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【前編】

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ーーああ、これは一体、どうしたことなのでしょう。

「ユリア=シュタイン!
私は貴様との婚約を破棄し、今新たに!
リリアナ=グライスナーとの婚約を宣言する!」

バサリと真っ赤なマントを翻し、大聖堂全体に響き渡るような声で、朗々とそう宣言したのはれっきとしたユリアの婚約者ーーカミーユ殿下。
そしてその傍にある、茜色の髪の乙女、リリアナ嬢が勝ち誇るように笑っている。

「そんな……、殿下、どうして……」

大聖堂の冷たい床に膝をつき、愕然とした表情で殿下を見上げているのは、今まさに婚約破棄を宣言された少女、ユリアである。
まるでこの世の全てに絶望したような顔で。
大きなエメラルドの瞳に大粒の涙を湛えている。

「どうして、だと?
貴様がそれを言うのか。
リリアナの美しい心を踏みにじった貴様が!」

「わたし、私は、なにも……」

「ひどいわ、ユリアさん!
毎日、私の悪口を周りに吹き込んだり、授業で使う魔杖ロッドを壊したり、他にも色々……いっぱい、いじめてきたじゃない……!」

「そんなこと、していないわ!」

糾弾された少女は、キラキラとまばゆい金色の髪を振り乱して、けなげにも一生懸命に首を振る。
それを壇上で冷たく見下ろしながら、殿下はおぞましいものでも見るように、口元を押さえた。

「見苦しい……!
この後に及んでも自分の罪を認めぬとは。
自らの過ちを認め、リリアナに謝罪するならばその命までは取らぬと思っていたが」

バッ!と芝居がかった調子で腕を振り、呆然としている神殿騎士に向かって、殿下は声を張り上げる。

「即刻この者の首を刎ねよ!」

「そんな……!私、本当に何もしてないっ!」

殿下の急な命令に、神殿騎士はあからさまに戸惑っていた。
それはそうだろう。
本来であればこの場は、ユリアと殿下が正式な婚約を神に誓う場であったのに。
それがいつのまにか、婚約破棄の舞台へと移りかわり、そして今では処刑の場へと変貌しようとしているのだから。

「騎士よ、なにをしている!
私の命が聞けないとでも言うのか!」

地団駄を踏み、カミーユ殿下は、動こうとしない騎士たちに声を張り上げた。

当たり前の話だ。
彼らは神殿騎士。
この大神殿を、そして神に仕える教会の者たちを守るのが仕事。
殿下は何か勘違いされているようだが、彼らの忠誠は殿下にはないのだというのに。

