと、紅茶を一本買った。紅茶を一人前飲み切るには多いと思ったのだろう。近くにあったベンチに座って、ふたりの間に紅茶を置く。ミアからワッフルを受け取る。
「ちょっと待って」
「ん?」
早速食べるのを促そうと思ったら、ミアに止められた。手に持っているワッフルを半分に割ってから、ルークに渡してくる。片手で受け取ると、先に受け取っていたワッフルも、ミアが半分に割って、半分同士、入れ替えた。
「はい」
「うん?」
説明を求めると、「ふふっ」と笑いながら教えてくれた。
「小説でよくあるの。恋人とか夫婦同士で半分ずつ交換して食べる」
「してみたかったの?」
「うん」
やはり、もっと早く来ていたかった。こういうことが好きなんだと、思う機会がなかった。恋愛小説や焼菓子が好きなのは知っているが、屋外ではまた違う一面を見せてくれた気がして、嬉しくなる。ワッフルを食べ進めて、思わず顔をしかめた。
「…こっちはすごく甘い」
「あ、やっぱり?」
「ミア、食べる?」
「貰っていいなら」
「うん」
甘いシロップがかかっている方は、一口だけ食べてミアにあげた。紅茶をすすって、口の中の甘さを取る。
ルークが甘い物をあまり好まないことは、当然ミアも知っている。ルークと交換して食べると分かっていても、ミアが食べたかった味を選んだのだろう。
貴重な、可愛いミアの我儘だ。互いに、苦手なものを残したり、相手の食べかけで怒る性格ではないのは知っているし、これからもそうしてくれたらいい。
紅茶をミアにも渡し飲み切って、軽い腹ごしらえと休憩を終えて、立ち上がった。ルークの古い記憶では、もう少し道路を進んだ先に、書店があったはずだ。東の国から戻って、まだ小説を買い足していない。きっと、行ったらまたあの顔をするのだろう。
入るなり、ミアはぐるっと壁に並んだ書物を見まわした。王宮内図書室でも、ここまでの広さはなかったように思う。さすがに書店とだけあって、店内に人も多い。ミアの手を握り直して、あまり離れないようにと、ルークを意識させる。
「すごい書物の量…」
「王都で一番大きい書店だったと思う。魔術を勉強したての頃に来て以来かな」
「結構昔?」
「そうだね、十年以上前。あんまり変わってる感じはしないな」
ミアが足を進める方へ、ルークもついていく。ああ、そうか。ミアはウェルスリーの屋敷から外に連れ出してもらったことはないはずだし、ルークと住み始めてからも街へは出ていない。市場自体が初めてだ。ルークの隣にいることが自然すぎて、今更思い出した。
「見て回っていい?」
「もちろん」
初めて見るものばかりで、疲れてはいないだろうか。転移魔術で帰ればいいし、そこまで問題ではないが、楽しすぎて自分の限界を忘れてはいないだろうか。そんな心配は要らないほど、書物に囲まれて嬉しそうなのが逆に引っかかる。
旅行記を見つけて、ルークの足が止まる。手が引っ張られて、ルークが止まったことに気付いたミアも止まる。
「どこに行こうね」
「うーん…、ルークとふたりで居れたらどこでも」
「まあ、そうなるよね」
一冊手に取って、適当に捲ってみる。せっかくの長期休暇だ。何か思い出に残るようなことをしたい。
「…付け加えるなら、景色のいいところ」
「海とか、見に行ってみる?」
「あ、これ…」
「星空か、いいね」
「ほんと?」
「うん、天気に左右されるとは思うけど、時期が合えば綺麗だと思う」
「あの屋敷にいるときも、よく見てたの。夜は、誰にも邪魔されないから」
「ああ…、確かにね」
「ルークと見れたら、もっと綺麗に見えるよね」
「あの屋敷からでも、今一緒に見れば違って見えるよ」
「そうかも、でも行かないよ」
「分かってる。どこか、普段行けないところにしよう」
☆
小説が集められた区画で、ミアはひとつひとつ確認するように進んでいく。
「買いたいのあれば、買っていいけど、持って帰れる量にしてね、また来れるから」
「…うん」
あれもこれも欲しいのは見て取れたから、初めに言っておく。休暇も今まで以上に取れるのだ。また一緒に買いに来ればいい。
「また行こう、絶対に」
「うん」
「違う市場でも楽しそうだね」
「ふふ、ありがとう」
「僕の方が楽しかったかも」
「そう?」
「うん」
ミアの頭を撫でながら、書店の前から屋敷へ転移した。そもそも、もう魔術師であることを隠さなくて済むのだから、ルークの執務室ではなく、人の居るところで直接転移魔術をかけても問題がない。昔からの癖は、なかなか抜けない。
ミアの部屋にも、書棚を買っておこう。ルークの書斎が、ミアの小説で埋まりつつあるのを、すっかり忘れていた。
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