「ええい、貴様らがやらぬと言うのなら……!」

「おやめなさい」

カッ!と手に持った聖杖で床を打ちつけ、私は静かに告げた。

殿下たちよりも一段高い場所にいる私は、このくだらない茶番を冷たく見下ろす。

思わぬところからの言葉だったのだろう。
自らの剣に手をかけようとしていた殿下の動きが止まった。

「どのような理由であれ、この神聖な場所で剣を抜くことはこのわたくしが許しません」

ぎろり、と剣呑な眼差しで殿下を睨みつけると、彼は気圧されたように、グッと押し黙った。

「ここは神の御許。
我がセレン聖教会の総本山。
その神の膝元を、あなたは血で汚すとおっしゃられるのですか?」

「しかし聖女よ!この女は私の愛する婚約者を傷つけ、あまつさえその罪を逃れようと、見苦しい真似をしたのだ!
その罪、万死に値する!」

「ではその罪、このわたくしが許しましょう」

「……は?」

あっさりと私が言うと、いきり立っていた殿下はポカンと間抜けな顔で固まった。

「わたくしは聖女。
神に愛されし聖なる乙女。
わたくしの言葉は神の御言であり、わたくしの意志は神と共にあるのです」

「な、そんな馬鹿なことが……!」

「そのわたくしが許しましょう。
ユリア、あなたの罪を許します」

聖なる杖を天高く掲げて、私がそう厳かに告げると、薄く輝く光が舞った。

「聖女、さま……っ」

「これであなたの罪は清められました。
罪を犯した、犯していないに関わらず、今後、あなたの罪を糾弾する者は、もういません」

「そんな……っ」

「そんな馬鹿な話ってないわ!!」

殿下の傍らに抱かれていた少女、リリアナがまなじりを吊り上げて私に一歩近づいた。

「冗談じゃない!私はいじめられたの、この女に!その女がなんの罰も受けずに、無罪放免ですって!?ありえないわ!」

「罰なら十分に受けたではありませんか」

「はあ!?なんだっていうのよ!」

「彼女は少なくとも、カミーユ殿下という婚約者を失ったのですから」

グッと言葉に詰まるリリアナを睥睨して、私はそっとため息を吐く。

「わたくしは、カミーユ殿下の婚約に際して、神からのーーこのわたくしからの祝福が欲しいというから、今ここにいるのです」

かつ、と静かに床を打ち鳴らすと、これまで動きを止めていた神殿騎士たちが、サッと彼らを取り囲むように動いた。

「それが、目の前で繰り広げられたのはくだらない茶番。
わたくしは暇ではありません。
よってあなた達に捧げる祝福もありません」

「なんですって!?」

「可哀想なユリア。
わたくしの祝福はあなたに捧げましょう」

リリアナから視線を外して、ユリアにそっと微笑むと、彼女はポロポロと大粒の涙をこぼした。

「じょ、冗談じゃない!!
聖女よ、此奴は罪人だぞ!その罪人に祝福を捧げるというのか!」

「お黙りなさい!!」

私が声を張り上げると、神殿騎士たちが手に持った槍を一斉に殿下に向けた。

「貴様ら、不敬にもほどがある!」

「不敬なのはあなた方です。
我らの忠誠は、全て聖女様のもの。
この神殿にいる全員が、聖女様の僕なのですから」

神殿騎士隊の隊長が代表して答えると、殿下は言葉を失って、まるで死にそうな魚のように口をパクパクさせた。

「わたくしは言ったはずです。
彼女の罪を許す、と」

聖杖をスッとユリアに向けると、その杖の先からまばゆいほどの光がほとばしる。

その神々しい光はユリアを包み込み、まるで慰めるようにキラキラと輝いた。

「彼女の罪は、神によって許されたのです。
つまり、彼女はもう罪人ではない」

ふ、と息を吐き、私はゆったりと微笑む。

「それでもユリアを罪人だと言うのなら、それはこのわたくしーー神の御言を蔑ろにすると言うこと」

「つまり、神を冒涜すると言うことだ」

槍を向けたまま、隊長が私の言葉を引き継いだ。

「神を冒涜するあなた方ならば、わたくしの祝福など必要ないでしょう。
ですから、わたくしの祝福はあなたに」

「聖女様、ありがとう、ございます……」

「顔をお上げなさい。
あなたはわたくしの祝福を受けた者。
この先、あなたを謂れなき罪で貶めようとする者にはきっと罰がくだるでしょう」

「こんな……、こんなのって……」

ブルブルと震えていたリリアナが、バッと顔を上げて射殺しそうな眼で私を見た。

「そうね……、いらないわ、そんな祝福」

「そう。ならば即刻、この聖なる地から立ち去りなさい」

「望むところだわ。聖女の祝福がなんだって言うのよ!!
そんなものなくたって、私はカミーユと幸せになるんだからっ!」

「ま、待て!待つんだリリアナ!」

あの直情的な少女とは違って、殿下はまだ冷静だったのだろう。
この世界に生きる、国の次期後継者として、“聖女の祝福が貰えないこと“の重みを、まだ理解していると見て取れる。

けれど、どうあっても私の心を動かせないと思ったのか、一瞬の逡巡のあと、彼は急いでリリアナの後を追った。

「カミーユ殿下の国は、なんと言ったかしら」

「は。紺碧の国、グラスランド王国です」

「そう。可哀想に」

ゆっくりと壇上をおりて、未だ床に尻餅をついたままのユリアにそっと手を差し伸べてやりながら、私は心底哀れに呟く。

「この世界に、紺碧はもう必要ないわ」
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